第2回 自分たちは犯罪者じゃないんだから隠れなくてもいい【バードさん】

第2回 自分たちは犯罪者じゃないんだから隠れなくてもいい【バードさん】

2021.3.30 update.

横道誠(よこみち・まこと) イメージ

横道誠(よこみち・まこと)

1979年生まれ。京都府立大学の准教授で、専門はドイツ文学研究・比較文化研究。子どものころから「稀代の変人」として、生きづらさに苦しむ。能力の凸凹(でこぼこ)が激しかったが、研究能力に秀でていたため、長年医学的な診断を受けずにいた。だが40歳のときに二次障害を起こし、41歳でついにASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)の診断を受ける。
2021年に上梓する当事者研究の本(ほぼ自伝?)の『みんな水の中』(シリーズケアをひらく、医学書院)が初の単著単行本。

Twitterアカウント:
https://twitter.com/macoto_y(研究者・著者として)
https://twitter.com/macoto_1(自助グループ主催者として)

 

 バードさんは40代前半。東京都内在住。ADHD、ASDグレーゾーン、双極性障害II型を診断されている。

 

 父は有名な俳優。母も女優だった。姉と同じ幼稚園に通っていたが、自分の教室をよく抜けだして、姉や友だちの教室に遊びに行った。先生に「結婚してほしい」とプロポーズすると、「ちゃんと教室にいるようになったら結婚してあげる」と諭された。多動性を全開に発揮していた。

 

 小学生のころ、学校から家までは歩いて15分ほど。しかし、あいだにあった商店街の店の1軒1軒を回って、3時間ほどを費やして帰宅していた。ませていて、おとなたちが可愛がってくれた。その社交性の反面、みんなで一緒に何かをやることができず、協調性がないと通知表に書かれた。読書が好きで、語彙力が高かった。特に好きだった『20世紀全記録――Chronik 1900–1986』(講談社)を読みこんだ。だが、「芸能人の息子」として特別視されることが多く、自分が認められていないと感じていた。

 

 中学1年生のときに転居して、友だち作りに苦労した。空気が読めない。同級生から「おまえ、なに言ってんのか分かんない」と言われた。それでも、いじめられることはなかった。いわゆる愛されキャラ。「おいしいイジられ方をしている」と嬉しかった。試験中にぶつぶつ独り言を言う。「変わったやつっていう扱いを受けてましたね」。

 

 浅田次郎など、直木賞系の大衆小説を好んだ。大阪のスラム街、西成に関するノンフィクションを読んだ。太田出版の怪しい本を読んだ。データハウスの『危ない1号』などの「鬼畜」「悪趣味」系の本を好み、青山正明のファンだった。社会の闇に魅せられる。あるとき偶然テレビ番組で、当時はほとんど認知されていなかったADHDに関するアメリカの番組を見て、「おれ、これじゃん」と驚いた。

 

 勉強に打ちこんで、私立高校に進学した。神奈川県下でトップ5に入る進学校。勉強についていけなくなった。特に理数系が苦手。高2のときから夜のクラブに踊りに行った。世紀末の1990年代、規制は緩かった。家の2階から飛びおりて、こっそり抜けだす。「ドロップアウトです。でも犯罪はやりませんでしたよ。不良とかとはまた違う。早熟だったのかなと思います」。

 

 アルバイトとしてガソリンスタンドで働き、解体業に携わった。夏休みは稼ぎ時。ターンテーブルを買い、音盤を集めた。渋谷までアナログレコードを漁りに行った。高3のときには、将来はDJになりたいと考えた。「陰キャのくせに陽キャぶってた、みたいなところがありますね」。

 

 勉強はしなかったから、高校を卒業して、二浪した。1年目は懲りずに音楽三昧。だが、ふたたび受験に失敗して、自分は逃げてるだけじゃないかと反省した。大学に意味を見出さないのは、むしろカッコ悪いと思った。予備校の寮に入って受験勉強に本格的に取りくむ。第1志望の大学に落ちて、滑り止めの大学に進学。

 

 改めて、どっぷりと音楽に耽った。渋谷の大きなクラブでDJを務めた。大学には出席点を取りに行くだけ、学友からノートを借りて一夜漬け。1年留年した。相当ハメを外して遊んだ。クラブでレコードを回していて、日本人のヒップホップでは外国人が踊ってくれないことに不満を感じるようになった。テクノだとみんなが踊る。以来、このジャンルの熱烈な支持者。踊ってもらえると、自己肯定されていると感じる。当時の人気DJのランキングに名を連ねた。

 

2似顔絵.jpg

 

 音楽で食べていくんだと考え、就職活動を半端にしかしなかった。大学を卒業してから1年間はフリーター。両親の意向で劇団の研究所に入ることになり、1年学んだ。そして経験した数年間の芸能生活。舞台や映画、バラエティー番組への出演。「でも、なんとなくやってしまったんでしょうね。音楽のようには燃えませんでした。どうにかしてうまく行かないかな、くらいの運任せ。当然うまく行きませんでした」。同じく役者になった姉は、洋画や海外ドラマの声優としてブレイクしていた。自分との差に引け目を感じた。

