第4回 発達障害に関わるさまざまなことを応援していきたい【石橋尋志さん】

第4回 発達障害に関わるさまざまなことを応援していきたい【石橋尋志さん】

2021.4.12 update.

横道誠(よこみち・まこと) イメージ

横道誠(よこみち・まこと)

1979年生まれ。京都府立大学の准教授で、専門はドイツ文学研究・比較文化研究。子どものころから「稀代の変人」として、生きづらさに苦しむ。能力の凸凹(でこぼこ)が激しかったが、研究能力に秀でていたため、長年医学的な診断を受けずにいた。だが40歳のときに二次障害を起こし、41歳でついにASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)の診断を受ける。
2021年に上梓する当事者研究の本(ほぼ自伝?)の『みんな水の中』(シリーズケアをひらく、医学書院)が初の単著単行本。

Twitterアカウント:
https://twitter.com/macoto_y(研究者・著者として)
https://twitter.com/macoto_1(自助グループ主催者として)

 

 石橋尋志さんは42歳。大阪府堺市在住。ADHDと診断されている。

 

 小学生のとき、授業を集中して受けられず、教室から脱走した。校長室に閉じこめられても、抜けだして裸足で帰った。普段はニコニコしているけど、ブチギレると大変だった。あだ名は「ジャイアン」。忘れ物の名人だった。宿題はほとんど出さない。夏休みの宿題は一度も出せなかった。車に跳ねとばされたり、自転車をぶつけたり、ランドセルが空っぽのまま登校したりした。「まあ、笑える範囲です」と語る。「小中学生のころは、無茶苦茶やけど、楽しく過ごしていました」。高校入試の出願を忘れたが、特例で認めてもらえて、なんとか受験できた。

 

 高校生になったが、空気が読めないことにも、その問題性にも気づかなかった。あいかわらず提出物を出せない、締め切りを守れない。勉強に付いていけなくなった。運動能力のなさも自覚した。大学生になって、楽しく過ごしたものの、単位を取得するための自己管理ができず、1年留年して卒業。

 

 大学在学中、小学校教員の母親が発達障害の研修会に行き、自分の子がまさにそうだと驚いた。そうして石橋さんは、自分がADHDなのだと知った。2000年に邦訳が刊行されて話題になっていたサリ・ソルデンの『片づけられない女たち』(WAVE出版)を読んだが、「自分と似た人が海外にはたくさんいるんだな」くらいにしか感じなかった。自分の困りごとは深刻ではないと感じていた。

 

 石橋さんは、いわゆる氷河期世代。運よく大手通信会社への就職に成功したが、同期の社員にできることが、自分にはできない。特にマルチタスク。営業成績そのものは良かったが、事務処理ができない。書類が作れない。約束の時間を守らない。電話をとっても、要点をメモできない。

 

 転職を繰りかえし、5社目の建設会社にようやく腰を据えた。26歳になって結婚したが、仕事はうまく行かない。母親の言葉を思いだして、ADHDについて調べたが、当時は発達障害者支援法の施行前後という時代。インターネット上の情報も少なかった。なんとか大阪に自閉症の自助グループがあることを知り、ADHDの人も歓迎するとのことだったため、参加した。

 

 そこで発達障害児の母親たちに出会い、病院の情報を得、27歳で診断を受けた。当時は認可されていたリタリンを処方された。飲むと、よく効いた。「まあ覚醒剤ですからね。飲んで1、2時間すると薬が効いて、頭が冴えわたった。8時間が経つと、また「おばか」に戻る」。定型発達者と発達障害者はこんなにも違うのか、と驚いた。ずっともやもやした世界に生きてきた。薬を飲んで、初めて「クリアに生きる」ことができた。「みんな、せこいわ!」と感じた。

 

 仕事では、自分なりの失敗のパターンを分析し、工夫をしたが、完全な解決には至らなかった。どうしようかと思案する。診断を受けてから3か月が経ったころ、たまたまカフェで出会った中年女性と、自助グループを作ることを立案。大阪市より南に発達障害の自助グループがなかったため、堺にもぜひ欲しかった。

 

 そうして2006年、「ブルームーン」ができた。「それが、すごく効果があって、薬よりもすごかった」と石橋さん。自助グループでは傷の舐め合いが起こるのではないかと不安だったが、共感できるし、してもらえる。半年くらいはふたりだけだったが、そのあとどんどん参加者が増えて、40人を超えた。教師になる人も反面教師になる人もいて、勉強になる。発達障害のいろんなパターンを知って、まだ体験していない事態への対処法も学んだ。

 

