第9回 アイラちゃんの涙

第9回 アイラちゃんの涙

2020.12.08 update.

中山求仁子(なかやま・くにこ) イメージ

中山求仁子(なかやま・くにこ)

2017年から18年まで、神奈川県のとある放課後等デイサービスの管理者として勤務。自身も幼少期から横綱級ADHDであり、現在は双極性障害も発症している。
大阪大学文学部美学科音楽演劇学コース卒業。高校時代よりモダンダンス、大学入学と同時に小劇場演劇を始める。2001年退団以降、人生自体が演劇のような双極 I 型ジェットコースターライフを送っている。韓国映画と韓流ドラマをこよなく愛す。

 

 空にまっすぐに伸びた細い枝には葉がまだついていない。その枝の先に、白く薄い花びらが花開くというより、空に向かって羽をわずかに広げるように咲いている。

「いってらっしゃい」という母の声を遮るように、塗装のはがれかけたドアがパタンと閉まる。鉄の門をギーと鳴らして開け、そして閉じる。

 グレーのプリーツスカートが微かにザワッと脚に触り、かばんが肩からずり落ちる。

――ああ、また学校。

 そんなこころの声を自分で聞き取り、どこかから体中に萎えた気持ちが広がるのを感じながら、道に一歩足を踏み出す。アスファルトじゃない土の道に、きのう降った雨の水たまりができている。

――いやな道。

 エイッと水たまりを飛び越えたつもりが、スニーカーの後ろに泥がつく。下駄箱で目立つじゃないかと、それだけで学校に行きたくなくなる。

――休もうか。

 家に引き返そうとしたとき、向かいの畑で作業をしていた斎藤のおじいちゃんから声をかけられる。

「おー、おはよう。あーちゃん。いってらっしゃい」

 そう言われると、もう家には戻れない。足が止まる。

――「あ、忘れ物」と言って戻ろうか。

 それはできないんだ。そう、交換日記をりかちゃんに渡さなきゃ。行くしかない。

 ずいぶん経ってから、「おはようございます」と斎藤のおじいちゃんに小声で返事して、土の道を歩きはじめる。

 

■重度と軽度

 

 アスファルトの道路まで15分。坂の下に出ると、そこから、長く急な上り坂を歩く。

 滝の坂と呼ばれるこの坂の上は、この町でいちばんおいしい湧き水が出る山頂だ。そのてっぺんからまた坂を下り、町の大きな道路に出て、役場まで15分ほど歩き、その先の山の中に中学校がある。片道50分。

 

 人口3.5万人の町の町立の小学校は4つあり、小学校のときは、横須賀へ向かう農作地帯の小さい小学校に通っていた。特別支援学級の生徒もごく少数で、先生とほぼ1対1でのんびりと過ごすことができた。

 中学になると、4つの小学校の特別支援学級から子どもたちが寄り集まる。アイラちゃんは知的な軽度の障害があると診断され、特別支援学級に入ることになった。

 

 重度と軽度。アイラちゃんの住む神奈川県では、A1、A2、B1、B2と障害の程度が診断されている。療育手帳にもその表示があり、表示によっては電車の運賃の無料化等が受けられない場合がある。

 一緒に箱根登山鉄道に乗ろうとしたら、運賃を払わなくてはならない子とそうでない子がいて、窓口の女性ににべもなく「決まりなので」と言われたことがある。決まりだから払うけれど、「そういう言い方はないだろう」と詰め寄りたくなる気持ちが胸にたまる。

 

 A1が最重度でB2が最軽度なのだが、これを書いていても、人を分けるそのものさしが気持ち悪くてしかたがない。この連載に登場した子どもたちはA1からB2の認定を受けている子までさまざまだ。しかし今まで書いてきたとおり、重度の子どもの支援やかかわりあいに困難があったり、軽度の子だと楽だなどということはまるでない。

 

 社会に出て仕事して自立、とにかく社会参加。どの認定を受けても、どんな障害を持っていても押し付けられるその言葉。軽度と認定された子どもたちはなおさら、「将来、将来」と言われ、「ちゃんと」仕事して生活することを前提に障害の「乗り越え」を求められる。でも、その子の障害とかかわる、とても繊細で、精神の柔らかなところに澱のように溜まる出来事や周りへの違和感を、支援する側が掬い取ることはあまりない。

 

 そこを無視されたまま大きくなるということは、自分が自分であることを大事にされずにただ「大人になれ」と言われているのと同じことだと思う。

 

■笑っていたけど泣いていた

 

