第20回 こころが体に傾斜する

第20回 こころが体に傾斜する

2021.7.22 update.

中山求仁子(なかやま・くにこ) イメージ

中山求仁子(なかやま・くにこ)

2017年から18年まで、神奈川県のとある放課後等デイサービスの管理者として勤務。自身も幼少期から横綱級ADHDであり、現在は双極性障害も発症している。
大阪大学文学部美学科音楽演劇学コース卒業。高校時代よりモダンダンス、大学入学と同時に小劇場演劇を始める。2001年退団以降、人生自体が演劇のような双極 I 型ジェットコースターライフを送っている。韓国映画と韓流ドラマをこよなく愛す。

 

コロナになってから、パソコンで人に会うことが多くなった。最初はなかなか会えない人の話を講演会に行かなくても聴けたり、会ったつもりになれて便利だなあと感じていた。が、だんだん、パソコンの画面で、人も自分もパッとついて、しばらくしたらパっと消えるその時間に、「本当にあったのだろうか、さっきは」と思うようになった。

 

身体から切り離された二次元の人の顔と自分の顔。それだけを見つめ過ぎることに、つらくなったのかもしれない。私は案外、正面以外の別のところから人を見ていたのではないかと思った。

 

そんな戸惑いが大きくなったころ、ふと思った。小さいころに友達と遊んだ「かごめかごめ」で、後ろの正面はなぜわかったのだろう、と。正面過多の今の私にはわからないかもしれない。いつまでも鬼で、輪のなかにしゃがみ続けるかもしれない。

 

そんなことで今回は、背後の話である。

 

 

◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

■うなじの記憶

 

およそ50年前、ちょうど今時分のことである。

幼稚園が夏休みに入る前に、お泊り会があった。いつも母に手を引かれて通い、お昼には後にしていた幼稚園で過ごす夜は初めてだった。子どもたちは、おそらく初めて親から離れ、一緒にお昼ごはんとおやつを食べ、夕方も遊び、お風呂に入り、タオルケットにくるまれて一緒に眠った。

 

朝、目覚めると、友だちの顔が横にあった。顔を洗ってからだろう。園舎のまんなかにある大きな木のベランダに、先生が椅子を置いた。そして、「さあ、みんな、並んで」と笑顔で声をかける。先生は、女生徒の髪を梳(す)いてくれたのだった。長い髪の子はゴムでまとめてもらう。ひとりひとり。女の子は列をなして待った。みんなうれしそうに髪を梳いてもらっていた。

 

私の番になった。

「くにこちゃん、おいで」

とやさしい先生の声に呼ばれると、私は急に恥ずかしくなった。短いワンピースの裾をぎゅっとつかみ、もじもじしながら椅子に座る。自然とぶらぶらと足を揺らす。

 

先生は私の背中に回り、おかっぱの私の頭にそっと手を触れた。私の首筋がびくっとする。それからはゆりかごで揺れるような時間だ。木の櫛がすーっと髪の間を流れるように通る。なんだかお腹のあたりにいたくすぐったい虫が動いて、どんどん猫背になり、頭を振りたくなるのをこらえた。ときおり、うなじに柔らかく先生の手指が触れる。その感触が温かく、虫はうれしくて私のなかで跳ねた。

 

先生が「痛くない?」「どう?」と言うかのように、私の顔を後ろからのぞきこむ。年の離れたお姉さんのような、つややかでやさしい笑顔。どう答えたらいいのだろうと胸が大きく鳴り、恥ずかしさが広がる。私はうつむくのだけど、そのとき先生から甘い匂いが漂って、私のこころはいっぱいになり、先生の手の感触がそれからもずっとうなじに残った。

 

不思議なことにこの記憶には、髪を梳いてもらった私のうなじと、口元に笑みを浮かべ私の髪を梳く先生のお顔が一緒になり、まるで映画のようなイメージとして焼きついている。体の記憶はもしかして、する・してもらう、どちら側の体も包み込み、二つ一緒に折りたたんでしまいこんでいるのだろうか。

 

■記憶を食べて生きる

 

