第6回 当事者と非当事者の視点、感性、経験を組みあわせたものが、社会を良くすると考えています【Tenさん】

第6回 当事者と非当事者の視点、感性、経験を組みあわせたものが、社会を良くすると考えています【Tenさん】

2021.4.19 update.

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横道誠(よこみち・まこと)

1979年生まれ。京都府立大学の准教授で、専門はドイツ文学研究・比較文化研究。子どものころから「稀代の変人」として、生きづらさに苦しむ。能力の凸凹(でこぼこ)が激しかったが、研究能力に秀でていたため、長年医学的な診断を受けずにいた。だが40歳のときに二次障害を起こし、41歳でついにASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)の診断を受ける。
2021年に上梓する当事者研究の本(ほぼ自伝?)の『みんな水の中』(シリーズケアをひらく、医学書院)が初の単著単行本。

Twitterアカウント:
https://twitter.com/macoto_y(研究者・著者として)
https://twitter.com/macoto_1(自助グループ主催者として)

 

Tenさんは23歳、大阪府在住。LD(学習障害)とADHD(注意欠如・多動症)を診断されている。

 

保育園に通っていたころ、発達障害ではないかと指摘され、LDの診断を受けた。小学3年生になっても、ひらがなの読み書きが困難だった。周りとのコミュニケーションがうまくいかず、教室の窓から飛びおりようとしたが、先生に静止されて未遂に終わった。親が発達障害のことを説明してくれた。いろいろ尋ねたがよく分からず、「文字の読み書きができない病気?」といぶかしんだ。

 

親は小学校や教育委員会に要望を出しつづけてくれた。学校ではいじめを受けて苦しかったが、自宅にも居づらさを感じた。親は、良いことをしても悪いことをしても発達障害に関連づけることが多く、Tenさんには不満だった。「家にいるくらいなら学校に行こう」と考え、不登校にならなかった。

 

小学4年生から、担任に恵まれた。教師の手伝いをして可愛がられるようになり、いじめを止めてくれるようになった。「おとなと仲良くなれば解決できるんだ」というライフハックを見出した。公立学校の支援級に所属していたが、通常級の先生のほうが良くしてくれたと記憶している。高学年で、自分の発達特性や困りごとの説明の仕方を訓練させられた。「それがとても良かったと思うんです」。

 

中学生になると、病院が大学病院からクリニックに変わり、ADHDの診断を受けた。授業内容をちゃんと書きとめているかを確認するため、ノート提出が求められていたが、数学の教師はそれを廃止して、代わりに自学自習ノートの制度を設定してくれた。自分のタイミングで勉強して、それを提出すれば良いというもの。これがTenさんには勉強しやすかった。ほかの授業では、友だちのノートをコピー機で複写して、糊で貼りつけたり、ゆっくり書写して良いように配慮してもらえたりした。

 

音楽の時間は、リコーダーを吹くのが苦手だった。担当教師が発達障害児向けの音楽教育の勉強を進め、特別に指導してくれた。親は変わらず学校に合理的配慮を訴えかけていて、教師たちが応えてくれた。しかし支援級の教師たちには保守的な傾向があり、勉強の指導があまり楽しくなかったと語る。

 

高校には支援級がなく、通常の教育を受けた。中学までよりも印刷機の性能が良く、配布プリントの文字が鮮明だった。「めっちゃ読めるやん」と驚いたという。漢字検定9級(小学2年生レベル)の勉強をして、なんとか合格した。

 

定期試験では自分の特性に合わせたテストを準備してもらえた。担任の教師は、日本語が苦手な帰国子女を担当したことがあった。しかしほかの教師は、対応や配慮にバラつきがあった。

 

部活動では、機械工学、電気工学、電子工学、情報工学の知識と技術を総合するメカトロニクスに励んだ。国際的なロボット競技大会「ロボカップジュニア」のレスキュー部門に挑戦する。部内では人間関係も円満で充実していた。

