第28回 ニューロダイバーシティとは全人類のこと【志岐靖彦さん】

第28回 ニューロダイバーシティとは全人類のこと【志岐靖彦さん】

2021.7.05 update.

横道誠(よこみち・まこと) イメージ

横道誠(よこみち・まこと)

1979年生まれ。京都府立大学の准教授で、専門はドイツ文学研究・比較文化研究。子どものころから「稀代の変人」として、生きづらさに苦しむ。能力の凸凹(でこぼこ)が激しかったが、研究能力に秀でていたため、長年医学的な診断を受けずにいた。だが40歳のときに二次障害を起こし、41歳でついにASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)の診断を受ける。
今年5月に上梓した当事者研究の本(ほぼ自伝?)の『みんな水の中』(シリーズケアをひらく、医学書院)が初の単著単行本。

Twitterアカウント:
https://twitter.com/macoto_y(研究者・著者として)
https://twitter.com/macoto_1(自助グループ主催者として)

 
志岐靖彦さん(以下、通称の「しーやん」)は60歳、大阪市在住。発達特性を強烈に感じさせるが、診断はおりていない。
 
子どものころから、「1のことを話していたら、2、3を飛ばして4のことを考えてしまうというような多動脳」。つぎの、つぎの、つぎへ、と話が飛躍する。「ぶっ飛んでいて宇宙人のように思われていました」と語る。
 
あちこちの友だちの家に遊びに行き、母親から「あんた友だち、どんだけおんねん」と言われていた。蝉取りに行って、とことん取りつづけ、1日で100匹以上を捕った。書店で図鑑や全集の並びが乱れていると、気になり、順番に並べなおしていた。
 
小学生のときは、バナナがまだ高級品だった時代。「10グラム10円」という表記を「1本10円」と錯覚し、購入しようとした。店のおじさんは「どっから来てん!」と喜んで、実際に1本を10円という破格の値段で売ってくれた。
 
手塚治虫、石森章太郎(のちの石ノ森章太郎)、松本零士などのマンガがとても好きだった。「マンガ、コカコーラ、ジーパンが不良扱いされた時代でした」。カウンターカルチャーの匂いを感じたからこそ、マンガ文化に入れこんだ。時代に流されない文化要素が好きだった。パンク、シンセサイザー音楽、ラップなど、世間ではまだ音楽として受けいれない風潮が強かったころから、積極的に評価していた。私もマンガとサイケデリックロックを愛するので、とても共感する。
 
顔と名前を一致させにくく、特に女性に関してそうだった。単科大学に通っていたころ、3年間も同じクラスだった女の子に声をかけられたが、誰か認識できなかった。社会に出て「えらい人」の顔と名前を一致させられず、怪訝な顔をされることが多々あった。その一方で、会議で打ち合わせをしながら、ひとりで作業をせっせと始め、次回までに取りくむ課題が決まった時には、それがもう仕上がっていた。周りから「さっき決まったのに、なんでもうできてんねん!」と驚かれた。そんな調子で、仕事は2人分、3人分をこなした。
 
しかし「いつでも忖度しませんでしたね」と語る。「妻はデリカシーがないって言いますけどね」。たしかに周りの人の頭のなかでは、好き嫌いが強く分かれそうな人、しーやん。ただし、その純粋さには誰もが驚くのではないか。
 
「イヤなこといろいろあったやろって、聞かれますやんか。でもイヤなことを忘れてしまうんです。隠してるわけやなくて。意識的にしてるわけやないんですが、頭が勝手に忘れてくれはる。生きづらさが、結局ずっとありません。だから発達特性があっても「発達障害」にならなかったんかなって思います」。
 
仕事では、ヘッドハンティングを経験した。40代で役員になったとき、「指導はしない。管理はしない。会議には出ない。ただし相談には乗る」と宣言した。人を育てるためには、指導や助言をしないほうが良いと思っていたが、それは正しかったといまでも考えている。
 
「いっぱいの人に好かれへんでも、誰かが好いてくれる。みんなから好かれることがなくても、嫁さんは好いてくれる。自分の道を行く人が好き。知らず知らず自分でもそういう人たちを真似てるのかもしれません」。
 
