第18回 排泄のブルース(後編)

第18回 排泄のブルース(後編)

2021.6.10 update.

中山求仁子(なかやま・くにこ) イメージ

中山求仁子(なかやま・くにこ)

2017年から18年まで、神奈川県のとある放課後等デイサービスの管理者として勤務。自身も幼少期から横綱級ADHDであり、現在は双極性障害も発症している。
大阪大学文学部美学科音楽演劇学コース卒業。高校時代よりモダンダンス、大学入学と同時に小劇場演劇を始める。2001年退団以降、人生自体が演劇のような双極 I 型ジェットコースターライフを送っている。韓国映画と韓流ドラマをこよなく愛す。

 

前編では、我が家の老犬アロンのことを書いたが、では、人間はどうなんだ、子どもはどうか、障害を持つ子どもは、ということを後編で書こうとして考えていると、自分の昔のことがつるつると出てきた。

 

■茶色いアパート

 

私は病弱な子どもで、一学期休まず通学することができなかった。学期の終わりには力尽き、熱が出て休みなく嘔吐し、近所の和田医院というとてもはやっている内科・小児科に行く。嘔吐は止まらず、菜の花色の胃液まで吐くのだけど、それでもまだ吐いていた。自家中毒というやつである。とても座ったままではいられないから、混んだ待合室で横にならせてもらう。

 

そのうち生理食塩水の点滴という治療をしてもらえるようになったが、最初の頃は、とにかく胃の中に何もなくなるまで吐くしかなかった。ほかにもすぐに病気にかかり、和田医院は和田さんと呼ばれ、私のいきつけの場所だった。

 

和田さんの手前に、茶色い、薄い木の板があちこちつぎはぎされたアパートがあった。あるとき、妹が病気になり、母が連れていくのに、めずらしく元気な私はついていった。私は茶色いアパートの前の空き地で、知らない子どもと遊んだ。石ならべとか、シロツメ草のお花摘みをしたと思う。その子は短いおかっぱで、頬が丸くて赤かった。ふたりとも短い吊りスカートを履いていた。

 

母がげそっとした妹を自転車の後ろに乗せて、和田さんから出てきた。

その子が、「なあ、こんど、うち、来る?」と私の耳元でそっと囁いた。

「うん」と答え、振り向きざまに「またね」と言って、私は母の方に駆け寄った。

「誰?」

「うん? 友達だよ」と私が言ったとき、妹が自転車の後ろでわんわん泣き出した。

私は「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と妹をさすったが、そのさすりかたが気に障ったのか、妹は私の手を弱々しくはらいのけた。妹はよほどしんどいのだと思った。

そのとき、ギーバタンという、戸の締まる音が背中にへばりつくように聞こえた。

 

■茶色い家族

 

妹が治り、母が線路向こうのスーパーコバヤシへ自転車で買い物に行ったのを見て、私は和田さんの近くの茶色いアパートに出かけて行った。前の空き地で、あの子が石積みして遊んでいた。

「大きい石と小さい石があったらええなあ」

と探していると、その子が「なあ、うち、来る?」と言う。そのつもりで行っていたから私は「うん。行かせてもろていい?」と、その子の後をひょこひょこついていった。

 

ギーバタンという戸は、薄くて少し割れたガラスがはまっていて、中に入ると暗かった。外から見ても茶色だったけど、家の中も茶色だった。部屋はひとつだけで、真ん中に、お母さんとお父さんと、妹ちゃんと弟ちゃんがいた。まあるいこれも茶色い低い机のまわりにみんながいた。

 

「こんにちは」と言うと、みんなが同じようなギョロリとした白い目と白い歯を見せて、「いらっしゃい」と言ってくれた。お母さんが茶色い引き戸からお菓子を出してくれた。どんなお菓子だったかは思い出せないけれど、お茶も入れてくれたのを憶えている。

 

なんだかうちとは違う感じがした。少しだけ匂う、駅とかお寺とかの便所に漂ってるのと似てる匂いをくんくん嗅ぎながら、お茶を飲んだ。しだいに居心地がよくなって、いろいろしゃべっていると、突然、茶色い木の薄い扉のガラスのないところから母の声がした。

「すみません、うちの子がお邪魔してると思うんですが」と母が困った声を出している。

 