記憶は陰画のようなものかもしれない。ただ、そのたびに私たちは、当時の感情やまつわることば、感触、表情や匂いすらも呼び起こしているような気がする。そのたびに手触りのある新しい記憶として塗り替えている。その記憶には今とつながる自分がいるからだ。そこには自分の体があり、皮膚の中と外で、大切な何かを感じていたのである。こころが揺れ、傾いたその時間を私たちは忘れていないし、今も必要としている。だから記憶は私たちの体に潜み、自分のなかで何事かが起こるたびに、ささやきかけてくるのだと思う。

 

高齢者の方と話していて、昔の話をついこの間のことのように、大事に、しかも何度も話されるのが不思議な頃もあった。けれど今ならばわかるし、年をとると、そういう取り出しが上手になるのかもしれないと感じる。時間のなかから記憶を取り出しては反芻し、焼き直す。ときには、記憶を食べている。人が生きる時間はその人きりの一本の線ではないのかもしれない。人々とのかかわりという経験を、ときには主体と客体をいっしょくたに織り込み、つづらに折って、横道や横穴のように這うように広がる、樹状の道なのだろう。

 

 

◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

■爆弾を抱えた背中

 

もじゃもじゃは瓦礫に座っていた。

1981年。私が大学に入学した当時、JR大阪駅に隣接した広大なコンテナ基地は取り壊され、その跡地には砕けたコンクリートが一面に広がっていた。もじゃもじゃとは、第13回登場の、私を桜の木の下で酔っ払いながら劇団に勧誘した、工学部土木科4年、当時は留年していた大学生である。

 

もじゃもじゃは、片手に缶ビールを持ち、左手にタバコをくわえていた。飲み終わったビールの缶が足元にある。飲み口に黒い灰がこびりついていた。私はそうやって空き缶を灰皿にしてタバコを吸う人に初めて近づいた気がした。灰皿に近い左足元の靴が微かに震えている。もじゃもじゃは脚を揺すっていた。私はその揺れを少し離れた背後から、じっと見ていた。

 

怒ってる、いや、苛立っている、そう私は感じた。

 

30分も遅れてきた私に怒り、苛立っているのか。そうも考えたけれど、それだけではないような気もした。なぜなら、もじゃもじゃの背中は、そんな少しの苛立ちではなく、もっと根っこから、自分のなかに立ち込める大きな感情があり、そのことを自分でよくよく知っているような背中だったからだ。それをどうにかしたいと思い、思うようにできなくて、吐き出したくて、背中いっぱいに広げて見せているように私は感じた。

 

私は立ち止まったままだった。そんな爆弾のような人に、私はこれまで出会ったことがないように思ったからだ。何かを表現したいと思う人には、高校時代もモダンダンスの研究所でたくさんの先輩を、それも多くは大人を見てきた。けれどその人たちは、表現の手段を見つけていたように思う。あるいは、持っていると思っていた人たちであり、たとえ本人は悩んでいたとしても、私にはわからないレベルの人たちだった。

 

しかしこの人は、私にすら、何も持っていないし、見つけていないように見えた。何も持っておらず、自分の体ひとつで、苛立っている。もやもやしている。会ってよいのだろうか。あのパーマ髪もじゃもじゃの、一度しか会っていない人とこうして待ち合わせして、聞いたことのない芝居を見に行くことにしてよいのだろうか。私は何かとても、自分を脅かす大きなことに気づいてしまうかもしれない、と瓦礫のなかに突っ立ってしばらく考えていた。けれど、私は歩き始めた。砕けたコンクリートのかけらを避けながら、ヒールの靴で近づき、大きな苛立ちの背中に向けて、後ろから声をかけた。

 

もじゃもじゃは私に気づいているようだった。しかし、振り向かなかった。

 

「あの」と私が声をかけたとき、もじゃもじゃはビールを飲み干し、左手の甲で口元を手荒く拭った。「すみません、遅れて」と言った私のことばには反応せず、しばらくしてからゆっくり立ち上がり、振り向きもせず、もじゃもじゃは「行こかー」と言った。

 

