第26回 料理が苦手な私たちへ

第26回 料理が苦手な私たちへ

2019.2.25 update.

樋口直美(ひぐち・なおみ) イメージ

樋口直美(ひぐち・なおみ)

1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断された。
2015年に上梓した『私の脳で起こったこと――レビー小体型認知症からの復活』が、日本医学ジャーナリスト協会賞を受賞。
思考力自体には問題はないが、空間認知などさまざまな脳機能障害のほか、幻視、自律神経障害などがある。
自分で手作りした下記サイトには講演動画や原稿や記事を集めてありますので、どうぞ。
https://peraichi.com/landing_pages/view/naomi
また本連載の目次サイトはこちら⇒https://peraichi.com/landing_pages/view/gosadou

 

■次は何をするんだっけ……

 

調理でいちばん困るのは段取りです。個人差はありますが、テニスの練習や舞台稽古と同じように長年毎日続けていると、段取りは知らないうちに体に染み込んでいきます。考えなくても無駄なく体が動くようになるのです。ところがこの数年、身に染みついたはずの段取りが私の体からポロポロとこぼれ落ちていくのを強く自覚するようになりました。

 

段取りの良し悪しは、そのときの体調(脳の状態)によってかなり変わります。調子が良いときは、「あれ? 今日はそんなに苦じゃないぞ」と自分でも驚きます。しかし夕方は1日の疲れがどっと出やすい時間帯で、体調と同期して脳の調子が良くないときが増えます。

「う〜ん、まず何をするだっけ? え〜と、次は何をするんだっけ? あれ? 調味料は何を入れるんだっけ?」

小学生の“はじめてのおりょうり”のようです。

 

強火でパパッと仕上げる炒め物の調味料(醤油、酒、オイスターソースなど)は、事前に器の中で混ぜ合わせてコンロの横に待機させておくのが常でした。今は野菜が炒まってへたっとしてから、「あ、調味料を入れなきゃ」と気づき、仕方がないのでいったん火を止めて冷蔵庫の中の調味料を探しはじめ……ということがしばしば起こります。

 

元気だったころの私が横にいたら「何やってるの? まずくなっちゃうよ」と目を剥きそうです。「そうだよな〜、これはまずいよな〜」と素直に思います。「でもね〜、できないものはできないんだから、嫌だけどしょうがないよね〜」と両方の私に言うのです。

 

調子がかなり悪いときは、考えること自体が苦痛になります。調味料は何だったかと思い出すことすら面倒です。仕方がないので、どんな味になるのか想像できないまま麺つゆだの味ポンだの、とりあえずかけてみます。「なんだかよくわからないもの」がいちおう出来上がります。そんな料理に、夫は黙って醤油やら何やらかけて食べています。

 

そんなことを繰り返していると、それが日常となり、当たり前に思えてきます。「料理は苦手で面倒だ」という気持ちは確実に強くなっているのですが、「自分のやり方がまずい」という自覚はだんだんぼやけていくのです。「おお、自分を守って生きのびるための適応と進化か」とも思ったのですが、そんな仮説もすぐにポキンと折れます。

 

■逆算ができないので一品ずつ

 

帰省中に妹が調理をするのを見ていました。妹は、分身の術で4人の調理師になったかのように、煮ながら、焼きながら、切りながら、洗いながら、高速で立ち回っています。何種類もの違う作業が、無駄も間違いもなく同時に進んでいく様子はマスゲームのようです。その魔法のような動きにも、段取りにもまったくついていけない私は、見ているだけで頭がクラクラしてきました。あっという間に調理は終わり、食卓には熱々の美しい料理が並びました。

 

「ああ、私も病気になる前は、こうしていたんだよな……」と遠い記憶が蘇ります。食事の時間から苦もなく逆算し、複数の作業のタイムテーブルが自然に頭に描かれ、それに従ってキビキビと体が動き、短時間に同時進行で何品もの料理をつくり上げていたのです、かつては。

 

