第31回 自分のことを知ろうとしていく上で、性の問題がいちばん避けて通れないと気づいたんです【みなきんぐさん】

第31回 自分のことを知ろうとしていく上で、性の問題がいちばん避けて通れないと気づいたんです【みなきんぐさん】

2021.7.12 update.

横道誠(よこみち・まこと) イメージ

横道誠(よこみち・まこと)

1979年生まれ。京都府立大学の准教授で、専門はドイツ文学研究・比較文化研究。子どものころから「稀代の変人」として、生きづらさに苦しむ。能力の凸凹(でこぼこ)が激しかったが、研究能力に秀でていたため、長年医学的な診断を受けずにいた。だが40歳のときに二次障害を起こし、41歳でついにASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)の診断を受ける。
今年5月に上梓した当事者研究の本(ほぼ自伝?)の『みんな水の中』(シリーズケアをひらく、医学書院)が初の単著単行本。

Twitterアカウント:
https://twitter.com/macoto_y(研究者・著者として)
https://twitter.com/macoto_1(自助グループ主催者として)

 

みなきんぐさんは31歳、関東在住。気分変調症と発達障害の傾向を診断されている。

 

3歳児検診で「自閉的傾向」を疑われたが、学校は普通学級で大丈夫だろうと説明された。小学校に進んだが、「大丈夫じゃなかった」と語る。人間関係や集団生活に適応できない。他者に対する恐怖から抜けるのに時間がかかった。場面緘黙に苦しんだ。なお場面緘黙は、医学的には発達障害(神経発達症)にカテゴライズされている。

 

日直に当たっても、「いまから始めます。静かにしてください」というような声出しができなかった。親からも、教師からも、「なんで喋らないのか」と問い詰められ、クラスメイトからは「耳がないのか」、「口がないのか」と責められた。

 

「まったく会話できなかったわけではありません。でも話せたとしてもオウム返しや短く返事するのが精一杯で、話せば話すほど相手を苛々させて、ますます萎縮して、声が出しづらくなるという悪循環が続きました」。当時はなぜ相手を怒らせてしまうかを考えられず、自分はいるだけで他者を不快にしたり怒らせたりできる素質があるのかと自分を追いつめた。

 

自宅で親から会話の練習をさせられたが、不安が解消されることはなく、他者への恐怖感は高まるばかりだった。それで、人の言いなりにばかりなった。「“来る者拒まず”というわけではなかったのに、自動的に拒めなくなってしまいました。子どものころから、言われたことはちゃんとやるものだと強く教わってきましたから、拒まないのが当然のことのように認識してたんです。自分の意思は脳のなかに搭載されてなかったんだと思います」。

 

うまく声が出せない、意思表示ができないということでいじめられた。「これはいや」とか「これはやめて」とはっきり言わないのが悪いということにされた。「私が悪いことになってるのは分かるけど、何がいけないのかってことは分からない。だから嫌われるんだよと教えてくれる人は周りにいっぱいいたけど、どうすればいいのか分からなかった」。

 

学校生活では、楽しいという気持ちがどういうものなのか、分からなかった。不快なことばかりが続いても、周りが楽しそうにしていたり、楽しく過ごしていたりした。それが良いこととして受けとめられているのは、感じることができた。「無理にでも楽しもうとするしかない」と念じた。

 

中学では吹奏楽部に入った。「いやでも大きい声で話さないと意思疎通ができない環境に身を置きました。周りに適応しようとしては、できない自分を責めていました」。大きな声が出るようになっても、コミュニケーションが向上しないと知った。「監獄でむりやりに声を出すように強制されている気分がしました」。体育会系のようなノリがつらくても、「辞めたい」と声をあげることは困難だった。部活だけで膨大なエネルギーを消耗してしまい、勉強や受験のことまで頭が回らなかった。

 

思春期の頃。卑猥な言葉を言え、好きな人を教えろ、などと言ってきて、反応をおもしろがるクラスメイトが何人もいた。言われるがままに口にして、噂が広まった。公立高校への進学は難しいと言われた。部活に力を入れている私立高校に推薦で進学。

 

「何かを表現するのは嫌いではありませんでしたが、吹奏楽を続けることは義務のように思っていました。音程や意識を合わせることで精一杯でした。音楽に「楽」という字が入ってることに疑問を感じるくらい、楽しい感覚を味わえることは一瞬もなかったです」。

 

同じ中学から来ている生徒がいて、ほかの中学校から来た生徒たちにも、中学時代の噂が広まった。「自分の言いたいことが言えないのに、性的な会話のほうが先にできてしまうようになりました。そのことに自分で違和感がありました」。

 

高校の3年間で6人の男性が恋人になった。「交際を申しこまれたから、承諾しました。義務感でした」。交際や性交渉を申しこまれたら、言われるとおりに応じた。好きという感覚より義務感のほうが大きかった。周りに押されたことで交際に発展し、それから初めて好きになったこともあった。

 

過去の噂が広まったことで、恋人までも奇妙なイメージを持たれてしまうことに、申しわけないと感じた。しかし、噂が自分にとってイヤなことだと、なかなか気づけなかった。そのため噂話も、話題に困ったときに自分から口にしたり、笑いごととして消化したりした。それを聞いた相手が不快な気持ちになるかもしれないことを想像できなかった。