ステテコにラクダ色の腹巻を巻いたお父さんが戸を開けると、母がまんまるな目をして立っている。

「今。お茶、もらってたん」と私が言うと、母はさささと上がってきて、「申し訳ありませんでした、勝手に上がらせてもらって」とみんなに言い、私をひきずるように玄関に連れて行く。

 

――勝手に上がってんのは、おかあさんやん。

 

と思った途端、母は私の手をぎゅっとつかんだ。

あ、痛い!! と思ったが、母が「ありがとうございましたー」と私を先に出して、木の戸を閉めてしまった。ガラスにひびが入ったのではないかと思うくらい、ビシッという音がした。

 

私は、薄い戸の向こうの茶色い家族が心配になった。とてもとても悪いことをしたように思った。

「どうして?」と母に聞くと、母はぐいぐい私の手を引いて早足に歩き、急に立ち止まって「もう、あそこのおうちに行ってはだめよ」と言った。

「どうして?」

「言えないの」

それから家に帰るまで、母と私は黙って歩いた。

 

子どもの頃、私が見ていた母は無垢な人で、人が悪いことをするとか、裏表があるとか、そういうことを考えたことがないような人だった。なのになぜだろう。母はなぜ「言えない」と言ったのだろう。茶色い壁もガラスの欠けた玄関の戸も、お父さんの真っ黒な足の裏も、どこか違うと思ったけど、私はそれが「いてはならない」「行ってはならない」「友達になってはならない」にどう結びつくのかわからなかった。

 

私は、茶色いアパートには勇気が出ずに行けなかった。前の空き地に何度か行ったが、その子には会えなかった。

しばらくして、茶色いアパートは取り壊され、割れた薄い板と土壁がぐしゃりぐしゃりと混じり合い、やがてどこかに持って行かれ、平べったい空き地になった。空き地は小さかった。茶色いアパートはあんなに小さいところに建っていたのかと思った。あの子は、家族は、どこに行ったのだろうと思った。

 

「やってはいけない」ということを、私はそれまでも、またそれからも、そんなに言われたわけではないし、学校も自由だったし、だけど、それでも私はそれ以来、「やってはいけない」がわからなくなり、嫌いになった。
 

■泥の河

 

小学校の頃、私はおしっこが近くて、水泳の時間中、トイレを我慢することができなかった。「トイレに行きます」とも言えない。そこで、だいたい最後のほうで、みんなでぐるぐるプールを回って水流をつくるのだけど、そのとき、私は二度おしっこを水の流れにしたことがある。いや、もっとしたかなあ。

海でしたことはもっとあるような気がする。海でするのは、じわっとお尻の周りが温かくなり、ほわんといい気持ちになる。なぜかクラゲの気分だ。

 

水の中でするのはともかく、こんなこともあった。

友だちが「巨大カエルの卵を見つけたから取りに来いよ」と二駅向こうの駅まで行ったが、結局、卵は取れなかった。私は夢中になるとなりふり構わなくなるので、短いスカートも、パンツもぐしょぐしょに泥の河の濁った水に濡れてホームに立っていた。パンツからポタリ、ポタリと泥水が落ちる音がした。

 

もう夕方で、少し寒かった。ブルブルッとしたとき「おしっこしたい」と思ったけど、トイレは反対ホームだし、電車が黄色いライトをつけて曲線を描きながら、線路を走ってきていた。電車の「ホーン」という音に「やっと帰れる」というこころの緊張がほぐれた一瞬、私の体は臨界を超えた。

 

汽笛を合図のように、私はおしっこを立ったまましていた。生温かいおしっこが脚をつたった。泥水に少し黄色いおしっこが混ざって小さな水たまりが中ぐらいの水たまりになった。驚かなかった。私は何かを超えた気がした。感情と体の閾値というのだろうか。私は結局、体の通りに生きているんだなと感じた。

 

泥河に流れていった無数のカエルの卵の白い目に、茶色いアパートのあの子の家族の目が重なった。卵は流れていく。茶色いアパートと同じように、土の壁といっしょくたになってあの家族も流れていったのだ。この世のものは流れていくという哀しさを知ったそのとき、私の体の中から、生温かいものが流れたのだ。体に準じた私の感情に官能が接続して生まれていた。官能はいつも「ああ、やられたな、ああ」という表情をしていると思う。

 

私は平気な顔をして、いや寒いのに上気して電車に乗った。周りの人が私のことをへんな目で見ていると思った。でも私は平気で、それ以来、私は「やってはいけない」に取り込まれない自分というか、その言葉に後ろ向く質(たち)というか、そんな皮膜のような感覚を持った。

