第21回 それに私は一介のシングルマザーですからね【おんちゃん】

第21回 それに私は一介のシングルマザーですからね【おんちゃん】

2021.6.07 update.

横道誠(よこみち・まこと) イメージ

横道誠(よこみち・まこと)

1979年生まれ。京都府立大学の准教授で、専門はドイツ文学研究・比較文化研究。子どものころから「稀代の変人」として、生きづらさに苦しむ。能力の凸凹(でこぼこ)が激しかったが、研究能力に秀でていたため、長年医学的な診断を受けずにいた。だが40歳のときに二次障害を起こし、41歳でついにASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)の診断を受ける。
今年5月に上梓した当事者研究の本(ほぼ自伝?)の『みんな水の中』(シリーズケアをひらく、医学書院)が初の単著単行本。

Twitterアカウント:
https://twitter.com/macoto_y(研究者・著者として)
https://twitter.com/macoto_1(自助グループ主催者として)

 
おんちゃんは50代、東京都在住。ADHD(注意欠如・多動症)を診断されている。
 
幼稚園ですでに、自分はほかの子と違うと感じていた。一緒にお遊戯をするのがイヤで、庭のオジギソウの葉を触ってお辞儀させるなどして遊んだ。幼児向け番組の「みんなー、元気ー!?」という明るいノリが苦手で、「こんな子どもっぽいことはできないな」と感じた。
 
画用紙を1枚渡されて、「先生の絵を描いてください」と指示された。ほかの子どもたちは画用紙を縦にして、その先生の絵を描いた。おんちゃんは先生はたくさんいると考えた。しかし紙の大きさが不充分と考え、その場にいたふたりの先生を描いた。幼稚園側が母親に伝え、母親はものすごく怒った。
 
「両親が離婚して、5歳のときに千葉県の孤児院に入りました」と語るおんちゃん。現在は児童養護施設と呼ばれ、当時は「養護施設」が正式名称だったが、通称は「孤児院」。そのころから6歳ごろまでの記憶がないのは、解離していたからではないか、と主治医に指摘された。喘息がひどかったが効果的な薬はなく、病院にも行かせてもらえなかった。小学2年生のときから大学病院に入院した。世間ではアレルギーの問題が騒がれていた。4か月ほどの入院生活。
 
3年生になるまえに、都立の養護学校へと転校した。生活の場は学校の寄宿舎。養護学校の卒業ということになると就職に悪影響を及ぼすと心配され、5年生のときに元の公立小学校へと再転校した。母親の家に戻り、中学2年生まで一緒に過ごした。喘息で何度も再入院した。
 
健康状態は、中学生の途中から好転した。途端に夜遊びをするようになり、補導された。家庭裁判所から鑑別所を経て、教護院(現在の児童自立支援施設)に送致された。1年半、教護院にいた。16歳になる年の9月にそこを出て自宅に戻り、服飾関係の仕事についた。知り合いのつてで入ったため、「まじめに勤務しなきゃと思って。不良だったことがバレないようにと。で、神経性歯痛になっちゃいました」。
 
食事が喉を通らず、半年で退職。なかなか再就職できず、年齢を誤魔化して夜の仕事に就いた。17歳になる年の4月から洋裁学校に通った。学校に行きながら、夜はバイトをした。時代はバブル期。夜の生活が楽しく、学校との両立が難しかった。
 
容姿に恵まれているおんちゃんは、縁もあって銀座や赤坂の高級なクラブで働くようになった。「多弁の傾向がめっちゃ役に立ちましたね。ほかの女の子が何を話していいか分かんないってときにも、私にはなぜ困ってるのか分かんなかったです」。
 
母と離婚した父が家電店を営んでいたことと、その場所を知っていたため、泥棒に入り、160万円を盗んだ。その金で、恋人と旅行をするなどして豪遊した。父は被害届を出さなかったが、母が少年課の担当刑事に事情を報告した。おんちゃんは補導されて、ふたたび鑑別所に入った。
 
18歳を迎えるとともに、保護観察処分が終わった。年齢確認が厳しい大手のキャバクラで働くようになった。ショータイムに踊って人気を集め、雑誌に掲載された。21歳までは大きな店で働けたものの、だんだんと体調が思わしくなくなり、原因不明の熱が出て、薬が効かず、入退院を繰りかえした。「入院するために働いているような20代でしたね」と語る。
 
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25歳ごろに手が動かなくなり、検査をしたが、骨には異常がない。しかし、ものを持つと力が入らず、落としてしまう。仕事ができず、家に引きこもった。栗本薫の『グイン・サーガ』を読みふけった。ベストセラーになった松浦理英子の『親指Pの修行時代』が好きだった。韓国で発禁になった馬光洙のベストセラー小説『楽しいサラ』のことをよく覚えている。
 
華やかな時代で、自分が周囲に与える印象も「話がおもしろいおんちゃん」だったが、本人にはそれがむしろ辛く、心は暗かった。明るく楽しく過ごそうと、酒を飲みあるいて、ストレスを発散した。
 
店の客と28歳で結婚。が、いろいろあって2年ほどで離婚し、30歳からパソコンの専門学校に通った。Windows98の時代。各種の資格を取り、パソコンのインストラクターを経験した。過集中を利用してパソコンを打つのが早かったが、そうすると注意力が人並み以上に下がった。
 
32歳のときに10歳下の男性と再婚。主婦になり、12年間の結婚生活を送った。女の子と男の子に恵まれた。育児ノイローゼになり、精神科を受診したところ、境界性パーソナリティ障害と診断された。ところが、この障害について勉強をしても、カウンセリングを受けても、ほかの当事者を見ても、自分がそうだという気はしない。「でも先生はそうだと言ってるし、多様な例があるのかも」と考えた。
 
下の男の子が、小学生のときに高機能自閉症だと診断された。発達障害に関連する書籍を読み、自分がADHD者だと気づいた。発達障害児の親の会に参加し、病院を紹介してもらって、診断を受けた。境界性パーソナリティ障害ではないという診断を得た。その後、上の女の子もADHDを診断された。
 
発達障害の診断を受けてから良かったことはありますかと尋ねたところ、「初めてストラテラを飲んだ時に、視界がぱっと広がって。普通の人って、こんな見え方してるの。そりゃあ自分は、何もないところで転ぶよ、って思いました」。「ほかに良いことと言えば階段から落ちなくなったくらいですかね」と言うので、「それ、とっても良いことじゃないですか」と指摘すると、「ADHDの困りごとって、ほかにもたくさんある!」と反論。「でも同年代の人もだんだん発達障害っぽくなる年齢です。砂糖を買いに行って、まちがえて醤油を買ってくるとか」。おんちゃんは、「やっと周りの人が自分と同じようになってきた。良かった」と満足そう。
 
数年前に離婚し、シングルマザーになった。「子どもたちも発達障害で自分と同じ。定型発達者に分かってもらえないことでも、自分はちゃんと分かってあげられる」。
 
「読者に伝えたいことは?」と問うと、ツイッターの発達界隈には、発言力のあるインフルエンサーたちがいる。「そういう人たちが強烈なことを言って、ものすごく信じる人がいて、危険だと感じます。自分は強く意見を言うのはやめようと気をつけてます。それに私は一介のシングルマザーですからね」と、おんちゃん。

(横道誠「発達界隈通信!」第21回了)

 

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