第10回 ピンクのチューリップ

第10回 ピンクのチューリップ

2020.12.23 update.

中山求仁子(なかやま・くにこ) イメージ

中山求仁子(なかやま・くにこ)

2017年から18年まで、神奈川県のとある放課後等デイサービスの管理者として勤務。自身も幼少期から横綱級ADHDであり、現在は双極性障害も発症している。
大阪大学文学部美学科音楽演劇学コース卒業。高校時代よりモダンダンス、大学入学と同時に小劇場演劇を始める。2001年退団以降、人生自体が演劇のような双極 I 型ジェットコースターライフを送っている。韓国映画と韓流ドラマをこよなく愛す。

 

■トモちゃん、豊満で奔放な

 

――チョキチョキチョキッと羽根を切ったら胴体切って、また羽根切って、それから触覚をほそ~く、チョイッと曲げて、うん、できた。何匹目? 15匹。あら、いつのまにこんなに切ったの? ワタシ。えーと、ピンクの蝶々が7匹でしょ、それから、青の蝶々が……、えっ、なに、ア・カ・ギ・サーン?

 

「トモちゃん、きょうの折り紙切りはもうこれくらいにしよう」

 赤木さんが、机の下に海のように広がった折り紙を、使えるものと使えないものによりわけて、トモちゃんに涙がこぼれそうな顔で言った。

 

 赤木さんは細い体に黄色い長袖のポロシャツ、その上に不思議な手編みのベストを着ているのに、トモちゃんはきょうもTシャツ1枚。地元のサンダル屋のマークの入ったピンクのTシャツに、黒いスパッツだ。細い赤木さんの体型が、トモちゃんの豊満(というべきだろうか中学生に)としかいえないメガ級豊満体型を見事に引き立てている。トモちゃんの頭はおかっぱで、きれいに前髪がそろっているだけに、少々ちぐはぐだ。

 

――お母さんのお気に入り、というか、お母さんは、まとめて買ってきて、「はい、トモちゃん、これ」とこのお店のTシャツをワタシの制服みたいに思ってるけどワタシは制服なんてイラナーイ。だし、このTシャツはとにかく好きじゃないから、キッチャオー! チョキチョキチョキ。

 

「ああ、トモちゃん、切らないで、切るのは、なしよ!」と赤木さんが慌てている。トモちゃんは、Tシャツの裾(すそ)をチョキチョキと線を入れるように切り、そのあと、ハサミを持ったまま、外へ向かう。

 私がその行く道に合流し、「トモちゃん、ハサミを持って歩くと、倒れたときにあぶないよ。みんなにもあぶないから貸してね」と声をかけ、ハサミを受け取ろうとすると、トモちゃんはハサミを私の前にポイと捨てた。

 

■補欠のプロレスラー、ノックアウト

 

――トランポリン、トランポリン、フッフッフー。

 

 トモちゃんはクロックスのサンダルを脱ぎ散らかし、トランポリンに上がる。円形の外側で、網の囲いがポールに結ばれている巨大トランポリン。このトランポリンがどれほど子どもたちのお楽しみアイテムであることか。自閉スペクトラム症やADHDの子どもたちはトランポリンが大好きだ。垂直運動や空に跳ねて一瞬の自由をつかむ感覚が、脳と感覚に心地よい刺激を与えるのだろう。

 

 ともに自閉症である高2のリョウ君も中2のトモちゃんも、大きなトランポリンをゆさゆさ揺らしながら、自分の体も自分の視界も自由に広がり、跳んでいくような感覚を長時間楽しむ。それを見ていると、どれほど彼らが体内や脳内にエネルギーを溜め込んでいて、出したいときに出せずにいたり、出そうとしたら止められる、そういう時間を過ごしているのだろうと思う。

 

 トモちゃんは、そのトランポリン時間に人を誘うのが好きだ。きょう指名された赤木さんはそのとき、味方がすべて倒され、仕方なくリングに向かう弱々しい補欠のプロレスラーに見える。

 

