第23回 子どもに恐れ入る

第23回 子どもに恐れ入る

2021.9.27 update.

中山求仁子(なかやま・くにこ) イメージ

中山求仁子(なかやま・くにこ)

2017年から18年まで、神奈川県のとある放課後等デイサービスの管理者として勤務。自身も幼少期から横綱級ADHDであり、現在は双極性障害も発症している。
大阪大学文学部美学科音楽演劇学コース卒業。高校時代よりモダンダンス、大学入学と同時に小劇場演劇を始める。2001年、劇団㐧2劇場を退団以降、人生自体が演劇のような双極 I 型ジェットコースターライフを送っている。韓国映画と韓国ドラマをこよなく愛す。

 

■取り残されて……

 

5時に子どもたちを送迎車に乗せ、見送ったあとのあおぞら園は閑散としている。

子どもの気配は絶大だ。引き潮のように一斉にいなくなると、雪が降ってくる前のような、色彩のない世界に取り残される。

 

その日、妹のモモちゃんのバレエ教室のお迎えのため、サクラちゃんの連絡帳には「少しだけ遅れて迎えに行きます」とお母さんの記載があった。みんなが帰り支度をして、玄関から蟻の子のようにずらずらと去っていくのを横目で見ながら、小6のサクラちゃんが呟く。

「みんな、どこ行くのー?」

「おうちに帰るんだよ」

 

サクラちゃんは私の言葉には反応せず、黙っている。そしてもういちど、

「どこ行くのー?」と寂しげに聞く。

「サクラちゃんは、きょうはお父さんのお迎えだよ。もう少ししたら迎えに来てくれるよ」

 

サクラちゃんは、みんながいなくなった廊下の壁に寄りかかる。いつもよりずっと脱力している。

 

■モモちゃん、参上!

 

しばらくして、「センセー、トイレー」とサクラちゃんが呟く。

「小さいほう、大きいほう?」

「うーん、おおきいほー」とサクラちゃんがまるでやる気のない声で言う。

 

私は廊下に面したトイレにサクラちゃんと向かう。トイレの窓の外は駐車場で、サクラちゃんがスカートをまくってゆっくりとパンツを下ろし、便器に座ったとき、お父さんの車が到着した。

 

車のドアがバタンと閉まった音が聞こえ、次の瞬間には玄関のチャイムが鳴った。「ずいぶん早いなあ」と思ってトイレの戸から廊下の先の玄関を首を伸ばして眺める。と、曇りガラスの向こうに白い服を着た小さい背格好の女の子の姿がぼんやりと見える。女の子はぴょんぴょん跳ねていた。モモちゃんだ!

 

私はサクラちゃんを置いて思わず玄関に向かった。そのあいだに、モモちゃんはインターホンを連打している。

ピポピポピポン!!!

 

「はいはい、ちょっと待ってー。こんにちはー」

 

引き戸を開けると、モモちゃんがするりと私をかわし、玄関に入る。サンダルを脱ぎ捨てる。モモちゃんは、季節はとっくに秋なのに、お気に入りの白いワンピースに底の厚い白いサンダルを履いている。

 

「おじゃましまーす」とモモちゃんは、勝手知ったる家のように支援部屋の八畳間に上がり、「サクラちゃーん、どこー?」と叫んでいる。けれど、モモちゃんの眼は支援部屋の押し入れに積まれたおもちゃに向いている。

 

トイレのサクラちゃんからは返事がない。「おじゃましてまーす」と、追いかけて来たお父さんの声がする。「はいはい」と玄関にまた戻ると、八畳間からガラガラという音が聞こえてきた。モモちゃんがおもちゃを出して遊びはじめたのだ。

「わあ、これ、すごい、おもしろい!!」と次々おもちゃを出している音がする。

 

■凸凹を分け合った姉妹

 

私は置き去りにしたサクラちゃんのいるトイレのほうを見る。一瞬、サクラちゃんのところに行けばいいのか、モモちゃんに付き添えばいいのかわからなくなる。私の困惑を見て、「あら、困った事態なのか」と察したお父さんが慌てて靴を脱ぎ、「あ、すみません、上がらせてもらいます、モモちゃん、ちょっと、モモちゃーん」と言いながら八畳間に上がった。

