第11回 かけがえのない、ありふれた人

第11回 かけがえのない、ありふれた人

2021.1.13 update.

中山求仁子(なかやま・くにこ) イメージ

中山求仁子(なかやま・くにこ)

2017年から18年まで、神奈川県のとある放課後等デイサービスの管理者として勤務。自身も幼少期から横綱級ADHDであり、現在は双極性障害も発症している。
大阪大学文学部美学科音楽演劇学コース卒業。高校時代よりモダンダンス、大学入学と同時に小劇場演劇を始める。2001年退団以降、人生自体が演劇のような双極 I 型ジェットコースターライフを送っている。韓国映画と韓流ドラマをこよなく愛す。

 

■タクトという少年

 

たぶん、男女問わず、あおぞら園の支援スタッフ全員がひそかに抱いていただろう、タクトという少年に対する強い思いとはいったい何だったのか。私はかかわって3年以上経った今でも考えている。

 

父母どちらかに育てられている子どもはほかに何人もいて、私たちはむしろそういうとき、子どもと同時に親に対するケアを考える。その子が持っている障害によりケアは違うが、泣いたり困ったりしている子どものこころの傷口に言葉でバンドエイドを貼るようにしてみたり、トイレに長くつきあったり、一緒に踊ったり、妄想ゲームに参加したり、おやつを秘密で増やしたり……。子どもの動きや気持ちに合わせ、呼応してちょうどのサイズを用意したと思う。

 

しかし、タクトの場合はそうではなかったような気がするのだ。

 

丸刈り頭で、青白く、か細く、小さく、大きなクリクリした左右の眼の焦点がほんのわずかに合っていないタクトを、スタッフの誰もがいつも気にしていた。寂しげなそぶりをするとつい「どうしたの?」と聞き、「いいんだってば!」と投げ捨てるように言われると、「そんなこと言わないでよ、タクトー」と抱きしめたくなってしまう。

 

なぜそうするのかわからないけれど、よく見ていると、みなそうしている。スタッフの誰もが持つ、タクトに流れ込む過剰なまでの気持ちには、やはり、訳があったのだと思う。

 

■ねじ式自動車のような

 

タクトがあおぞら園の利用を始めたのは、夏休みからだった。

契約者はお父さん。タクトはお父さんとふたり暮らしだった。

 

小学2年生のその子どもは、お父さんとそっくりのバリカンで剃った丸刈り頭で、コロコロと八畳間を駆けまわっている。お尻についた小さなねじを巻いたら走り出すおもちゃの小さな車があるが、それとよく似たふうに走り回る。

 

「コラ、タクト、走り回らねぇの」とお父さんが叱る。タクト君はお父さんの声にビクッとして止まり、相手をしている佐藤さんの右に、ニッと笑ってみせてちょこんと座る。しばらくすると、今度は佐藤さんの左に座り直している。すぐにちょこまかとねじ式自動車のように走り回り、勢い余ってふすまにぶつかりそうになるところを佐藤さんがつかまえる。

 

八畳間に続く座卓のある部屋で、契約書を書いていたお父さんが嘆き口調で話し始める。

「ほらね。ようは多動ってやつで、注意欠陥ってのも。おっちょこちょいなんですよ。それと勉強が遅れてるやつ。だから支援級に入ってます。去年一年は学童行ってたんすが、気づいたら、指先の皮、ほら全部、剥がしちまったんですよー。びっくりして。それで、先生と、えーと、福祉相談所に行ったら、学童ではあいつに負担がかかるから、放デイに通えってんで」

「そうですかあ。指先が」

「ただ、おれは帰りが遅いから、学童に返してくださいよ。学童にはファミリーサポートさんに迎えにいってもらいますから。土曜も預かってもらえますよね?」

 

〈あ、そうなのか〉と初めてのパターンに驚き、思わず「はい」と答えたが、〈あの、それで、お父さんは何時頃帰宅ですか?〉と聞ける雰囲気ではなかった。

 

■中山さん、子どもだな

 

そうして夏休みに入ってあおぞら園に通うようになったタクトを、私たちは朝一番、9時過ぎに学童へ迎えにいくことになった。

 

自宅から学童へは、ファミリーサポートの人が送迎してくれる。私たちの送迎ルートの最初がタクトのお迎えで、タクトをピックアップしたあと、タクトと同じ隣町の子どもたちを次々と車で迎えながら、園へと引き返す。帰り(送り)はその逆で、みんなを送ってから、最後にタクトを学童に届けるのが通常のルートとなった。

