第34回 距離感は難しいけど、ゆるゆると繋がっておくことは大事なのかなと思ってます【おゆ♨️さん】

第34回 距離感は難しいけど、ゆるゆると繋がっておくことは大事なのかなと思ってます【おゆ♨️さん】

2021.7.21 update.

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横道誠(よこみち・まこと)

1979年生まれ。京都府立大学の准教授で、専門はドイツ文学研究・比較文化研究。子どものころから「稀代の変人」として、生きづらさに苦しむ。能力の凸凹(でこぼこ)が激しかったが、研究能力に秀でていたため、長年医学的な診断を受けずにいた。だが40歳のときに二次障害を起こし、41歳でついにASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)の診断を受ける。
今年5月に上梓した当事者研究の本(ほぼ自伝?)の『みんな水の中』(シリーズケアをひらく、医学書院)が初の単著単行本。

Twitterアカウント:
https://twitter.com/macoto_y(研究者・著者として)
https://twitter.com/macoto_1(自助グループ主催者として)

 

おゆ♨️さんは27歳、大阪府在住。ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如・多動症)の不注意優勢型、双極性障害II型と診断されている。

 

小学生のときは忘れ物が多く、ランドセルが空っぽのまま学校に行ったことがある。家の鍵を何回もなくした。感情的になりやすく、癇癪(かんしゃく)というほどではないが、よく泣き、他方でよく笑いもした。体を動かすのが好きで、男子に混じってドッジボールをしたり、海へ行って、テトラポッドに秘密基地を作ったりした。各種のカードゲームや、コンピューターゲームの『ポケットモンスター』を楽しんだ。

 

中学生くらいから、人付き合いが難しいと感じだした。ふたつの小学校の出身者がひとつの中学校に合流したのだが、文化間の緊張を感じて息苦しく、内向的にはなりはじめた。

 

部活のバレーボールに打ちこんでもいた。指導は体育会系で厳しく、ミスをしたら隅っこで大声で校歌を歌わされるなど、つらいことを経験した。しかし楽しかった記憶のほうが多い。兄の影響で文学作品が好きになり、芥川龍之介、横光利一を楽しんだ。自傷行為が癖になり、リストカットが止まらなかった。

 

環境が良いと判断して新設校を受験し、高校生になった。新しい人間関係に、やはりなじめなかった。しばらく友だちも積極的に作らず、帰宅部に徹した。ところが、同じクラスに中学の同級生がいて、彼女が引っぱってくれることで、クラスの「元気系グループ」に入りこんだ。学校に溶けこめるようになり、友だちに誘われて根負けし、1年の夏からバレーボール部に入部した。

 

友人関係でも家族関係でも精神的に病んだ。未成年向けの精神科に通うことになった。ストレスからおなかを壊すので、その薬をもらったり、気持ちをやわらげる薬を処方してもらったりした。リストカットも続いていた。いまでは、自分の気持ちをどのように表現して良いのか分からず、それが自傷行為に繋がっていた、と自己分析する。

 

高校生のころの救いは、コンピューターゲームの『うたの☆プリンスさまっ♪』。これがおゆ♨️さんにとっては、いまでもいちばん大切な趣味だという。

 

進路に関して親と揉めた。家の経済状況が厳しかった。自宅で勉強に励み、女子大に入った。大学構内に男子がいないために、面倒な人間関係は軽減された。しかし奨学金を受けても学費が足りず、アルバイト漬けになった。シェアハウスで環境に適応できず、急に発熱するなど、体調を崩しがちだった。その後、一人暮らしを始めて、状況は好転した。

 

ユニクロでのバイトで、「お客様の言葉」で名指しで褒めてもらえたことが記憶に残る。おとなの世界を感じ、社会勉強ができたと感じた。焼き鳥がメインの居酒屋でも働いた。さまざまな仕事をしている人たちが来るので、やはり勉強になった。デパートの地下売り場の洋菓子ショップでもバイトをした。海外からの観光客も多く、文化の違いを感じた。日報を書き、店番をした。コンビニでも働いた。タバコの銘柄を覚えるのを頑張った。外国からの留学生を始めとして、さまざまな客層に触れた。読書も続け、太宰治と川端康成が特に好きな作家になった。