 

するとサクラちゃんが、「うんちー、出たー」とのんびりした声で叫んだ。急いでトイレに向かうと、サクラちゃんはぐんぐんと引っ張り出した長いトイレットペーパーを目の前に掲げ、必死に折り畳もうとしていた。

 

「できる? サクラちゃん?」と聞くと、凍ったような恨めし気な顔で私を一瞬見て、ゆっくりとうなずく。

 

「お父さんとモモちゃんが迎えに来たよー」と言うと、「うーん。うんち出たー」と折り畳めないトイレットペーパーを眺めながら答える。

 

「拭けるー?」と聞くが、返事はない。口を半開きにした恨めし気な顔がゆっくりとこちらに向く。サクラちゃんの眼を見ていると、終わりのないやりとりのループに飲み込まれそうになる。私は首をわずかに振って眼を見開き、ガッツのポーズで「サクラちゃん、がんばれ!!」と作り笑顔で言い残し、モモちゃんのところに戻った。

 

膝立ちでモモちゃんを見ているお父さんから、「あの、来月からよろしくお願いします」と言われる。「はい。こちらこそです。ご利用ありがとうございます」と私も膝立ちになって答える。モモちゃんは、あおぞら園にとってありがたい、季節外れの新規の利用者さんだった。

 

モモちゃんは幼稚園のときに発達障害があると診断され、小学校に入ると同時に自治体に放デイ利用の受給申請を出した。しかし、知的な面や言葉の発達に目立った遅れが認められず、申請許可が出るのにずいぶん時間がかかった。

 

サクラちゃんがスローに生きているのに対して、モモちゃんは回転スピードが速い。次から次へといろんなことが気になって、いつもハイテンションだ。お母さんの話では、コンサータというADHDを持つ人に処方される薬を隔日で服用していた。

 

「飲んだ日は、定型と言われる子どものようになります。回転も少し遅くなり、落ち着いて本人も楽に見えます。飲まない日はハイですが、毎日飲ませるのは躊躇します」と薬の服用に関してお母さんは言った。

 

この薬は園に通う別の子どもも飲んでいたが、その子は中断していた。「朝から廃人のように脱力して、何もできなくなるんです。かわいそうで」とお母さんは言う。成長期を通して長い期間、向精神薬の服用を心配する保護者は多い。心配はよく理解できる。同時に、彼らが家庭や学校で、その言動が受け入れられずに、二次障害が生まれるのも保護者にとっては心配の種だ。

 

サクラちゃんがトイレから出てきた。モモちゃんが遊んでいる姿を見て、「モモちゃーん」と、気の抜けたようなぼわーんとした声で呟く。おもちゃで遊んでいたモモちゃんが、ハッと切り替わったようにおもちゃを投げ捨て、「サクラちゃーん!」と駆け寄る。ふたりで抱き合っている姿を見ていると、姉妹というより二卵性の凹凸を分け合った双子に見えた。

 

■怖くて心地よい一言

 

モモちゃんがあおぞら園を初めて利用した日、隣市にある博物館を訪れた。その日は土曜日だったので、遠出をしようということになった。お弁当を持ち、スタッフも合わせると10人くらいで大きな博物館の庭を巡った。

 

噴水の近く、庭の中央あたりに、大きな赤味がかった銅像があった。ひとりの子どもと手をつなぎ、片腕に小さな赤ん坊を抱えた母が、堂々と顔をあげ、右足を少し引き気味にすっくと立っている姿だった。

 

モモちゃんに付き添っていた私は、「わー」とその像に向かって走り出すモモちゃんを必死に追いかけた。

「モモちゃーん!!」

疾走するモモちゃんの足が、像の足下でピタリと止まった。モモちゃんは像を見上げてボソッと呟いた。

 

「くそばばあ」

 