 

夏休みなど長期休暇と土曜日は、平日の1時間前に放デイの利用が終わるので、1時間早く、つまり4時半過ぎに学童に戻る。それから6時か7時までタクトは学童で過ごし、ファミリーサポートの人に迎えられて自宅に帰り着く。そのときにお父さんが家に帰っているかどうかはわからないが、ともかくタクトはそれからご飯を食べるということだ。

 

放デイに慣れてくると、タクトは学童に帰りたくないそぶりを見せた。駄々をこねるのではない。ねじ式自動車のように学童の玄関に通じるスロープを通り過ぎ、隣の公民館にある自動販売機の前に立つ。追いついた私と「何買う?」と考える。その寄り道が彼の反抗の最大限だ。

 

私が答える。

「なっちゃん、かなあ」

「中山さん、子どもだな。オレはコーラ」

「えっ、タクト、オトナじゃん」

タクトは何も言わずに、まばゆい光を発する自動販売機を眺めている。

 

タクトのクリクリとした大きな瞳が光る。微かに唇を少し開ける。

〈大人にもなるよ〉

そうタクトが言った気がして、前から顔を覗いた。タクトは恥ずかしがって、私に舌出しベーをし、突然、いろんなボタンをピョンピョンと背伸びして押そうとした。

 

後ろから抱き上げて、タクトが押せるように持ち上げる。するとタクトは「恥ずかしいって」と言い、私の腕から逃れ、すぐさまスロープを走り、学童のインタ―ホンを押す。先生がドアを開け、出てきてくれた。タクトが靴を脱ぐ。

 

「それじゃあ、お願いします」と先生に言い、

「じゃあね、あしたね、必ず迎えに来るからね、ね、ね」と手のひらを合わせる。タクトとの手のひら合わせは始まると止まらない。

 

こちらの切なさが膨らむと、タクトのそれも同じようにどうしようもなくなって溢れる。するとタクトは、ぷいっと振り向き、あっという間に私からは見えない部屋へ飛行機のように飛んでいく。私が去るのをタクトは見たくないのだ。

 

あおぞら園がタクトのこころを包んだのだろうか、夏から冬へと向かうあいだに、タクトは指先を剝がすことがなくなった。

 

■電話、かかってきませんか?

 

タクトのお父さんは運送業で、年末年始ほど忙しいときはないと聞いていた。しかし、福祉相談事務所からFAXで送られてきたタクトの12月と1月の利用計画表には、学校が休みに入る25日から1月6日まで、園の利用は記載されていなかった。

 

冬休みに入る前、タクトの学校にお迎えに向かった。1年生のダウン症のナミ君の手を引いて下駄箱に現れた特別支援学級の先生が、私に話しかけた。

 

「聞いておられるかどうか、今年もタクト君は施設に入ります」

「はい?」

私はナミ君の手を握りながら、何のことかわからないまま聞き返した。

「やはり、聞いておられないのですね。タクト君は、施設に入るんです。年末年始は、お父さんが忙しいので。去年もそうでした。お姉ちゃんがいるんです。お父さんの違うお姉ちゃんが入っている施設に短期入所します」

「そうなんですか」

私は初めて聞く話に驚いた。

 

利用が始まる前に、支援の大切な頼りとして、子どもの障害や疾患の詳細、食べ物のアレルギーや家族の構成、好きなこと嫌いなこと、落ち着くこと、飲んでいる薬、かかっている病院、望まれる園での生活等、こちらが用意した書類に記入をお願いするが、タクトのお父さんからはその詳細は返ってこなかった。利用のたびにやりとりするノートにもほとんどお父さんの記述がなかったから、私たちはタクトのことを知らないまま支援を続けていた。

 

「電話、かかってきませんか?」

先生が聞く。また何の話かわからない。

「なんのことでしょうか?」

「かかっていないのですね。それはよかった。学校には、ときどきかかってきます。タクト、いますかって」

「あの、誰から電話が?」

先生が私の顔を見て、何をいまさらといった、少し驚いた表情をする。そして、こう言った。

「タクト君の、今は一緒に暮らしていないお母さんです」

 