 「ブルームーン」は平日の午前中に開催していて、当事者の母親が多かった。参加した当事者には、自分の親への恨みつらみがあることが多く、まもなく当事者側と母親側で喧嘩が始まった。これはまずいということで、グループを分割。「ブルームーン」は当事者の母親向けにして昼の開催、新設した「ハーフムーン」は当事者向けにして夜の開催とした。

 

 自助グループを分割することで、崩壊を防ぐという解決法。グループ間を行き来していけないわけではないが、キラいな相手がいれば、その相手が行くグループには行かないという対処ができる。ブルームーンもハーフムーンも、どんどん人数が増えたから、また喧嘩が起きるまえに、別の曜日に「ピアズムーン」と「クォータームーン」を作り、分割した。グループ全体を「さかいハッタツ友の会」と呼んだ。グループは堺市で増殖し、やがて堺市の外の大阪各地域へ、さらには大阪府外の近畿圏へと広がりだした。男性限定の会、女性限定の会、企業側と対話する会などもできた。15年が経った2021年、グループは31個。私が京都市で主催する「月と地球」もそのひとつ。結果として、「さかいハッタツ友の会」は日本最大の発達障害自助グループへと成長した。

 

 石橋さんの師匠は、広野ゆいさん。「さかいハッタツ友の会」の初期に、「こっから先どうしていこうか」と悩んだ。大阪市内に発達障害のNPO法人があると聞き、その「DDAC(発達障害をもつ大人の会)」を率いる広野さんに会いに行った。石橋さんは、DDACが開催する「ピアリーダー研修」を受講する。広野さんの紹介でNHK教育テレビジョンの番組『ハートネットTV』の発達障害特集にも出演した。

 

 グループが増えていくうちに、自助グループが小規模でも、それを主催することで、能力や自己肯定感があがるということに気づいた。フランク・リースマンが言った「援助者セラピー原則」を、ありありと感じた。自助グループを日本中に広げたいと思うようになった。「どこでも立ちあげてほしい。難しいと思うかもしれないけど、そんなことはありません」。かつて、多くの発達障害自助グループが生まれては消えた。石橋さんは言う。「開催方法がややこしすぎるんですね。ちゃんとやろうとすればするほど、主催者がしんどくなって、バーンアウト、燃えつきる。ほかのグループでもそうだし、「さかいハッタツ友の会」のグループでも、そういうことはあった。いらんことはしないでと言いたい。主催者は部屋を予約して、会場に行くだけ。ファシリテーションが下手でもいい。参加者が0でもいい。毎月淡々と、自分のやることをやるだけ」。

 

 そこから、石橋さんは発達障害者のライフハックを得た。「できへんことを頑張ってたら、自分が得意なことさえできなくなるスパイラル、それに自分も入っていたと、あるとき気づいた。みんな情報に翻弄されて、あれこれもせなあかんと、思いこんでるんやね。情報を消すことはできないけど、自覚してお付き合いをしていくことはできる。定型発達者みたいになるのを諦めた途端、アホはアホのままで生きていこうと決めた途端に、生きやすくなる。諦めてゆき、いろんな人が救われていく。この考えを広めることが、自分の人生の使命と考えた」。

 

 発達障害について考える上で、定型発達者もそんなに変わらないと思うようになった。「仕事をしてても、転職してもうまく行かへん。それなら、いますべきことを淡々とやっていくだけ。それを見てる人が必ずいるから、ラッキーチャンスがやってくる。クランボルツの言う「計画的偶発性」。それで人生は開かれていく。結局は運。たまたま良い人に出会った、たまたま良いことが起こった、そのたまたまを期待して毎日淡々と生きていく。思い通りに行かないことがあっても、自分にできることだけに集中する。嬉しいことも悲しいことも、そうかそうかと流す。「人間万事塞翁が馬」。結局は時代に翻弄されて、浮き沈みが起こる。淡々としてても、波乱万丈になる。へたに動いて消耗してはならない。上善は水の如し。淡々と。ただし、それがどろんこになることはある。生活保護をもらってでも生き延びてゆけばいい」。

 

 石橋さんは、自分の敵を「昭和の呪縛」と呼ぶ。「多くの人が、右肩上がりだった時代の価値観のまま、令和の時代も生きている。男も女も、老いも若きも縛られている。この呪縛がなくなることはないかもしれへんけど、自覚することで、自覚することで上手にお付きあいできるようになる」。石橋さんは続ける。「特にお母さんがたに伝えたい。お母さん自身がしんどくなるし、お母さんがしんどくなると、子どもたちもしんどくなる。それが発達障害の問題で真っ先に取り組むこと。自分も親になったから、よく分かる。子育てをしようとすると、急に「昭和の呪縛」に取りつかれる。特に女の人がそうだと感じます。女の人のほうが世間の風潮に敏感だからかもしれない」。