 中学で特別支援学級に入ったアイラちゃんは、B2の領域だと診断され、交流級で過ごすことも多かった。交流級の友達はアイラちゃんにとてもやさしかった。いろんなことを教えてくれ、アイラちゃんができないことを手伝ってくれた。

「なんだアイラ、こんなの簡単だよ。こうしてこうすれば……」と友達はアイラちゃんに何かと手を差し出してくれた。家庭科や図工や音楽、体育。

 

 アイラちゃんは、友達がたくさんできて、うれしかった。けれどいつも自分がみんなより遅くて、みんなとは違っていて、みんなと同じようにしたくてもできないし、それよりも何よりも、自分のしたいようには誰からもさせてもらえない窮屈さを感じていた。やがて、自分がしたいこともわからなくなっていった。

 

 アイラちゃんは、みんなに背中を押され、手を差し出され、一緒に学校の時間を過ごしながらみんなと笑っていたけれど、泣いていた。それでも、特別支援学級で先生に「もっと早く。もっと上手に。もっとちゃんとできるでしょ。みんなに追いつけないわよ」と言われて授業を受けるよりはましだったのだ。

 

 アイラちゃんは、50分かけて通うこの中学で、追い立てられるように過ごし、疲れ果てて、また片道50分かけて家に帰った。

 

 食べるのがゆっくりで、みんなと同じ速さではお弁当を食べれないアイラちゃんは、あるとき、お弁当をやめた。小さなおにぎりひとつ持って学校に行くようになった。それで十分だった。緊張したままのアイラちゃんは、もうおにぎりひとつきりしか口に入らなくなっていた。アイラちゃんの体重は10㎏減った。

 

 高校の進学を決める頃。アイラちゃんは、軽度の子の通う県立の養護学校に通うことにした。村の人々は、アイラちゃんの普段の接し方に特別なものはないと感じ、なぜ養護学校に通うのだと無神経に聞いてきた。アイラちゃんと相談して決めたお母さんはこう言った。「普通を目指すことと、定型発達の子と一緒に過ごすことのプレッシャーから、解放されたいという気持ちがあったのではないかと思います」

 

 アイラちゃんの通う養護学校は、神奈川県の山の中にあった。アイラちゃんの家からはバスと電車の乗り換えが2回、さらにバスに乗ってやっとたどり着く片道2時間近くかかるところにあった。

 

■泣き顔で笑う授業参観

 

 私はアイラちゃんの授業参観があると聞き、学校まで行ってみた。

 もともとは県立の普通高校だった校舎を養護学校に改変したので、生徒数のわりに校舎が広い。アイラちゃんのクラスも、広い教室に数人の生徒。同数ほどの先生が見守るなかで課題に取り組んでいた。

 

 校内を見て歩く。農園芸班、環境整備班、クラフト班、手芸班、事務班、料理や弁当班、なかにはアイロンがけをしている縫製班もある。その日は、社会に出て働くための技術と心構えを培う「職業」の授業が全校的に行われていた。校内用の弁当をつくり、販売も行っていた。廊下に面接のときの重要事項、たとえば服装・頭髪・目線・態度などを図解した手書きのポスターが貼ってある。

 障害を持つ子どもたちが「社会で働く・仕事に就く」ということは、重大かつ最大の目標なのだった。彼らの今は、将来のための時間であることに私は衝撃を受けた。

 

 一緒に行った相方の児童発達管理責任者の富田さんは、自分のお子さんもASD(自閉症スペクトラム)を持っている。富田さんが小さい頃から厳しく教育し、息子さんは今、パン職人として地方で働いている。

 通常の形で事業所に雇用されることが難しいとされる障害を持つ人々は、障害者総合支援法にもとづいて行われる就労支援事業によって、雇用契約を交わす場合が多い。それにも契約を交わすA型、契約は交わさないB型というふたつの就労方法があるが、どちらも通常の雇用とは収入が違う。息子さんは、富田さんの支えとアドバイスで技術を身につけ、就労支援事業に依らずに就職した。

 

 ときどき、送迎を終えた残業時間に、隣で事務作業をする富田さんに電話がかかってくる。息子さんだ。「うん、うん」と聞く富田さんが、席から急に立つ。廊下で説得する声が続く。息子さんは30歳を過ぎている。

 富田さんは、「子どもたちが、社会に出て、できたほうがいいことはできるだけできるようにする。放デイはその場所だ」と言う。「一緒に楽しく」ばかり考えている私とは違う。けれど、ときどき「息子に小さい頃から無理させてきたような気もする」とこぼすことがある。

