第8回 なんとか言語化していくことで、繋がっていき、救いが生まれます【さくやさん@6次元さん】

第8回 なんとか言語化していくことで、繋がっていき、救いが生まれます【さくやさん@6次元さん】

2021.4.26 update.

横道誠(よこみち・まこと) イメージ

横道誠(よこみち・まこと)

1979年生まれ。京都府立大学の准教授で、専門はドイツ文学研究・比較文化研究。子どものころから「稀代の変人」として、生きづらさに苦しむ。能力の凸凹(でこぼこ)が激しかったが、研究能力に秀でていたため、長年医学的な診断を受けずにいた。だが40歳のときに二次障害を起こし、41歳でついにASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)の診断を受ける。
2021年に上梓したばかりの当事者研究の本(ほぼ自伝?)の『みんな水の中』(シリーズケアをひらく、医学書院)が初の単著単行本。

Twitterアカウント:
https://twitter.com/macoto_y(研究者・著者として)
https://twitter.com/macoto_1(自助グループ主催者として)

 

さくやさん@6次元さん(以下、「さくやさん」)は50代、関西在住、ADHD(注意欠如・多動症)、双極性障害II型を診断されている。

 

北陸で育った。父方の祖父と祖母、父、母、2人の姉妹と1人の弟の8人家族だった。祖父と祖父の弟は「非常に情が深くて、人懐っこくて、人が嫌がることを率先してやってました」。叔父(父の弟)にも似たような面があって、「多動傾向でした」。

 

ADHDの特性が男子たちによく遺伝していた。さくやさんは女の子だったが、同じ特性を継いだ。男の子なら許されたことが、「女の子なのに」と非難され、厳しく躾けられて、「男の子なら良かったね」と言われた。自己肯定感が育たなかった。

 

姉が優秀で知能検査をすると130もあった。その姉といつも比べられて育った。時代は昭和の高度成長期。当時は発達障害の概念もなく、「どうしてあなたは忘れやすいの、落ち着きがないね」と指摘され、劣等感は深まるばかりだった。現在では発達性トラウマ障害になったのだと考えている。

 

発達特性上、立体の把握が難しく、斜視がそれを強化した。手先が不器用で、あやとりができなかった。折り紙がずさんに仕上がってしまう。お手玉ができない。眼が悪いからからだと思っていたが、発達性協調運動症のせいかもしれない。10歳のときに大学病院に連れていかれて、全身麻酔で眼を手術した。

 

中学に入って、勉強が分からなくなった。特に家庭科ができない。先生に眼をつけられて、説教をされて、不登校になった。しかし家を仕切っている祖母が怖く、いやいや学校に戻った。

 

祖母によって、小さいころから友だち付き合いは禁止されていた。部活も禁止。こっそり破っていたが、つらかった。学校にも家にも居場所がなく、マンガの立ち読みを2時間、3時間としていた。『手塚治虫全集』を読んだ。流行していた松本零士の『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』も読んだ。

 

母は姑との関係をこじらせて鬱状態になり、祖父母が家を出ていくことになった。そうして初めて、父親と母親は実質的な親になった。登校拒否を半年したため、入った高校は偏差値が低い「ヤンキー高校」。しかし、ある国際団体の交換留学に誘われ、カナダに行くことができた。「お勉強ができない状態で行ったので苦労しました。地頭が弱いから半年くらいかかりましたが、生活に困らない程度の英語は話せるようになって帰ってきました」。

 

留学中に、苦手なことを捨てることに目覚めた。苦手な教科に関しては、先輩から過去問をもらって、丸暗記して試験を受ける。隣に下宿している女子大生に勉強を教えてもらった。コミュニケーションを通じて学ぶことで、理解が進むことを知る。インベーダーゲームが流行し、やってみたところ、「私は頭と手が繋がってないぞ」と感じた。

 

親はさくやさんに、「良いお嫁さん」になってほしいとも、留学したのだから社会でも活躍してほしいとも願っている。家事は苦手だから、短大に入って、そのあと結婚するという選択は選べない、とさくやさんは判断した。

 

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京都の単科大学に入った。留学中に多言語話者と交流したことに影響されて、英語に近い印象があったスペイン語を勉強しようと思った。語学以外の授業はなるべく取らないことに決める。頼まれたときには、日本人留学生や外国人の世話をやいた。話すのは不得意でなく、「発達障害の強みを生かせた」と振りかえる。

 

男女雇用均等法が施行された時代だが、「四大出でも田舎では事務職しかなくて」とさくやさん。地元で経営コンサルタント会社の事務を2年務めた。しかしワープロを打ちまちがう、電話を聞きまちがう、ファックスの紙の裏表を覚えられない。「特性の悪いところを発揮しちゃって、詰みました」。

 

大学時代から交際していた男性と、25歳で結婚。「結婚に逃げたんです」。相手の父も自分と同郷で縁を感じた。関西に戻って、現在まで住んでいる。

 

「結婚生活の苦労は」と尋ねると、「役割をこなしきれないんですね。娘としてもこなせなかったけど、妻としてもこなせなかった。特にしんどかったのは、人間関係の距離感。もたもたしていて、優先順位が分からない。不器用だから、息子の体操着のゼッケンを縫えず、半泣きになって縫いました」。

 

それでも完全に壊れなかった理由について、「いい母親になろうと思わなかったのが、幸いしたのかな。たぶん」と考えている。自分の母親を見ていて、頑張りすぎると、かえって悪い方向に行くと想像できた。しかし、夫の期待に応えなければならないと焦る。「ちゃんとお嫁さんしなくては」。

 

舅と姑が近くに転居してきたが、どのように接して良いのか分からなかった。子どもは高校や大学を受験して、その世話で大変。「その時期がいちばんグルグルしてましたね。どの役もこなせない」。姑が認知症になったが、手に負えないと感じた。「人の気持ちが分からないんです。夫はもっと察してもらいたかったようですね。私がお母さんのこと、ちゃんと世話をしなかったのを、いまでも不満に思っているみたいで」。

 

『こころの元気+』という雑誌を購読していて、当事者研究を知った。いまでも自分なりの当事者研究をおこなっている。舅が亡くなり、子どもが成人し、姑が老人ホームに入って余裕ができた。だがいつまでも鬱が治らないため、夫婦仲が悪化。発達障害に関するマンガを読み、テレビ番組を見た。インターネット上でADHDのテストをやって、高得点を取った。

 

2018年、さくやさんは専門医を見つけて受診し、発達障害だと診断された。大阪心斎橋の発達障害アートギャラリーカフェ・バー「金輝」に行き、人脈が生まれた。大阪の各種の自助会に繋がった。滋賀の自助会「異才ネットワークIROIRO」にも参加する。

 

さくやさんは語る。「自助会にありがたさを感じています。ぜひ参加してみてください。SNSで繋がると、知りたい情報がどんどん得られます。私たちは言葉で表現するのが苦手なことが多いと思います。そこをなんとか言語化していくことで、繋がっていき、救いが生まれます」。

 

このインタビューのために、さくやさんは言語化能力をフル活用してくれた。

(横道誠「発達界隈通信!」第8回了)

 

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