第28回 乗っ取られた体

第28回 乗っ取られた体

2019.3.29 update.

樋口直美(ひぐち・なおみ) イメージ

樋口直美(ひぐち・なおみ)

1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断された。
2015年に上梓した『私の脳で起こったこと――レビー小体型認知症からの復活』が、日本医学ジャーナリスト協会賞を受賞。
思考力自体には問題はないが、空間認知などさまざまな脳機能障害のほか、幻視、自律神経障害などがある。
自分で手作りした下記サイトには講演動画や原稿や記事を集めてありますので、どうぞ。
https://peraichi.com/landing_pages/view/naomi
また本連載の目次サイトはこちら⇒https://peraichi.com/landing_pages/view/gosadou

 

■蛇で埋め尽くされたプール

 

うつ病の治療を始めて2日後には、あまりにもひどい倦怠感から「もう仕事をしたくない」と初めて思い、3日後には経験したことのない発作に襲われるようになりました。

 

突然、理由のない不安感が体の中に現れたと思うと、ものすごい勢いで巨大化していきます。体の中で獣が猛り狂っていると感じるのですが、それが何者なのかを考える余裕はありません。蛇で埋め尽くされたプールに突き落とされたらと想像したら、そのときの私の混乱が伝わるでしょうか。

 

「エクソシスト」という古い映画で、悪魔に乗り移られた神父が、自ら窓から飛び降りて死ぬことで悪魔を退治したように、私もその獣から逃れるためだけに階下に飛び降りるかもしれない……。

 

私は急いで靴をはくと、外に飛び出し、全速力で歩き出しました。じっとしていたら、膨らみ続ける不安と恐怖で体が爆発し、粉々に砕けて死んでしまうと、比喩ではなくリアルに感じました。夜道を全力で歩きながら、どこを歩いているのかもわかりませんでした。自分の命を脅かすものから、とにかく命がけで逃げていたのです。

 

息も上がり疲れ切ったころ、すーっと異変は消え、元に戻った私は平穏な夜の住宅街にいました。私は何を考えるでもなく、ただよろよろと家を探して帰りました。玄関の掛け時計を見ると8時でした。不安を感じ始めたとき夜7時のニュースが流れていましたから、1時間近くも歩いていたと知って驚きました。抗うつ剤を飲み始めてからはフラフラしてしまい、少し歩くだけで疲れ切っていたからです。

 

この発作は、抗うつ剤の種類を変えるまで何度も起こりました。

 

■インコの体温

 

翌朝病院に電話をし、このことを報告すると薬の量を増やすように指示されました。そして増量とともに、私は急激に悪くなっていきました。頭はもうろうとし、歯を食いしばってがんばっても、仕事はもう仕事の体をなしていませんでした。頭痛も異常な疲労感も悪化し、横になると起き上がれません。

 

ある朝、ぐったりと横たわっていると洗濯機が止まるブザー音が聞こえました。しかし私の体は、もう私のものではないかのように言うことを聞きません。私の意志では、私の体を動かすことができないのです。

 

「もう起き上がれない。洗濯物も干せない。今日の仕事の準備もまだできていないのに。なぜこんなことになってしまった……」

 

うつ伏せになったまま、私は声をあげて泣きました。夫は、初めて見る私の姿に言葉を失ったのでしょう。飼っていたインコをカゴから出して、無言で私の傍(かたわら)に置くと、仕事に出掛けて行きました。

 

インコは泣き続ける私の首の下の隙間に潜り込むと、何度も何度も私の頬に自分の頬や体を摺り寄せました。小さなインコのすべすべした体から体温が強く伝わってきました。「こんなに温かかったのか……」その温かさが、私を落ち着かせました。

 

しかしそのインコも翌日にはいなくなりました。肩にとまっていることを忘れて、郵便ポストを見にフラフラと外に出たとき、大きな物音に驚いて飛び立ち、見えなくなりました。

 

薬の増量と共に、急に食欲も失いました。私は、それから2ヶ月ほどのあいだに10kg以上(元の体重の20%以上)痩せていきました。しかし自分の外見の記憶がほとんどなく、太腿が骨の太さだったことと畳の上に寝転ぶと骨が当たって痛かったこと以外は覚えていません。

 

■喪失の日々

 

そのころ、「うつ病なんですって!」という電話が、知人から掛かってきました。私は病気を伏せていたのですが、夫から聞いたようでした。「大丈夫なの?」に続き、うつ病は誰でもかかる病気で、治すにはああしたらいい、こうしたらいい、ここの病院がいい、うつ病になった知人はこの薬で良くなったからあなたも……と、途切れることなく流れてくる声が熱湯のようで、耳から注がれ、心が焼けただれていくのを感じました。

 

それきり私は電話に出ることができなくなりました。電話の鳴る音で体が固まり、喉が詰まりました。仕事のやり取りは、すべてファックスを使いました。携帯電話も使うのをやめました。その後、心配して電話をしてきてくれた最も親しい友人たちの電話にも私は出ることができませんでした。

 

間もなく、過換気症候群の発作が始まりました。「40歳を過ぎてから始まる人はめずらしい」と言われました。何度も床に転がって喘ぎながら、もう私の体は、制御不能だと知りました。「私はもう私ではない。私は何者かに脳と体を乗っ取られてしまった」。私はただ奴隷として引きずられていくだけでした。

 