 

高校を卒業して、県外に移住し、デザインの専門学校に通った。しかし学校の授業に付いていけなくなった。当時はmixiの全盛期。日記にネガティブな投稿を1日に何度も投稿しては、コメント欄で説教されたり、マイミク(友達リスト)から外されたりする経験を繰りかえした。他者と関わることが、これまで以上に怖くなった。

 

さまざまなオフ会に頻繁に参加するようになった。「落ちこぼれていた自分をどうにか変えなければ、と思いました。身近に知っている人が誰もいない状況が解放的でした。ちがう自分像が出しやすい状況になった。それで、以前はやろうと思わなかったことが、できるようになりました。自分から遊びに誘うとか、自分で主催してオフ会を開くとか」。

 

だが、そこで培った経験が仕事で活かせることはなかった。専門学校はなんとか卒業できたものの、デザイン業界でやっていくのは困難だと感じ、挫折。作品はできても、口頭でプレゼンをすることが著しく困難だったために、適性を評価してもらえなかったことが主要因だと、みなきんぐさんは分析している。緘黙の症状が出なくなっても、後遺症なのか、ふとした瞬間に声が出しづらくなることがある。

 

できることが何一つなくなってしまったと思うと、また自分を叩きなおさないといけないという衝動に駆られた。部活のときのように、体育会系のブラックな企業を無意識に選んでしまうことが多かった。知人から、営業ができたらどの仕事でもやっていけるという助言を受けて、その言葉通りに営業職や接客業など、他者と接する仕事ばかり転々としていたが、どれも長く続かなかった。

 

追い討ちをかけるかのように、上司から「それじゃ他の仕事でもやっていけないよ」と非難されると、部活をやってたころと何も変わってないじゃないか、と自分を追いつめた。

 

仕事でも挫折が続いていた矢先に、発達障害の支援者と知りあい、自分にも発達障害があるかもしれないと気づき、21歳のときから25歳までほとんど毎月、自助グループ、講演会、勉強会に参加するようになった。県外にも遠征した。

 

この頃に、家族にも発達障害かもしれないと打ちあけることにした。「3歳児検診で「自閉的傾向」を疑われたということを初めて親から聞いて知り、できればもっと早く知りたかったと思った。親はすごく言いにくそうに、苦しまぎれに伝えようとしていました。その様子が、いずれは発達障害をオープンにすることへの抵抗をなくしていくために、啓発活動をしていきたいと考えるきっかけになりました」。

 

そのころ関わっていた身近な人たちを、当初、対等に接してくれていると判断していた。しかし、徐々に「助けてやろう」という「上から」の態度と感じるようになった。この環境では、人目を気にしすぎて萎縮したままになる。また精神的に参ってしまいそうだと考え、発信活動を始めたことを機に環境を変えた。

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2016年以降、拠点は関東。知り合いの店で、発達障害バーを開催し始めた。「2020年までに47都道府県で発達障害バーをやろう」と考えた。さまざまな地域で開催したが、関西で久しぶりに参加した自助グループで、「たくさんフィードバックが返ってきてありがたい」と感じ、「なぜいままでこんなにも自分のことに気づけなかったんだろう」と、自分の意思の弱さに危機感を覚えた。

 

「自分のことをよく知らない状態で開催実績を増やすよりは、自身の困りごとに向きあう機会を増やすほうが先だ、と痛感するようになりました」。以来、関西で活動する機会が多くなる。

 みなきんぐさんはSNSで「発達障害者の性」に関する発信に力を入れているが、「性への関心は二の次で、自分のことをよく知ろうとしていく上で、性の問題がいちばん避けて通れないと気づいたんです」と語る。

 

「発信し始めてから気づいたことですが、思春期に受けた性的な嫌がらせは立派な「性暴力」です。いじりやからかい程度だった、というなまあたたかい認識ではいけない、と強く思うようになりました。声をあげる勇気や身体的な負傷がないと、暴力としては認知されにくいのが現状ですが、言葉や精神的苦痛によっても性暴力になりえます。そして発語や言語理解に困りごとのある障害当事者は、性被害に遭うリスクが高いという事実を知ってから、障害者の性と性暴力に強く関心を持っています。デリケートな問題だけに、伝え方には慎重になっています。私自身から教えたりするのではなくて、一緒に考えていきたいです」。

 

私が「吹奏楽を長くやって、デザイン学校を経験したわけですよね。お好きなミュージシャンやデザイナーについて知りたいです」と要望すると、「そういうのは特に関心がないんです」と答える。「コミュニケーションができない自分を叩きなおさなければという義務感に迫られて、あえて苦手な集団行動を選んできたのですが、吹奏楽やデザインはその手段にすぎないんです」。

 

最近、みなきんぐさんは私が主催する自助会や当事者研究会によく来てくれるようになった。自分の気持ちを形にできる場所として信頼されているのが嬉しい。

 

発達障害の検査を受けたが、確定診断に至らなかった。「認知の偏りが強い」と主治医に指摘された。とはいえ、みなきんぐさんの発達特性は個性的だと感じる。最後にみなきんぐさんは、「これからも発達界隈をお騒がせします」と言っていた。


 

(横道誠「発達界隈通信!」第31回了)

 

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