第13回 恥ずかしいのに、演りたい

第13回 恥ずかしいのに、演りたい

2021.2.16 update.

中山求仁子(なかやま・くにこ) イメージ

中山求仁子(なかやま・くにこ)

2017年から18年まで、神奈川県のとある放課後等デイサービスの管理者として勤務。自身も幼少期から横綱級ADHDであり、現在は双極性障害も発症している。
大阪大学文学部美学科音楽演劇学コース卒業。高校時代よりモダンダンス、大学入学と同時に小劇場演劇を始める。2001年退団以降、人生自体が演劇のような双極 I 型ジェットコースターライフを送っている。韓国映画と韓流ドラマをこよなく愛す。

 

■「早春スケッチブック」と私の家族

 

大学に入学したのは1984年だった。前年、つまり高2の1月から3月に、「早春スケッチブック」というテレビドラマを観た。山田太一さんの脚本で、作品を一言で言うのはまるで好きじゃないけどあえて言えば、大人になろうとする青年とその家族一人ひとりの物語だったと思う。ちなみに、ドラマや戯曲を一言やあらすじで示せたら、書く必要などない。大学の演劇学の講義で最初に教えられたのは、「ある作品におけるあらすじと芝居はまったく別ものだ」という、当たり前と言えば当たり前のことだった。

 

それでも、おぼえているシーンを紹介してみる。

鶴見辰吾が演じる優等生の青年が、山崎努演じる血のつながった父親の存在を、高3の受験を控えた時期に知らされ、初めて会う。

二人を会わせた樋口可南子のワンレングスが素敵すぎて、似合わないのに髪型を真似たおぼえがある。だから卒業アルバムの私は、「聖子ちゃんカット」オンパレードのなかでひとり、大人びているというか、老けた髪型で写っている。

 

ドラマには、焚き火のシーンが多かったと思う。火を見ながら、大事な告白や心情の吐露、人生の決意を打ち明けるシーンを、我がことのように息を吞んで見つめたおぼえがある。私は自分の家族と引き比べた。勇気をもって真摯に、思いやりながら話し合おうなんて家族は、ブラウン管の中だけだと承知していたが、それでも衝撃だった。

 

高校の先輩たちの多くが目指し、入学している大学に私も行きたいと思っていたが、あきらめざるをえなかったのはその頃だ。理由は二次試験の必須科目である数ⅡBがまるきり理解できなかったからだ。父に泣きながらそう打ち明け、私は「ごめんなさい」と言った。すると父は、「なぜできないんだ」と怒り、「君の人生はそうやって大事なところで失敗するのだ」と言われた。涙があふれて止まらなかった。

 

■数字が入ってこない私たち

 

今考えると、数学が苦手なのはADHDの私の特徴だったかもしれないと思ったりもする。ADHDを持つ人の一部は数学が苦手というより、「数字が自分の中に入ってこない」現象をいつも抱えているように思う。文字に比べて数字というものが、とても遠い存在なのだ。金銭感覚もそれにつながり、私の場合は、双極の躁も相まって相当悲惨なことになる。

 

母の遺品に、私の小学校のときの担任の手紙があった。私の学業について、算数だけが恐ろしく苦手なようで心配だと書いてあった。小1ですでに特徴的だったのだから、ADHDだったのかなあと思う。

 

放デイのあおぞら園にもそういう子どもはたくさんいた。筆算の宿題の紙をテーブルに出して、途方に暮れている子どもがいる。私は「ああ」と、一瞬彼らの身になって一緒に途方に暮れるが、すぐに支援スタッフが横について、ていねいにひとつの数字と別のひとつの数字を足したり引いたりしていき、答えを完成させる。一緒だとできるけど、ひとりだとできない子どももいれば、一緒には絶対にしたくない子どももいる。

 

「電卓を使いたい」という子もいる。お母さんと話して、電卓を使う場合もあった。「電卓を使って全然いい」と思うときと、子どもと指や道具を使って数えてみるときと、ケースバイケースだった。答えはまるでなかったし、そもそも答えなどないように思えた。それより、お財布をたくさん用意して、偽のお金でお店やさんごっこをしたり、スーパーで買い物をして、お金を計算してみることのほうが子どもたちは数段好きだった。

 

