第27回 地獄の扉は開かれた

第27回 地獄の扉は開かれた

2019.3.20 update.

樋口直美(ひぐち・なおみ) イメージ

樋口直美(ひぐち・なおみ)

1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断された。
2015年に上梓した『私の脳で起こったこと――レビー小体型認知症からの復活』が、日本医学ジャーナリスト協会賞を受賞。
思考力自体には問題はないが、空間認知などさまざまな脳機能障害のほか、幻視、自律神経障害などがある。
自分で手作りした下記サイトには講演動画や原稿や記事を集めてありますので、どうぞ。
https://peraichi.com/landing_pages/view/naomi
また本連載の目次サイトはこちら⇒https://peraichi.com/landing_pages/view/gosadou

 

トリカブトという植物をご存知でしょうか? 紫色の美しい花をつける草です。1986年にこの植物の根を使った事件が起こり、猛毒として全国に知られました。この植物、じつは附子(ぶし)という名前の漢方薬にもなっています。私は、真武湯(しんぶとう)という附子の入った漢方薬のお陰で、夏でも寒かった異常な冷えを改善することができました(漢方薬に精通した医師に処方されました)。

 

「同じものが、量によって毒にも薬にもなる」

 

このことをまず覚えておいてください。また毒でないもの、たとえば砂糖や塩にも致死量があります。健康な大人には問題ない量でも、乳児には危険です。

 

なぜこんな話から始めたかというと、薬の話をすると、すぐに白黒をつけようとする方がいらっしゃるからです。でも大事なのは「使い方」なのです。どんな人に、何を、どんな量で使うかが問題なのであって、薬自体はヒーローでも悪者でもありません。

 

■アレルギー薬で起きられない

 

私が最初に薬を飲んで異変を感じたのは、36歳のときです。原因不明の咳が半月以上続き、耳鼻咽喉科の病院に行くと「アレルギーではないか」と薬を処方されました。

 

ところが、それを飲むと寝込んでしまい、起き上がろうとしても力が入りません。そんな経験は初めてだったので、私には何が起こったのかさっぱりわかりませんでした。

 

「この薬を飲むと、なぜか起き上がれなくなります」

 

私は病院で要領を得ない説明をしました。医師は「は?」と言い、理由の説明はありませんでした。無知だった私には、薬に副作用があるということすらよく知らず、「ネット検索」という言葉もなかった当時は自分で調べるすべもありませんでした。咳は、1か月ほどで自然に治り、薬で異変が起きたこともそれきりすっかり忘れていました。

「薬剤過敏性」★1というレビー小体型認知症の特徴があらわれた数年後、人の幻視が繰り返しあらわれたのですが、これも目の錯覚だと考え、気に止めませんでした(第13回「幻視は幻視と気づけない」)。当時(2000年頃)は、レビー小体型認知症という病名も知りませんでした。

 

幻視があらわれた1〜2年後からは原因不明の体調不良が出たり消えたりするようになりました。頭痛、倦怠感、疲れやすさ、体(腰、股関節)の激しい痛みなどです。内科、婦人科、整形外科などさまざまな病院で検査をしましたが、どこでも「異常はない」と言われるばかりでした。

 

■不眠から、覚めない悪夢へ

 

そして41歳のとき、頻繁に起こる強い頭痛、疲労感、倦怠感に悩まされることが何か月か続いた後、ストレスのかかる出来事をきっかけに不眠が始まりました。眠るための薬を処方してもらおうと思い、公立総合病院の精神科を初めて受診しました。

 

どこの病院がよいのか精神保健センターの相談窓口に電話をしたところ、そこを勧められたからです。自分でも、近所のクリニックよりは大きな病院のほうが適切な処方をしてくれるのではないかと根拠なく考えました。精神科は大げさだとは感じましたが、不眠は仕事に響くため、私にとって緊急の事態でした。

 

当時、子育てがひと段落したので専業主婦から脱却し、仕事を始めて1年が過ぎたところでした。やっと少し仕事に慣れ、さあ、ここからが大事な時期だと思っていました。

 

そのとき私は、どうしても仕事がしたかった。妻でも母でもなく、ひとりの人間として社会のなかで思い切り働きたかった。その長年の夢をやっと叶えたのです。どんな苦しいことだって耐えられると思っていました。「巨人の星」を観て育った世代です。どんな困難も努力と忍耐と根性で必ず乗り越えられると信じていました。とはいえ眠れなければ仕事になりません。とにかく薬で眠って、この体調不良を乗り切ろうと思ったのです。

