第6回 荒々しさと一緒に生きる

第6回 荒々しさと一緒に生きる

2020.11.10 update.

中山求仁子(なかやま・くにこ) イメージ

中山求仁子(なかやま・くにこ)

2017年から18年まで、神奈川県のとある放課後等デイサービスの管理者として勤務。自身も幼少期から横綱級ADHDであり、現在は双極性障害も発症している。
大阪大学文学部美学科音楽演劇学コース卒業。高校時代よりモダンダンス、大学入学と同時に小劇場演劇を始める。2001年退団以降、人生自体が演劇のような双極 I 型ジェットコースターライフを送っている。韓国映画と韓流ドラマをこよなく愛す。

 その日も最終部分の台本が出ず、稽古場で待つ役者は打ちひしがれていた。

 座付き作者である座長は現れなかった。公演は2週間後に迫っている。出来上がっている台本の稽古と、道具の作業を早めに終わらせるしかない。ところが、道具づくりは容易ではなかった。

 

■共犯者たち

 

 座長にはヘンな癖があった。舞台をすぐに大がかりにしたがるのだ。私が在籍していた頃につくった突飛な舞台は、こんなところだ。

――中央の円形舞台以外に、砂を敷いた回廊のような舞台がもうひとつあり、客席はその外にせりあがっているローマのコロッセオのような舞台。

――瓦屋根の上で芝居をし、大団円に大量の一円玉が降ってくる舞台。

――客席がモンゴルのパオになっている舞台。

 

 冷静に振り返れば、その舞台と台本の必然性はまるでない。そもそもこうした舞台のプランが決まるのは、台本が書かれるずっと前のこと。居酒屋で劇団員の酔いが回り、その場の勢いでとんでもないことを思いついたひとりがペロッと漏らした一言に、座長が食いつく瞬間に始まる。

 

「それ、おもろいなあ。それいこか!」

 一瞬、みなの顔は凍るが、酔いが凍りを溶かしてしまう。

「そうすか! やっぱり、おもろいすか!! あははは」

 勢いづいて、また飲んで、翌朝には次回作の途方もない舞台が決まっている。

 

 なぜそんな舞台をつくるのか。

 戯曲を書く作家とは、創造主に近い存在だ。舞台をつくらせ、役者に演じさせ、音響を思い通りに流したり、照明をパっとつけたりして、自分の描いた物語を下敷きにひとつの世界をつくり上げる。同時に劇団員からの期待やプレッシャーや公演の責任が重くのしかかる。予備校のカリスマ人気講師の裏面で、なんとか時間を見つけて台本を書く座長は、自分の創作意欲を強く刺激し、起動してくれる突拍子もない舞台や、個性的な役者を強く求めるわけである。

 

 けれど、作家の要求に応えた居酒屋での思いつきが、現実として始まってしまうことにいかなる苦難が予想されようと、周囲はまるで立ち止まろうとはしない。そこには「きっといいものができる。この舞台をつくれば、座長はおもろい芝居を書いてくれる!」という悲しいほどの信仰と帰依がある。これは劇団という集団に漂う、「共犯」の雰囲気にほかならない。

 

■アブナイ演劇俗語紹介!

 

「あした、10時から、たたきまーす」

 稽古場で、道具方の滝谷君が叫ぶ。その声には悲痛な叫びがこもっていた。居酒屋で生まれたとんでもない思いつきの実行のために、大道具はてんてこまいだった。滝谷君は、まるで授業に行けない日々が続いていた。

 

 さて、滝谷君が叫んだ〈たたき〉とは、舞台の特殊な形の台や建具、書割などをつくる大道具の作業を指す。

 大学校舎のピロティなどで、電ノコを使ってウワンウワン板を切る。ペンキを塗る。つくった大道具は、学生会館の一角を私物化した倉庫に入れ込む。ともかく、滝谷くんをはじめとする学生さんの力でたたきの作業がなんとか終わり、他の部門も作業が終わった。いよいよ翌日はホール入りだった。

 