私の話に戻ると、そういうことがあって、その頃から私は家族から抜け出したいと思い始めていた。翌年、熱く志望していた東京の大学と、地元の大学どちらにも宝くじが当たったように受かると、「東京には行かせない。あの大学に入ると、君は自由になって、挙句の果てに辞めたりしかねない」とまたも父に手ひどく言われた。さらに母からは「寂しいから行かないで」と泣きつかれ、結局、地元の大学に通うことになった。

 

「骨の髄までありきたりだ」と山崎努に言われ、鶴見辰吾は共通一次を受けなかった。それを思うと、白紙解答できなかった自分の不甲斐なさと、世の中の親というものの実情を感じて悲嘆に暮れた。が、勇気がなくて家出はできなかった。さらに卒業式では、同級生から「あんなに行きたいと言ってたくせに」という目でなじられ、そしりを受けた。「もうほっといてくれ」と卒業式から遁走したくなった。

 

だから私は、ブラブラとやる気なくその春を過ごした。私のこころには、桜など一輪も咲いていなかった。

 

■二人の酔っぱらいにつかまって

 

入学して間もない、サークルオリエンテーションの日。私はまるで行く気にならず、居間で松竹新喜劇を見てとりあえず笑っていた。母はそういう私を見ていたたまれないのか、「いってらっしゃいよ」とけしかけた。午後1時を回って、私は2時間近くかかる大学にとぼとぼ出かけた。

オリエンテーションは、もう終わろうとしていた。正直、私は高校時代に熱中したモダンダンスの研究所に戻る気力も失せ、何もかもがつまらなくなっていた。

 

キャンパスには、満開の桜並木が続いていた。そのいちばん手前の木の下に、二人の酔っぱらいがいた。机を出しているからサークルなのだろうけど、どう見ても怪しげだ。二人ともメガネをかけ、一人はもじゃもじゃのパーマ頭で、もうひとりは決定的に学生ではない年上の男の人だった。とっさに「かかわっちゃいけない」と思い、伏し目がちにふたりの前を通り過ぎた。

 

その先ではジャズのビッグバンドが演奏していた。明るくて、かっこよかった。「この明るさについていけるだろうか」とふと思ったが、入部希望のボードに名前だけ書いた。

 

帰り道、なぜかまた桜の木の下を通った。ふたりはますます酔っ払っていたが、「あ、どうですか。劇団でーす」と軽々しく声をかけてきた。私はなぜか立ち止まった。

「お芝居、しませんかー」と言われた。「どんな、お芝居ですか?」と聞くと、「楽しいですよー。歌ったり、踊ったり」。まさかこの人たちがミュージカル? と思い、「踊るって、どんな踊りですか?」と聞くと、「いや、これからなんですー」といい加減なことを言う。

 

「もしかして、踊りをやってたとか」と言われ、私は「あ、いえ、実は……」と告白してしまった。するとふたりの眼がキラーン☆と輝き、「そういう人を探してたんですー!」と、にこやかに椅子から立ち上がったかと思うと、すかさず握手を求めてきた。

 

ここまで書いて、30年前の出来事の本当にやっと気づいた。なあんだ、あれは宗教の勧誘そのものだったじゃないか。本当に私はマヌケだ。そしてそのとき、私は高校時代にお世話になったモダンダンスの研究所に戻るという正しい道からはずれ、こんな酔っ払いたちにつかまってしまったのである。

 

■カフカを高音&猛スピードですっ飛ばす

 

しばらくして新入生を集めた会があった。さびれた学生会館へ行くと、思いのほかたくさんの新入生が集まっていた。

もじゃもじゃが、「えー、これから、オーディションをします。このテキストを朗読してもらいまーす」と紙を配った。当時はまだコピー機がなかったので、青焼きだった。中身はカフカの『変身』の冒頭だった。

 

私は、国語の音読がまるで下手で苦手だった。なのに、なぜかそこに来て初めてそのことを思い出し、後悔した。

――なぜ劇団に入ろうとしているのだろう。

私はこころで首をひねった。

 

順番が回ってきた。私はとてつもなく緊張し、出したことのないような高音で、しかも早口に冒頭の文章を読み始めた。自分自身、「なんて声だ!」と信じられない気持ちになったが、その声と調子は変えようがなかった。

 

ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変わってしまっているのに気づいた。

(フランツ・カフカ著、高橋義孝訳『変身』新潮文庫・改訂版)

 