あ……。

私はその言葉に衝撃を受けた。タクトにはいないと思っていたお母さんの存在。考えてみればそれは当たり前の事実だったが、私の中ではその存在がすっぽり抜け落ちていた。というか、その存在がない状態でタクトは園にやってきて、私たちはタクトのその事情――というよりその事情からおそらく生まれるのだろう、タクトの言いようのない寂しさに、自分たちもこころが振れ、彼と両の手を合わせることでやっと自分も安心する、そんな切ない気持ちでタクトとかかわってきたからだ。

 

しかし、その不在なはずの人は実は今も生きていて、タクトのことを気にしている。そのことに、私は「どうしよう」とひどく揺さぶられた。私は、管理者としての責任よりもずっと、個人的な喪失につながる危機感のような気持ちを抱いた。

 

先生が話を続ける。

「ですから、学校では職員が、移動サービスやファミリーサポート、どの放デイのなんというスタッフにタクト君を預けたのか、確認しあうようにしています。それから、各サービスの人には、戸外での遊びなどではタクト君から目を離さないように、なるべく手をつないでもらうことをお願いしています」

 

私は話についていけなくなって、頭がくらくらしてきたが、

「わかりました。気をつけます。それから、スタッフとも共有します。いいでしょうか」と必死に答える。

「お願いします。個人情報ではありますが、何かあってからでは遅いので」

それから先生は、ため息をつくようにひざまずき、私が手をつないだナミ君のおかっぱ髪をなでながら、

「本当に、あの子は小さいのに、たくさんの人と関わりながら生きているので」と、ナミ君に言葉をかけながら、タクトを思う言葉を吐く。

 

ナミ君が先生の手を小さな手の平ではらいのけ、赤いほっぺをニッとあげて笑う。

「そうですね」

私がそう先生に答えたとき、タクトが下駄箱に現れた。いつもの毛糸の帽子を被っていた。

 

「なんだ、中山さんか」と言われたが、タクトのほうから手を差し出した。

差し出された手を、私はいつもよりいくぶん強引に自分の手に取り込み、握った。タクトが私の顔を怪訝に見上げる。その顔に笑って返し、「行こう、タクト、ナミ君」と、何事もなかったかのように先生に挨拶し、裏の駐車場へ向かう。

 

ひとりしか通れない、いつもは手を放す砂利の小径を、3人で手をつないだまま縦の列になって通り抜ける。

頭上で、裸の桜の枝をリスが足早に渡る音がした。

ナミ君が立ち止まって空を見上げたが、私は「ほら、リスだよ」とも言わず、早く車に辿り着いてタクトを乗せようと、気持ちが焦った。車に着くと、私は執拗にあたりをキョロキョロと見渡した。

 

■私はタクトの誰なのだ?

 

そういえば、不思議なことはあった。

薄緑色だったはずのタクトの体操服入れが、ある日、ピンクの綿の生地に、大きく明朝体で「愛」と刺繍された体操服入れに変わっていた。

「あれ? 見たことない体操服入れだねぇ」と言うと、タクトは私の顔を一瞬見てから下を向き、もごもごと口先で呟いて、すぐにプラレールを始めた。私はそのままランドセルと体操服入れをロッカーに置き直した。

あの体操服は、お姉ちゃんにもらったものだったのだ。

 

そう言えば、ということが次々思い出されていく。

私は、もしもお母さんが現れたら、と考えるようになった。

もしそうなったらどうしよう、と車の運転中や夜寝る前に考える。

ある日、公園で遊んでいると、お母さんが目の前に現れる、とか、スーパーに買い物学習に出かけて、私が会計をしている間にタクトがいなくなって、急いで出口を飛び出すと、お母さんとタクトが手をつないでずいぶん先を歩いている、とか、そんなことを妄想するようになった。

 

きっとその頃、私の精神の疾患はひどくなり始めていたのかもしれない。本当にそんなことが起こったら、どうしたらいいのだろう。

 

私は、タクトを自分の後ろに隠したり、追いかけていってお母さんからタクトを引き剥がし、タクトの手を無理やり握ろうとするのだろうか。そんなことができるのか。逢いたかったお母さんにタクトは逢えたかもしれないのに。だとしたら、「タクト―!」と叫び、呼び止めるか。そしたら、タクトは立ち止まり、振り向いて、それから私のところに戻ってくるだろうか。そのとき、お母さんは、どうするだろう。去るのだろうか、泣くのだろうか、叫ぶのだろうか、私はなんと言うのだろう。そんな、考えても仕方がないドラマ仕立てが次々と浮かんでくる。

 

私はいったい、タクトの誰なのだ?

