第26回 マイノリティとして、マイノリティに寄りそいたい【しぇるどんさん】

第26回 マイノリティとして、マイノリティに寄りそいたい【しぇるどんさん】

2021.6.28 update.

横道誠(よこみち・まこと) イメージ

横道誠(よこみち・まこと)

1979年生まれ。京都府立大学の准教授で、専門はドイツ文学研究・比較文化研究。子どものころから「稀代の変人」として、生きづらさに苦しむ。能力の凸凹(でこぼこ)が激しかったが、研究能力に秀でていたため、長年医学的な診断を受けずにいた。だが40歳のときに二次障害を起こし、41歳でついにASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)の診断を受ける。
今年5月に上梓した当事者研究の本(ほぼ自伝?)の『みんな水の中』(シリーズケアをひらく、医学書院)が初の単著単行本。

Twitterアカウント:
https://twitter.com/macoto_y(研究者・著者として)
https://twitter.com/macoto_1(自助グループ主催者として)

 
しぇるどんさんは20歳、神奈川県在住。ADHD(注意欠如・多動症)、ASD(自閉スペクトラム症)傾向、解離性同一性障害の診断を受けている。
 
自分の人生の記憶が断片的にしか残っていない。母親が教育熱心かつ不安定で、保育園や幼稚園をいくつも転々とした。どこに行っても「浮いて」いた。ほかの園児たちと一緒に昼寝をしなかった。「適当にやる」や「だいたいで良い」などの意味が分からなかった。木材と金槌で工作をするのが好きだった。国立小学校を受験して合格し、入学した。
 
宿題を忘れ、忘れ物をし、集団行動ができないことが目立ってきた。「こそあど言葉」が分からなかった。図工は「正解がない」と感じ、好きだった。3年生のときの担任と相性が合わず、保健室に逃げこんだ。そこでもうまくいかず、居場所がなくなった。鬱傾向が強まり、解離が始まった。気づいたら授業が終わっているのだが、ちゃんとノートを取っている。自分のなかに、別の人格が出現していた。
 
4年生のときに宿泊行事のリーダーに立候補したところ、「忘れ物の女王が?」と周りをざわつかせた。懇親会を通じて、忘れ物ばかりの自分の素行が母親にバレた。そのときのことは、いまでもトラウマになっている。何度も夢でうなされた。
 
その宿泊行事の当日、体調を壊した。聴覚や視覚が過敏で、リーダーなのにキャンプファイアーの輪に入れなかった。自分にはどこにも味方がいないと感じた。それ以降は、集団行動で目立たないように振るまった。
 
本を読むのが好きで、授業中も読んでいた。1日に5冊を読み、教師に「二宮金次郎」というあだ名を付けられた。図書館でありとあらゆる本を読んだが、特に好きだったのは江戸川乱歩、ホリー・ブラックの『スパイダーウィック家の謎』、那須正幹の「ズッコケ三人組」シリーズなど。周りからは頭が良いと思われ、上の国立中学校に進学するものと見なされていた。しかし最後まで国立小学校の空気になじめなかったとしぇるどんさんは、地元の公立中学に進学した。
 
中学校では「普通の子がいっぱいいる」と感じた。しかし国立小学校から進学してきたために、教師たちからあまり気にかけてもらえなかった。SNSで級友ともめて、担任の先生に「もっと人を信じなさい」とたしなめられた。「自分は世界に寄りそってもらえていないのに?」と感じた。「自分はなんなのだろう。人を信じられない自分が悪いのだろうか」。
 
このころから映画をよく見るようになった。『サウンド・オブ・ミュージック』『ウエスト・サイド物語』『天使にラブソングを』『バック・トゥ・ザ・フューチャー」などの古い映画を好んだ。母親の不安定さに反応して家にいると、よく解離した。家事をしていたのに、気がついたら風呂に入りおわっていて、寝る準備をしている。そのようなことが続いたが、自分の内部のほかの人格のことを知らなかった。
 
中学校で、ある先生が教室でメモを回していた。自分は仲間外れになっている。むりやり見せてもらったところ、自分のことが話題になっていた。「あいつの自己中には付きあうな」。
 
心が割れて、記憶がなくなった。信頼していた別の先生に相談し、メモを回した教師から謝罪を受けることになったが、気持ちは晴れなかった。「自分はそんなに自己中だったのか」「無意識に人を傷つけたりする人間なのか」。とても苦しかった。この事件はしぇるどんさんの「呪い」になり、いまでも苦しくなる。
 
先にも述べた信頼していた先生は、「実はおれは特別支援の先生になりたい」と打ちあけてくれた。この人にならなんでも話せると感じた。発達障害の本を勧められて、読んだ。「私のことだ!」と驚いたが、母親には相談できなかった。ひとりで発達障害に関する本を読みあさった。
 
単位制の高校に入学し、自分が得意なところだけを伸ばすようにした。油彩、グラフィックデザイン、陶芸を好んだ。美術の教師から、ユニバーサルデザインを作るのに向いているのではと提案され、まさにそうだと使命感を抱いた。「マイノリティとして、マイノリティに寄りそいたい」と思った。
 
アメリカのテレビドラマ『ビッグバン★セオリー ギークなボクらの恋愛法則』を見て、ASD特性が強いシェルドン博士に対して、「この人は私だ」と感じた。アルバイトをしたが、数字やカタカナがよく読めず、解雇された。いまでも診断を受けていないが、LD(学習障害)の識字障害の特性だ。
 
高校3年生のときに、自分が体験してきた不思議な現象について学校のカウンセラーに相談し、多重人格のことがはっきりしてきた。親に黙って病院に行き、医者は自分のなかの別の人格たちと会話した。同い年の少女、夢季(むい)ちゃんと、6歳の少年、舷人(げんと)くんだ。
 
大学に入るまえに、支援を受けられる環境を整えようと考え、卒業前に別の病院を受診して、発達障害の診断を得た。大学では芸術学部に進学した。学生支援課に相談し、合理的配慮を受けながら通学している。
 
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しぇるどんさんは、高校生のとき以来の、ユニバーサルデザインに関わりたいという夢を叶えるべく勉強に励む。鉄道の駅名標や昭和時代のテレビのテロップを愛する。サインズシュウ、佐藤卓、佐藤可士和などのデザイナーを尊敬する。好きな映画監督はクリストファー・ノーラン。『スターウォーズ』シリーズも好む。
 
発達界隈について尋ねると、「私は障害をオープンにしてないから、オープンにできる唯一の場所と考えて大事にしています。自分の失敗を笑い飛ばせる。ほかにも同じような人がいるという安心感があります。ライフハックも参考になる」との答え。
 
発達障害者が隠れることなく声をあげられる場所を作りたいと思っている。あるいは、隠れていても安心できる環境づくりを求める。「多様性を認められる社会になって欲しいし、私もそのために貢献したいです」。
 
(横道誠「発達界隈通信!」第26回了)

 

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