 2トンロングのトラックが到着する。積み込みが始まる。大道具、小道具、衣装、照明、暗幕などすべての荷が1時間ほどかけて積み込まれ、カバーをかけ、紐で縛られる。積み込みが終わると、滝谷君が叫ぶ。

「明日のホール入りは8時10分。搬入は8時30分。遅れないように。仕込み、大変なので、覚悟して。よろしくお願いします!」

 

 というわけで、とうとう芝居の前日に行われる、〈仕込み〉に入る。「醤油を仕込む」「味噌を仕込む」と日常使われるように、「仕込む」には、時間をかけてじっくりよいものをつくるイメージがある。ところが芝居の場合は、公演前日に怒涛(どとう)のように道具を入れ、劇空間を一日にしてつくりあげるのだ。

 

 その急ごしらえに最もよく使われる道具が〈殴り〉だ。これは芝居の俗語で、通常は金づちといわれる大工道具を指す。

 何もない小劇場のホールには、舞台と客席をつくる必要がある。舞台の形にハコ馬を置き、その上に平台を置く。ハコ馬と平台を釘で固定するのが、殴りで「縫う」作業だ。終演後に釘を抜かなくてはならないので、釘抜きバールが入るすき間だけを開けて、殴りを止める。この加減がむずかしい。

 

「あ、もうちょっと、殴っといてください」

 加減に戸惑っていた私は、通りかかった滝谷君に指示される。

「あ、はい、殴ります」と私。

 

 殴りが足らないと、パンチ(カーペット)が破けたり、平台が固定しない。しかし反対に釘の頭まで殴ってしまうと、バラシ(後述)のときに、

「誰やー、頭まで殴ったんはー!! バラせんやろがー!!」と、どやす大声がホールに響く。

 言葉だけ聞けば、反社会的集団のアブナイシーンのように聞こえなくもない。

 

■ガンガンすると、オラオラと高揚する

 

 この殴りと、くぎ抜きバールやカッター、メジャーを入れる袋を〈ガチ袋〉と言う。ガチとは平台どうしを止めるカスガイのことで、そのガチを腰から下げた袋に入れていたことから使われるようになったそうだが、私はてっきり「ガチだぜ!」という意気込みが名前についたと思っていた。

 ある頃から私はこのガチ袋を下げ、大道具の仕込みに参加して、ガンガン、ガチで殴っていたことがある。

 

 モノを殴る。かなりの快感である。

 ガンガンガンという、強い衝撃のリズムがホールのあちこちで生まれている。

 その同時多発な音とリズムに乗って、私の体とこころは高揚し、覚醒していく。

 

 しだいに荒っぽい足つきになり、私は工事現場の人みたいに「オラオラオラー!」と歩いている。搬入口で煙草休憩してる座長や滝谷君と一緒に不良座りをして、缶コーヒーをグビグビ飲んでみたりもする。どんどん違う自分になっていく。

 

 オラオラもグビグビも、私にとっては、本番で劇をする体に変身するためのジャンプ台だったのかもしれない。

 ところがこんな前段階が不要な人間もいて、たとえば夫(第4回登場・怪優)は、大型トラックを運転し、搬入後にトラックを運送屋へ返しに行ってから、仕込みは嫌いなので近くの喫茶店でお茶を飲んでいたことが近年発覚した。

 

 そんなヤツは放っておかれ、道具が立て込まれ、照明や音響がセットされ、舞台が整う。それからまだいろいろあって、初日が来て、あっという間に楽日(公演最後の日)が来て、芝居が終わったらメークを落とし、バタバタとその日のうちにバラシの作業に入る。

 〈バラシ〉。

 これが最終ワードだが、文字通り「ばらす」のである。

 

■バラさないと、体は終われない

 

 ところで、最初の俗語から並べてみよう。

 タタキ、ナグリ、シコミ、バラシ。

 すなわち、

 叩いて、殴って、仕込んで、殺す。

……あらためて恐ろしすぎる。この単語の並び方に、犯罪ワールドの連想は否めないだろう。

 

