第12回 暴言とよさこい

第12回 暴言とよさこい

2021.1.21 update.

中山求仁子(なかやま・くにこ) イメージ

中山求仁子(なかやま・くにこ)

2017年から18年まで、神奈川県のとある放課後等デイサービスの管理者として勤務。自身も幼少期から横綱級ADHDであり、現在は双極性障害も発症している。
大阪大学文学部美学科音楽演劇学コース卒業。高校時代よりモダンダンス、大学入学と同時に小劇場演劇を始める。2001年退団以降、人生自体が演劇のような双極 I 型ジェットコースターライフを送っている。韓国映画と韓流ドラマをこよなく愛す。

 

■泣かない子から手を洗う子へ

 

息子は泣かない子どもだった。赤ちゃんのとき、お昼寝から起きるとご機嫌にベッドにちょこんと座っていた。

 

2歳を目前に、川崎病にかかった。熱が出て、唇が赤ワインのように濃い赤色に変わった。

かかりつけ医に「なんだろうねぇ。溶連菌かな」と言われて自宅に戻ると、今さっきかかっていた医師から電話があった。

「川崎病かもしれない。大阪の病院を紹介するから、入院の準備をしてすぐに向かってください」

 

息子は初めてぐずった。私は電車でも始終抱っこし、あやし続けた。病院に着くと、待っていた医師がすぐに診察をし、小児病棟に案内された。息子を抱え、大部屋で立ったまま治療の説明を受けたことを覚えている。
「致死を覚悟してください」

というひと言を、説明の最後にさらっと医師が付け加えた。

一瞬、そのことばを受け止められず、背の高い医師から目を逸らした。大部屋の窓から射し込む光がまぶし過ぎて、着替えを詰め込んだ紙袋に目を落とした。感情がなくなりそうだった。

 

川崎病の原因はいまだわかっていない。ただ、急性期にガンマグロブリンを投与すると、心臓や冠動脈に瘤状に生まれる病変や、心疾患の後遺症が抑制される。息子はその晩から投与が始まった。赤ちゃんベッドに点滴の管が通され、小さな細い腕に針が刺さったままで、息子は今まで泣かなかったぶんだろうか、二晩も三晩も泣き続けた。

 

私は赤ちゃんベッドに入り、あぐらをかいて膝に氷枕を置き、あやし続けた。そうするうちに私の膝は冷え、リウマチが悪化し、両脚が「く」の字に固まった。のほほんと会社帰りに見舞いに来ていた夫が、私の脚を見て「ワオ!」と血相を変えた。そして私をおんぶし、小児病棟から整形外科に走った。

 

投与が終わり、息子の熱は引いたが、今度はノロウィルスに院内感染した。個室に入れられ、私は息子のおもちゃや彼の手にするすべてを神経質に消毒した。翌年も肺炎で入院し、私はそういうことがあるたびに、彼が手にするもの、口に入れるものに過敏になった。

 

気がついたら、息子は手洗いを頻回にする子どもになっていた。

 

■葬儀のあとの出奔

 

息子が4歳のとき、私の母ががんで闘病した。病室に行くたびに息子は洗面所で手を洗った。母が「おいで」とベッドに呼ぶ。戻ってまた手を洗う。電車や車の中でも手が拭きたいと言うので、ジップロックに小さなお手拭きを入れ、持ち歩く。毎日、たくさんのお手拭きが洗濯され、吊るされた。

 

母の葬儀の日、息子の手拭きと手洗いは15分おきに繰り返された。しかし、それ以外は別に苦しいことやつらいことがあるような顔はしない。ご機嫌で、ことばも交わす。葬儀後におさまった手洗いに安心し、半年後、私は北海道に息子を連れて飛び出し、それから横浜へ移っている。

 

幼少期はできるだけ環境に変化を与えず過ごすことが大事だと知りながら、私のADHDと躁があいまって息子を連れ回したのである。

 

躁は花火に似ている。突然、頭のなかに華やかなものが打ち上がり、気持ちが高まる。誰かの頭で花火が見えないとなると途端にイライラし、我慢できずに周囲を置き去りにし、見えるところへ移動する。足元も見ないで空だけを眺め、ヨロヨロと人混みを迷惑に分け入り、さすらう。疲れ切るまで途中でやめることはできないし、別の方法を考えつくこともない。息子は私の服の裾を持って必死についてきたのだろう。

 

ことばとからだ

 