 

それが、覚めない悪夢の始まりでした。

 

今でも、なぜあんなことになってしまったんだろうと思います。もし私に薬の知識が少しでもあれば、もし私に医療の相談ができる友人や知人がいたら、もし薬剤師が私の異常に気づいて……。たくさんの「もし」が、今も渦を巻きます。しかし私は、医師の指示どおりに毎日欠かさず薬を飲みつづけ、5年10か月間、うつ病患者として同じ総合病院に通院することになったのです。

 

中学生だった子どもたちは、大学生と高校生になりました。そのあいだの出来事で、思い出せることの少なさに自分でも驚きます。楽しかった思い出も何も出てきません。毎日記録はつけていましたから、日々の出来事も症状も調べればすべてわかりますし、それを見れば当時を思い出すことはできます。ただそれは私にとって、真っ黒なドブに捨てられた歳月です。取り返しのつかない過ちです。その代償に、私はたくさんのものを失ったのです。大切な仕事も、信頼も、人間関係も、笑い声のある家庭も、打ち込んでいた趣味も、自分への自信も、若さが残されていた40代も……。

 

あの日々を思い出そうとすると、今でもパブロフの犬のよだれのように涙が出てきます。うつ病と言われた日から15年も経つのに、それは今でも生傷のままなのです。

 

でも、その激しい負の感情こそが、この病気の当事者として、名前と顔を出して活動を始める原動力になったことは間違いありません。何もせずに終わるとしたら、私の人生は惨めすぎると思いました。

 

■「あなたはうつ病です」

 

初診のとき医師は、抗不安薬を1週間試して様子を見ようと言いました。睡眠導入剤だけもらうつもりで行ったのに、そんな薬を飲むことに抵抗を感じましたが、ストレスによって起こる不調に効果があるのだと説明されました。

 

抗不安薬を飲みはじめてすぐ、頭がぼんやりし、フラフラするのを感じました。高熱があるときのような感じです。仕事も家事も続けていましたが、次々とありえないことが起こりました。

 

ある日、近所の銀行から電話が掛かってきました。ATMに私のカードが残っていたと言います。そんなことが起こる理由がわかりませんでした。

 

「え? だって、カードを抜かなかったらピーピー鳴りつづけますよね?」

 

行員さんは答えに困っていました。

 

店ではおつりや商品を受け取らないまま帰ろうとして店員さんに呼び止められることが続きました。仕事も正常にはこなせなくなってきていました。印鑑を押すとき、繰り返し逆さに持っては朱肉につけたので、彫りのない面が染まって真っ赤になりました。拭いても拭いても取れない赤い色を見ながら、「私は異常だ」と思いました。

 

初診から1週間後、医師は、思いがけない診断名を私に告げました。うつ病です。

 

「うつ病ではないと思います。落ち込むとか、憂うつとかはありません」

「そういう種類のうつ病があるんです」

「私はうつ病ではなく、認知症だと思います。認知症の検査をしてください」

「樋口さんは認知症ではありません。うつ病でも注意力が落ちたり、記憶力が悪くなるんです」医師は、きっぱりと言いました。

「しばらく仕事を休まれてはどうですか?」

「休めません!」

 

今度は私が断言しました。休めるわけがない。仕事を続けるためにここに来たのに……。そして「これは、とてもよく効く良い薬ですから、しっかり飲んで下さい」と抗うつ剤(パキシル)が処方されました。

 

抗うつ剤の袋をカバンに入れ、私は帰路につきました。「これさえ飲めば、私はじきに治る。大丈夫だ。私は大丈夫だ。私は仕事をするんだ」。自分の頭でも体でもなくなってしまったような自分に向かって、私は何度も言い聞かせていました。

 

★1 薬剤過敏性

 レビー小体病では薬に過敏に反応するため、主に抗精神病薬で深刻な副作用が生じやすい(「レビー小体型認知症では、54%の確率で抗精神病薬に対する重篤な副作用がみられる」小田陽彦「血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭葉変性症」『臨床と研究』Vol.95、238-244頁、2018年)。そのほか、さまざまな処方薬や市販薬(総合感冒薬や胃薬のガスターなど)で意識がもうろうとする(薬剤性せん妄)、体が震えたり歩きにくくなる(薬剤性パーキンソニズム)など、通常ではあまり起こらない副作用を起こしやすい。逆に、薬の種類と量が適切であれば、薬の効果が出やすいという利点にもなる。

 

(樋口直美「誤作動する脳――レビー小体病の当事者研究」第27回終了)
 

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