第11回 当事者はみんな現実の社会で傷ついて苦労し、結果、この界隈に辿りついています【AB蔵さん】

第11回 当事者はみんな現実の社会で傷ついて苦労し、結果、この界隈に辿りついています【AB蔵さん】

2021.5.07 update.

横道誠(よこみち・まこと) イメージ

横道誠(よこみち・まこと)

1979年生まれ。京都府立大学の准教授で、専門はドイツ文学研究・比較文化研究。子どものころから「稀代の変人」として、生きづらさに苦しむ。能力の凸凹(でこぼこ)が激しかったが、研究能力に秀でていたため、長年医学的な診断を受けずにいた。だが40歳のときに二次障害を起こし、41歳でついにASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)の診断を受ける。
上梓したばかりの当事者研究の本(ほぼ自伝?)の『みんな水の中』(シリーズケアをひらく、医学書院)が初の単著単行本。

Twitterアカウント:
https://twitter.com/macoto_y(研究者・著者として)
https://twitter.com/macoto_1(自助グループ主催者として)

 

AB蔵さんは30歳、名古屋在住。ADHD(注意欠如・多動症)を診断されている。

 

子どものころに、勉強で困った記憶はない。小学生のときは、ほとんど「オール5」だった。学級委員を何度も務めた。陸上部でキャプテンも務めた。「発達障害の特性でめちゃくちゃ困るってことはなかったんです。多動や衝動はあまりなくて、不注意優勢のタイプです」。抜けてる面があったから、物忘れが多かった。体操服、財布、家の鍵。しかし「天然キャラ」として愛された。

 

中学校でも勉強に困らなかった。変わらず「オール5」。学級委員を務めた。生徒会の会長も務めた。部活では陸上を続けた。名門の公立進学校に進み、これまで以上に陸上にあけくれた。部は全国優勝を目標とする強豪校。憧れの選手は、400mハードル日本記録保持者の為末大、北京オリンピックの男子4×100mリレーで銀メダルに入賞した末續慎吾。ウサイン・ボルトはもちろん、モーリス・グリーンのスタートダッシュに魅了された。

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部活を引退してからは、大学入試に専念。数学、物理などの理系科目と、自然科学的要素がある地理が好きだった。「原因と結果がはっきりしていて、理屈が明白」。逆に、国語が苦手だった。文字から情報を読みとるのが得意ではなく、文章の構成や仕組みが難しいと感じた。

 

国立大学の教育系の学部に進学。スポーツを文系理系両方の側面から考察することが専門だった。陸上競技ではこれ以上は伸びないと考えて、アメリカンフットボール部に入部。元気があって高い目標を目指せそうと考えてのことだった。

 

ポジションはディフェンスバックを務めた。だが球技はもともと得意でなく、ボールを取れなかった。やればできると考えて励み、パートリーダーもまかされた。しかし、「うまくできたと思えたことはほとんどなくて、苦労が多かったことを思いだします。このころから、どれだけ頑張っても自分と周囲の人とのあいだには、越えられない壁のようなものがあると感じはじめ、自分を信用できなくなりました」と語る。

 

ワンプレーごとにアサインメントが決まっているが、それを覚えるのに苦労した。「練習中の大事な局面で、アサインメントをまちがえて、やらかしちゃって。周りから信用されなくなって、つらい思いをしました」。いまでは発達特性だったと感じる。

 

卒業後、地元の地方銀行に入社。繁華街の支店に配属された。1年は融資関係の事務を、つぎの1年6か月は営業の外回りを経験した。「事務では大きな失敗もあり苦労しましたが、特に新規開拓営業では良い成績を出せました」。新店舗の開設業務に携わり、北摂地域の新しい店舗で、新規の顧客を開拓した。

 

とはいえ、マイナス金利の時代。銀行業に将来性があると感じられず、悩んだ。地元の友人が外資系の保険会社に勤めていて、その友人とマネージャーから誘われ、転職。営業力をつけたいと考えた。銀行には合計4年間いた。

 

転職したものの、「これは大変な世界だと実感しました」。自分を勧誘したマネージャーから、想像をはるかに超える厳しさで指導された。付いていけないと苦しみ、3か月で退職。4か月の無職を経験したが、銀行員時代から3年のあいだ支えつづけてくれた女性と結婚。

 

転職先は日系大手金融機関のグループ会社。中小企業向けの設備投資支援をおこなう金融の営業。転職後3年以上が経つが、現在もこの仕事に携わっている。

 

転職して最初に当たった上司は、指導内容はまっとうだが、口調は荒く、細かく厳しい人。苦しかったが、そのおかげで、銀行でも保険会社でもやっていた失敗を、いつも繰りかえしていると自覚できた。「これは何かおかしい」と考え、ADHDの情報を得た。病院を受診し、診断を受け、「やっぱりそうか」と思った。これまでの過去の失敗が腑に落ちた。

 

「エリートだったAB蔵さんにとって、つらい診断だったのでは?」と尋ねると、「診断されて良かったと感じました」との回答。上司に説明できると思った。しかし、発達特性に対する一定の理解は得たものの、現実を何も変えられなかったんです」。業務上の配慮を受けるようになったが、仕事の段取りの改善までは至らない。相変わらず同じ失敗を繰りかえし、叱られつづけ、理解はされなかった。発達障害のライフハックに関する本を読んでも、実務が改善されることはなかった。悩みが深まった。

 

発達界隈に入り、Twitterで自助グループの存在を知り、参加した。関西のさまざまな自助会に出入りするようになったAB蔵さんは、悶々とした悩みごとを吐きだす場がなかったことに気づいた。自助会で思いの丈を話していくうちに、心がスッキリした。悩んでいるのは自分だけじゃないんだ、とも感じた。

 

自身の発達特性への理解が深まってゆく。仕事の回し方に関する、自分に向いたライフハックも得た。徐々に、自分自身の特性を受けいれられるようになり、学生時代から感じていた生きづらさも消えさっていった。

 

自助会に通って1年ほど、「さかいハッタツ友の会」の石橋尋志さんと出会ったことをきっかけに、2019年12月に「京都ムーン」を開始。現在は転勤したために、若い参加者に主催を引きわたしている。

 

AB蔵さんは語る。「発達障害はまだ社会に理解されにくい現実があります。私は会社でオープンにしても、うまくいきませんでした。社会は簡単に変わらないというのが正直な実感です。社会を変えたいと思うのであれば、まずは自分が変わること。自分が変われば、周囲が変わっていく」。

 

「本を読んで、発達障害に関する知識を得てほしい。しかし、それ以上に当事者と繋がれる場に足を運んでほしい。ほかの当事者の人とも話せば、どういうところで失敗するか、自分の特性に理解を深めて、自分を受け入れられるようになっていきます。SNSが発達しているおかげで、情報を得やすい状況です。コロナ禍によって、オンラインの自助会にも簡単にアクセスできるようになりました」。

 

「他人のことを思いやることも大切。人によって発達特性をどれだけ受け入れているか、程度がかなり異なる。自分ができることで人にできないこと、自分ができなくて人にできることがある。特性や知能指数を抜きにしても、当事者はみんな現実の社会で傷ついて苦労し、結果、この界隈に辿りついています。お互いの状況が違うことを意識して、よい形で交流できると良いですよね」。

 

AB蔵さんは、1歳8か月の息子さんをあやしながら、インタビューに答えてくれた。さすが「オール5」を経験した陸上部の元キャプテン。AB蔵さんをまぶしく感じる私だった。

(横道誠「発達界隈通信!」第11回了)

 

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