第3回 自己肯定感をあげたいんですけど、「ホメ療法」は恥ずかしくて【白髪葱@ADHDさん】

第3回 自己肯定感をあげたいんですけど、「ホメ療法」は恥ずかしくて【白髪葱@ADHDさん】

2021.4.05 update.

横道誠(よこみち・まこと) イメージ

横道誠(よこみち・まこと)

1979年生まれ。京都府立大学の准教授で、専門はドイツ文学研究・比較文化研究。子どものころから「稀代の変人」として、生きづらさに苦しむ。能力の凸凹(でこぼこ)が激しかったが、研究能力に秀でていたため、長年医学的な診断を受けずにいた。だが40歳のときに二次障害を起こし、41歳でついにASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)の診断を受ける。
2021年に上梓する当事者研究の本(ほぼ自伝?)の『みんな水の中』(シリーズケアをひらく、医学書院)が初の単著単行本。

Twitterアカウント:
https://twitter.com/macoto_y(研究者・著者として)
https://twitter.com/macoto_1(自助グループ主催者として)

 

 白髪葱さん(以下、通称の「ラガーさん」)は30歳、中国地方に在住。ADHD、アスペルガー症候群、軽度知的障害を診断されている。

 

 生まれは東京。幼稚園児のころに徳島県に転居した。絵を描くのが好きで過集中を起こし、終了の時間が来ても気づかなかったことを覚えている。レストランに行くと、テーブルの下に潜りこんで遊んだ。人の話を遮って喋りはじめる癖があった。

 

 小学1年生のときに『もののけ姫』を見て影響を受け、学校では四足歩行によって移動するようになった。2年生まで続けていたが、変人がいるという噂が大きくなり、やめた。このころから男子も女子も、恋愛対象だった。

 

 「記憶が点々としていて、繋がっていません。むかしのことをあまり覚えていないんです」と語る。周りの人が上辺だけで話をし、本音を隠していることに心がもやもやした。ワーキングメモリーが弱く、自宅で何度説明されても浴衣をたためず、母や姉に「普通はこれ覚えられるのよ」と指摘されたことを思いだす。

 

 小学5年生のころから不登校になった。中学時代も不登校。化粧をして学校に行くと、教師から「化粧を落とすか帰るかにしなさい」と怒られた。言葉通りに受けとめて、帰宅した。

 

「お金を積めば入学できる、全然勉強ができなくても入れる私立の高校でした」。しかし不登校のままだった。エレファントカシマシのファンになり、宮本浩次に影響を受けて、読書を始め、浮世絵に興味が湧いた。

 

 アルバイトをしたが、覚えが悪くてよく叱られた。自宅で「2ちゃんねる」を開き、自殺関連のスレッドばかり見ていた。高校2年生で中退。地元ではこの学歴では就職先が見つからない。姉の誘いに乗って東京に移住した。姉が見つけてきた書店でアルバイトをした。マルチタスクができなかった。クレジットカードの数字入力に何度も失敗して怒られた。視覚過敏のために店内の明かりが辛かった。店はデパートのなかにあったため、聴覚過敏によって雑音に苦しんだ。

 

 書店をいきなり辞めた。しかし就活の仕方が分からない。結局は別の書店で働くことになり、漫画喫茶でも働いた。休みの日はなかった。姉が家賃の高い家を希望したので、それに協力して稼いだ。

 

 18歳のとき、遠藤周作の『海と毒薬』をジャケ買いし、ファンになった。19歳のときには姉の影響で、吉本ばななを読むようになった。骨董市に行くようになり、浮世絵の収集に魅せられた。贋作ばかりつかまされたが、楽しかった。20歳ごろから落語の寄席に行くようになり、柳家小三治のファンになった。

 

 21歳で東日本大震災を経験した。両親と連絡が付かなくなったので東京暮らしが怖くなり、姉から離れて徳島に戻った。少しだけで良いから水商売をやってみないか、と友人に誘われて、ラウンジで働いた。「良心的なお店でした」と語る。だが誘ってくれた友人は失踪し、成績の良い新人が入って店が落ちつくまで辞められない状況になった。成績が良かったほかのラウンジ嬢が新しいママになり、彼女に付いて店を移った。

 

 美容整形、エステ、脱毛をして外見を磨いた。合計で7年、働いた。アルコール中毒になりかけた。男癖も悪かった。パン屋さんを見つけて、昼も働いた。新宿2丁目に遊びに行くと、占いバーで「占いに関係ないんだけど、あなたぼくと同じADHDだと思いますよ」と指摘された。

 

 そのころ、ラガーさんは同棲していた彼氏のモラハラ傾向に悩んでいた。「薬を飲んで、さっさと変なとこ治せ」と言われていた。治らないということを伝えるためにWAIS-III知能検査とMSPAを受け、主治医から「100点満点のADHDです」と声を掛けられた。「人生初の100点でした!」と語るラガーさん。