 トモちゃんは、いつでも殴打できる構えで直立飛びや、開脚跳び、ねじれ跳びを楽しみ、マッチのような赤木さんが、トモちゃんの動きに合わせて大繩に入るように「セーノ」でトモちゃんと手をつなぐ。しかし、トモちゃんの激しい動き×体重で、トランポリンはほぼ直角に落ち込むすり鉢状にへこんでいて、赤木さんはその斜面に「あわわ」とつんのめってトモちゃんに抱き着く恰好になる。

 

 しかし、トモちゃんは平気のへの字で腰くだけになっている赤木さんを振り回しながら、切れたTシャツをひらひらさせ、ピョンピョンしている。赤木さんが「やっぱり外で見てるわー、トモちゃん、ごめん」と退散しようとすると、「ダメッ」と言い、入口をふさぐ。仕方なく赤木さんは、手を出し、再びトモちゃんと跳びはじめる。

 

 赤木さんはこのあいだ、50になったと言っていた。中学2年生のトモちゃんの体力についていけるはずがない。トモちゃんが最終ノックアウト攻撃に出ている。お尻座り&跳躍だ。

 

 赤木さんは「もう、どうとでもなれー」とやけくそでお尻座りに挑戦したが、やはり立つことはできず、あっけなくつんのめって正座状態でトランポリンに座り込む。止まらないトモちゃんの跳躍に正座のまま茫然と上下に揺れる赤木さん。その姿がたまらなく切ない。

 

■帰りの時間が近づいて……

 

 トモちゃんは爽快な顔で、クロックスのグレーのサンダルを履き、ひとり部屋に戻ってくる。

「終わりー?」と私が聞くと、トモちゃんは何も答えず、鼻の孔に指を突っ込み、鼻くそを出して飛ばす。近くにいたカズ君が「きたなーい」と言う。

 

「トモちゃん、ティッシュにとろうね」と言ってる間に、破れたTシャツに指をなすりつけ、今度はキーボードに向かおうとする。それを止めて、

「ねぇ、トモちゃん、汗でTシャツがぐしょぐしょだし、切っちゃったし、どうしよう。着替えようか」と声をかける。赤木さんがお母さんから預かったディズニーランドの大袋から、Tシャツと、ブラジャーがわりのキャミソールを取り出す。

 

「おしっこ、行こうかー、トモちゃん」と聞くが、トモちゃんは答えない。

「行かない?」と顔を下からのぞく。プルンとトモちゃんが顔を振り、前髪が左右に揺れる。鼻の孔が少し大きくなるが、トモちゃんはうんとは言わない。こういうときは、行っておいたほうがいい。

「行こー。行こー。トイレで着替えよう」

 やっと手を出してくれて、トモちゃんとトイレに行く。

 

 すっきりしてトイレから出てきたトモちゃんは、おもちゃが片付けられたフロアを見て、帰りの時間が近いと知る。するとトモちゃんは、着替えたTシャツの裾をまくりあげ、前歯で噛みはじめる。帰りの会で、赤木さんが新しい本を読んでいる。トモちゃんは、座ったままでTシャツを噛み続けている。

 

■クロックスが革靴に変わったような

 

 車に乗る。さっきまでの「ワタシはワタシの思い通りにするのよ、フン」と元気なトモちゃんはどこかに吹かれていなくなっている。率いられるように顔はうなだれ、車に乗ると、左上腕内側の大きなかさぶたを剥がしはじめる。

 

「トモちゃん、痛いよ、やめておこうよ」と言ってかさぶた剥がしを遮ると、トモちゃんが私の手をのける。長い間、かさぶたから皮膚に戻っていないこのかさぶたくんは、何度無理な脱皮を続けているのだろう。

 

 トモちゃんは、お母さんと弟君と住む自宅ではなく、お母さんが帰るまで、叔母さんの家に帰る。くねくねした道の行き止まりにお家がある。車が止まると、トモちゃんは別人になっている。さっきまでのトモちゃん風はどこにも吹いていない。「いやだいやだ」とくねくね人にもたれかかって歩いていたトモちゃんが、クロックスのサンダルが革靴に変わったような歩き方で、階段を一段一段きっちり自分で上る。靴を揃えて、まるでいい子を演じて部屋へ向かう。

 

 この変身に最初は慣れなかった。どっちのトモちゃんがトモちゃんなのかと、考えてもしかたのないことを考えたこともあった。どっちもトモちゃんで、そしておそらくもうひとり、どこにもいないトモちゃんがいると思ったのは、逢ってしばらく経ってからだった。