 

自分が発達障害者だということは教師など一部のおとなにのみ告知していたが、高3の終わりになって、部のチームメイトにカミングアウト。「なんでそういうこと、もっと早く言ってくれへんかってん」と声を掛けられ、受けとめてくれた。「それがとても嬉しかったですね」。

 

アルバイトでは、障害者のヘルパーとして勤めた。毎回、手書きの報告書を提出しなければならない。読み書きが困難なTenさんは、スマートフォンで入力してから、それを手書きで転写していた。事情を知らない上司に厳しく叱責された。耐えられず、自分にはLDがあると打ちあけた。「そういうのがあるんやったら、もっと早く言ってくれよ」と注意されたが、受けいれてもらえた。「友だちにも上司にも受けいれてもらえ、転機になりました」。

 

高校のときに親にパソコンを買ってもらって、できることの選択肢の幅が広がっていった。もともとは医療系のエンジニアを目指していたが、大学入試のために取得した同行援護従事者の講座に影響を受けて、障害学に関心が移った。

 

私立大学に進学し、医療系の学科で合理的配慮を申請。教員によっては何も配慮してくれず、高校のときよりもさらに対応にバラつきがあった。違ったのは、スマートフォンやパソコンの持ち込み、録音が許可されていたこと。板書をスマートフォンで撮影できた。撮影が禁止されている授業では、友だちのノートを写真で撮らせてもらって、あとから書きうつした。

 

医療系のコースだったが、制度上はまったく異なる専門に進むことも可能だったのを利用して、情報教育の研究室に入った。論理回路を簡単に学べる教材があったら良いなと考えて、教員や先輩とそれを開発した。1回生のときから学会発表をおこなった。

 

2回生になり、発達障害の問題に取りくみたいと考え、文字を覚えやすくする教材を開発する。ひらがなを3Dプリンタで立体にして、それを触ったりなぞったりして学ぶ。ひらがなの書き方をアニメーションで理解できるプログラムを開発し、学会でポスター発表をおこなった。

 

20歳を機に、個人事業主として「Ledesone」(レデソン)を起業。セミナー、ワークショップなどを開催したが、どの企画も長続きしない。「自分はどこを目指してるんやろう」。迷走していると感じた。

 

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Tenさんは、発達障害や精神障害の分野ではテクノロジーがあまり活用されていないことに眼をつけた。起業してから2年目、「ハッタツソン」と称する企画を立案。原型はアイデアソンとハッカソン。新しいアイデアやソフトウェアを生みだすために、エンジニアがチームを組み、マラソンのようにして、数時間から数日間の時間を徹して作業に集中するイベント。ハッタツソンは、健常者のエンジニアと発達障害の当事者がチームを組んで、新しいアイデア商品を開発するというもの。イベントを告知した時点では反応が少なかったが、実際に開催すると、大きな反響を得た。しかも生まれてくる商品は、しばしば発達障害者だけでなく定型発達者にも有用だった。

 

「ぼくがいま取りくんでいるのが、ユニバーサルデザインとインクルーシブデザインです。発達界隈では、当事者だけで集まる傾向が強い。でもぼくは、当事者の視点を、当事者でない人に伝えていく活動がすごく必要だと感じています。当事者と非当事者の視点、感性、経験を組みあわせたものが、社会を良くすると考えています。この考え方を、もっと広めたいです」。

 

Tenさんに趣味を尋ねると、SEKAI NOOWARI、TOKIO、星野源、葉加瀬太郎、東京スカパラダイスオーケストラなどの音楽を好むと教えてくれた。秋本治のマンガ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』や、そのテレビドラマ版(香取慎吾主演)、尾田栄一郎原作のアニメ版『ONE PIECE』も、好きだと言う。「でもいちばんの趣味は……」と話しかけると、「もちろん会社経営ですね」と答えてくれた。

 

 

 

(横道誠「発達界隈通信!」第6回了)

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