 

 アイラちゃんはその就職を目指した学校で、第8回で話した通り、リモコン入れをつくっていた。しかし、手際よく紙を貼るダウン症の女の子の傍らで、なんとなく、つくり方がわからないままに、リモコン入れをつくっていた。女性の先生のところに持っていくと、「紙の貼り方が違うじゃない。聞いてなかったでしょう。やり直し」と言われたが、机に戻っても、ぼーっとしたままだった。

 貼ってしまったものはしかたがないのだから、もう一度新しい紙を用意してあげればいいのに、と思った。しかし、先生は参観に来ていたアイラちゃんのお母さんに、「ずっとこういう状態なんです。どうすればいいか私にもわかりません」と告げていた。

 

 アイラちゃんが私と富田さんが後ろにいることに気づいた。喜んで手を振ってくれた。ふんわりしたショートカットの笑顔に、私は泣き顔で笑って返した。

 

 お母さんから聞く話では、アイラちゃんは高校に入ってから体重が10㎏増えたそうだ。通学が原因らしい。経路がとても複雑で、電車のホームを間違えるとまったく反対の方向に行ってしまう。移動支援の人についてもらって通学の練習をしたが、うまくいかない。結局、お母さんが車で送迎することが多くなる。通学に50分かけていた中学時代とは運動量が違った。

 

 また、授業参観のときに見た先生の印象は厳しかったが、中学のときはもっと厳しかった。アイラちゃんは気が緩んで、ここでも、何をすればいいのかわからなくなった。暮らしのリズムが狂いはじめ、学校にも行ったり行かなかったりになる。放デイで楽しくなって、学校に行けるようになればとお母さんは願っていた。送っていくと、2時間ほどお母さんの悩み話は続く。

 

■生きてるとはそういうこと?

 

 子どもたちの“生きるほんとう”は、どこにあるのだろう。おかあさんの話、先生の話、放デイの私たちの話でもない。子どもはまるで独立した心象を持っている。話も思いも、立場が違えばそれぞれなのだ。

 

 かつての特別支援学級の先生が、放デイに視察に来られることがある。

 第4回登場のケイ君(ダウン症・ダンス好き)、第6回登場のカイ君(自閉症・食べ物好き)やアイラちゃんの担任の先生が来られた。みんなと対面する。先生方は「元気だった~?」と抱きつき、スマホに保存している彼らの昔の写真を見せて思い出を繰り出そうとする。

 

 けれど、子どもたちの反応は誰もいまいちなのだ。「誰、あなた?」という顔をして、なぜか先生だけが盛り上がって帰っていく。

 

 カイ君の中学の特別支援学級の先生は、お母さんに非常に信頼されていた。その先生は、カイ君が放デイに通いはじめた頃、私にこう言った。

「カイ君のいちばん良いところはまじめなところです。そして、どんなことをしても誰からも嫌われないところです」

 私は「どんなことをしても嫌われない」って、なんのことかと思った。

 

 カイ君の学校に特別支援学級に迎えに行くと、カイ君が交流級から帰ってくるまで、先生方の居並ぶ教室で待っていなくてはならない。私はそれが苦手で仕方なかった。

 

 ある日のお迎え時。カイ君が自分の体操服を教室の棚に置いていた。すると担任の先生が、すでに畳まれていた体操服をくちゃくちゃにしてポイと台に投げた。そしてカイ君に、畳んでからかばんにしまうよう指示した。私の顔はムンクの叫びになりかけた。なんとかして通常の顔を保持し、カイ君が淡々と体操服を畳むのを見つめた。

 もしカイ君が小さな小学生ならば、私は教室を出た瞬間に手をつないだろう。けれど、カイ君は中学生だからできない。

 

 車に乗ってからバックミラーでカイ君の様子を見たが、いつもと変わらない様子をしている。きっとああいうことはいつものことで、カイ君にとっていま「生きてる」とはそういうことなのだと思った。

 私は、「生きてるというのはそういうことなのだ」と受け入れて生きている子どもたちに、「ちょっと違って、ちょっと楽しい生きてるがあるかもよ」を一緒に見つけたいと思っていた。けれどその岩盤は穿ちがたく重いと、そのとき知った。

 結局その日、私がカイ君にできたのは、おやつを少し増やすことだけだった。

 

■イケメンがアイラちゃんを見つめている

 