横浜で、また手洗いが始まった。私はやはり強迫神経症だろうかと思い、心療内科にかかることにした。

 

予約日に、息子になんと伝えて連れていこうかと考えた。私は息子に「あなたの手洗いが心配なのよ」と言ったことがなかった。結局、ことばにできずに連れていくと、女性の医師は息子にこう言った。

 

「あなたは何か、困ってることや嫌なことがあるのね。そういうことを、口で言う人も、泣く人も、バタバタする人も、叩く人もいて、みんないろんなこころの窓を持ってるの。そこから、伝えたいことを、伝えたいように伝えるんだけど、あなたは、手を洗うのね。それも素敵ね。お母さんは心配してるけど、いいわよね」

 

息子の顔が微かにほころんだ。

その日から、息子は手を洗わなくなった。

 

息子は、自分がやめられない手洗いを私によくないことと思われて、悲しく、困っていたのだと思う。そのこともまた手洗いにつながっただろう。手洗いは彼のことばであり、合図であり、ときに悲鳴だった。それは息子にとって、ことばではとうてい言えないことだった。大切なことは、ことばでは言えない。そのことは、こんなふうにも語られている。

 

柳田國男の『涕泣史談』に、近頃は、泣く子に向かって、「泣いてばかりいてはわからないから、ちゃんと話しなさい」と言う人があるけれども、ちゃんとことばで喋れるものなら、もともと泣きはしないのだという意味の文章があります。これはあっけにとられるほど単純な、基本的なことです。しかし現代においては、まったく見落とされている、というよりは、切り捨てられようとしている視点でしょう。むしろ倒錯していると言ったほうがいい。子どもが、ことばではなくてからだで語っていることが、理解できなくなっているのです。

(竹内敏晴 『子どものからだとことば』)

 

息子は体で語っていたのである。

それを聞けなかった私が、放デイの世界に出逢った。

 

■放デイの青空

 

利用する子どもたちのほとんどは、小さい頃から通った発達を促す療育の教室で、また学校で、ことばに問題があると言われてきた子どもたちだったけど、その頃の私には、彼らの何が問題なのか、さっぱりわからなかった。私もまた、精神や身体の障害を抱え、問題じゃない世界からは遠く離れたところに行き着いていたからかもしれない。

 

彼らの世界では、生きるということがのへーっと水平線のように広がっている気がした。そのなんとも安泰な感じがよくて、こっちのほうがいいじゃんと思った。

 

そうなのだ。あの頃ほど、声やことばというものが、それまでとは違ってのどかな佇まいをし、場合によってはまるで必要じゃないかもと感じたことはない。空の澄みわたった青さに気づいたときのような気持ちが私を覆った。

 

獲物を狙うような目つきでおやつを待っている食いしん坊の多い放デイには、3秒ルールなんて必要なかったし、誰かがもじもじしはじめると、お、出るんだね、と気づいてトイレに一緒に行く。と、その子の体つきからはありえないほどの巨大うんちが、下げたおむつに向かってニョロニョロと出てくる。そのうんちのズシリとした重たさに驚き、笑いが止まらなかった。

 

あの頃、放デイの世界では、みんなの体だけがストンと現実のまんなかにあって、食べ、排泄をし、それだけで人は生きていると感じた。

そう感じる自分は何かと問う。するとやっぱり、私もただの体じゃん、と思った。

 

でも、竹内さんが言うように、外には、そんな体そのものや体から出ることばを軽視する世界があって、アキラ君はその外との境で困っていたのだと思う。

 

■アキラ君に言い負かされる

 

小1のダウン症のナミ君と、駐車場から続く小径の角の木に隠れ、下駄箱をのぞく。と、ちょうどアキラ君が下駄箱から靴を取っていた。友達と一言、二言話して別れたアキラ君が歩き出す。私はそれを見て、早足で駐車場へ戻ろうとする。

 

そのとき、ナミ君が私の手を振り切る。そして下駄箱に通じる道の真ん中に躍り出て、「ウォー」と言いながらアキラ君に手を振った。あわててナミ君を引き戻そうと手を引っ張ったときには、アキラ君はこちらに向かって目を吊り上げ、すごい形相で歩いていた。私は目を伏せ、アチャーという顔で動けなくなる。

 

