第16回 産むことの、痛みやら生きることやら

第16回 産むことの、痛みやら生きることやら

2021.5.19 update.

中山求仁子(なかやま・くにこ) イメージ

中山求仁子(なかやま・くにこ)

2017年から18年まで、神奈川県のとある放課後等デイサービスの管理者として勤務。自身も幼少期から横綱級ADHDであり、現在は双極性障害も発症している。
大阪大学文学部美学科音楽演劇学コース卒業。高校時代よりモダンダンス、大学入学と同時に小劇場演劇を始める。2001年退団以降、人生自体が演劇のような双極 I 型ジェットコースターライフを送っている。韓国映画と韓流ドラマをこよなく愛す。

*今回はスピンオフで、私のドタバタ出産噺をお送りします*

 

 

■自分で産んでるんですー

 

彼女は西田さんといった。

西田さんは、同じマンションの住人だったが、彼女がひとりでいるところを見たことがなかった。彼女の家族はいつも大移動していた。小学校中学年のお兄ちゃんがいちばん年上で、年子らしき男女のきょうだいを6人ほど連れ、背中に女の子を背負っていた。

エレベーターで会うたび、話したことのない彼女に話しかけたいという気持ちが高まった。私は産科を探していた。

 

――あんなにたくさん産んでる人だもの。きっといいところを教えてくれるはず。

 

とうとうある日、私は声をかけた。

「にぎやかで、いいですねー」

すると、

「ええー、おかげさまで。でも、家の中は大変ですー」

と笑顔に混じった困惑が返ってきた。

「ああ、そうですよねぇ」

と慌てて返す。

 

ふと子どもたちの視線を感じる。よく見ると、3人が彼女と同じタイプの黒縁のメガネをかけていた。残りの3人は彼女と同じように顔が四角かった。私は狭いエレベーターの中で偉大なるDNAの存在を知り、中途半端な笑顔を返した。そして視線を外して、背負われた女の子の素足を見ながら、聞いた。

 

「あの、どこの産婦人科にかかっておられるのですか?」

すぐに返事が返ってきた。

「自分で産んでるんですー」

 

――えっ?

 

驚いた。「自分で野菜つくってるんですー」と聞き違えたのかと思った。

 

「……ご自分で?」

「はい。楽ですよ。自分で産むほうが」

「自分で産むって、えーと、ここで?」

と右人差し指を下に向けて聞く。

「そうです」

「はあ……」

 

――ど、どうしよう。

 

困惑していると、西田さんに「産婦人科をお探しですか?」と聞かれた。私は思わず「いえ、そういうわけでは……」と答えを濁した。あまりにグレートな女性に会ってしまった気がしたのだ。彼女の教えを聞いて果たしてよいのかどうか私は迷った。しかし、かかわりあってしまったからには仕方がない。とりあえずお互いの部屋番号を交換し、私はそそくさと、エレベーターを降りた。

 

部屋のベッドに横たわり、お腹を軽くポンポンと叩いて「キミキミ、どうしよう」と聞いてみる。もちろん答えはない。チャイムが鳴った。

出てみると、西田さんの長男君が立っていた。お母さんに似たメガネをかけた彼は「母さんが」と言って私に本とメモを差し出し、ダッシュで帰って行った。本には薄いレモン色の付箋がついていた。

 

「最初から自分で産むのはハードルが高いので、産婦人科にかかられたほうがいいと思います。私の先生をご紹介します。ここでは、普通の分娩と水中出産と自然出産をしています。私は水中と自然出産をしました。一度行ってみては? 水中出産は、とても楽です。お湯が温かいので、緊張がほぐれて出産しやすいんですよ。おススメです」

 

私はその付箋に目が釘付けになった。

「楽」な出産というのがあるのか!?

痛いのが大の苦手な私は、たちまち「楽」を「痛くない」に取り違えた。

 

■鼻からグレープフルーツ

 

出産の痛みはいろんな表現であらわされる。

ハンマーで腰を何度も殴られているような痛み、腰を車にひかれているような痛み、腰の骨をむりやり折られるような痛み……。まるで拷問だ。

 

私が妊娠2か月だとわかったとき、劇団の制作担当の北本さんは、別の表現で出産を説いた。北本さんは、3人の子どもを自分の家で出産していた。私よりも年下だったが、さまざま地に足のついた知見を教えてくれた。その彼女があっさり言った。

「そうやなぁ。3回産んだけど、3回とも鼻からグレープフルーツやったわ」

 