やっと振り向いたもじゃもじゃは、思ったより背が高く、ガリガリに痩せて目が鋭かった。同じようにビールを飲んでいるのに、勧誘してきたときのもじゃもじゃとはまるで違った。でも、私は驚かなかった。背中のほうがずっとこわかったからである。私は「はい」とだけ答え、歩きにくい瓦礫の原をヒールで歩き始めた。

 

その前日、私は大学祭でジャズのサークルのカフェを手伝い、すっかり楽しくなって、誘われていた劇団のことはすっかり忘れ、そのサークルに入る気満々になっていた。そしてモダンダンスの稽古場にまた通おうと思っていた。なのに、なぜ翌日、もじゃもじゃとJR大阪駅コンテナ基地跡に立てた紅テントで行われる状況劇場の芝居を観る約束をしたのか。すっぽかさなかったのか。わからない。今もってわからないのである。

 

■立方体はゆらゆら空へ

 

コンテナ基地奥にしつらえられたテントに入る客は長蛇の列をなしていた。私のように、ヒールとスカートで来ている人などほとんどいなかった。狭い客席に小さな座布団。その正方形に正座をしていると、もじゃもじゃが「それじゃぁ、もたへんで」と言った。「えっ」と言って、周囲を見、しばらくしてわかってきた。芝居が始まる前にすでに足がしびれている。

「あの、何時間くらいですか?」

もじゃもじゃに聞くと、

「さあ、2時間くらいかなあ」と言われ、「ヒエー。でもそうだよなあ」となる。

 

そりゃもたない。まさか座布団に座るなんて考えてなかった。どうしようと、まずは脚を左に崩してみる。すぐにしびれが這い上がる。右にしてみる。10分ともたない。左右交互に足崩しをためしてみて諦める。仕方がないと覚悟して、私は短いスカートの端をピンと持ち、膝にかけてずずーっと下に引っ張りながら、足を前に出し、折った。つまり体育座りだ。素早くかばんで足元から膝を隠し、パンツが見えないようにする。横に座っているもじゃもじゃは何も言わなかった。ところがである。

 

舞台に滑舌のいい若い役者さんが出てきて、

「客席が満席になりましたが、まだまだ外には大勢のお客様がいらっしゃいます。みなさま、私が『よいしょ!』と声を掛けますので、少しだけ、入ってくるお客様のために場所を開けてください」と言う。

「えええー」と目を開いてためらっている私のことなど知らず、役者さんは客席に叫ぶ。

「では、いきますよ~。よいしょ!!」

すると、客は素直に、ずずずと舞台向かって右側に、自分の座布団をお尻から少し離して持ち上げてずれる。私は座布団とかばんとビニール袋に入れたヒールをそのままの体勢で横にずれようと必死になる。

 

客のずずずのおかげで2列くらいの空きスペースがテント入り口近くにでき、そこにお客さんがゾロゾロと入って来る。また客席係が声をかける。

「ご協力ありがとうございましたぁ。しかし、まだまだ外にはお客さんがいらっしゃいます。今度は、前に少しずつ詰めていただきます。掛け声をかけますから、どうぞよろしくお願いします!」

 

しぶしぶ前に、よいしょ。すると、自分の座っている面積はずいぶん小さいものとなり、正座していると、うしろの人の脚先が触る。振り向くと、お腹の出たおじさんが必死に体育座りをして膝を抱え、前後の起き上がりこぶしになろうとしている。笑いをこらえた。隣のもじゃもじゃは慣れたものだ。「こんな劇場、出たい」と思ったけど、もう手遅れだった。私は覚悟を決め、体育座りをして、スカートの裾を引きちぎれそうなほど指でつまんでパンツを隠し続けてる。

 

客席みんなが座布団サイズの立方体になって始まった芝居は、私が見たことのない世界だった。座布団の脇を走る狭い花道。脈絡のない場面で水槽に役者が飛び込む。叫ぶ。笑う。客はそれぞれが立方体になったのではなく、舞台ともみな融けあって、テント型のゆらゆらゆれる劇世界へと空に飛び上がっていたのだと思う、あの時間。

 

■苛立ちと熱が移植され

 