 

 30歳になり、自分のやりたいことを真剣に考えた。「もの作りの裏方に回りたい。背後からみんなを触発したい」と思った。自分に向いているのはPRだと気づいた。ハローワークを通じてPR会社に入ったが、ブラック企業。「月月火水木金金」と休日がほとんどない勤務形態。でもコネができて、さまざまな人に可愛がってもらう。

 

 代々木公園でインドフェスが開かれ、ピクニックに出かけたときのこと。しこたま酔っ払って乱入したグループに、フィンランド人の女性がいた。日本語に明るい。連絡先を交換して、別れ際に「この人と結婚するんじゃないか」と天啓が降りた。押して押して、2週間後には恋人になっていた。1年後に同棲し、4年付きあって結婚。

 

 将来を見込まれて、別のPR会社に引きぬかれた。新しい会社はしっかりしたところ。3年、働いた。しかし協調性がなくて浮いてしまうのは、子どものころから変わらない。人間関係に疲れきった。自分一人でもできるんじゃないかな、と考えて独立。しかし喧嘩別れではない。新しい会社を立ちあげても、変わらず可愛がってくれる人がいて、仕事が入ってくる。その後、外資系のPR会社に誘われ、入社したが、半年でやめて、ふたたび独立。「その気になればフリーランスで、クローズで働くこともできるんだよって、言いたいです」。

 

 芸能人時代の末期、20代の終わりに、台本に「一生」という言葉があるのを見た。「おれの一生ってなんなんだ」と胸を打たれ、心が壊れた。泣きくずれて病院に行き、鬱だと診断された。だが、これこそ天職と考えたPRプランナーになっても、鬱はなくならず、薬も効かなかった。約10年後、41歳のときWAIS-III知能検査を受けて、初めてADHDと診断された。しかしインチュニブもストラテラも効かない。新しい病院に行き、ADHDだけではなくて、ASD傾向もあること、さらに双極性障害を罹患していると診断された。コンサータ、ラモトリギン、エビリファイを処方され、効果があった。

 

 その主治医から言われた。「あなたが持っているのは特性であって、障害じゃないから。特性のうちネガティヴに働くところだけを、減らしていきましょうね」。バードさんは涙を流し、言葉を噛みしめた。「そうか、おれは「へんな人間」じゃなくて、そういうことだったんだ」。何十年も抱えていた「業」のようなものが取れるのを感じた。自己肯定感がずっと低かったことに気づき、それをあげてもらったのだと感謝が湧いた。

 

 現在は、双極性障害の新薬として評判の高いラツーダを服用している。薬だけでは生きづらさは変わらないと指摘され、毎週グループワークに通って、メタ認知をあげる訓練をしている。妻は、ADHDは欧米諸国では「個性」だと教えてくれる。「ユニークな少数派のほうが好きだって言ってくれるんです」。

 

 フリーランスで働いているから、発達障害のことはオープンにするのは難しいと感じる。2020年の夏に「バード」としてTwitterのアカウントを作り、「みんなで焼き鳥をする会」を呼びかけた。多くの人が答えてくれて、楽しんでくれたことに感激し、発達障害の自助会をやろうと発案。アカウント名と1回目の「焼き鳥」から、名称を「チキン会」にした。しかしコロナ禍。現在はZoomを使って、緩めのピアサポートに取りくんでいる。関西の発達界隈とも繋がった。私が開催した「当事者研究バー」に来てくれて、感じるものがあったらしく、同じようなことを自分もぜひやりたいと語る。

 

 2021年2月に、SNSのClubhouseが日本でブームになった。ADHDがあっても生きづらさを感じていない人が集まっている部屋を見つけて、Twitterとの雰囲気の違いを楽しんだ。Clubhouseは本名での登録を要求している。「本名を出して危なくないですか」と尋ねると、「「バード」を卒業したい自分もどっかにいるのかなって思っています。自分が発達障害者だって言える世の中になって欲しい。自分たちは犯罪者じゃないんだから隠れなくてもいい。喘息とかアトピーと同じくらいの扱いになってほしいんです。色眼鏡で見られたくない。でも、バレない名前にしたほうが良いかも、ADHD関連の部屋に行かないほうが良いかも、と不安になることもあります」。

 

 「最後に読者にひとことを」と求めると、語ってくれた。「ひとりぼっちでは、絶対にないってこと。どうか抱えこまずに。絶対に誰かが共感してくれます。そして自分を責めないで。自分はよく頑張ってるって褒めてほしい。私も以前は自分を責めてばかりでした。そうしなくても良いと理解できたから、いまは幸せを感じています」。

(横道誠「発達界隈通信!」第2回了)

本連載のアーカイブはこちら

 

 

 

トラックバック

http://igs-kankan.com/mt/mt-tb.cgi/1290

コメント

このページのトップへ