 

 発達障害の本を買って、やるべきことを毎日メモに書いて、手帳をつけて記録し、家事をすべて担当した。だが夜の仕事もしていたので、家事がなかなかできない。どんどん痩せて、お客さんから「病気か」と尋ねられた。ADHDの薬、コンサータを店からは「もう飲まないで」と請われ、彼氏からは「ちゃんと飲め」と責められた。彼氏から通帳と印鑑を渡せと迫られたが、断った。美容整形にかかった借金を完済し、相手と別れた。

 

 パン屋で働いていると、やはりよく叱られた。毎晩の睡眠時間は2、3時間。過呼吸を起こすようになった。ラウンジで自分のバースデーイベントがあった。コンサータと酒が混ざった。翌日、睡眠薬をオーバードーズして、自殺を図った。しかし飲んだ薬の量が少なく、死ねなかった。パン屋もラウンジの仕事も辞めた。「夜の仕事ではADHDの特性が有効でした」とラガーさん。

 

 元彼から連絡が来て、ふたたび交際開始。姉夫婦がインドに引っこす話が持ちあがった。買っていた黒猫2匹を引きとり、自分が実家で世話をすると約束した。彼氏から「俺の世話はどうする」と非難され、ラガーさんは「どうして責められるのか」と反論して、絶縁した。

 

 これまでの経験から男性も女性も、中性も無性も愛せるパンセクシュアルだと自覚していたから、LGBTのマッチングアプリを使って新しい恋人を探した。ある女性とマッチングし、最初のデートで待ち合わせに遅刻。だがマッチングした相手はADHDについて調べていてくれていた。何も怒られなかったのが嬉しく、その日のうちに恋人同士になった。その彼女は、アスペルガーの傾向と不安障害の気質を診断されていた。

 

 ラガーさんはカフェバーで働くことになった。店長がゲイで、ラガーさんに親近感を抱いてくれた。障害のことも、女性の恋人がいることもオープンにして働いた。

 

 インドから姉夫婦が帰省したときのこと。「収入に見合わずタバコを吸ってるのはおかしい」と非難された。相手は興奮し、ラガーさんに暴力をふるった。言葉による暴力も浴びせた。親友と彼女に「死にたい」と連絡をすると、ふたりが駆けつけてくれた。ラガーさんは「ちょっと水を飲んでくるね」と声をかけて台所に行き、キッチンハイターを飲んだ。携帯電話を落とし、その音で親友は異変を悟った。救急車がやってきた。

 

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 病院を出て帰宅したが、まだ滞在していた姉に無視され、水をかけられるなどした。友人が「一度私の家に逃げよう」と提案してくれた。療養してくると姉に伝えたが、滞在中に何度も電話がかかってきた。DV被害者の女性が入れるシェルターに隠れた。恋人の女性は不安症がひどくなり、ラガーさんは着信を拒否した。

 

 シェルターに入っているうちに生活保護を申請し、認められた。シェルターを無事に退所。無職だったが、男友だちのひとりと交際し、婚約した。しかし元カノとも連絡を取りあうようになって、ふたりのあいだで心が揺れた。

 

 ラガーさんは、今度は首を吊ろうとする。しかし失敗。閉鎖病棟に入院することになった。退院すると、トイレ用洗剤を一気飲みした。婚約者の男性が通報して、救急車が来た。だが、彼との婚約は破棄。元カノとふたたび付きあうことになった。

 

 ラガーさんはB型作業所に通った。精神的に追いつめられて、バスマジックリンを一気飲みした。恋人と女性同士の「婚約」をおこない、同じ街に住んでパートナーシップを結ぼうと約束しあった。

 

 働いていて、指輪を見た同僚が「彼氏がいるんですか、結婚しているんですか」と尋ねてきた。「彼女がいます」と答えると、「そういうことは濁すべきだ」と非難され、避けられるようになったので、傷ついた。

 

 最近、ツイキャスをやっていると、落語が好きな22歳年上の男性との出会いがあった。彼に恋愛感情が芽生えた、趣味が読書と落語で、自分と同じだった。「婚約」していた女性に別れを告げ、指輪を外した。以前自分を非難した同僚にそのことを話すと、職場には悪口が好きな人もいるから、気をつけたほうが良いという意味だった、との釈明。以来、仲良くなった。

 

 ラガーさんは日課として、Twitterに「ADHDのやったこと報告」を投稿している。「自己肯定感をあげたいんですけど、「ホメ療法」は恥ずかしくて」と、はにかんでくれた。

(横道誠「発達界隈通信!」第3回了)

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