 「バラす」は解体を意味するが、この語の並びは明らかに、荒々しく扱われるべき対象があることを示している。その対象とは、劇の虚構である。

 荒々しくつくり、荒々しく始末する。「バラす」に容赦なく劇を突き放す感じが漂うのはなぜだろう。「バラす」は、劇が終わったことを自分たち自身に告げる役割を負った言葉ではないか。

 そう言えば、毎回、「終わったのだよ、君の劇は。劇はつかのまの幻想。現実に帰りなさーい。チャラリ~ン」という意地悪な声がどこからか聞こえてきたような気がする。

 

 だからかもしれない。バラシはせわしなくて、みな不機嫌なのだ。さっさと作業していないと、「何してんや!」と冷たい言葉を浴びる。

 私は何もかも取り払われていく舞台を見ると、寂しくて目じりが下がる。しかし容赦なくバラシは進む。でも、そうして切り落とされるように消えてくれないと、私の体は虚構を終われなかっただろう。

 

 何もないホールにぼやっと立っていると、搬出口の向こうに、暮れる夕日が差し込む。別の空気を吸い、私の体は現実を思い出した。

 

■「強度行動障害」の子どもたち

 

 夏が終わろうとしていたあの日、海岸で、カイ君は何を思っていたのだろう。

 

 海水浴に訪れた知らない子どもたちの水鉄砲を、中3のカイ君は取り上げては砂にうち捨てる行為を繰り返した。そのカイ君を、私は一瞬、芝居のワンシーンのように、まぶしく見たことを憶えている。なんとかしなくてはならないその場面に、私は「いいじゃないか」と立ち止まっていた。

 

 夏の初めに、私は放デイを統括する本社から「強度行動障害」の研修を命じられ、丸2日の講座に出た。自閉症や自閉症スペクトラムを持つ子どもや大人に多い「他害や自傷等の特性を複数持つ状態」を、このすさまじい音の連なりの名称で呼ぶことにしたのは、20年ほど前のことだと言う。

 

 聞いているうちに私は不思議な感覚を覚えた。なぜなら、園に来るほとんどの子どもに、その行動のひとつやふたつは見られるし、放デイではそういうことはまるで日常のことだったからだ。それをあらためて「大変なこと」にくくられると、なんとも言えない座りの悪い気持ちが芽生えた。呼び名の強烈な印象に打ちのめされ、問題だと切り取られた行動ばかりが耳に入ってくる。私のこころは混乱した。

 

 その一方で、研修の言葉は私の内面にするすると落とし込まれていた。たとえば小2のカズ君が小枝を持っていたら、私は今までよりハッとするようになった。その私の顔を見たカズ君は、余計に小枝を振り回すようになった。

 

 ムツミちゃんがかさぶたをはがしていると、「イケナイ、イケナイ、なんとかしなきゃ」と心臓がバクバクする。すると、ムツミちゃんは私の鼓動を感じ取って、おもしろがってかさぶたを余計にはがすようになる。

 泣きたくなるほど私は言葉の影響を受け、この呼び名に取り込まれていたのだった。

 

 その私が、カイ君が子どもたちから水鉄砲を取り上げはじめたとき、なぜあたふたしなかったのだろう。私は私で、もういいかげん、言葉に振り回される自分にうんざりし、振り切りたかったのだろうか。カイ君は、その手助けをしてくれたのだろうか。

 

■一緒にいたのか、いてくれたのか

 

 そのとき、私は速足で浜を歩くカイ君に近づいて、ふっと息を吐いてから静かに言った。

「カイ君、あっちに行こうか。ほら、あそこ」と堤防をまっすぐ指す。

 カイ君は立ち止まり、私の顔を見つめた。それは、彼がよくする互いのかかわりを信じるべきかどうかを測るまなざしだった。

 私はその眼を見つめてもう一度、「ほら、あそこで、お茶とおやつを食べよう」と誘う。カイ君の背中を抱いて、少しずつ砂浜から海のほうに向かい、波の打ち寄せる濡れた砂を歩く。

