第23回 当事者を支援することで自分が助けられています【山中康大さん】

第23回 当事者を支援することで自分が助けられています【山中康大さん】

2021.6.11 update.

横道誠(よこみち・まこと) イメージ

横道誠(よこみち・まこと)

1979年生まれ。京都府立大学の准教授で、専門はドイツ文学研究・比較文化研究。子どものころから「稀代の変人」として、生きづらさに苦しむ。能力の凸凹(でこぼこ)が激しかったが、研究能力に秀でていたため、長年医学的な診断を受けずにいた。だが40歳のときに二次障害を起こし、41歳でついにASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)の診断を受ける。
今年5月に上梓した当事者研究の本(ほぼ自伝?)の『みんな水の中』(シリーズケアをひらく、医学書院)が初の単著単行本。

Twitterアカウント:
https://twitter.com/macoto_y(研究者・著者として)
https://twitter.com/macoto_1(自助グループ主催者として)

山中康大さん(以下、通称の「ヤスヒロさん」)は40歳。「20代だと思ってました」と驚くと、「若く見えるでしょ」と笑う。大阪在住。ASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)の診断を受けている。

 

小さいころから、何であれ「意味」を求めていた。他者と会話する意味が分からなったので、口をきかなかった。勉強にしか興味がなく、塾に通い、それで充分と感じて、学校の宿題の意味が分からなかった。

 

中学2年生のときには学校に行く意味が分からなくなった。不登校になり、塾だけに通った。内申書が影響を及ぼさない私立の進学校に入ることができた。学校に通う習慣を失っていたため、通学するうちに疲れはて、不登校になり、4か月で中退した。17歳のなかばまで家で引きこもっていた。自宅で戦略シミュレーションゲームを遊び、ゲームセンターで格闘ゲームに入れこんだ。対戦相手を求めて、大阪から東京まで遠征したこともある。持ち金のほとんどをゲーム代に費やした。

 

親が飲食業だったため、そこで働くことになった。飲食店なのに1年間まったく喋らなかった。ふとしたときに飲食店は客と会話することも仕事なんだと気づく。勉強だと考え、積極的に話すようになった。「それが大きかったですね」とヤスヒロさん。一念発起して、大学入学資格検定のために学び、合格した。テレビ番組『アメトーーク!』のDVDを買い、お笑い芸人が喋りつづけるのを観察して、コミュニケーション技術を学んだ。

 

22歳まで飲食店のほか、通販番組の受注センター、ゲームセンターなどでアルバイトとして働いた。同時に、デザイン学校の夜間部に通った。2年で卒業し、テレビ局のスポンサーのイベントを取りしきる代理店に入った。そこで企画を立て、ポスターやウェブサイトを制作した。「キラびやかな世界ですね」と想像を口にすると、「めっちゃドロドロしてましたよ」と笑った。4年ほど勤めたが、家業を継ぐことになった。ふたたび飲食業。体を鍛える必要を感じ、自転車でスポーツ活動に励んだ。

 

34歳のときに結婚。実家では6年のあいだ働いたが、体を壊してしまい、事業を売却した。妻の実家がある北海道に移住して、デザイン関係の会社を探す。入った会社では、デザイン以外の福祉に関する仕事にも関わりはじめた。そうして多くの社会問題に接した。たとえば騙されて性産業に関わる障害者たち。保護されても逃げて、繋がりを求めて夜の街に戻ろうとする。彼らに自分との共通性を感じた。知識が増えて、自分自身が発達障害者ではないかと疑い、クリニックに行き、診断を受けた。「シリーズ ケアをひらく」の『べてるの家の「当事者研究」』で当事者研究を知った。

 

自分の将来をかけて発達障害者の支援をしたいと考えるようになったヤスヒロさん。北海道を離れて、大阪府八尾市で福祉事業所「グループホーム ココロムやお」を立ちあげた。発達障害者の専門のグループホームを運営し、引きこもり支援もおこなっている。

 

大阪で通院したクリニックでは、発達障害の診断がおりなかった。主治医は、「なぜおりなかったか」について説明した。「生育歴や過去の困りごとを聞いたら、発達障害ということになる。しかし、いま社会的に深刻に困っていないのだから、発達障害とは言えない」。つまり、障害の社会モデルに即した診断だった。周りに助けられている環境があるから障害者とは言えない。しかし、それで必要な支援が与えられなくなるのは、社会モデルの不適切な運用方法ではないだろうか?(とインタビュアーは考える……)

 

現実として困ることがある。耳で聞いて理解できることでも、なかなか言葉にして返せない。心理士から、ものごとをパターン化して捉えており、行動もパターン化しているので、事態にルーチンワークで対応せず、自発的な行動を取るようにしたほうが良いと助言された。けれども、そのつどの自己判断は信用できない。自分でどこまで発達特性をコントロールできるかという勝負になる。「会社の社長というと輝かしいけど、中身はボロボロ。ぼくは障害者。知能指数も平均以下と分かった。できない仕事もあって、トイレで泣いたりもしました」。

 

会社を率いて、毎月100万円近い赤字に悩まされながらも、笑顔を忘れない。「無理なことをしてるなって思うんですけど」。

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発達障害を持っていると開示するのは、経営上デメリットになる。ASDの特性が、環境と摩擦を起こす。「社会の役に立つことが事業の基本ですが、他人の気持ちがぼくには分からない。壁を感じます」。

 

ADHDの特性も、障害を起こす。「衝動性が強いので、いろんなアイデアが出てくる。新しいアイデアが出てくるけど、調べてみたら、ほかの人も気づいているけど、失敗するからやらないだけということが分かる。なかなか形にならない。それに衝動性をコントロールできなくて失敗したら、と不安です」。

 

社員の考えていることが分からず、苦労するが、気を遣ってもらっていることを実感できる。そのため、考えが違っていても許容できる。何度もぶつかって、理解を深めるのに時間をかけた。感謝の思いが募る。行政と掛けあい、当事者やその両親と面談する。行政関係の集まりでは、ゲストスピーカーを務める。現在の趣味はダーツと筋トレ。「でもいちばんの趣味は仕事です」。

 

「発達障害者にまず必要なものは何かと考えました」とヤスヒロさん。答えは「人間関係」。発達障害者は支援してもらわないと、うまくいかない。自分の取扱説明書を作って見せるというライフハックがあるが、困りごとをそのつど「配慮」してもらっているうちに、やがて放置されがちになる。それを避けるには、ひとりの人として受容され、人の輪に入らないといけない。「自分が何をされたらイヤなのかを知ってもらうだけでなく、同時に、相手が何をされたらイヤなのかを知ること」。そうして人間関係を構築する。

 

東大阪で発達障害の自助グループを1年ほど運営し、ストレスが緩和された。しかし、自分には合わないと感じ、当事者研究のことが思いだされた。2020年に、大阪で発達障害の当事者研究会「HiKaRi会」を立ちあげた。普通の自助会はメンタルケアの要素が強いが、当事者研究は具体的な解決モデルを構築していく。そこに惹かれている。

 

仕事に関して、ヤスヒロさんは語ってくれた。「嬉しいことはめちゃくちゃありますよ。ぼく、人が頑張ってるの見るの、好きなんです。福祉の仕事って、頑張ってるのを見届けることやから。めちゃくちゃおもろいし、めちゃくちゃ泣きそうになります」。

 

当事者の悩みを、自分のこととして理解することができるヤスヒロさん。「当事者を支援することで自分が助けられています」と語る。 

(横道誠「発達界隈通信!」第23回了)

 

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