 

しばらくして、途方もないことに気づいた。

もしかして、私はタクトが恋焦がれる母というものに、一緒に恋焦がれていたのではないだろうか。

思いを共有するうちに、タクトが自分を見つめる瞳にそれを見て、こころ動かされるとなぜか自分がその母になることにして、そうして彼の切なさを必死に覆そうとしたのではないか。

タクトの憧れる母に、自分の理想の母親像を重ねていたのかもしれない。

 

人は、幻想を誰かと共有したくなる。私たちはタクトが幻想を追う姿に、自分が追わなくなったぶんを彼に託し、ぜひ叶えてやりたいと思ったのではないか。幻想の繭(まゆ)に一緒にくるまりながら。

しかし、そこに現実のお母さんが登場した。私はつくってきた幻想の共有が崩れ、タクトが自分から離れていくことを恐れたのだろう。

 

おいおい、と行きすぎた自分に呆れ果てながら、2017年から2018年へと私は年を越えた。

 

■お正月のあおぞら園

 

タクトが放デイに戻ってきたのは、学校が始まった日だった。

「タクト君、あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします」と玄関で膝をついて言うと、

「おめでむにゃむにゃ。中山さん」とタクトが私の肩をポンと叩いて廊下を歩き出す。

 

タクトは、新しい帽子を被っていた。

「どうしたの? その帽子」と聞くと、「とうちゃんのクリスマスプレゼントー」と言う。

「似合ってるね」

「姉ちゃんと、おそろいー」とタクトがうれしそうに言う。

「そうかあ。お姉ちゃんと、遊んだ?」

「うん」とタクトが大きくうなずく。

「優しくしてくれた?」

「うん」

「そうかあ、それはよかったね」

「タ、タクトー、こ、こっちの線路つなげて」と同じ小学校で1年上の、少し吃音を持つルカ君が、上から目線に指示する。
 タクトは、「ハイハーイ」と正座して線路をつなぎ始める。

 

おやつのときだった。蒸したあんまんを食べた。すると、まあるいあんまんを両手で持ったタクトが、「かあちゃんのおっぱいぱい」と頭を傾げ、おどけて言い始めた。

みんなが思わず笑ったが、ルカ君が「き、きもいぞ、タクトー」と言う。それでもタクトは、「かあちゃんのおっぱいぱい」とあんまんを回しながらさらにおどけて踊っている。

 

スタッフの韮崎さんが、「タクト、あんまん、嫌い? みんな食べちゃったよー。がんばって食べようか」と諭すが、タクトは聞いていない。結局、タクトは、あんまんの大半を残した。

 

プラレールをしながら、ルカ君が、タクトに「タ、タクト、お、お母さん、いないじゃん」と言う。タクトは、しばらくして、「いるよ」と言う。

 

電車が電池で元気にレールを走っている。途中で倒れる。ふたりとも助けようとしない。私が電車をまた線路に戻す。また走り始めた電車にタクトが、ドサッと何台もの電車を落とす。タクトが私に舌出しベーをしてから笑う。泣き笑いに見えた。

 

■高島さんにべったりの土曜日

 

その週の土曜日。

利用はなせか、土曜日常連のタクトとカイ君だけだった。

 

土曜日のスタッフは決まっていて、高島さんと男性スタッフ相川さんと私。そして、ときどき夫。3人か4人のスタッフで、5~6人の子どもと毎週プールに行ったり、公園に出かけたりした。帰ってくれば、座卓を囲んでお弁当を食べる。

 

カイ君のお弁当はいつも決まっている。スーパーのおにぎりとロールパン2個と、おかず2品がビニール袋に入っている。タクトのお弁当は二段重ねで、一段は白ご飯、もう一段に手作りのおかずが何品か入っている。

 

タクトは白いご飯が苦手だった。一気にペロリと食べてしまうカイ君と違い、いつまでたってもお弁当が減らない。食が細いのだ。その日も、「タクト、ご飯におかずをのせて食べてみたら? きっと食べられるよ」と高島さんが、隣に座っていつもと同じ言葉をささやいてみる。タクトはうんざりだというように肘をついてお弁当をもて余す様子を見せる。

 

