第30回 ひとつの事態が多彩な真実を孕んでいるのかもしれません【ひまわりさん】

第30回 ひとつの事態が多彩な真実を孕んでいるのかもしれません【ひまわりさん】

2021.7.09 update.

横道誠(よこみち・まこと) イメージ

横道誠(よこみち・まこと)

1979年生まれ。京都府立大学の准教授で、専門はドイツ文学研究・比較文化研究。子どものころから「稀代の変人」として、生きづらさに苦しむ。能力の凸凹(でこぼこ)が激しかったが、研究能力に秀でていたため、長年医学的な診断を受けずにいた。だが40歳のときに二次障害を起こし、41歳でついにASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)の診断を受ける。
今年5月に上梓した当事者研究の本(ほぼ自伝?)の『みんな水の中』(シリーズケアをひらく、医学書院)が初の単著単行本。

Twitterアカウント:
https://twitter.com/macoto_y(研究者・著者として)
https://twitter.com/macoto_1(自助グループ主催者として)

 
ひまわりさんは40代、大阪在住。初めADHD(注意欠如・多動症)と二次障害の鬱病を診断され、別の病院で再検査した結果、ADHDだけではなくASD(自閉スペクトラム症)が併発していて、鬱病ではなく双極性障害(躁鬱病)だという診断に変わった。
 
友だちができにくい子ども時代を過ごしたと語る。思ったことをオブラートに包まず言ってしまう。そのため、人の輪に入れない。保育園を途中でやめ、幼稚園に入りなおして、祖母になだめすかされながら通っていた。小学生のときに状況は悪化。「どちらかというといじめられていました」と語る。
 
自宅ではゲームは禁止、テレビも推奨されていなかった。友だちがいないので読書に没頭することになる。図書館で興味を引いた本を順に読んでいったが、特に印象に残っているのは、森忠明の『ぼくが弟だったとき』。父親は浮気中、母親は宗教にハマった家庭で、主人公の姉は脳腫瘍に罹って死んでしまう。作者の実体験に基づいた重い内容。作者が子どもでも侮らない、重いテーマを受けとめられると信じてくれたと思い、心に込みあげるものがあったという。
 
両親は、活字の本なら教育に良いものと信じ、「小説ならなんでも買ってくれたんです」。そのため、ひまわりさんは小学5年生にして、山田詠美、村上春樹、村上龍など、当時の若手人気作家のセックスと暴力のめくるめく世界に入門することになった。
 
中学生のころには教科書に乗っているような往年の小説家の作品を読みはじめた。カルトなマンガを掲載した雑誌『ガロ』の愛読者になった。「マンガは両親に禁止されていたので、こっそり買って読んでいました」。近藤ようこの作品が好きだった。サブカル誌としての性質も持っていたこの雑誌から、荒木経惟を知った。荒木の写真集『センチメンタルな旅・冬の旅』はひまわりさんの宝物だ。東京のミニコミ誌専門店「模索舎」に関する情報を得て、アンダーグラウンドな世界に興味をもった。ほかに、好きなマンガ家として萩尾望都や山岸凉子などがいた。
 
高校生になると、次第に他人との接し方を学びはじめたが、相変わらず「変わった子」のままだった。フェミニズムに入門し、特に上野千鶴子と小倉千加子から多くを学んだ。谷崎潤一郎の『細雪』が愛読書になった。「いやらしいことを書いていなくても、文章から色気が漂ってくる」作品群。坂口安吾の『堕落論』と「桜の森の満開の下」、三島由紀夫の『金閣寺』と『美徳のよろめき』にも影響を受けた。
 
小さいころから歌うのが好きで、2歳くらいの記憶として、ピンク・レディーを真似して歌っていた自分がいる。児童合唱団にも入っていた。中学校では合唱部に入部。合唱部は「右寄り」だったらしく、「君が代」を熱心に歌わされたことが記憶に残っている。高校在学中に音楽志望を固め、大学は音楽専攻にした。するとついに、周りが変わった人だらけという環境になった。自分はもう、「浮いていない」。
 
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決まった時間に大学に行き、また帰ってくるルーチンワークが得意だった。学芸員の資格のために楽器博物館に実習に行き、楽しんだ。大学生活のうちに、ジャズとの出会いがあった。アメリカの黒人ヴォーカリスト、サラ・ヴォーンや、フランス出身のイタリア系ジャズ・ピアニスト、ミシェル・ペトルチアーニに夢中になった。
 