一瞬、私は凍りついた。

「えっ、ちょっと待ってや。鼻からはグレープフルーツは出ないよ! ゼッタイ」と私が興奮し両手を振って否定すると、

「それが、出てくるんよ、なぜか」と私の肩をポンと叩いてくる。

「ムリ。私にはムリ~」と泣き顔で言うと、「その場になったらなんとかなるから」と慰められた。彼女は、私の泣き虫とあわてんぼうと日和見な性格を芝居で知りつくしていた。だから早めに覚悟させようと思ったに違いない。

 

……とまあ、こういう経緯から、「鼻からグレープフルーツ」に怯えていた私は、「楽に産める」という西田さんの言葉に飛びつき、妄信することになったのである。

 

西田さんに紹介された産科は、行ってみると、大人気の病院だった。看護師に「申し訳ないのですが、4月はもう予約でいっぱいなんです」と断られた。すると突然、付き添ってきた母が、「看護師さん、お願いします!! この子の妹は、病院で大変な出産をしたんです。だから、この子には納得のいく出産をさせてやりたい。ああ、娘がかわいそう、娘はぁ……」とフロアの真ん中で泣き崩れた。

 

母は小柄だった。震える肩を抱きながら私はふと、この人はどちらを心配しているのだろうと考えた。でもまあともかく、母が騒いでくれたおかげでその日、私は水中出産の予約をとることができたのである。

 

■子どものほうがずっと大人

 

そして1998年4月。私はなんとか妊娠9か月めに入った。

その頃、夫の様子がおかしくなった。出産を楽しみにしていたのに、何かにつけてイライラし、小まめにしてくれた家事もいい加減に放るようになった。ある日、こんなことを言い始めた。

「予定日、仕事かもしれんわ。このところ忙しくて、予定日じゃなくてもつきあえんかもしれんから、そのつもりでいてな」

 

私はあんぐり口を開けたまま夫の顔を見た。

「はあ? 今さら、何、言うてんの?!」と責めると、

「しゃーないやんか、仕事なんやから」

「仕事とお産、どっちが大切なん!?」

「何しょーもないこと言うてんや」

「この子とどっち? どっちよ」と、頭に血がのぼった私が詰め寄る。

「もう、待ってばっかは疲れたんや。早く出てきてくれんかな。なあ、はよ産んでや。産んでくれんから、こういうことになるんや」とブツブツ言って、テーブルに頭からつっぷした。

呆れた。夫の後頭部をハンマーで殴りたいと思った。

 

なんと十月十日の自然の摂理を認めず、夫は待ちくたびれているのだ。そういえばと思い出す。お腹にタオルを入れ、自分が妊娠してる風な写真を使った年賀状をノリノリでつくっていたのは、そういうことか。きっと、今まで待ったのに自分で産めないことが歯がゆいのだろう。芝居でもやたら主役にこだわるヤツだから、出産の主役になれないことにイライラしているのかもしれない。

「なに誤解してるんや。これは芝居じゃないんやぞー!!」

と言うと、夫はムカッとした顔で冷蔵庫にジュースを取りに行く。

 

しかし、たしかに寄り添うほうは大変な部分があるかもしれない。妊婦は、考えなくても体が勝手に変化し、出産の準備を始める。自然に子どもと連携し、さらに出産の段取りをこなしていく。たとえば2~3日前から起こった擬似陣痛は、胎児の「そろそろいくよー」というノックだ。

 

さらに、出産直前の大量排泄。私は爽快な気持ちで「ヨッシャ、これで準備万端。がんばれる!!!」と、芝居小屋入りしたときのようなハイテンションでいたのに、夫は私たちについていけないと拗ねている。気持ちはわからなくもないが、やはり子どもじみている。「最後の本番が待っているんだぞ」と私は尻を叩くことにした。

 

「何を拗ねてんの!」

と背中を叩くと、大ゲンカが始まった。

すると、さっきまで鈍痛のようにお尻の下部で鳴っていた擬似陣痛がパタリと消える。

 

――ヤバイヤバイ。カアサン・トウサン・ケンカチュウ。イマデル、ヤバイ。

 

と様子見することにしたのだろう。子どものほうがずっと大人だ。

 

そうそう、子どもはアンと呼んでいた。妊娠時からアンちゃんと呼び、この世に生まれ出てからも同じ愛称で呼ぼうと決めていた。ちなみに子どもは男の子と判明していた。

 

■平城京の暗闇の一本道で

 

