第17回 排泄のブルース(前編)

第17回 排泄のブルース(前編)

2021.5.31 update.

中山求仁子(なかやま・くにこ) イメージ

中山求仁子(なかやま・くにこ)

2017年から18年まで、神奈川県のとある放課後等デイサービスの管理者として勤務。自身も幼少期から横綱級ADHDであり、現在は双極性障害も発症している。
大阪大学文学部美学科音楽演劇学コース卒業。高校時代よりモダンダンス、大学入学と同時に小劇場演劇を始める。2001年退団以降、人生自体が演劇のような双極 I 型ジェットコースターライフを送っている。韓国映画と韓流ドラマをこよなく愛す。

 

スーパーで小ネギかニラ、どちらを買うかを迷ってるうちに時間が過ぎて慌てて家に帰ると、家族が増えていたことがある。

 

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玄関の扉を開けると、脚が白い、栗色の子犬が夫に抱かれていた。

その頃、私たちは関西を脱し、まず北海道、それから横浜→東京練馬区へと漂流を続け、武蔵野市に隣接した町で小さな自家焙煎の珈琲豆屋とカフェを始めた (いろんなことに手を出して、結局、自滅するのだ)。

 

当初はなぜか繁盛し、常連さんがついて、いろんなお客さんがいろんなものを店に持ってきた。商社でメキシコ駐在が長かった中本さんは恐ろしいほど大きい木のブーメラン。どんな巨人がいかなる怪物に投げるのだろうと思った。世界中を旅する雑誌の編集長は、怪しげなお酒。釣り好きな歯医者さんは伊豆から金目鯛を釣って帰ってきた。毎週のように金目鯛の巨大な眼に見つめられるとなぜか、自分が悪いことをしているのを見抜かれたような気になり、私は目を伏せた。そして、毎回違う犬を連れてくるのが高橋さんだった。店は公園の前だったので、外にもテラス席を置き、「With Dog OK」のカフェとしてかなり遠い町からもお客さんがやってきた。

 

高橋さんは、2匹の小型犬を飼っていたが、保護犬のボランティアもしていた。

「いやあ、高橋さんがさあ、自転車の前かごに入れてやってきて、『どうしても!! お願い』って言うからさあ。で、『私、ちょっと忙しいのよ、しばらく預かって』ってどっか行っちゃったんだよなあ」と言いながら、夫は子犬に頬ずりしている。

 

「なんでも、栃木のわんにゃんパークの前に小さなケージに入れられて、にいちゃん2匹と2週間も居たんだってよ」とカウンター席に座っていた歯医者の齋藤さんが言う。

「誰も引き取り手がいなけりゃ、保健所送りだろうなあ」と中本さんが、珈琲カップの最後の一啜りを口に傾けている。中本さんはいつからあの席にいるんだろう。

「なあ、かわいいだろ」

夫は私に子犬の顔を見せて言った。

 

――かわいい?

 

私は首を傾げた。子犬は、黒い鼻の頭をくしゃっと潰されたような鼻ペチャで、眼は垂れ、今にも泣きそうな顔をしていた。

お客さんが入ってきた。

「いらっしゃいませー」

夫は私にその子を預け、カウンターからテーブル席に注文を聞きに出ていった。

 

私は戸惑いながら子犬と小ネギの入った買い物袋を抱え、トントントンと店から通じる二階に上がった。

 

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とりあえず子犬をリビングのソファの前に置き、キッチンで私は冷蔵庫に買い物を入れ込んでいた。

少し憂鬱だった。正直に言うと、犬が苦手だった。小さいときに鎖をつけた犬に追いかけられ、噛まれそうになった恐怖の記憶があった。子犬のそばでかわいがるでもなく、チラチラ様子を見ながら私は距離を置いていた。

と、子犬がいない。

 

――あれ、あれれ、どこ、どこよ?

 

テーブルの下に座り込みキョロキョロ探すと、子犬は部屋の隅のピアノの脚のそばにいた。脚に背を向け、後ろ脚を思い切り曲げ、前脚も踏ん張ってウンウンしていた。背中はおじいちゃんみたいに曲がっていて、顔も真剣。一瞬、私を見、体勢を変えずに少しずつ私と目が合わない方向に回り、またすぐに排泄に集中。結果的に子犬の体からすると、ずいぶんな量のうんちをした。

 

――そうかあ。いろんなとこに連れ回されて、したくて仕方なかったんだな。

 