この小説を私は読んだことがあったが、まさか人前で朗読し、その朗読ぶりを評価され、自分のその後を左右するとは思ってもいなかった。しかし、人生とはそんなものかもしれないと、私はコントロール不能な舌の回転と、喉の詰まったような高音と、句読点もすっ飛ばした交通違反さながらの朗読を発しながら思った。そして、耳から入るそれらを聴きながら、その声をどこか他人事のように感じていた。そしてようやく、毒虫になったグレゴールが、自分の体の向きを変えることをあきらめる最後の文章にたどり着く。

 

この続きをその後、私はあらためて読んでいる。体の向きを変えようと100回も試みて、できないことに気づき、あきらめたグレゴールはそのあと、こう嘆息している。

 

  「ああ、なんという骨の折れる職業をおれは選んでしまったんだろう」

(同上)

 

はあ?

 

なんと、そこから続く彼の嘆息は、旅の多いサラリーマンとしての苦労、サラリーマンとして陽の目を見ない自分の状況、毒虫になりながら、サラリーマンとしていつもと変わらず働きに行くことばかりを語っている。自分が「毒虫になった」話はそっちのけだ。毒虫になってしまったことよりもサラリーマンとしての悲哀のほうがずっと大きかったのである。

 

そんなことがあるのか。

いや、そんなことはあるのだ。

 

人の悲哀は、推し量れない。それは、外から見えることとは別物なのだ。グレゴールにとって、毒虫の体は都合も勝手も悪いけれど、もし、いつものように服を着て、勤めに出られたならば彼にとって問題はなかったのだ。彼にとっての問題は、「勤めに行けない」ということであり、そうなると、自分の愛する家族を経済的に支えられなくなるということを悲しんでいるのだ。一方、その家族は、グレゴールが毒虫になった、そのことにおののき、身も心も離れていく。

 

私がその頃感じていた虚無感もまた、大学になんか入ってもぜんぜんうれしくないし、家族の中に信頼というものも、希望というものの尊重もまるでなかったのだと、思い知った気がしていた。そして、「早春スケッチブック」みたいなことは現実にはまるで起こらないのだという捨て鉢な気持ちを、その頃の私は抱いていた。

 

『変身』の冒頭は、今考えれば、あの頃の私にシュールに重なっている。不本意な進学、なぜか起こっているヘンな出来事……。そのときの私のヘン具合は、グレゴールが不思議な手足を使ってがむしゃらに動いて疲れ果てる、その様子に似ていた。

 

私は冒頭を一気にまくしたて、すぐに言い間違え、つかえて、さらにはイントネーションもムチャクチャに読み、最後は早口言葉のように舌が回転して散々に終わった。口から出ることばがスケートのように上面を滑って教室に散らばり、無残に消えていった。

 

■なんでこんなことやってんだ!?

 

私の朗読に、もじゃもじゃたちは、呆気にとられて一瞬沈黙した。

「えーと。おつかれさまでしたー」

と哀れみと困惑を含むことばを聞いたとき、私は何も言わずに椅子をカタンと後ろに引き、不機嫌に立ち上がった。「落ちた」ということばが胸に突き刺さった。ブクブクと深い海に落ちていくような、沈没ということばが浮かび、私は窒息しそうだった。でも、このまま沈んでも、もういいや、と思った。

 

――これ以上、みじめになりたくなかったのに。どうして、芝居なんかしたいと思ったんだろう。

 

オーディション会場の教室から走り出て、大きな溜息をついた。さびれた学生会館に面する大きな池には、アヒルが泳いでいた。のんきに池を泳ぐアヒルをこころでののしった。

 

私は池の上に広がる空を虚ろに見ながら、小学3年の頃を思い出した。教科書に載っていた『ピノキオ』をお芝居にすることになり、クラスでピノキオ役を選んだ。なぜか私を含む3人が残り、教壇に立ってみんなの投票を待った。あのとき私は、

 

「絶対に演りたくなくて、でもやっぱり演りたい」

 

という真反対のふたつの思いに強く引きさかれていた。足の付け根からガクガク震え、おしっこを漏らしそうになりながら、下を向いていた。やがて私は選ばれた。その頃、私は人生で唯一のモテ期を迎えていたからだと思う。あの頃のようなことは後にも先にもない。

 

さて選ばれると、とんでもない試練が待っていた。ピノキオは鼻が高いから、耳にかけるゴムのついた、紙でつくった高い鼻をつけろと言われたのである。

 