翌日、寝不足な体でウームと考えた。

 

――明らかにおかしいのはあいつだけど、ケンカしてる場合じゃないよな。

 

私は不本意ながらも「停戦合意」にこぎつけようと策を練ることにした。

 

夫が帰ってきた。夕食を取りながら私は、

「なぁ、仲直りしにパフェを食べに行こうや。アンが生まれたら、パフェなんか食べられないもんねー」と言ってみた。

すると、自分も大人気なかったと思っていたのか夫はすぐに賛成した。ふたりで夜中の10時に隣町のロイヤルホストに車で向かうことになった。

 

「体、冷やすかな」と少し不安に思ったが、ここは停戦が何より大事だ。私は思い切ってストロベリーパフェ、夫は白玉抹茶パフェを食べて、なんとなくこころは打ち解け、「ヨッシャー、ふたりでがんばろうね」と車に乗った。

 

車は平城京の跡地の野原に通る一本道を走った。

空と、何もない野原がつながって、広大な闇が広がっていた。

ふと思う。ここはアンのいるお腹のなかではないか。それとも、私たちはアンとともに闇に飲み込まれてしまったのか。だとしたら、どうすれば出口を見つけることができるのだろう。それは出産の予知のような感覚だった。

 

夜風が頬に当たる。いろんなことがうまくいくような爽快な気分と、少し冷たい夜気が私のお腹を固くし、こころと体が大きく揺れていた。

道はうねり、ところどころ砂利道で、車はガタンガタンと上下した。私はお腹を抱きながら後部座席に座っていたが、大きく車が揺れたとき、下腹部にシュッと穴が開いたような感覚を覚えた。シートに手の平を置き、こわごわお尻の下に入れる。ジワーッと生温かい水が漏れ出ていた。

 

――羊水?

 

水はじわじわ溢れ出ている。私は、

「前期破水だよ。あまりガタガタしたところは避けて、早く帰ろう。先生に電話しなきゃ」と夫に知らせた。

 

破水は、胎胞の一部が破裂し、羊水が漏れ出る状態だ。陣痛と子宮口の全開に至ってから起こるのが通常だが、私のように陣痛が起こる前に破水が先に訪れた場合は、胎児が必ずしも子宮口に近いところにいるわけではない。

 

自宅に着き、羊水で濡れた服を着替え、産院へ向かうカバンを持った。着替えるとき、なぜか潮風の匂いが一瞬鼻をかすめる。

私はクラリセージのオイルの香りを嗅ぎながら、自動車の後部座席に横たわった。クラリセージはアロマテラピーでは子宮収縮を誘発するとされていて、もしものときのためにと劇団の後輩から渡されていた。

 

午前零時に出発、午前2時に産院到着。産院は遠かったので、私は香りをかぎながら眠ってしまったのだと思う。

 

■木っ端みじんになりそうな痛み

 

気づくと、巨大なベッドで横になっていた。

背中ごしにいびきが聞こえる。夫はすっかり寝入っていた。

トイレに入ると、外で看護師さんと助産師さんの話し声が聞こえた。

「破水してるけど、児頭はまだかなり上よ。明日分娩かなあ。水中は無理かも」

私は自分のことだと気づき、怯えた。

 

――ひええええ。明日!? そんなのムリだ。どんなことをしても今日中に産まなきゃ。水中で産まなきゃ。そうしないと、アンも私も共倒れだー!

 

と頭を抱え、部屋に帰ってから、クラリセージのびんを鼻の孔に何度も押しつけた。そして深い呼吸をしながら、なんとかアンに早く子宮口までおりてもらおうとする。

――ね、頑張ってよね。ほら、頑張ろう。アンちゃん。

 

と声をかける。すると、アンはよくわかってくれる子なのか、擬似陣痛と比べ何倍も激烈な本当の陣痛にとりかかってくれた。痛みの時間も、痛みと痛みのあいだの間欠も、きっかり同じ時間でやってくる。

 

――アンが頑張ろうとしている。私も頑張らなきゃ。

 

しかし、痛い。

「ああああ、痛いよぉ、ちょっとぉー」と言っているのに、隣の夫にはまるで聞こえない。ベッドの寝心地がよほどよいのか、呑気に高いびきをかいている。

私が必死に陣痛と間欠の時間を紙に記すが、あまりの痛さにペンも持てなくなる。

「ちょっと、痛いから、書いてってば!!」と言っても、夫は起きてくれない。停戦はどうなったんや!!