と思いながら、私はこういうときはどうしたらいいのかとあたふたする。キッチンを見回し、薄いビニール袋とディッシュが目に入ったので、それを持ってピアノに近づいた。子犬はもうウンウンを終えていて、やっとすっきりしたのか、トコトコとピアノから離れ、ソファの横にちんまり座った。

茶色いうんちの塊が4つほど、ピアノの脚の横に転がっていた。

 

――えーと。

 

と考え、ビニールに手を入れてつかみとる。意外と簡単。人間の子どもより簡単な気がする。床をティッシュと濡れティッシュで拭いて完了。微かにこうばしい匂いを嗅ぎながら、ビニールの口を閉めた。

 

子犬を見た。私がうんちを取っていたのを見たからか、子犬は前脚を揃えて座り、私と目を合わせ続けた。私は目を逸らせなくなり、笑って、

「もう、だいじょうぶよ。ここに来たから」と声をかけていた。

子犬は、私のところに来るかと思いきや、ソファの向こうに隠れ、見えなくなった。

ごみ箱に排泄物を持って行き、

 

――ちょっと待てよ。

 

と気づいた。

 

――うんちするということは、おしっこは!?

 

慌ててソファの前に回ると、小さな水たまりができていた。子犬はまだ雄犬らしい足上げおしっこができないのか、四つ足をつけたまま、私の顔を見ながら「出るものは出るんだよ」という顔でおしっこをしていた。

 

今度もビニール袋とトイレットペーパーで処理。子犬は、身軽になってリビングを自由にチョコマカと走るようになっていた。

そこに小3の息子が帰ってきて、「わあ、かわいい。やった―」と喜んで抱いている。

「おい、何て名前かわらかないけど、弟、散歩に行こう」と言う。

「まだお預かりだから。高橋さんが来てからね」と言うと、とても不服そうだ。

 

その間に、子犬は二度もうんちをしていた。わんにゃんパークのケージの中で、2週間も排泄物にまみれていたのだから、したいものもできなかったのだろう。

 

私の中に、ある気持ちが生まれていた。それは、子犬のうんちを拾ったときの温かく柔らかい感触とそこから生まれる何か。さっきまで別の体のお腹のまん中にあったものをなぜか私が受け取っている。そのことが不思議で、とても絶対的な、つまり運命的なことのように私の手と体が思えて、もうこの子犬と私はつながっている、そんな気がした。

 

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排泄とはなんだろう。

 

頭木弘樹さんは、医学書院の「ケアをひらく」シリーズ『食べることと出すこと』のなかで、ご自分の病気とその主症状の摂食と排泄をめぐり、人間がもつ感情や社会的な捉え方の真実を静かに、絶望も希望も含め透徹して書かれている。「食べることと出すこと」は、「生きることと死ぬこと」くらい難しいことであると同時に、普遍的でめったなことでは揺るがないことのような気もする。

 

私は「そんなことがあるのか」「そういうことなのか」と読みながら泣く。頭木さんの難病は私の手に届くものではない苦痛と苦悩と孤独だと感じる。想像などできない。できるはずがないと思う。

 

私は産後1か月で関節リウマチにかかった。日に日に動けなくなり、赤ん坊は抱けなくなった。ベッドで赤ん坊に添い寝しておっぱいをあげようと1センチ動くにも油汗をかいた。私は自分がそのまま動けず、赤ん坊にのしかかり、赤ん坊は圧死してしまうかもしれないと、とても現実的なことをぼんやり考えた。それが起きてもおかしくなかった。

 

血液検査で自己免疫疾患だとわかり、母乳は続けたいので、頭木さんと同じステロイドを飲んだ(頭木さんのよりかなり少ないと思う)。痛みはかなり軽減したが、軟骨と関節の変形は止めようのない火事のように私の中で広がった。右手は裏に返せなくなり、手首の大きな瘤のように膨らんだ丸い骨を切除する手術をした。

 

今は、新型コロナが重症化したときに使われる、生物学的製剤という新薬により免疫の暴走をコントロールしているので、痛みはほぼなくなった。生活の質は雲の上にのぼったように向上した。すると、私は20年以上の痛みの中身も苦しみも忘れた。「痛かった」というぼんやりした記憶が残っているだけだ。

 

人は現実の中でしか生きていけない。現実を受け入れなければ、生きていけない。そこにもまた同じ哀しみがないだろうか。

(頭木弘樹『食べることと出すこと』95頁)

 

私はあんなに不自由な日々を、自由な自分という現実にすり替わることで忘れた。そうしないとつら過ぎたからだ。ただ、あの頃の自分の哀しみはどこに置いてきたのだろう、とときどき思う。やがて哀しみの淵に押し黙って泣いている自分を見つける。