 アイラちゃんも、カイ君とは違う意味で、生きてることがよくわからないまま暮らしていたと思う。薄暗い落とし穴に落ちちゃったような世界。ただイケメンだけがその穴の口で、輝く石のように光りながら、アイラちゃんを見つめてる。そんなふうに思ったのか。

 

「アイラちゃん、どうしてあんなにイケメンが好きなのかなあ」

 その日、アイラちゃんと一緒にドリルをしたバイト息子に聞いた。

 息子はスマホをいじりながら呆れたように言う。

「あのねぇ、『内容がないのにちょっとイケてて、サッカーしてる男子』ってのが、女子っていう人たちはぁ、好きなんだよ。そういうもんなの。フツーのことでしょ。何言ってるの」

 受け入れて合わせろと息子に言われている気がした。

 

 高校に迎えにいったとき、アイラちゃんは、髪の毛がツンツンしているイケメンの先生と話していた。とても楽しそうだった。私はしばらく黙って遠くから見ていた。

 

 アイラちゃんは、10㎏太ったというけれど、手足が長く、色白で、かわいくて、どこかキラキラした、モデルさんのような世界に向いている可憐な子だと思う。何もしたことのない手タレみたいな長い指をしている。そういう将来だって全然ありだと思った。

 

■マックの2階にて

 

 ある日、「何かしたいこと、ない?」とアイラちゃんに聞いた。すると、「マックに行きたい!」と言った。

――おお、マック、行ってないのか!

 ところで実は、「マックに行く!」は、放デイのやりたいランキングの上位だ。第3回登場のショウタ君も、マックに行きたくて仕方ない。ご指名の富田さんが一緒に行ったけれど、うれしそうに富田さんのポテトも食べ尽くしたそうだ。

 

 アイラちゃんもシェイクを飲みながら、きれいな指でポテトをつまんで食べていた。

「今度は何したい?」と聞くと、

「えーっ。イケメンとカフェに行ってパフェ食べたい♡」とうれしそうに言う。

「そうかあ。イケメン、見つけなくちゃね」

「坂本先生。彼女いるんだって」

「あの、髪の毛立った先生?」

「立ってないよ。ムースだよ」
「そうか、ごめん」

「いいよ。……また探すよ」

 アイラちゃんはそう言うと、マックの2階の窓から外を眺める。

 

「あの人、イケメンじゃない?」と私がスーツを着た細身の若者を指すと、

「えー、中山さん、ダサーい」と言われた。

 なんか、フツーだった。

 中学の頃、クラブの帰りにマックに寄って、先輩の誰がかっこいいとかシェイクひとつでくだらない長話をしてた頃に一瞬戻った。ジリッと少し前に椅子をせり出す。アイラちゃんの横顔が近づいた。友達のように感じた。

 

 

 そのうちに、アイラちゃんは放デイあおぞら園を利用しなくなった。アイラちゃんにはアイラちゃんの生きる世界と通りすがる道があり、そこにあおぞら園は建っていなかったのだろうか。

 

「イケメンだけじゃない世界をアイラちゃんに見つけよう!」なんて勝手に妄想していた私。昨年1年間、双極の鬱モードで、ゾウリムシのようにベッドにへばりついて生きた。韓流ドラマのイケメンは世界を灯す光だった。今ならばアイラちゃんの気持ちが痛いほどよくわかる。

 

 気づいた。私もアイラちゃんを理解したようなふりをして、押し付けていた。先生と変わらない。無力でありたくないと思ったのも、思い上がりだった。

 アイラちゃんもカイ君も、自分の生を自分で生きている。そこにどうかかわることができるかは、手助けできない個々の生の部分がある。それは身にしみてから見えることだったかもしれない。すぐにおいしい果実を手に入れようとしたのは、たやすい自己満足だった。

 マックの2階の窓から外を見るアイラちゃんのまなざしは、「シェイクって、苦い」と言っていたのかもしれない。

 

■放デイとは

 放課後等デイサービスのこと。発達障害・知的障害を持つ児童を中心に、肢体に不自由がある児童、排泄自立が困難な児童も含め、小学校1年生から高校3年生までの学齢期の児童が、支援や療育を受けるために学校や自宅への送迎により集まる通所サービス。1日の利用上限は約10名。対してスタッフ34名で支援する。

 マンションの一室やビルのワンフロアなど、決して十分に広いとはいえない空間で展開している場合が多い。そこに、学齢も性格も発達の道のりも違えば、障害の混ざり具合も、特性も、表出の仕方も無限にスペクトラムな児童らが集まる壮大かつ濃密な世界が広がる。

(中山求仁子「劇的身体」第9回終了)

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