 

子宮が収縮するときに痛みが生まれる。それを逃がそうと、四つん這いになってみる。

お尻を中心に、痛みが放射的に広がっている。どんなにしても、痛みから逃れることはできない。痛みは、切る痛みというよりも、破裂する力といったほうがよいかもしれない。どちらにせよ、親子とも木っ端みじんになりそうな痛みが内部に発し、ひっきりなしに襲いかかる。

 

それもそのはず、産道はもともと体に敷設された通路ではないし、胎児が自分でつくってくる道だ。プレートのように重なりあったり離れたり、形状を変えることのできる自由自在な柔らかな頭蓋骨を使って、恥骨と仙骨のあいだの元から狭い道を、私の筋肉を裂きながら、アンはやって来る。生まれる。産むとは、生とは、なぜこんなにも死と隣り合わせの危険な方法をとるのか。

 

やがて思う。この世に生きてきた私たちは、最も危険なものは死であり、生とは対極にあるものだと思いがちだ。しかし本当はそうではないのではないか。生死は真逆のものではなく、ふたつは未分なのではないか。痛みという洗礼の先に、生死どちらの門をくぐるか。その違いは天涯に立つ砂漠の峻壁の上で、風で足元の砂が崩れ、生と死どちらかの谷に滑り落ちていく。それだけの微かな違いの出来事ではないか。

 

アンはだから生死など関係なく、進んでいる。生であろうと死が待っていようと進むしかない。私のお腹を進み、そしてこの世の光とともに、私とまったく別の人間となったことに、確然と気づくだろう。そして息をするだろう。泣くだろう。

 

私は痛みにわめきながらも、この痛みがなければ、アンの前進と、自分のなかにいた者がこの世に生まれ出ずることを、本当に応援することはできなかったろうと思う。私もまたひとり天涯の地で、砂の頂に立ち、生死の境界線にいる。そうでなければ、私はアンの前進する勇気に、全霊で応えることはできなかったろう。

この世の出来事はみな裏表であり、そして同一なのだ。生は死で、死は生である。

 

■プールはまだかッ

 

なあんて、本番最中に考えていたはずがない。私はとにかくギャーギャーわめいていた。

と、北本さんが来てくれた。

「どう、グレープフルーツ?」

「ううん、もっと痛い」

と言うと、北本さんは体をほぐすマッサージをしてくれた。

 

しばらくして、母もやってきた。私は猛烈な痛みに頭を枕にうずめ、膝立ちしてお尻を上げていた。マット運動をしているような私の格好を見て母が、「大変じゃない、くにこちゃん。ケーキ買ってきたよ。甘いものでも食べて、気分替えてからにしたら」と耳元で囁いてくる。悪い幻聴ではないかと思った。

 

私は痛みに狂いそうになっていたので何も答えられなかったし、答えたくなかった。

陣痛が乱れた。北本さんが「これはよくない」と母の相手をしてくれ、私は再び出産に集中できるようになった。

 

それにしても痛い。アンには悪いが、痛みのこと以外何も考えられない。私は母親の矜持みたいなものはかけらもなく、クレイマーのようにぐるぐると不満を募らせていた。

 

――もう、どうしてプールに入らせてくれないんだー!! 先生!!!

 

私は先生をこころでひどくなじっていた。プールにさえ入れば、痛みも消えて、子どももスルッと出てくるはずじゃないかと、この期に及んで楽な出産を妄想していたのだ。

 

しかし、いのちを扱う段取りはきっかりと決まっていた。プールに入れるのは、子宮口全開大、つまり、胎児が産道の入り口までおりてきて、さらに子宮口が思い切り開き、子どもの頭が見えてからだった。そうでないと、いくら37度に温度調整したお湯でも長時間浸かればのぼせてしまう。

 

■元には戻れないんや!

 

お昼を回り、午後1時半。なんとか子宮口が開くと、私たちは暗くて丸い、自然光が差し込む産室の丸いジャグジープールに入った。

夫は家の鍋で煮沸消毒した自分のパンツに穿き替えた。私は裸だ。

プールを見ると、今までの嘆きが薄らいで、どこからか「よっしゃー。これからが本番やー。頑張るでー」という気持ちが湧いてきた。そうだ、私は本番には強いタイプだったはずだと自分で自分に言い聞かせる。

 

プールに入る。丸いプールの縁は丸い。床の底面も丸い。底に足を踏ん張ろうにも、水につるっと滑って、脚がつかない。おまけに浮力がかかって、体が浮遊する。

 