 

 カイ君は不思議と、すれ違う水鉄砲にはもう目をやらなかった。それより砂に足跡がつくことに気が向き、そのうち私から離れて、波打ち際をひとりで歩き始める。ついさっきまでのことは忘れたかのように首をカクカク振り、手の平をひらひらさせながら歩いている。そのうち、お母さんの言葉をつぶやき始める。

 

「カイ君」と私は声をかける。

 カイ君が、お母さんの高い声色で「もう、だから困るのよ」とつぶやく。

「あそこまで行く?」

「もう、いやよ!」お母さん声だ。

「わかった。行こう」

 

 私たちはやがてお尻が痛い堤防の縁に座る。堤防にぶつかる波がちゃぷんちゃぷんと、泣いているのか遊んでいるのかわからない音を立てている。

 カバンから水筒とおまんじゅうを取り出し、カイ君に渡す。私は自分の水筒を取り出しお茶を飲む。首筋にお茶が伝う。ハンカチで拭きながら、目からなぜか伝う涙を一度だけ拭いた。

 

 カイ君が一瞬でおまんじゅうを食べ終わり、つぶやく。

「だから、困っちゃうんだって、もう!」

「困らなくていいんだよ、カイ君。だいじょうぶ。一緒にいるから」

 私はクサい芝居のようにそう言ってみたが、そのとき、一緒にいてくれているのはカイ君のほうだと思った。

 

 そのカイ君は水筒の水を、口を風船のように膨らませてガブ飲みしていた。水を飲むのに真剣なその顔は、いつ見てもおかしかった。

 海風に私の頬も首筋もすっかり乾いていた。

 

■「うれしい」「楽しい」「寂しい」と同じ合図

 

 「荒々しさ」は、かっこに入れられる。荒々しさによってつくられる演劇の舞台も一時の虚構だし、演じられる内容もまた「普通では起きないこと」だ。だけど、それをやりたい、観たい人間がいるのは、「普通」では居心地が悪く、息ができない思いを抱く人がいるからだろう。つまり「普通」でないことも人は求めている。

 

 その「普通でないけど普通な」世界を、現場で荒々しい言葉を使い合って一緒につくり出そうとすることと、本人の外で、強い言葉で障害だと名づけ、「普通でない」とくくり、行動の捉え方や支援法を普及して線を引き続けるのは、まるで逆方向に歩くことのように思う。

 

 私は後者に、人間の持つ本来の「荒々しさ」などとは異質の暴力性を感じる。同時に、自分がすぐにそれに絡めとられる人間であることも痛いほど知っている。けれど私に起こった台風のような研修の混乱は、子どもたちと、一緒に働くスタッフが何も言わずに追い払ってくれた。

 

 いつもの私に戻ると、たいていの子どもはいつもと同じに振る舞ってくれた。でも、いつもに戻らない関係もあった。そういうことをそのままに受け、子どものしぐさや顔つきやそういうこまごまとしたことを感じ取りながら、一緒にいたいとあらためて思った。もちろん、「荒々しさ」も。

 

 それは、「うれしい」「楽しい」「寂しい」と同じ合図で、だから一緒に生きるのだ。ただそれだけなのだと、私は強く思った。

 

■放デイとは

 放課後等デイサービスのこと。発達障害・知的障害を持つ児童を中心に、肢体に不自由がある児童、排泄自立が困難な児童も含め、小学校1年生から高校3年生までの学齢期の児童が、支援や療育を受けるために学校や自宅への送迎により集まる通所サービス。1日の利用上限は約10名。対してスタッフ34名で支援する。

 マンションの一室やビルのワンフロアなど、決して十分に広いとはいえない空間で展開している場合が多い。そこに、学齢も性格も発達の道のりも違えば、障害の混ざり具合も、特性も、表出の仕方も無限にスペクトラムな児童らが集まる壮大かつ濃密な世界が広がる。

(中山求仁子「劇的身体」第6回終了)

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