誰かができることをやるのが大嫌いだった。「社内で誰もでけへんってなったものを、するのが大好きでした」。勤め先からどんどん退職者が出たとき、しーやんは若手社員のリクルートチームを編成し、社員を採用する際に、会社の長所と短所をはっきり伝えるようにした。すると退職者は大きく減った。
 
家庭を持ち、4人の子どもができた。発達特性の強い子どもたちだったが、診断を受けたのはいちばん下の子のみ。その子も「薬は飲んでも飲まんでも一緒や」と言い、すぐに服薬しなくなった。
 
役員として働くうちに、社員の発達特性に心を痛めた。しかしどうして良いのか分からない。「これが発達障害か」と理解した。長女が障害者教育を専攻していたので、彼女から学び、彼女が持っていた書籍を読んだ。国家資格のキャリアコンサルタントを取得し、「問題解決ではなく問題解消のプロフェッショナルになる」道を歩みはじめた。
 
会社で社員を見ていると、誰にでも発達特性があると感じられた。しかし、そのなかでも生きづらい人と、生きづらくない人がいる。どうしてだろうかと考えるうちに、障害の社会モデルの考え方に行きあたった。「発達特性は社会的環境要因、具体的には他者から抑圧を受けたときに、発達障害が発現する」としーやん。
 
妻が診断を受けた息子のために、石橋尋志さんが主宰している「さかいハッタツ友の会」の自助会に行くようになった。自分も「あゆムーン」に参加してみて、石橋さんの「エンパワメントに惹かれたんです」。幾人もの大学教員から「キャリアセンターに行きたくない」という学生たちを紹介され、自助会では「ハローワークには行きたくない」と語る当事者たちに出会った。その理由は、支援者であるカウンセラーに発達特性の理解がないことがほとんどだった。
 
「さかいハッタツ友の会」には「当事者会」と「家族会」があったが、家族以外の抑圧者になりうる会社員や支援者が集まる場がなかったので、「会社会」や「支援者会」の構想が湧いた。
 
「さかいハッタツ友の会」のなかに、「いきいきムーン」を立ちあげた。正式名称は「企業におけるニューロダイバーシティ(脳の多様性)の理解と雇用促進」。日本キャリア開発協会の承認も受けた研究会。会社側や支援者側と当事者側をつなぐことに、ものすごい充実感を感じ、60歳になったのをきっかけに会社を退職し、「いきいきムーン」に専念することにした。
 
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パンクロックを好み、「いきいきムーン」を始めるまでは、2日に1回はライブハウスに通い、年間400人以上のミュージシャンを観ていたと語る。「インディーズにいる人たちって、発達特性の強い人が多いと感じたんですね。何も忖度せず、こだわりが強い。人からどう言われようと関係ない、自分のしたいことをしたい人たち。そんな人たちと関わっていたら、すごい気持ちいいんです。音楽のジャンルそのもの以上に、生き方がヘタな彼らに惹かれた。彼らの生き方って、ズルくないんです。すごく純粋。ライブが終わったあとも、会場にはゴミが落ちてなくてきれい。ものを置きっぱなしにしてても、何もなくならない」。
 
ニューロダイバーシティという言葉を知ったのは、もう10年くらい前だと語る。まだ発達障害という言葉すら知らなかった。「アメリカのコンピューター業界に引き抜きに応じない人たちがいる。お金では動かない、それがニューロダイバースな人材」という趣旨の記事を読み、印象に残った。「要領よく生きる人と、要領よく生きない人がいる。マンガ、パンクロックの精神。時代に流されない人が好きだなって思っていて、それはずっと変わらないですね」。
 
「定型発達者にも発達特性がある。ニューロダイバーシティとは全人類のこと。全ての人から生きづらさをなくし、いきいき生きてほしいから、いきいきムーンなんです」。
 
「すみません、熱くなりました!」と照れるしーやんだった。
(横道誠「発達界隈通信!」第28回了)

 

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