 

体とことばは、ぐちゃぐちゃに壊された茶色い板と土壁の茶色いアパートみたいに紛れている。けれど時折、そんな体とはまるで離れたことばに出会うことがある。というか、生きてるまわりはそんなことばばかりだ。そういうことばに出会うと、私は交われず、突き放されたような気持ちがする。「やってはいけない」語のことだ。

 

■ショウタ君の素敵な合図

 

そろそろ放デイでの排泄の話に入ろう。

 

第3回に登場した頭が大きく足の小さなショウタ君は、スローな動きの高3の男の子だった。背は130㎝くらい。しっかりした足腰だったので、大きなおむつを穿いていた。そのうえにスパッツ、ズボン。

 

まず、ショウタ君に聞く。

「おトイレ、いく?」

ショウタ君の眼は右から左へ首とともにゆっくり動いていく。しかし、ふとしたときに、「ああ、いくのか」とわかり、息が合う。ショウタ君はあぐらをかいた姿勢から、私の肩を持ち、立ち上がろうとする。私もショウタ君の胴を抱え上げ、一緒にトイレへと向かう。穿いているものを脱いで便座に座ってもらう、このときのバランス感覚か大切だ。さらにそのとき、一瞬の間をあけないことがさらにさらに大事だ。急いで、こちらに向いておしっこが弧を描かないようにおちんちんを下に向ける(トイレットペーパーで)。

 

静けさの中に響くおしっこの音。聞いてると、こっちもうれしくなる。ショウタ君も気持ちよさそうだ。さて、排尿だけかここから排便もあるのか、もう終わったかどうかを知らせるショウタ君には素敵な合図がある。半分開けているような閉じているような目をし、左手の甲を、右手の三本指で優しくふんわりとさする。それは、「もう終わったよ」の意味で、「うん、わかった」と私は排泄終了の段取りに入る。ショウタ君は静かに私が股間をトイレットペーパーを拭いたりするのを、目を半目にして前をじっと見ながら待っている。手間取る私を待ってくれている。それから、ショウタ君は私の肩に手を置き、立つ。私はそのタイミングでショウタ君の胴を引き上げる。少し、というかかなり重い。なんだかお相撲を取っているような一体感を味わう。

 

ショウタ君とのトイレタイムが忘れられないのは、三本合図もそうだけど、体のことは体で示すというか、ショウタ君と私の体が静かな排泄という営みのなかで溶け合った感覚を持つからじゃないだろうか。そういう感覚を持っていると、つまり、ショウタ君と自分が一体のような気持ちでいると、たとえば、タイミングを図れず、ショウタ君が漏れると、「ああ、ごめーん。ショウタ君」という気持ちになる。

その気持ちと、「排泄の自立を」とか、「漏らしてはいけません」なんて気持ちはまるで対極だと感じる。

いったい、「ちゃんと自分で排泄」とか、「漏らすのはだめ」ということばは、どこからやってくるのだろう。

 

■サクラちゃんの悲しい嘔吐

 

ある日、小6のサクラちゃんは、なんだか園に来たときからぼぉーとしていた。

その日は「サクラちゃん、トイレ、行っとこうかあ」と言っても、廊下に座ったままだ。床に敷いてあるシートを剥がしたり、いたずらばかりしている。そのうち廊下からにおいがして行ってみると、サクラちゃんのうんちが廊下のいたるところに転がっていた。サクラちゃんはスカートは履いていたが、パンツは脱いだまま、廊下にうんちと一緒に寝ている。

「トイレ、行かなかったのかあ、サクラちゃん」と聞くと、

「うーん」と、右と左が少し違う方向を見た目で私に脱力系の返事をする。

 

廊下のうんちを拾い、トイレットペーパーとアルコールで除菌しながら、ついサクラちゃんに言ってしまった。

「サクラちゃん、今度からトイレでしようね。もうすぐ中学行くんだしね」

 

そのことばに、サクラちゃんは何も答えなかった。ふたりの合図である、「これして」のリウマチ小指のカギも求めなかった。サクラちゃんは、とてもとても冷たい顔をして、私を見ていた。

そして、みんなが大きな車に乗って、私がキューブでサクラちゃんだけを送ろうと玄関に出たとき、サクラちゃんは、腰を折って大量に吐いた。サクラちゃんはいったん園に戻り、少し落ち着いてから帰ろうということになった。吐しゃ物は、見ていた高島さんがすぐにバケツの水で外に流した。