もじゃもじゃとふたりで、夜遅い大阪の町を駅まで歩いた。門限はとっくに過ぎていた。今見た芝居にこころの根もとからぐらついた私には、ひらひらとしたスカートとヒールを穿いている自分がひどく不似合いに感じた。背後から、「ちゃらとちゃら着たいものがあれば着ればいいさ。体はそのままだけどよ」と今見た劇の役者たちに薄ら笑いをされてるように感じた。もじゃもじゃは、駅に着くまで何も言わなかった。

 

別れ際にポケットに手を入れたもじゃもじゃが、

「どないするー?」と言った。

私は即座に、「劇団、入ります!」と言った。なんとも軽い人間、軽い選択だ。でも、私の頬は紅潮していた。もじゃもじゃはにやっとして一言「そうかー」とだけ言った。もじゃもじゃとはそこで別れた。もじゃもじゃが雑踏に消えていく背中を見ながら、私は感じていた。瓦礫に座るもじゃもじゃの背中に張り付いていた、言いようのない苛立ちや熱が、そのときには自分のなかにもあることを。

 

さて。第13回で話したように、私はその後、ぶざまなオーディションののち、全員合格状態で劇団員となった。学内での新人公演なるものが企画され、私はもじゃもじゃが演出する組に入った。

 

もじゃもじゃがときおり、「こんな感じで」と演技を見せてくれる。初めて見たときには驚いた。なんと、もじゃもじゃは、シャウト役者だったのだ。舞台のセンターに立ち、片方の肩を少し落としながら、握りこぶしで体を震わせながらシャウト、シャウト、シャウトする。よだれをだらたら垂らし、あたりかまわず唾を飛ばしながら。新人は体だけでなくみんな気持ちが引いた。あんな真似など誰もできない。私は、あのときの背中を知っていたので、よだれは垂らせないよなあと思いつつ、もじゃもじゃの熱はわかったつもりになった。

 

そんなところに、「あのー、劇団すかー」とオーディションからしばらく経ってやってきた男がいた。鶏ガラのようにガリガリに痩せ、かまきりのように頬がこけた男だった。その男が、もじゃもじゃより狂ったような殺気だらけの芝居をし、あれれと言う間に主役を掠め取った。のちの私の夫である。夫は通常穏やかだが、中には狂人がいる。当時は大学一年時、期待を込めて入ったテニスサークルで女子にいないもの扱いをされ続け、怨念が体から噴き出していたから余計であった。

 

そういう変な役者が入ってくると、たちまち劇団員は浮足だつ。おろおろする。「自分はあいつに負けないほどの何ができるんだー!」とこころで叫び、躍起になる。手立てなしに、自分に、芝居に傾斜していく。それは無我夢中に自分を晒け出していく過程でもある。

 

けれど、生きてきた道もそういうものではなかったかと今になって思う。手立てなどなく、起こったことにトトトと傾いて、自分でしかない自分を生きていくのではないかと。それは、子どもだって同じだ。

 

 

◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

■何も起こらない柔らかい背中

 

放デイあおぞら園に通うナミ君は、小学1年生。ダウン症に生まれ、ナミ君の話してくれる言葉は舌がかわいく丸まって、思いにあふれていた。けれど、私を含め支援員にはわからないこともあり、ナミ君はもどかしかったと思う。機嫌のいいときは、眼の上まで伸ばした長い前髪と長いおかっぱ頭を振り、お母さん好みのラッパーのダボダボ服で、ダンスをしてくれる。

 

ナミ君の通う特別支援学級はアットホームな雰囲気だった。兄弟姉妹のように子どもたちが一緒に育ち、ナミ君もすっかり安心して学校に通っていた。その延長で、ナミ君は楽しそうに小学校の靴箱から私と手をつなぎ、あおぞら園の車に乗る。タクト君、ルカ君、いつものメンバーがにぎやかだ。私は後部座席の様子をバックミラーを少しずつずらして三人の様子を見る。

 