毎週土曜日になると、高島さんとべったりいられるタクトは、平日には言わないことを言いはじめる。「オレ、バカなんだ。父ちゃんによく言われる」から始まる「オレバカ」告白である。私がその言葉に、「そんなことないよ! タクトはバカなんかじゃない!」と額面通りのセリフを言うと、タクトは〈だから中山さんは何もわかっちゃいない〉というあきらめ顔でうなだれ、離れていく。

 

しかし高島さんは「オレバカ」告白に、「そうかあ」と笑顔でうなずき、タクトの手を取り、丸刈り頭をなでて、一緒におやつの用意をしたり、「あれ、取ってきて。これやって」とお願いを連発する。タクトはうれしそうに高島さんの後をついて、手づくりおやつの用意をする。ホットプレートにホットケーキのタネを垂らしたり、ひっくり返したり。それを見て、私もカイ君に「台拭きしてくださーい」「お皿を並べてくださーい」と頼む。

 

■とりあえずのお母さんです

 

庭で焚火をしていた相川さんが、アルミホイルに包まれた焼き芋を持って上がってきた。座卓で、焼きあがったばかりのホットケーキと焼き芋を食べる。高島さんと相川さんに挟まれて、タクトはうれしそうにホットケーキをフォークに刺して口に運ぶ。

 

ふと、いつか高島さんがタクトを抱きかかえて、「タクトー、タクトー」とあやすように揺すぶっていた姿を思い出す。そのとき、タクトは赤ん坊のように喜んだ。高島さんもまた、満面の笑顔だった。

 

私はその風景を、「わあー、いいねぇ、タクトー」とこころで声をあげ、笑いながら見ていた。相川さんも、座卓を前にあぐらをかき、笑いながらふたりを見上げている。

私はそのとき、ほんのつかの間だけれど確かな感覚で、しあわせというものを見たように思う。そして高島さんも、相川さんも私もみな、そのとき、タクトのとりあえずのお母さんだったのかもしれないと思う。

 

お母さんはまた、支援スタッフの誰かでもあり、支援学級の先生でもあり、ファミリーサポートの人でもあり、学童の先生でもあり、そうしてタクトはいろんなお母さんと暮らしている。それは、タクトがつくっているお母さんなのだと思う。タクトには、いつも同じなお母さんはいないけれど、タクトはそれゆえにいろんなところにお母さんがいる。

 

だから、あおぞら園のスタッフの多くは、君づけではなく、なぜかタクトを呼び捨てで呼んでしまう。その気持ちのもとは、なぜかこんこんと湧き彼へと溢れて流れ込んでいく、親しくならずにおれない、いわば思慕という感情だ。

 

戸籍上の家庭というものが厳然とあったとしても、それが人間を満たすものかどうかわからないことを、放デイに集まる子どもたちの寂しげな表情や姿に垣間見ることがある。ならば、つかの間の擬似関係が、彼らの人生を温かい色合いにすることもあるのではないか。

 

――カイ君が、ホットケーキをもう1枚とねだる。「お腹だいじょうぶ?」と聞くと、「うん」と鼻にかかった声で〈早く〉と言う。カイ君のお皿に小さめの1枚を入れる。ふと見ると、タクトが笑う口の端に、シロップの跡がてらてらと光っている。

 

タクトのお母さんにもし会ったなら、こんな言い方はどうだろう。

「とりあえずのお母さんです」。

 

みんなでお母さんでもいいじゃないか。

かけかげえのない人のかわりを、ありふれた人間の集まりが叶えることはできないものか。

そのとき、ありふれた人間はありふれたままで、そしてありふれていないのだと思う。

 

■放デイとは

 放課後等デイサービスのこと。発達障害・知的障害を持つ児童を中心に、肢体に不自由がある児童、排泄自立が困難な児童も含め、小学校1年生から高校3年生までの学齢期の児童が、支援や療育を受けるために学校や自宅への送迎により集まる通所サービス。1日の利用上限は約10名。対してスタッフ34名で支援する。

 マンションの一室やビルのワンフロアなど、決して十分に広いとはいえない空間で展開している場合が多い。そこに、学齢も性格も発達の道のりも違えば、障害の混ざり具合も、特性も、表出の仕方も無限にスペクトラムな児童らが集まる壮大かつ濃密な世界が広がる。

(中山求仁子「劇的身体」第11回終了)

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