 

 仏教者のうち、親鸞が好きだという。浄土真宗といえば今では「お葬式仏教」だが、親鸞自身は原始仏教に近い考え方をしていたのではないか、と想像する。「私生活のだらしなさが魅力的。坊さんなのに、修行せんでもいい、結婚してもいい、肉を食べてもいい、酒を飲んでもいい。何かを能動的にやるのではなくて、受動的に日々を受けとめていく」。石橋さんの話が深まる。「これはけっこう難しいんちゃうかな。人間てなんかしたくなる。だから親鸞は、じゃあ念仏でも唱えとけよと思ったんやないかな。唱えていると、トランス状態になって、気持ちいい。仏様から見たら、人間は成長してもしなくても塵。淡々と生きて、できることだけ精一杯していたら、結果的に仏になる。「まあいっか、それで」と諦めれば、手に入る」。

 

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 岸見一郎と古賀史健の『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)にも影響を受けた。「自他分離」を革命的だと感じた。つまり、自分の問題と他人の問題を峻別する考え方。この自他分離によって、自分が洗われる。スティーブン・R・コヴィーの『7つの習慣』(キングベアー出版)にも同じ考え方を発見した。自分がコントロールできないことは諦め、自分がコントロールできる事柄だけに集中する。自分のなかで歯車が噛みあった。「「世の中の問題って2種類に分けられる」って考えて、整理したら、生きづらさが一気になくなるんですよ。以来、どんな相談が来ても、助言できる。自分の問題と他人の問題の区別を納得してもらうだけ」。

 

 自助グループとは、自分について語るもの。話しているうちに頭のなかが整理されて、「そっか、そういうことか」と悟る。共感してもらって話しやすくなり、質問されて、考えを深めることもできる。「無駄話のなかに答えがある」と石橋さん。

 

 石橋さんは、自助グループには「オープンダイアローグ」の効果があると考える。臨床心理学のカウンセリングとは違う効果がある。自分でも語り、他人の話も聞いているうちに、段々と自分のなかの答えが気づかれてくる。「そのシステムを素人が運用できる、しかも0円でできる。すげえなと思った。支援者を増やすよりも、発達障害に向きあった当事者を増やすほうが速い。へんな支援者よりも、トンネルを抜けた発達障害者のほうがよっぽどいいこと言うしね」。

 

 石橋さんのTwitterアカウントには、1万人以上のフォロワーがいる(@ihi1484)。「さかいハッタツ友の会」の宣伝には困らない。コロナ禍以前の参加者は、年間のべ人数3000人近くだったかもしれないとのこと。「一緒にやってる主催者たちの応援をできたら良いなと思う。「さかいハッタツ友の会」だけに限らない。発達障害に関わるさまざまなことを応援していきたい」。

 

 石橋さんは家庭生活も充実している。「嫁は理解者ではあるけど、もっとも鋭い指摘をしてくる。憎らしいけど愛しいパートナー。息子は6歳、HSP傾向あり。「パパはアホやけど優しい」って言ってくれます」。

 

 ロバート・レッドフォード監督の映画『リバー・ランズ・スルー・イット』が好きだという石橋さん。「いろんな生き方を試してみるけど、結局はもとの場所に戻ってくる。人間ごときが足掻いても無駄と教えてくれる」。苦悩に満ちた、メッセージ性のあるアニメが好きだ。そこに「文学を感じる」。ジブリアニメ、『エヴァンゲリオン』、『進撃の巨人』、『鬼滅の刃』。

 

 数年前、居住している堺市南区の区役所が、町おこしのアイデアを募集した。そのプレゼン大会で、中年女性のアイデアを聞いた。「自分のうちにレモンの木があって、たくさん取れる。この地域にレモンは合ってると思う。名産品にしたらいい」。石橋さんは「これだ!」と思った。区内の山がちな地域では、高齢化が進んでいて、休耕地がたくさんある。管理するからただで貸してくれというと、いくらでも貸してくれた。そこにレモンの苗木を植えていく。斜面でも育てられる。「育てるのはめちゃくちゃ簡単。味も関係ない。レモンやからひたすら酸っぱい、甘くなくても問題ない。植木鉢で育てられるから、都会的で魅力的。いつか商品化する工程を、仕事に困っている発達障害者の仲間がやる仕組みを作れんかなと考えてる」。

(横道誠「発達界隈通信!」第4回了)

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