「中山さん」

目の前で、アキラ君が腕を組み、低い声で私の名前を冷たく呼ぶ。

「はい」

目を伏せたまま、小さい声で返す。

「どーして、ここにいるわけ? オレはここには来てほしくないって、駐車場で待ち合わせって、何度も言ってるじゃん。どーして来るわけ? 嫌がらせ?」

「嫌がらせなんかじゃないよー。いや、違うんだって。ナミ君が車の中じゃつまらないから、アキラ君を迎えに行こうっていうからさ、つい」

「つい、なに?」

「だから、つい……」と私が笑ってごまかそうとすると、

「ごまかさないでよ! 中山さんは、ついが多すぎる!」とピシャッと言われる。

 

「スミマセン。だけどさ、前にアキラ君、駐車場で待ってたら、お家に帰っちゃったことがあるじゃない? だから念のため、迎えに来てることがわかるようにって……、ごめん」

「ごめんですんだら、警察はイリマ、セン!! ったく、どーしてくれるんだよ!」

「ごめんって言ってるじゃん。わかったから、次からは絶対に来ないから、早く車に行こうよ~」

 

しかし、アキラ君の怒りはますます燃えさかる。

「もー、だから、あおぞら園はキライなんだ。どーしてオレがあおぞら園なんかに行かなきゃいけないんだよ。大嫌いなのに、どーしてママは『あおぞら園に行け』なんていうんだよ。オレはうちに帰りたいんだよ。オレ、帰りたい」

 

一息にそう吐いたあと、アキラ君はうなだれながら、駐車場ではなく、正門のほうへ体を向ける。リカちゃんのようなまん丸の大きな目。うつむくと、長いまつげが瞳にバサリとかぶさっている。

 

そういうことかぁ、ママんとこに帰りたいんだな、と私は合点する。そこで、

「アキラ君の気持ちは、よーくわかったよ。でもさ、きょうはアキラ君の大好きなスタンプラリーじゃん。あおぞら園、行こうよー」

「オレは、行かね」

アキラ君は、正門へ向かおうとする。そこから坂を下りればすぐにお家だ。

 

いかん、これではいかん……と焦る私は、歩き出したアキラ君の前に回り、

「ちょちょっと、落ち着こう、アキラ君」と止める。

「やめてよ、うざいよ」

「えー、うざいなんて、あんまりだよー」と私は大仰に両手で自分の頬をはさむ。

「ほら、そうやって、すぐに怒るでしょ」

「いや、怒ってないって」

「とにかく、うざい!」

 

■ナミ君の発作に救われるが……

 

横に放っておかれたナミ君が状況がつかめず、私とアキラくんの顔をくるくる見ていたが、とうとうロックスターのような長いおかっぱ頭をすごい勢いでかき始める。

ああ、ナミ君の発作だと思い、私はナミ君を抱きしめて、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と背中をとんとんする。

 

ナミ君は、「わわわ、わわわ、わわわ、わ」と気持ちを伝えるので、「うんうん、わかったよ、もう車に行こうね」と、アキラ君のことはあきらめようとナミ君を抱きしめる。ふと見ると、アキラ君が家には帰らず立っている。

 

「あれ、アキラ君」と言うと、アキラ君がさっきまでの怒りはどこに行ったやら、ナミ君の様子を心配そうに見ている。

「ナミ、だいじょうぶ?」とアキラ君が声をかける。すると、ナミ君はこくりとうなずいた。

 

結局、アキラ君とナミ君は手をつなぎ、私は後ろからふたりを見ながら車に戻る。これで一件落着かと思いきや、駐車場に着くなり、またアキラ君が攻撃を開始。

「どーして中山さんは、いっつもキューブなの? 大きな車に乗れないの?」

「申し訳ない、乗れませーん」

「ナンデ?」

「ナンデも」
「オレ、この車、嫌なんだよね。天井低いし、自動ドアじゃないし。オレのうちの車、ワゴンだから」

「そうかあ。いいなあ、大きな車。誰が運転するの?」

「パパだよ。でも関係ねーじゃん、中山さんに」

「はいはい。関係ありませんでした。とにかく、車に乗ってください」

 

それからも、アキラ君の毒舌はあおぞら園に着くまで続く。

「オレは、ほんとに、嫌なんだよ。あおぞら園なんか。ダイキライなんだから。きょう、カズ君、来る? 来ないなら、やめよっかな」

「もう着くよ」

「ああああ、中山さん、今の信号、危なかったじゃん。どーして、パパみたいにうまくないんだよ、中山さん、もう、ダメだな」

 