 

■管理者は「困る」

 

 その夏、トモちゃんは、3か月の施設入所が決まっていた。お母さんは、「家にいると、際限なくお菓子を食べてしまうので、施設でコントロールしてもらって、痩せさせようと思うんです」と言った。

 

 ちょうどその頃、あおぞら園は8月1日に自治体の指導により引っ越した。引っ越しは、子どもたちの動線も支援員の動線も変え、あおぞら園はかなり混乱していた。

 

 しかも、私は突然、わけあって管理者という職になった。管理とは施設の管理を意味し、施設の管理とはつまり、外部への視線も含めた「全体を視る」を意味していた。社会と個人は往々にして対立する。その矛盾するふたつをぶら下げ、いちばん混乱していたのは私だった。

 

 壁際に学校の椅子と机をつけて、学校の宿題やお絵描きができるようにした。目の前に壁があると絵を描きたくなるだろうなと思った。「ちょっと待って。入ったばかりできれいな壁にお絵描きは困るなぁ」と、私に管理者としての「困る」が芽生えたのはこのときだ。それで前もって「壁にはお絵描きしないようにしようね」と、子どもたちに約束として伝えた。こんな私の「困る」は、子どもたちに説明できるのだろうか、と思いながら。

 

 いま思えば、やはりそれは、約束ではなかったと思う。子どもたちにとって、それは指示で、指示を聞く・聞かないはそれぞれの自由で、聞かなかったからといってどうするなんてことはないし、約束はまるで宙に浮いていた。その頃私は、約束ってなんだろう、と漠然と考えていた。

 

■ワタシ、シラナイ。

 

夏になると、子どもたちは冷房が快適な図書館に行きたがった。図書館へは、できるだけマンツーマンで支援できる人数のとき、チームを編成して出かけた。トモちゃんも図書館が好きだった。トモちゃんは英語も読み、話すので、児童書の英語の本のコーナーにもよく行った。

 

 ある日、児童書のコーナーで本を探しているシュン君と隣の書架に移ろうとすると、かすかに紙の音がする。角の椅子に座っているトモちゃんを見つける。トモちゃんは、ちょうちょの描かれた薄い絵本を、びりびりと破いていた。

 

「トモちゃん、破かないで」と私は小声でトモちゃんに声をかけるが、トモちゃんはびりびりを止めない。

 

 トモちゃんが手を離したとき、本はすでに何ページかびりびりと破れていた。

 3回目だった。

 前にも2回、トモちゃんは、絵本を破っていて、一度目は「だいじょうぶですよー」と許してもらい、二度目は本を取り寄せて弁償した。

 私は、トモちゃんと話し合った。

 

「どうしてかなあ。……何かイヤなこと、あった?……あのさ、本を破ると誰が困るのかなあ。……トモちゃんが、大好きな絵本を誰かが破ったら、なんか悲しくならない?……あの本を大好きなお友達もいるかもしれないねぇ……」

 

 そんなことを、立て続けにではなく、横に座って少しずつ聞いてみる。

 トモちゃんは、頭を振り、前髪を気にし、鼻の孔をふんとし、そのうち、かさぶたを取ろうとし、寝ころがったりする。だんだん眼が、不安を映す。

 

――ワタシ、シラナイ。

 

 ここまでにしよう、と思った。

 

■壁三面の真っ赤なチューリップ

 

 その日の帰りの会の前だった。壁三面に、赤く大きなチューリップが咲いた。クレヨンを渡されると、すぐにトモちゃんは壁に行ったのだと思う。強い筆圧で、いつもトモちゃんが描いている、一筆描きのようなチューリップだった。

 

 支援員も子どもたちも、突然のことに、壁を見つめていた。

 トモちゃんは描き終わると赤いクレヨンを床に放り投げた。

 壁には、ワ・タ・シ、と書かれているように見えた。

 

 その日も、帰りの車でトモちゃんはかさぶた取りをしていたが、私は何も言わなかった。チューリップのことも言わなかった。どうすればよいのかわからなくなっていた。

 