ふたりして「あわわ、あわわ」と犬かきしながら足の着地点を探すが、なんだか息も合わない。ああ、もうどうしたらいいのかわからなくなる。その間、ますます痛みは増し、間欠の時間も短くなる。「も少し長く休ませてよー」とこころでアンに叫んだが、アンはアンで真剣に生まれ出ようとしている。頭による前進をやめようとはしない。

 

痛みが止んだときに、未来を想像する。この痛みの嵐が終われば、アンに逢えるのだ、と。すると途端に間欠は終わり、痛みが頭をもたげる。「そうなのだよー。だから今は我慢してがんばりなさーい」と、アンはどんどん痛みと痛みの合間を短くし、やがて痛みが連続化する。痛みは、体は、実にサディスティックだ。

 

――ああ、もう、どうにかしてよー。

 

と、こころで叫びながら、すぐに人のせいにするクセがまた出て、私は

 

――ちょっと、西田さん、話が違うやん!!

 

と正直何度も思っていた。しかし、話が違っても仕方ない。産むしかないのだ。けどー。とうとう、甘えんぼうで情けない私は、あまりの痛さに、「ちょっと待って。ちょっとタンマ」とアンに手を合わせてしまっていた。

 

私の日和った表情に気づいた夫は「えっ、もしかしてあんた、まさかここで産むのやめようとしてる? アホカ」という顔をした。「いや、ちょっとだけ休みたい」という顔をすると、夫は必死で私を背中から支え、「元には戻れないんや。あと少しや、ガンバレ」と耳元で囁く。やっとふたりで産んでる気持ちになった。

 

急に室内が暗くなり、外で稲妻が走り、雨が降り始めた。

どこもかしこも、世界中が、水に濡れている。

麻痺しそうな痛みが雨に、プールの水に溶けていく。

アンに、もうすぐ逢えそうな気かする。

 

先生がやってきた。私にもアンにもこれ以上の力はないと見て、先生は子宮口から少しだけ出たアンの頭を指で手前に引いた。

股間からアンの頭が水中に出た瞬間を、私の中心の孔からはじけるように飛び出た体の感覚を憶えている。

 

私はすぐにアンを抱いた。

そのときアンは人生最大の仕事をやり遂げ、安心したのか、疲れ果てたのか、目を閉じ、穏やかな表情で眠っているようだった。

 

■ふたつの体へ

 

アンのおへそと私は、思った以上に太く長い臍帯でつながっていた。アンは小さかった。こんなに小さな体が私の中にいたこと、10か月一緒に暮らしたこと、別れるのにあんなに痛みが走ったこと。それらのことが一瞬の矢のように私のなかを駆け抜けた。

 

私は、プールに寄りかかりながらアンの濡れた小さな顔と小さな指に頬ずりした。鼻先に破水したときの潮風の匂いがした。アンはすぐに私の乳頭を探し当て、吸い始めた。母乳はほとんど出なかった。けれどアンは満足そうに、ETのようなスローモーションで首や手を微かに動かした。

 

午後2時過ぎ。先生が夫に「臍帯を切りますか?」と聞いた。

「いえ、いいです」とあっさり夫が答えた。

自然出産の場合は切りたくなる男の人が多いらしいが、夫はほんとに変わっている。先生がはさみで臍帯を切った。ジョリという大きな音が、プール室と、そして私の鼓膜から全身に響き、出産の終わりを告げた。

 

それから1週間、私はアンと小さな小部屋でふたりで過ごした。

赤ちゃんは、1週間分のお弁当と水筒を持って生まれてくるという。しかし私は母乳がまるで出ず、2860グラムで生まれたアンは2680グラムに干からびた。けれど、元気だった。アンは小さく泣くこともあったが、楽しい夢でも見ているように安らかだった。

 

退院の日に母がやってきた。母は少し面はゆい表情をしていた。私は気づいていた。

微笑むアンを抱きながら母は、「あの子がかわいそう」と言った。

母は、寝たきりの姪を抱える妹のことを案じていたのだ。

私は何も言わず、母の手からアンを受け取った。

 

大きくはないベッドにふたり腰掛けたが、母との距離は近くはなかった。人それぞれ、思う子どもは違うのだ。その日、私はそのことを知った。

 

それでもよかった。私にはアンがいた。

私は幸せで、ひとつの体でいるときとはまた違う心強さを、アンとのあいだに感じ始めていた。

 

(中山求仁子「劇的身体」第16回了)

 

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