私は呆気にとられ、立ち止まった。私が追いかけていることなど知らぬそぶりだったモモちゃんが、ふと振り向いて、ニヤリと笑った。胸がドキリと大きく鳴った。私はモモちゃんを無言で見つめる。モモちゃんは私の視線を振り切り、また庭を走りはじめる必死に追いかけるが、私の耳のなかではモモちゃんの「くそばばあ」が、重低音のようにこだましているのだった。

 

館内に入場し、庭を見下ろせる2階のロビーでみんなでお弁当を食べた。モモちゃんはサクラちゃんの隣に座り、おにぎりをおいしそうにほおばっている。私は庭の母子像を眺めてじわりと思った。

 

たしかに、あの像はやりすぎかもしれない――。

そう思うとおかしくなって私は下を向き、少しだけ笑った。するとこころが少し緩んだ。

 

母性礼賛を匂わせる像には、塗られたイメージというか、どことなく嘘臭さが漂っていた。そのことを小1のモモちゃんは一瞬で見透かしたのだろうか。サクラちゃんとウィンナーを取り合うモモちゃんを見ながら、私は「恐れ入りましたー」という気持ちを抱いたのだった。

 

私はその日からモモちゃんと会うたびに、少しそわそわした。自分の本当の気持ちが見透かされているような気がしたからだ。しかし、それがだんだんと心地よくなった。私はその頃、放デイの支援者とは子どもに何かを与え、カバーし、ケアする者だという、自分が勝手にイメージした「役割という鎧」が重くて仕方がなくなっていた。もしかしたら、専門的知識も経験もない私のそんな急ごしらえの鎧は、とっくの昔に壊れて色も剥がれているような気もしていた。なのに鎧が脱げない自分が暑苦しくて重かった。

 

けれど、モモちゃんといると、間違えれば嘘がばれたときのように、「あっ、ゴメーン」と舌を出し、笑ってごまかしたり、ときには繕えずに弱味をそのまま見せている自分がいた。「もういいや、どーでも」と思えた。モモちゃんにはあのときから、私は降参していたのだった。それは心地よい間柄だった。やっと平地に立った気分だった。

 

■子どもの体の中には誰が住んでいるのか

 

モモちゃんは、薬を飲んでいる日と飲んでいない日で見た様子は違っても、その本質は変わらず、一貫していたと思う。

 

モモちゃんと出会ってから、私は子どもたちを「子ども」と見るのでいいのだろうか、と思うようになった。子どもの姿をしていても、子どもたちは大人以上にわかっていること、見破っていることが多い。特に発達障害をもつ子どもたちは、嘘っぱちが嫌いだった。嘘っぱちな表面だけのかかわりや、当たり障りのいい四角四面のケアというものを見事に見破り、離れた。彼らはお行儀のよいものよりとにかく、おもしろいものが好きだった。

 

つまり子どもたちは、子どもの体をしていても、中に住んでいるのは、めっぽうなかなかの人間だった。そもそも、子どもを何かが足りない生き物のように扱うのは、大人の不遜かしもれない。

 

少し穏やかな日のモモちゃんは、私の色を教えてくれたりした。モモちゃんは、人やものに色が見える共感覚を持っていた。

「中山さんはー、オレンジ」

 

富田さんが「私は? 私は?」と聞く。

「富田さんは、ブルー」

私たちには人の色は見えないから、ふうんと聞く。

 

そうかあ、オレンジかあ。オレンジ色の光の雲が私のまわりに漂っているようなイメージが浮かんだ。なんだか自分が知らない自分を知っているようで、モモちゃんが魔法つかいのように見える。

 

発達障害をもつ子どもたちが、環境から教わったのでもない、年齢にそぐわない言葉を漏らすときがある。それは、世界に埋め込まれたガラス玉のように、キラキラしたもののように私には聞こえる。いや、その一瞬、みな驚いている。言葉が天から降ってきて、それを媒介している子どもたち。

 

ああ、と私は理解する。

そうだ、そうじゃないと、世界は更新していかないはずだなあ、と。

(中山求仁子「劇的身体」第23回了)

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