あおぞら園に近づくと、少しずつナミ君の顔が曇る。わかっている。子どもはこわいことに敏感だ。最初は、靴箱を見て誰が来ているのか確かめているのかと思ったけれど、そうではないらしい。気配だ。車の中ですでに感じる予感、玄関に入ると子ともたちのいる部屋から漂う気配で、ナミ君は、玄関に立ちすくむか、廊下にうずくまるか、それともおそるおそる部屋をのぞくのかを決める。きょうのナミ君は、おかっぱ頭で目を隠し、廊下の隅にお尻を隠し、自分がいないことにする。中の部屋には少し苦手なおにいちゃんがいる。こわい。

 

うずくまるナミ君のランドセルとかばんをかごに入れている間に、赤木さんが「ナミ君、どうしたのー?」と明るい声で様子を見にいく。ナミ君は、ぐんと小さく膝を抱え、顔を上げない。そしてもぞもぞ何か言う。「そうかあ」と赤木さんが返って来る。「そうかあ」は「廊下ってことね」という意味だ。富田さんが今度はナミ君を抱えに行く。魔法のように自然と膝に抱え、揺らしたりして、話し始める。

 

「きょうは学校で何したのー?」「おかあさん元気―?」「このTシャツかっこいいなあ」「踊ってよー」と言うと、富田さんが好きなナミ君は、だんだんお尻が浮いて、ヒップホップ風のステップを踏んだり、手をあげてイエーと言いながら下ろしてみたりする。けれど、部屋には入らない。

 

おやつの用意を富田さんがしに台所に行く。代わりに、廊下に座り込み、うつむくナミ君の横に私は座る。手を取って、手のひらをくしゅくしゅとくすぐる。ナミ君は手を急いでひっこめるが、笑う。何度かそんなことをし、私はずずずとナミ君の横から背中に私の背中を合わせる。後ろからくすぐったり、じゃんけんしたり。いや、何もしないでぼーっとふたりで背中合わせにいるときもある。

 

小学1年生。まだ幼稚園の延長のような体とこころだ。ナミ君の背中は柔らかい。温かい。その背中に私がほっとする。何も起こらない。動かない。韓国ドラマみたいに、次から次へと出来事は生まれない。けれど、静かな背中の、体の記憶はどこかに積もっていく。ふと私がその心地にこころが傾いていると、ときたま、本当にときたま、ナミ君が一緒にお部屋に入ろうかなという気持ちになって、立ち上がることもある。

 

それは別に成功なんかじゃないけれど、心配しながら部屋で遊んでいたタクトやルカ君が「ナミ、電車、ブーン」とプラレールを持って来てくれるのはやっぱりしあわせな光景に見える。何かが少しだけ動き、また止まる。そんな小さな時間を積もらせながら、私たちは生きていると思う。

 

■後ろから、足下から、支えたい

 

ある日の、小さな傾斜と小さな記憶。

 

なかなか打ち解けられないお母さんがいて、面談ではうまく話せないことがある。正面切ると、私たちはぎくしゃくしがちだ。同じひとりの子どものことを心配しながら話しているのに。

 

だけど、偶然、電車で降りた駅のプラットフォームの先に、そのお母さんと子どもの足元を見つけたことがある。後ろ姿を少し離れて確認する。自分をギリギリ保ちながら、せいいっぱい育てている若い彼女の苛立ちは常日頃知っていた。でもこの日、お母さんの子どもを握る手に、この手は離せないという思いを私は感じる。子どもに合わせた足取りが、お母さんの気持ちだと知る。

 

お母さんについていく子どもの少し内股の足取りに、私のこころが揺れ、彼らに傾斜する。あそこなんだと思う。私が支えるのは、あそこ。このふたりを、前からではなく、後ろから、足下から静かに受け止め、支えようと思った瞬間が、私のなかに今でも小さな記憶として残っている。

 

私たちは、小さな何かにこころが振れ、傾き、記憶して生きている。大声が出せて、安定をつくろいやすく、ついそうしがちな正面だけでは見えないものもあるのではないか。案外、横顔や立ち姿や足元や背中にある本音を見つめて、私たちはこころ揺れ、相手を思って生きている。

(中山求仁子「劇的身体」第20回了)

 

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