人生とは、なぜこう残酷で不条理なのだろう。私は恥ずかしくて恥ずかしくて仕方なかった。鼻も恥ずかしいし、セリフも恥ずかしくて、しかもゼペットじいさんは、よりにもよって、その頃密かに思いを寄せていた男の子だった。鼻をつけて男の子と向き合うのが恥ずかしくてしかたなかった。どうしても、最後に「おじいさん!」と抱きつく場面ができずに本番を迎えた。抱きつかなくてもいいじゃないかと台本に不満さえ抱いた。

 

不思議なことに、今でも私は一度きりの本番を、体育館のいちばん後ろから、ピノキオを演じる自分を見ている情景として思い出す。極度の恥ずかしさとの戦いの末、私は「解離」して自分を見るに至ったのかもしれない。そんなつらい思い出がありながら、性懲りもなくまた私はこんなことをしている。

 

――なんでだー、じぶん。

 

眼前で、アヒルが短い脚で小島を歩いている。左右に振るお尻にからかわれているようで、思いあまった私は足元に転がっていた石をアヒルに投げつけようとした。そのとき、「オーディションの結果が出るよー」と誰かが叫んだ。一瞬、結果は聞かずにそのまま帰ろうかと思った。が、気がつくと、私はとぼとぼとみんなの後ろをついて行っていた。

 

桜の木の下で酔っ払っていた年上の男性は、座長と呼ばれる劇団の主宰者だった。その座長が笑いながら、「オーディションは、嘘でしたー」と言った。呆気にとられ、同時に「コノヤロー」と思った。「弱小な劇団がわざわざ入ってくれる新人を蹴散らしたりしませんよー。みなさん、歓迎しまーす」とロン毛の男の人が悪びれず言った。もじゃもじゃが「新人公演をしまーす。組み分けしたので、分かれてくださーい」と言う。チームに分かれ、それまで見知らぬ同級生だった人たちと輪になって挨拶し合うと、突然、大学に入ったという気になった。

 

■ヘンな人たちに囲まれて

 

大学とは、私にとって劇団のことであり、芝居であり、それはこうしてアヒルの泳ぐ池のごとく、大きな敗北感とともに始まった。その後の芝居人生でも、敗北感が消えたことはない。湖のように広がったり、プールくらいに小さくなったりしたが、ただ15年間、私は窒息しなかった。「早口で何を言ってるかわからない」と言われ続けたにもかかわらず。

 

それは、私が何かを「できるようになった」からではないことを意味している。まわりがヘンで面白すぎて、そのなかにいたら、通常の勝った・負けた、すごい・すごくない、できる・できない、なんていうことにこだわるのがバカらしくなったからだ。

 

劇団では、誰もが、驚くほどバカらしいことを真剣にやっていた。笑わせよう、客席をさらおうと、自分や共演者と考えた、あの手この手を何度も練習して稽古場に持ってくる。そしてさらに試行錯誤して芝居の当日を迎える。

 

たとえば、もじゃもじゃは会社に入ってからも芝居を続けていたが、あるとき、「関電」という役をやった。ちなみに私は「関電」の部下で、その頃、崩御寸前だった昭和天皇の日々の脈拍を、天気予報のように毎回芝居で伝える役目だった。なんだかアブナイ役だったが、さて、もじゃもじゃだ。

 

初日のメイクを終えた彼の顔を見ると、白塗りだった。二日目は紅白だった。三日目の顔を私は予想していたが、青白赤のドーランを縦に塗っていた。まるでフランス国旗だった。「関電」だからヘルメットをかぶっていたが、フランス国旗のメイクと「関電」の役の内実には、表面的にはまるで関係する要素はない。あるとしたらそれは、「関電」を完全にパロディ化しようというもじゃもじゃの意気込みだったと思う。そのメイクについて、作・演出家は何も言わなかったが、私は一緒に芝居をしていて、どこに目があるのかわからず、それには困った。

 

ただし、この手法は別段新しいものではない。舞踏の多くは白塗りだし、ピエロもチャップリンも白塗りだし、金粉ショーなんかもあるから、驚くことではない。いわば、メイクはデフォルメや仮面としての道具だ。ちなみに夫はホームレス役のとき、鼻下ひげを三本線、眉毛を一続きに太マジックで描き、しわを漫画チックに引いた途端、唖然とするようなバカ芝居を怪しく自由自在に演じていた。

