第2回 私が誰かわからない(1)

第2回 私が誰かわからない(1)

2022.2.14 update.

中村佑子(なかむら・ゆうこ) イメージ

中村佑子(なかむら・ゆうこ)

1977年東京都生まれ。映像作家。哲学書房で編集者を経たのち、2005年よりテレビマンユニオンに参加。映画作品に『はじまりの記憶 杉本博司』(2012年)、『あえかなる部屋 内藤礼と、光たち』(2015年)がある。
2020年12月に初めての著書『マザリング――現代の母なる場所』(集英社)を公刊。自身の妊娠出産をきっかけに「母」とは何なのかを幅広くインタビューしつつ、性別を超えた「ケア」をめぐる深い思索が紡がれた同書は、清新かつ重厚なケア論として注目を集めている。

幼い頃から「ケア」に翻弄されてきた人。

ケアという宝/毒を体いっぱいに浴び、充実と虚無の間をさまよってきた人。

――自身ヤングケアラーであった著者による「私に似たひと」探訪記。

「第2回 私が誰かわからない」を3日連続更新します。

【「第1回 いちばん憎くて、いちばん愛しているひと」は2月20日まで閲覧可能】

 

 

ジョバンニはヤングケアラーだった

  

 

 年末年始、新生児を抱えた私は実家に長く泊まることにした。何かビデオを選んでいいよと5歳の娘に伝えたら、映画『銀河鉄道の夜』を選んだ。擬人化した猫で登場人物を捉えた漫画原案はますむらひろし、監督は杉井ギサブロー、脚本は別役実で、細野晴臣が音楽を担当した名作アニメ映画だ。ジョバンニとカムパネルラの猫のキャラクター造形は可愛らしいが、とくにカムパネルラは可愛いだけでない、気品に溢れ、徳が高そうな姿をしている。

 

 全体のドラマのトーンは暗く、しかし天上界である鉄道に乗り込んだあとの銀河のイメージは、テンポが少し現実よりも遅れるような独特の時間感覚をもっていて、本当に死後の世界のように感じられてくる不思議な触覚をもつアニメーションだ。小学校5年のとき封切られ、夢中になったのを覚えている。それで子どもが生まれたときに、見せたいと思いDVDを買ってあったのだ。

 

 映画がはじまると、年初のまっさらな気持ちと、お正月という祭りの最中の流動的な心に『銀河鉄道の夜』がまっすぐに刺さってきた。ジョバンニの父親は船乗りで、どこか見知らぬ遠洋に出かけ数か月帰っていない。それが理由でジョンバンニは学校でいじめられている。お母さんは病気で伏せっていて、ジョバンニが学校から帰っても家は暗く、ベッドから話しかける声が弱々しい。

「姉さんがね、トマトで何かこしらえて、そこに置いていったよ」

 

 年の離れた姉さんには自分の家庭があるのだろう、時間をつくってかろうじてお料理をしに来ただけで、もう帰ってしまって家には誰もいない。ジョバンニは小さな食卓で一人、姉さんがつくったトマトのシチューを食べはじめる。そのあたりから私の胸はキューっと痛みはじめた。

 

 学校から帰ってきたときの家の空気は、ドアを開けた瞬間にわかる。私は怖くて、いつも思い切りドアを開ける前に薄く開け、中の様子を伺っていた。物音がすれば飛び上がるほど嬉しかったし、シーンと静かで死んだような空気が流れているときは、朝一人で出てきたときと同じ、止まってしまった時間のなかに足を踏み入れるようで、悲しい気分の谷底に突き落とされた。お母さんは暗い部屋の、暗いベッドに寝ている。そこから聞こえてくる「おかえり」の声は、声というより息だ。

 

 ジョバンニには、まだお姉さんがつくってくれたシチューがあった。食事を自分で用意したり、店屋ものを頼むためにどこかに電話したりしなくてよかった。ただジョバンニは一人、テーブルに向かってそそくさと食べる。星の祭「ケンタウルス祭」に行く前に、お母さんのためのミルクをもらいに行くと言って、牛乳瓶を持って走り出したジョバンニ。

 

 寂しい一本道を進む後ろ姿を見ながら私は思った。ジョバンニはヤングケアラーだったんだ。小さなころから親をケアするという意味において、ただしくヤングケアラーであった。そのことにはじめて気づいたのだ。

 