仕事を休むわけにはいかないと頑なに思い続けてきたのですが、結局、ある日突然、私は仕事を放り出しました。それは社会的に許されない辞め方で、多くの人に最大の迷惑をかけ、信頼を失い、15年経た今でも消えることのない傷を私に残しました。

 

2週間ごとに受診し、そのたびに薬の種類と量は増え、私は、ふらふらとしか歩けない幽霊のようになりました。1日のほとんどを横になり、家族も聞き取れないほど小さなかすれ声しか出なくなり、手は常時震え、イスから立ち上がると失神して倒れました。私は考えることも感じることもできなくなり、私の心は死んでしまったのだと思っていました。

 

人が怖くてたまらなくなり、人の目を見ることがどうしてもできず、つばの広い帽子なしには家の外に出られなくなりました。自分の心臓(ハート)が体の外に常にむき出しになってように感じていました。それを知らない人から不用意に触れられただけで、心臓が裂け、そのまま死んでしまうのではないかと感じるのです。自分の異常さは十分に自覚していましたが、なぜそうなっているのかはわかりませんでした。考える気力もありませんでした。

 

■ゴムのような冷麺

 

頭は正常に働かず、半分死んでいるような存在でしたが、私自身は、「生き延びなければ」と毎日思っていました。育ち盛りの子どもが2人いたのです。私には母親としての責任がありました。そのころ、死にたいとか、死んだほうが楽だと思ったことは、一度もありません。私は生きたいと強く思っていました。

 

一日中一口も食事が摂れなかった日は自分でも驚き、「このまま食べられなかったら餓死するんじゃないか」と恐怖を感じました。何なら少しでも食べられるだろうかと真剣に考え、以前食べて感激した冷麺を思い出しました。氷を浮かべたさっぱりとした冷麺です。私は真夏の暑さのなか、力を振り絞ってその店に行きました。

 

運ばれてきた冷麺を帽子を目深にかぶったまま見つめました。食べたいとはまったく感じませんでした。「私は生きるんだ。私は死なないぞ」と自分に誓って一口を口にし、ゴムみたいな麺だと思いながらも飲み込めました。やっと食べられたことが嬉しくて、涙を流しながら二口目を食べました。ほとんどを残したまま店を出るとき、異様な客に見えただろうなと思いました。でも、恥ずかしくはありませんでした。私は、食べることを拒絶する私の体に勝ったのです。

 

このころは味覚も変化していて、好きだった鶏肉をどうしても食べることができなくなっていました。においだけで気持ちが悪くなります。好きだった甘いものも同様でした。どんな料理もおいしいとは思えませんでしたが、無理やり噛んで、飲み込んでいました。

 

■「1000人に1人ですよ!」

 

次の診察のとき、私がこんなふうになってしまったのは、薬の副作用ではないかと初めて伝えました。治療を始める前には普通に食べていましたし、手の震えや失神などが、うつ病の症状とは思えなかったからです。

 

「そんな副作用が出るのは、1000人に1人ですよ!」

 

医師は叱りつける口調で言いました。「問題は薬ではなく、あなたでしょ。あなたがそういう病気になったから、こういう症状が出ているんでしょ」と言われているのだと思いました。

 

医療の知識がなかった私は、黙ってそれを受け入れました。もう医師の言葉に疑問を持つだけの思考力も気力もありませんでした。抗うつ剤(パキシル)は2錠から3錠(30mg)に増やされました。そのころはもう自分がなにをどれだけ飲んでいるのかわからなくなっていました。とにかく少しでも楽になりたいとだけ願い、それさえ叶うなら、出されたままに薬を飲めばいいのだと思いました。

 

しかし手の震え、めまい、息切れがひどくなり、立っていられなくなりました。立ち上がると失神するので家の中を四つんばいで移動しました。自分で血圧を計ってみると、上が70台、下が50台でした。あまりにも苦しく、予約の日を待たずに受診すると血圧を上げる薬(リズミック20mg)が出され、それを飲むと異常に肩が凝ったようになって気持ちが悪くなりました。

 

ふたたび受診し、そこで初めてパキシルが減量され、違う抗うつ剤(アモキサン)が追加されると手の震えは止まりました。このとき、抗うつ剤(パキシル10mg、アモキサン30mg)、抗不安薬(レスリン錠25×3錠、ワイパックス0.5×3錠)、精神安定剤(頓服。ソラナックス0.4mg)、睡眠導入剤(アモバン7.5mg)、便秘薬(ラキソベロン)の合計7種類が1日分として処方されていました。(薬の分類は、当時、主治医に説明された通りです。今、ネットで調べると、レスリンは「抗不安作用の強い抗うつ剤」と書かれています。)

 

その直後に主治医が変わりました。公立の病院では、毎年主治医が変わると後で知りました。

「抗うつ剤のパキシルはよく効くお薬なんですが、あなたにはどうも合わないようですね」と言って、新しい主治医はパキシルを止め、抗うつ剤はアモキサンだけになりました。動ける時間が少し増え、食欲も少しずつ出てきました。急に襲ってくる異常な不安感に悩まされることもなくなりました。

 

こうして悪夢のような夏は終わりました。6月の初診日から4か月近くが過ぎていましたが、私は自分に起こったことの意味を理解していませんでした。

 

(樋口直美「誤作動する脳――レビー小体病の当事者研究」第28回終了)
 

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