おまけにナミ君も、「わわわ、わわわ、わわわー」とアキラ君に同意しながら、攻めの一手に出てくる。ここにルカ君やその他の子どもたちが加われば、キューブは暴言と言われることばの巣窟になっただろう。

 

■わかられないと、わかれない

 

ある日、高井さんがアキラ君を迎えに行き、げっそりして帰ってきた。

「私、とうとうキレちゃった。『いいかげんにしてよー!』って」

私は自然にうんうんとうなづき、「いいんじゃない、同じ生身の人間として言ったんだから」と言っている。

 

もちろん、そんな状態にならないように、現場での支援側の対処があるべきかもしれない。上手なことばで誘導し、説得するなどの方法。だけど、そんなのうまくいったためしがない。

 

火がついたときには無理だから、子どもが落ち着いているときに、相手の気持ちになってことばを発することの大切さに気づくロールプレイをするとか、ものの本には書いてある。もちろん、トライしたこともある。けれど、うまくいかない。

 

まあそもそも、私がそういうことを信じていないところがあったような気がする。というよりアキラ君は、自分でもわからない訳があって、それが理由で激しいことばを制御不能なまま投げているように感じたからだ。

 

相手の気持ちがわかるって、それは、自分の気持ちがわかられてからのような気がする。わかってもらえない苛立たしさを、アキラ君はサインのように発しているだけなのかもしれない、とぼんやり思っていた。

 

ボーダーラインにいる子

 

アキラ君は神奈川県の発達障害等精神障害の区分けのB2で、最軽度の療育手帳を持っていた。小さい頃からお母さんと熱心に療育に通い、発達の度合いは定型と呼ばれる子どもたちと発達障害の子どもたちの間、いわゆるボーダーラインにいた。小3になり、IQテストの結果しだいで、療育手帳を市に返すことをお母さんは考えていた。

 

ボーダーラインにいる子どもは、環境に大きく左右されるという。友達、先生、学校、家庭。こころが繊細で傷つきやすいらしい。不安や孤独は、被害者意識や疎外感に結びつく。

 

小3に入ってからひと月も経たないうちに、アキラ君のクラスは学級崩壊となったとお母さんが嘆きながら話してくれた。クラス全体が不穏な空気に包まれ、アキラ君も不安でしかたなくなった。けれど、先生も学校も、アキラ君より激しい行動を見せる子どもたちにかかりきりとなり、クラスでは物静かなアキラ君の不安にかまってくれなかった。

 

そういえば、大きく見開かれた瞳は、何かに恐怖しているようにも見えたし、口はへの字に曲がって、今にも泣き出しそうに見えた。だから私はときおり、怒っているアキラ君の顔を見ながら、どうしてそんなに怒っているの? 悲しいの? と頬に触れたくなった。

 

すると、アキラ君は「やめてよ!」と叫ぶ。

「えっ?」

「中山さん、じろじろ見ないでよ。人のこと、勝手に触らないでよ!」

アキラ君はぷりぷりしたお尻を突き出しながら、私の前から去っていく。私の手が触れようとしたことも、私のひそやかな視線も、すっかりアキラ君にはお見通しなのだ。

 

言葉なんかいらないジャン!

 

5月に入った頃、アキラ君は左手首にヒビが入り、ギプスであおぞら園に来た。なによりしょげていたのは、運動会で出場できる種目が減ったことだった。

しかし、そのうちアキラ君に元気が戻り、あまり激しいことばは言わなくなった。アキラ君は、参加できる数少ない種目の「よさこいソーラン節」に熱中していた。

 

「あのさ、最初のポーズはこう。それから、こんなふうに……」と引っ越し前のあおぞら園の広い庭で、アキラ君が踊って見せてくれる。

「かっこいいなあ、アキラ君。それでそれで」と、機嫌のいいアキラ君のままでいてほしいスタッフは、持ち上げて、さらに持ち上げる。

 

アキラ君は気持ち悪いほどのスタッフの受けのよさに、大きな眼をぎょろぎょろさせ、なんだかおかしいと頭をひねるが、見てほしい気持ちが勝ってか乗り気になってみんなの輪の中で踊る。

 

アキラ君がわからなくなった振り付けを、YouTubeで見ながら、「こうじゃない?」とスマホの画面を見せる。アキラ君と私の顔が近づく。

「ああ、そうそう、これ。中山さん、ありがとう」とアキラ君が至近距離から大きな瞳で私を見つめる。

 

ドキリとこころが鳴る。180度の反転に、なんだか体がむずかゆくなって、私はうつむいてニヤニヤを隠す。同時に、アキラ君の何かがほどけたのだと思った。私のこころも軽くなる。

「一緒に踊ろうゼー」とアキラ君を誘う。

 

――ことばなんかいらないジャン。仲良く一緒にいられる感じがサイコー!