 翌日、昼のカンファレンス中に、チューリップの件をどうとらえ、今後、トモちゃんの支援をどうすればよいのかみんなで考えた。施設に行くのがトモちゃんは嫌なのでは、との意見が出た。施設に入る前日まで、利用の予定が入っていた。日に日にトモちゃんは激しく「自分を見て。どんなことしても許して行動」に出ているように見えた。しかし、トモちゃんのこれからの事情は私たちにはどうすることもできない。

 

 しかし、できることがあった。なのに、私は大事なことを見逃した。チューリップをどうすればいいのか、チューリップの件を本のときと同じように、話し合うということが必要だったのだ。

 

 チューリップを、誰かがティッシュに水をつけたり、除光液でとったほうがいいんじゃないかと言った。借りたばかりの部屋、社長はどう言うだろう、そんな大人の事情が私の頭に浮かんだ。チューリップは、みんなの手で消されようとした。しかし、薄くなっただけで、ぼやっとしたピンクのチューリップが残った。何も解決していないだけでなく、それ以上に、いちばんしてはいけないことをしてしまったような気まずさを表すチューリップだった。

 

■冷蔵庫に追いつめられて

 

 ある日、子どもたちは児童館に行くといい、私とトモちゃんだけがあおぞら園に残った。

音に敏感なリョウ君が児童館に向かったので、「今ならキーボード、思い切り鳴らせるよ」と言うと、トモちゃんはキーボードをガンガン鳴らして遊んだ。

 

 みんなが児童館へ行く前に、私は薄い本を自分のかばんから出し、冷蔵庫の上に隠した。もしものことがあってはと思った。それはアマゾンで見つけてやっと到着した中古の、図書館でトモちゃんが破いたちょうちょの本だった。もう絶版になっているので、中古がその一冊しかなかった。これを返せないと、もうみんなが図書館に行けなくなるかもしれない。

 

 今度は折り紙切りで遊ぼうと、私がハサミを取りに台所兼事務の部屋に向かうと、トモちゃんが急に立ち上がって、私を追ってきた。

 

 トモちゃんは真剣で、怒っていて、私をどんどん部屋の隅の冷蔵庫に追いつめる。そして、冷蔵庫の上の本を取れと目と顔で言っている。

 

 なぜ本がそこにあるとわかったのか。見ていたのだろうか。私は、「何もないよ」と言った。私の中の、この本はもうこの一冊しかないんだという思いがそう言わせた。けれどそれ以上に、今、この本を渡してトモちゃんのこころが本当に満たされるのだろうかと思った。欲しいものを渡し続ける、その繰り返しに本当にトモちゃんは満たされてきたのか。渡さないといえば、トモちゃんはどうするのか。

 

 浮かんだのはそれだけではない。「ほら、このあいだの本だよ。大事に見てね」とトモちゃんに見せれば、トモちゃんは大事に見るはずだ、私のすべきことはそう信じることなのだろうか。私は信じていないから渡さないのか。信じて、またトモちゃんが破いてもまた注文する。その繰り返しを覚悟することなのか。その繰り返しの先に、何かが生まれるのか。その手前で立ち止まり、真剣に向き合うところはないのか。もしかして、それは今か……。

 

■苦しいよ、トモちゃん……

 

 トモちゃんは、両手を曲げて胸につけ、グイグイ私を冷蔵庫に押し付ける。私は呼吸ができなくなりそうで、「苦しいよ、トモちゃん」と言う。が、トモちゃんは、本当に怒りで爆発しそうになっている。「ダメ、ダメ、ダメ、ちょうちょ」と言う。私は何も言わない。トモちゃんと私は見つめ合う。

 

 私は死ぬかもしれないと思った。

 

 トモちゃんは本気だった。ポーズに見えた支援員を試すような行動も、トモちゃんはホントに本気だったのだと気づいた。

 

 わかったから。

 

 苦しいなかから目で私は「トモちゃん、やめよう」と言った。トモちゃんは、しばらく私を見つめ、最後にぐいーっと冷蔵庫に押し付けると、八畳間に戻って仰向けに寝ころがり、バタンバタンと幼児のように足をばたつかせ、手を畳に何度も打ちつけた。

 

――悲しくて、悲しくて、しかたがないよー。

 