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大学での専攻は「現代社会学」。バイト先はフィールドワークの調査地のようで、人間観察ができるおもしろい場所だと感じた。子どもの貧困に興味を持つようになり、母子家庭の中学生のための支援ボランティアに関わった。就職は悩んだ末に、福祉に関する仕事を選んだ。無資格で始められ、働きながら資格も取れる介護の仕事についた。北海道から関西に移住。20歳のころから交際していた男性と結婚することになった。

 

3年少し働いたが、「とても楽しかったです」と語る。仕事はつらいが、感謝をされたり、ケアの対応力を向上させられたりするので、充実していた。しかし家庭の事情から精神的につらくなった。介護の仕事ならいつでも戻って来れると考え、事務職を体験しようと決断する。そうして予備校で、高校生向けの英語の教材を作成することになった。「うまくもぐりこめました!」と嬉しそうに語るおゆ♨️さん。

 

しかし、この職場で段々とつまずいてゆく。介護の仕事をしていたときは、「報連相」が確固たるものとしてあったが、予備校では仕事の見通しが効かなかった。「仕事ができてるぞ、身についてるぞ、っていう感覚が全然つかめなくて。ちょっとしたミスが重なりました」。気づいたら、英語科の直属の上司とうまくいかなくなってしまった。「単純にウマが合わなかったのか。私がダメダメだったからなのか」。自分と仕事が合っていないことに気づき、気持ちが塞がってしまった。仕事に行けなくなり、インターネットで検索。そして思いあたった。「大学で勉強した「おとなの発達障害」、あれかもしれない」。病院に行き、診断を受けた。

 

退職代行サービスの力を借りて、会社を辞めた。「最悪な辞め方でした」。家から出られなくなった。自宅で療養し、発達界隈に入った。「自分だけじゃないんだな」と知ることができ、発達障害者向けのライフハックを得た。障害者手帳の取り方、障害者自立支援法を受けると良いこと。退職以来、思考回路が止まっていたが、仲間が気を利かせて助けてくれる。「その繋がりがあったから、やってこれたなと思います」。

 

夫との生活で満たされ、支えてもらっていることを、日々実感している。考え方が異なるところはあるが、自分のことを長く見てきた、いちばんの理解者。「ずっと大切にしたいと思ってます」。大阪府茨木市にあった発達障害バー「ムゲーテ」で「のろけバー」や「身だしなみバー」などのイベントを開催した。Twitterでしか繋がっていなかった発達仲間たちと会って話して、印象が違う人もいたのがおもしろかった。

 

現在は、無職生活をつづけているが、生活のリズムを作れるようになった。雇用保険を受けられるようになり、再就職のことを考えだした。また介護で頑張ってみたいと考えるおゆ♨️さん。職業訓練で介護福祉士の資格を取れるコースに通っている。

 

「おゆ♨️さんが大事にしていることは」と尋ねると、「発達障害がある人との関わりでも、ない人との関わりでも、しんどいこともあって、人付き合いが苦手なんだなと感じます。でも、繋がっていることで助けてもらえることもあります。距離感は難しいけど、ゆるゆると繋がっておくことは大事なのかなと思ってます」。

 

「ほどほどの距離感を模索していきたい」と語るおゆ♨️さんの未来が、輝いて見えた。

(横道誠「発達界隈通信!」第34回了)

 

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みんな水の中 イメージ

みんな水の中

脳の多様性とはこのことか!
ASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)を診断された大学教員は、彼をとりまく世界の不思議を語りはじめた。何もかもがゆらめき、ぼんやりとした水の中で《地獄行きのタイムマシン》に乗せられる。その一方で「発達障害」の先人たちの研究を渉猟し、仲間と語り合い、翻訳に没頭する。「そこまで書かなくても」と心配になる赤裸々な告白と、ちょっと乗り切れないユーモアの日々を活写した、かつてない当事者研究。

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