 

私は「だいじょうぶ? サクラちゃん」と今さら言ったが遅かった。少し酸っぱい匂いがした。私はサクラちゃんの長くてきれいな髪に吐いた液がついているのに気づいた。タオルを温かいお湯につけ、固く絞ってサクラちゃんの髪を拭く。サクラちゃんは、半分口を開けたままぼおっと、私のなすがままになっていた。
 

私は、今日一日のサクラちゃんの体調をまるで理解していなかった。いや、「支援者のほうから子どもを理解する」なんてのは思い上がった誤解だ。子どもは必ず言っている。大事なことは体で言っている。サクラちゃんは部屋に入らず、廊下で寝ころぶことで、私に言っていたのだ。なんかおかしい、だから、入りたくないと。なのに私は勝手に私の思いを押しつけた。

 

私の思いとは何か。

もう中学生なんだから、特に、サクラちゃんの行く中学の特別支援学級はなんでも自立を促される厳しいところなんだから、うんちはトイレでできるようになっとかないとだめじゃないか、ということだったと思う。私は「しなきゃだめ」「してはいけない」にとらわれない気持ちを持っていたつもりが、いつのまにか、「もう中学生なんだから自立排泄やって当たり前」とか「しなきゃだめ」ボールを投げていた。

 

そして、そうだ、昔、小さな妹も廊下にコロコロうんちをしていたな、とサクラちゃんと廊下で並んで座りながら思い出した。あのとき、母も私も笑い転げて「チョコレートみたいね」と鹿の糞みたいなコロコロうんちを拾って歩いた。あのときはみんなで笑ったのに、どうして今度は笑えなかったのだろう。

 

サクラちゃんは、吐くことで、私に伝えたのだ。「悲しい」と。私の自家中毒と同様に、体は体でことばを伝える。

私は廊下の壁に寄りかかったサクラちゃんの横に座り、右指のカギマークを見せてみる。サクラちゃんはしばらく無視していたが、いきなり私のその小指を噛んだ。涙がこぼれた。

 

■排泄とは体に入ったものが出てくること

 

排泄とは、体に入れたものを出すことだ。

食べ物と同様、自然や教室や放デイや家庭で見たものも感じたものも、ちょっとした瞬間に言われたことも、体に入り、やがて出てくる。これも排泄なのだ。

体のなかに入ったものをどのように出すのか、体で表現するのか、ことばで伝えるのか。

私たちは、体の内側で起こっていることは見えないから、いつのまにか内側は通さず、外側に出すだけ、つまり表面的に受け取って、ルール化したことばを発するようになってしまっていると思う。

けれど、大事なのは、内側でどんなふうに感じているのか、その感覚とともにどんな自分を作っているか、体の内部から発することばを言っているのか、ではないか。それは、あの家族を忘れないことだったり、ホームでおしっこをして立っていた自分を記憶し続けること、そしてショウタ君とおしっこの際に一体になるということにもつながる。

 

根っこのない、外側に塗っただけの「してはいけない」は私はいやだ。

アロンの「生きたい」気持ちを痛切に掬いとり、アロンに「生きていてほしい」と泣きながら思った気持ちを抱いたときのように、体で言って、伝えたい。

ならば、どうすればいいのか。

漏らしたり、排泄をうまくしないでいいと、私は思う。むしろ、漏らすことは大事なことだと思う。

 

アロンカート.jpg

 

ところで前編で述べたアロンの後日談。

アロンは瀕死から奇跡的にV字回復した。走ることは叶わず、滑らかな足取りではなくなったが、垂れていた耳がピンと立った。あとは変わらず食いしん坊で、大好きな匂いを求めて今日も排泄散歩をしている。

 

先日、私の勤めていたのではない放デイの近くを通った。すれ違った小学校低学年の女の子が、言った。

「いぬー」

「そうだねー」とスタッフさん。

すると、女の子はこう言った。

「おしりー、おしりー」

「うん。おしりだね」

「あな、あなー」

「しっぽが立ってるねぇ」

女の子はそんなことはどうでもよかった。

「うんちー」

アロンはしっぽふりふり、穴を見せて、知らんぷりして優雅に歩いていた。

 

アロンお尻海.jpg

(中山求仁子「劇的身体」第18回了)

 

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