 娘はそのあたりで飽きて、お絵描きをすると言い出した。アニメの暗いトーンに耐えきれなくなったのだろう。私はそのことに深く安堵した。私と同じ感性をもっていないということに。私は一人、夢中で続きを見はじめた。

 

 なぜ私が小学校時代にこのアニメに夢中になったのか。小学生の私はジョバンニに自分を投影し、カムパネルラに憧れ、ああなりたい、人の幸せのためなら自分の命は燃やしても構わないと、私もそう言いたくてたまらなかったのだ。カムパネルラはいじめっこのザネリが川に落ちたのを救おうと自分も川に入りザネリを助ける。しかしカムパネルラは二度と水上に上がってこなかった。誰かのために自分ができることは限られている。痛みを代わってあげられることはできない。それでもなお幼い私は自分を、苦しそうな母のために燃やしたかった。カムパネルラに憧れたのだ。

 

 

車輪と歯車

  

 

 この感情の記憶がよみがえったとき、久しく思い出していなかった夢が目の前に顕れた。熱を出したり何か不安なことがあると見る夢は、必ず母が押しつぶされる夢だった。油でギトギトして変な音をさせる大きな車輪に、母がつぶされる。全体が暗くて、先が見通せない。角のほうがとても暗い。私はいまでも部屋の角が暗いと、悪い夢のなかにいるような不安が、突然カーテンの幕のように目の前に降りてくる。あの大きな車輪が出てきてしまうようで、呼吸が浅くなる。

 

 芥川龍之介の〈歯車〉を読んだとき、そこに描かれる「半透明の歯車」は、まるで私がよく見る夢が書かれているようだった。中学生のとき太宰治が好きだという友人がいた。私は大嫌いで、口喧嘩になった。そのときはよく説明できなかったが、よくいわれる太宰のナルシシズムや露悪さが嫌いだったわけではなく、やすやすと人間世界のことだけに悩みを吐露できている、その安穏さが嫌いだった。

 

 その代わり私は芥川が大好きで、中二のときの美術の授業で木彫りがあり、私は芥川の顔を彫った。なんでも好きなものを彫ってよく、あの有名な、頬に手を当てている顔写真が載った本を学校に持っていったのを覚えている。人間世界のなかだけを憂いているような太宰の落ち窪んだ目よりも、芥川のこの世の果てまで見通すような、ほくそ笑んだ顔が好きだった。

 

 自殺直前に撮られたという木登りをして笑っている芥川の動画を見るのも、死ぬ前の顔とはああだと思わせて好きだった。あの二か月後に死ぬということが、私には納得できた。自殺の前に眉をひそめて女を帯同しているであろう太宰を思うと、とにかくダサくて、本当に嫌だったのだ。

 

 太宰と芥川の話が長くなってしまったが、そう、これは〈歯車〉の連想だった。熱があるときに夢に出てくるのは、かならず大きな車輪やタイヤ、あるいは薄暗い工場にある謎の機械。いまならわかる、あの機械は巨大なプレッサーだ。

 

 圧力をかけて鉄のかたまりを押しつぶす大きな円柱のかたまり。あれが母を押しつぶしていく。母がつぶされるたび、私のほうも紙のようにペラペラになってしまい、おまけにサイズが縮小され、ふしぎの国のアリスみたいにみるみる小さくなって小指の先くらいまでになる。寝ながらでも、自分が豆つぶのように小さくなっているのがわかる。金縛りにあったように動けない。機械はまだ動いている。機械油でギトギトになりながら、母が押しつぶされていく。私は小指の先ほどの紙ペラ一枚なので、何もできない。ここはどこかもわからない。もう母も、私もどこにもいない。そこで目が覚める。

 

 何かを叫んでいたのか、声を出していた感じだけが喉の奥に残っている。解体工場のような暗いグレーの空間と、つぶされた母、そして小さな紙ペラ一枚の私。母の苦しさに対して何もできない、母はいつかいなくなってしまう。圧倒的な絶望と無力感、そして喉の渇き、飢えた心。

 

 いま思えば、幼児期の私は病の発症すれすれだったのだと思える。いまはもう全くそうした夢は見なくなったが、私はどこかで絶望を夢のなかで燃やし尽くしたのだろうか。

中村佑子《薄氷のような連帯「第2回 私が誰かわからない」》

つづき(2月15日公開)→

このページのトップへ