 

しかし、そうしたバカげたメイクに、稽古場の片隅でちまちまと練習し続ける小手先芝居に、どんな意味があるというのだろう。それはなんの得にもならないし、賞も取らないし、有名にもならない。何かを解決したりもしないし、社会のためにもならなくて、一回性の、瞬く間に消えていくものだ。けれど、みなそれに必死になる。舞台に立つことに切実なのだ。

 

■演らずにはおれないわけがある

 

人間が発する生身のことばもまた、たわいなく、素直で、切実なもののように思う。

 

おいしい、悲しい、寂しい、痛い、むかむかする、困った~、なあ、笑ってや、もう、あかん……。

 

そういうちまちました人間の小さな呟きは、恥ずかしさと目立ちたさに引き割かれ、宙づり状態であわあわしている卑小な、最も人間っぽい人間である役者だからこそ体現できるように思ったりもする。

 

たとえば、ある芝居のなかで、「行こう」と言うセリフに辿り着く。そのセリフは、本当に「行こう」なのか。「行こうかなあ」、「行くのは行くけど……」「行くって決めたんだから」「行きたいけど……」など、こころにいろんな「行こう」が渦巻く。けれど、体は違う。体に選択肢はない。嘘をつけないからだ。

 

すると、体にやがて、まるで反対の「行かない」が浮上してくる。「行こう」と言いながら、椅子から立ち上がらない、いや立ち上がれないその役の「行かない」は、卑小なことにこだわり、嘘をつけない役者の体にしかできない。みつけられない。それは、時折、人間というものの真実であったりもしないだろうか。

 

つまり、役者とは、口から自在にホラを吹き、嘘を巧妙につける人間ではなく、それとはまるで反対の、嘘をつけない人間なのだと思う。体が、自分の欲望や悲しみに素直なのだ。文脈から読みとれるコノテーション(含意)とは違う、役者たちの体による文脈がそのとき、その場にひそやかに、たしかに生成する。つまり、役者という体のもうひとつの文脈が立ち上がるのだ。

 

こうも言えると思う。「恥ずかしいけど、演りたい」役者の体は、すでに両義的だ。そして、その人が芝居をやるにはたいてい、わけがある。「演らずにはおれない」わけ。たとえば、世の中でくじけた傷というわけ。グレゴールが悲嘆に暮れながらサラリーマンとして生き、やがて毒虫となること。耳掛けゴムの鼻のピノキオになること。世の中はまるで思うようにいかないわけが散らばっている。

普通の人々は、世の中でその傷を癒そう、覆そうとするのかもしれない。しかし、傷を負ったまま、別の世界で自分を発現しようとする人間もいる。

 

私はその一人だった。ありふれているかもしれないが、家族の抑圧、できないことをそしられる悲観、そうしたものを抱えていた。私は、芝居という世界で、自分という体によって、何かを得たかったのかもしれない。

寄り集まった劇団員たちも同じような解放や爆発を体に潜ませ、危険な匂いを、自らは知らず、体から濃くにじみ出していた。

 

そして、芝居の世界に生きるうちに私は、いつしか社会の表層の、薄っぺらい「できる・できない」や「成功・失敗」ということを「つまらないし、わからない」と思うようなっていった。そして、そういうことからだんだんと離れ、遠ざかっていったのである。

 

20年後、私の体の底に流れ続けたその水脈は、放デイの子どもたちとの時間につながる。

放デイの子どもたちの、圧倒的な存在感、切実で特徴的なことばと体。

それを見て私は、懐かしくて、驚いたのである。

私にとってその世界は、笑ってしまうほど、既視感に溢れる世界だった。

放デイとは

 放課後等デイサービスのこと。発達障害・知的障害を持つ児童を中心に、肢体に不自由がある児童、排泄自立が困難な児童も含め、小学校1年生から高校3年生までの学齢期の児童が、支援や療育を受けるために学校や自宅への送迎により集まる通所サービス。1日の利用上限は約10名。対してスタッフ34名で支援する。

 マンションの一室やビルのワンフロアなど、決して十分に広いとはいえない空間で展開している場合が多い。そこに、学齢も性格も発達の道のりも違えば、障害の混ざり具合も、特性も、表出の仕方も無限にスペクトラムな児童らが集まる壮大かつ濃密な世界が広がる。

(中山求仁子「劇的身体」第13回終了)

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