一人の人間のなかで痛みは忘却されるが、それにまつわる孤独や苦悩、ときに屈辱、「他人にわかるはずがない」という頭木さんの思いを、私も完全に忘れているわけではない。

 

手術をするまで、私はスーパーのレジの人が、手の平を返せない私の右手に平然とおつりを渡そうとするのがとてもいやだった。できない私に向かってほぼ100%の人が「なぜ?」という顔をするからだ。その「困った」に私は前向きな解決策、たとえば左手を出すとか、財布に入れてもらうとか、そういうことは思いつかなかった。お札から渡されたいと準備しているのにお釣りを渡されて、曲がったままの手指でどうしたのか憶えていない。買い物なんて山のようにしたはずなのに。いつも敗北感、パニック、それとも解離?

 

こわばりのない朝が一日でいいから迎えたかった。

排泄は、それよりずっと日常的なことだと思う。それを自分で“当たり前に”やらなくちゃいけないと言われている気がすれば、それはつらいだろう。私もあの頃、当たり前にベッドから起きて、着替えたかったけど、できなかった。

 

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赤ちゃんなら愛情を持って世話をできても、相手が大人や老人の場合は、なかなかそうもいかない。

(頭木弘樹『食べることと出すこと』143頁)

 

この頭木さんの言葉にも「なるほどなあ」とため息が出てしまう。

さっき紹介した犬はそのまま我が家の家族になり、今はもう11歳の老犬となった。そして3年前に死にかけた。断裂した靭帯の手術後、糸が免疫反応を誘発し、膠原病になった。病院から「もう手の施しようがありません」と言われ、お腹の皮膚がベロリと破れ、やせこけて帰ってきた。体重が半分になり、足腰が立たなくなり、水も飲めなくなった。「最後の散歩を」とシートを敷き、タオルケットに包んで、慌ててAmazonで買った赤いカートに乗せ、海に向かった。犬は首だけ上げ、外の澄んだ空気を黒く乾いた鼻から気持ちよさそうに、弱々しく吸っていた。

 

外でしか排泄しない犬だったが、非力な私では外へ連れていけない。子犬は6キロの柴犬として我が家に来たはずが、みるみるうちに22キロのシェパード×ラブラドール×柴犬の不思議なミックス犬に成長していた。ここでも話が違っていた。出産と同じように、私たちの家族は話が違うことばかりだ。

 

さておき、瀕死の老犬(アロンという)は、外に行けないと悟ると、自分の寝床から一番遠い、部屋の片隅に鼻をつけ、恥ずかしさから隠れたつもりで排泄をした。おむつをしても、脚が細くなりすぎて、排泄物が脚をつたって漏れ出ていた。もう固形ではなかったのである。トイレットペーハーとシートの山ができた。排尿に関しては、あるとき、パスタ缶がちょうど足の長さと同じだと気づき、おちんちんにあてると、気持ちよさそうに排尿した。

 

そのときからだ。

真剣に、排泄も含め、この子の体とともに私たちは生きていると思ったのは。

どんな生き物にも安楽死などないと強く思ったのは。

 

こんなやりとりもあった。

「はあはあ」と息をするのも苦しそうなアロンを見て、夫は「かわいそう過ぎる。安楽死も考えたほうがいいかもしれない」と言った。すると、大学生の息子が夫に殴りかかり、泣きながら「だめだ! 絶対だめだー!!」と叫んだ。私たちに命あるものの命を取る選択はなかった。夫は休みになると、ひたすら海へとカートを引いた。

 

かっこのいいことを言っているようだが、「かわいい、かわいい」と大事に育ててきたばかりではない。仕事から帰ってきてから排泄散歩に出かけるのは正直億劫だった。しかし、あの瀕死の日々が、私たちに思い知らせた。家族のなかでアロンの存在感が思った以上に巨大であること。それに気づいたのは、アロンが一段と弱ったからだったと思う。

 

 

私がこれまで書いてきた、障害といわれるものを持つ子どもたちの居場所である放デイの話は、時折、というよりもっと頻回に、世間の考えや感覚とは倒立しているということのように思う。

 

「食べること」は、人と人との間をつなぐもの、逆に言えば断つものとしても、とても大きな働きをしている。

(頭木弘樹『食べることと出すこと』96頁)

 

では、そういう世界でのこの「食べることの結果としての出すこと」、つまり排泄に関してはどうだったのか。

次号で、放デイでの「出すこと」を振り返ってみたい。

(中山求仁子「劇的身体」第17回了)

 

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