 私は畳に膝をつき、八の字座りになってどうすることもできず、トモちゃんをずっと見ていた。私もまた、悲しくてしかたがなかった。ふたりで打ちひしがれた。あのとき、私たちは一緒に世界に取り残され、そしてまた別々だった。

 

■向谷地さんのひとこと

 

 赤からピンクに変わった、消されたけれど消しきれなかったトモちゃんのチューリップは、今も私のなかで咲き続けている。

 

 3年も経って、機会を得て、べてるの家の向谷地生良さんにそのことを話した。すると、向谷地さんは、

「チューリップを消すことを、彼女に了解を得たんですか?」と聞かれた。

「それは、していません」と私は答えた。

「チューリップをどうするか、それを話すところから始めることもできましたね」と言われた。

 

 何に私は3年以上引っかかり、自分のしたことを消化できないのか。消化できない間違った方法を取ったからだ。

 

 借りた家の壁の白さも、残りあと一冊の中古の絵本も、折り紙の枚数も、その事情のまま、支援員の考えたことを正直にトモちゃんと話し合えばよかったのだ。たとえトモちゃんが言葉を自分と同じようには発しなくても、信じるとか信じないとかではなく、ただ話し合う。向き合う。

 そこから、別の方向の何かが生まれたかもしれないし、生まれなかったかもしれないけれど、それを繰り返していくことだった。そのうちに、少なくとも私がこだわった条件は、どうとでもなることに変わっただろう。トモちゃんは、自分の絵が消されず、残されることで自分の存在が認められるという、もっとも根底的な満足を得ることができたろう。

 

■選択肢なんてない土俵際で

 

「これしかないという一択ではなく、少なくとも二択を差し出しましょう」という、支援側、もしくは保護者のありかたや態度が推奨される。とにかく、選択肢を提示することが大切だと。しかし、カードを切るのが支援側・保護者だけなら、いくら選択肢があっても同じな気がする。

 

 世界は、誰かの用意した二者択一によって生まれるのではなく、自分も入って一緒に探り合った果ての納得のいちおうの答えだ。約束はいつも宙にしかない。それを両方で叶えたら、約束は果たされるけど、それが大事なことでもない。大事なことは、両方で向き合い、考え、納得して果たしたということだ。

 描かないという約束と、描いた気持ちは別のところにある。それぞれを別々のものとして捉え、どうつなげるかを考えることだ。

 

 選択肢なんてない、どうしようもない土俵際に持ち込まれることもある。冷蔵庫の前で、トモちゃんと私はかなりな相撲をしたけれど、あれはあれで、互いに真剣に向き合った時間だったのではないかと思っている。トモちゃんは傷つき、あきらめ、私はとてもじゃないけどよい支援者などではなく、無力な自分を崖の上から突き落とされたみたいに感じた。

 

 

 最近、トモちゃんを見た。

 

 トモちゃんのお家は、急な坂の途中にある。私は坂の下から車で登っていた。冬に入ったのに、ピンクのTシャツに黒いスパッツの女の子がドスドスと坂を走って降りてくる。おかっぱ頭の黒髪を揺らし、手を縦に振り、クロックスのサンダルで、飛び跳ねるように。後ろから、必死の形相でお母さんが追いかけている。

 

 トモちゃんは、走り続ける。必死に走り続けるのだ、トモちゃんは。

 

――ワタシは、ワタシで、行くのヨー。

 

 私はフッと笑った。そして少し頭を掻き、坂道を上るためにアクセルを踏んだ。

 

 

■放デイとは

 放課後等デイサービスのこと。発達障害・知的障害を持つ児童を中心に、肢体に不自由がある児童、排泄自立が困難な児童も含め、小学校1年生から高校3年生までの学齢期の児童が、支援や療育を受けるために学校や自宅への送迎により集まる通所サービス。1日の利用上限は約10名。対してスタッフ34名で支援する。

 マンションの一室やビルのワンフロアなど、決して十分に広いとはいえない空間で展開している場合が多い。そこに、学齢も性格も発達の道のりも違えば、障害の混ざり具合も、特性も、表出の仕方も無限にスペクトラムな児童らが集まる壮大かつ濃密な世界が広がる。

(中山求仁子「劇的身体」第10回終了)

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