 

「どっこいしょ、どっこいしょ」と網を引っ張る振り付けで、ふたりの息がピッタリ合う。あの頃の暴言祭りは、夕方のカラスのようにどこかへ飛んで行った。

 

翌日、5時前の終わりの会で、「よさこい」をアキラ君に教わることになった。恥ずかしがるかと思ったら、アキラ君は、「えー」と言いながら、ホワイトボードに書き始める。

「Aの振りのあとに、Bの振りになって、それが二回繰り返されて、最後にAに戻るから、A→B→B→Aです。いいですか」とペンを持つ姿がまるで先生のようだ。ただ、子どもたちはまるで理解していない。

 

スタッフが「はい!」と言って踊る体勢に入るが、子どもたちは引き続きぽかんとしている。それでも、YouTubeのボリュームをMAXにしてスタート。まるで反応しない子もいるし、手を振ったり、とんとん跳んでみたり、立ち尽くす子どももいる。それぞれがそれぞれのかたちで参加し、また参加していない。まったく、あおぞら園らしい。

 

■七色のことば

 

無事にアキラ君の小学校の運動会も終わり、夏休みが近づいた。

 

夏休みに入る前の夏祭りは、なんと20人余りの子どもたち全員が参加した。緊急事態にスタッフもほぼ全員参加して、室内にペットボトルボウリング、輪投げ、魚釣り、ヨーヨー釣り、スーパーボールすくい、ポップコーン屋さんなど、さまざまな屋台を子どもと一緒に準備し、それぞれの店も子どもたちが担当した。

 

アキラ君は、ペットボトルボウリングのお店の主となった。しかし大半の子どもは、好きなお店にお客として立ち寄りたくなって、担当のお店を放った。一番人気のスーパーボールすくいは超絶混み合った。

 

ひとり自分の店に残ったのは、アキラ君だった。お客が立ち寄らなくなったお店の前をぶらぶらし、また口がへの字になっている。短いズボンから出た足が内股に向き、ㇵの字に泣いているみたいだ。うん? これはヤバい合図か? と思い、

「アキラ君、ごくろうさま。お客さんになって回ってくる?」と聞くと、

「いいよ。オレ、ここの責任者だから」と言う。

「おお、そうね。そうだ、うん」

アキラ君が恥ずかしそうに、ボウリングの倒れたピンを立て直した。

 

夏祭りの終わりに、アキラ君に「よさこい」を踊ってもらう。足を広げ、腰を落として地面に手をつき、だんだんと顔を上げていく仕草が前よりもサマになっていた。運動会が終わってもひとりで踊っているのかもしれない。

 

みんなの拍手をもらい、アキラ君は恥ずかしそうで、うれしそうで、小さな口に大きくて真っ白な前歯が光っている。オレ、オレさあ……! と、誰かに伝えたい思いがはちきれそうな体からポロポロとこぼれていた。

 

子どものことばは、七色だ。

自分の気持ちをわかってくれるか。

ことばの前にそれがある。かかわりはその確かめだ。

体から発する音にならない声と、音になったけれど不思議な形をした声を受け取ると、子どもは安心して頼ってくる。しなだれてくる。やがて、自分で決心したりする。

子どもは体で話してる。

 

放デイとは

 放課後等デイサービスのこと。発達障害・知的障害を持つ児童を中心に、肢体に不自由がある児童、排泄自立が困難な児童も含め、小学校1年生から高校3年生までの学齢期の児童が、支援や療育を受けるために学校や自宅への送迎により集まる通所サービス。1日の利用上限は約10名。対してスタッフ34名で支援する。

 マンションの一室やビルのワンフロアなど、決して十分に広いとはいえない空間で展開している場合が多い。そこに、学齢も性格も発達の道のりも違えば、障害の混ざり具合も、特性も、表出の仕方も無限にスペクトラムな児童らが集まる壮大かつ濃密な世界が広がる。

(中山求仁子「劇的身体」第12回終了)

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