作家では、姫野カオルコの作品が大好きになった。関西から東京に出かけて、模索舎やタコシェでミニコミ誌を漁った。井上章一の『つくられた桂離宮神話』や『愛の空間』に興奮し、「常識を疑ってかかる視点」をはぐくんだ。
 
大学院に進み、「生涯学習にとっての音楽の役割」を研究テーマとして選んだが、諸事情から中退。10年近く働いて、そのあいだに結婚した。退職後は職業訓練校で、建築内装を習う。建築史に開眼し、ル・コルビュジエの作品に心が昂揚した。しかし建築の仕事につくことはなかった。
 
ひまわりさんが選んだのは、教育者への道。教員免許取得者を対象とした大学の専攻科に入り、特別支援教育の教員免許を取得した。障害とは何かを研究したくて、医学的に障害と認定されていなくても、社会的に障害になりえるものがあると考え、顔に痣などの特徴がある人の「見た目問題」を扱い、彼らが生きる上で抱えている苦労に焦点を当てた。インタビューをおこない、考察に勤しむ。資格を取ることにも励み、結果として現在のひまわりさんは、教員免許(中学、高校、特別支援学校)、司書教諭、学芸員など15個の資格を持っている。なかには「パーソナルカラーアドバイザー」や「フォークリフト運転技能講習修了」の資格もある。いまは心理職の資格を取るために勉強に励んでいる。
 
特別支援学校で10年ほど働いたものの、休職してしまい、やがて退職。「やっぱり自分には、考えに考えて選んだ仕事すらできないんだ」と苦悩した。初めは適応障害と診断された。その後、鬱病、さらに双極性障害へと診断名が変わった。
 
自分の障害と向きあうために、ひまわりさんが始めたのは、小林エリコのミニコミ誌『精神病新聞』を通じて知った浦河べてるの家についての勉強だった。医学書院の「シリーズ ケアをひらく」から刊行された「浦河べてるの家」名義の『べてるの家の「当事者研究」』、綾屋紗月/熊谷晋一郎の『発達障害当事者研究』、中村かれんの『クレイジー・イン・ジャパン』などをむさぼり読んだ。べてるの家への憧れが高まり、いまもその関心が持続している。
 
大阪府豊中市にある「NPO法人そーね」で、当事者研究会に初めて参加した。各種の発達障害自助グループにも参加するようになり、自分の特性の考察に打ちこんだ。私が主催している当事者研究会「宇宙生活」と発達障害自助会「月と地球」にも、大阪から京都までわざわざ来てくれて、何回も参加してくれた。私がオンラインでやっている「オンライン発達障害当事者研究会」でも常連のひとりで、彼女が参加してくれたときには、普段は私自身がやっている板書を分担してもらうようになった。パワーポイントを使ったその板書能力の有能さは、評判が高い。
 
発達障害に対する固定観念に関して、何か主張したいことはありますか、と尋ねると、ひまわりさんは答えてくれた。「ASDの人には想像力が欠如しているとよく言われますけれど、私たちには独特な世界観があるだけで、想像力が欠けているというのではないと思うんですよね」。たしかに、ひまわりさんは想像力が豊かな人だ。いまのお気に入りのジャズ・ミュージシャンは誰かと尋ねると、ジェーン・モンハイトだと教えてくれた。
 
ひまわりさんが好きな言葉は、音楽教育の現場で知った「芸術的逸脱」。音楽を上質にするためには、意図的にある程度「外した」演奏をしなければいけないということ。膨らみを持ったものごとは、それを固定的な枠から外すことで、予想外の形を見せてくれる。
 
ひまわりさんは、これは音楽以外の世界でも起こると指摘する。たとえば、当事者研究。そこではひとつの事象を、いろんな人が角度を変えて捉えなおしてゆく。すると突然として、その事象は新しい姿を開示してくれる。文学好きのひまわりさんは「芥川龍之介の「藪の中」のように、ひとつの事態が多彩な真実を孕んでいるのかもしれません」と嬉しそうに語ってくれた。
(横道誠「発達界隈通信!」第30回了)

 

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