今、この時間の逆算が、日常生活のどの場面でもさっぱりできなくなりました(伊藤亜紗さんのサイト)。「何時に食事」というゴールに向けて、何分前から何を始めればいいのかが、まったくわからないのです。考えれば考えるほど混乱して疲れるだけなので、考えることはきっぱり止めました。一品ずつつくることを基本とし、あとはとにかく思いついた順に1つひとつの工程を潰していくのです。時間も段取りも考えずにつくっているので、出来上がったときは、みんな冷めています。

 

「じゃあ、せめて魚や肉は最後に焼けばいいじゃないか」と言われそうですが、調子の悪いときに、2品つくるつもりで始めたのに1品つくって力尽きたということが何度かありました。主菜なしでは格好がつかないので、余力のあるうちにとにかくまず焼いておかなければ、と思うようになりました。

 

■時間を盗まれる

 

また時間に関しては、逆算ができないだけでなく、長さ自体がよくわからなくなっていると気づきました。妹が素麺を茹でようとしたとき、私は台所にタイマーがないので慌てました。

「どうしてタイマーがいるの? 素麺を茹でる時間くらいわかるでしょ?」

妹はそう言って熱湯の中に素麺をパラリと入れると、すぐさまほかの作業にとりかかります。

 

タイマーなしでなぜ時間がわかるのか、今の私にはまったくわかりません。鍋の中で踊る素麺だけを見つめていたとしても何分経ったのかはわからないと思います。茹でているあいだにほかの作業にとりかかれば、素麺の存在は頭から抜け落ち、吹きこぼれるか、糊となって発見されるでしょう。

 

目の前でグツグツと音を立てているこの煮物は、いつから火にかかっているのか、フライパンの中の肉はすでに何分焼いているのか、私には見当がつきません。1分、5分、10分という時間の長さ自体が、私にはよくわからないのだと、妹の言葉で気づきました。

 

出かける予定があるとき、時計を気にしているのになぜか時間が足りなくなって慌てることが多く、「知らないあいだに時間を盗まれている」と感じていました。時間がいつどこに消えたのか、理屈では説明がつかないからです。しかし私の体の中にある時計が変則的に時を刻み、気まぐれな速度で針を進めているのだとしたら、当然ズレは起こるはずです。

 

香りのない台所

 

でもここで考えます。時間感覚がダメになっても、人並みの嗅覚があれば、料理の完成は匂いが教えてくれるじゃないかと。私はよく、蓋をした鍋を見て、「これは何をつくっていたんだっけ?」と思うのですが、匂いさえわかれば、視覚から消えても存在は消えないはずです。魚焼きコンロの中で焼いた野菜や、電子レンジの中にある食べ物を翌日見つけるという失敗もなくなるのではないかと思います。

 

テレビの料理は匂いがしないので、どんな味か想像ができません。私も味見をするまで、目の前でつくっている料理の味が想像できず、日によっては味見をしてもよくわかりません。

 

よい香りのない台所は、どうにも味気ないものです。調理をしていて楽しいと感じることは、まったくなくなりました。タイマーが鳴ったから火を消す。それはロボットがつくる料理のようです。そんな私の料理は、夫以外の人にはもう食べてほしくないなと、内心ずっと思っています。

 

■抜けない棘

 

貧相な食生活をしていた独身のころ、郷里に帰ると、母は私の好物をつくってくれました。母の漬けた漬物一切れにも自分の生活にはかけらもない豊かさを感じて、心を揺さぶられたものでした。

 

結婚し、やがて子どもを連れて帰省するようになると、持病の増えた母に代わって私が主に調理をするようになりました。子どもも成長したある日、老いた母は、私の調理する姿を見ながら「すごいスピードだね〜」と目を丸くして言いました。季節がめぐっていくように、子は大人になり、親は老い衰えていくのだと、そのとき実感しました。そして56歳の私が、すでにそのときの母と同じ状態になっています。

 

私は今でも2人の祖母を、祖母たちの得意だった料理で思い出します。父方の祖母、母方の祖母が、それぞれにつくってくれた素朴な料理です。亡くなって何十年経っても、それを目にしたり、食べるたびに、私は祖母を思い出します。そして今、思うのです。私がそんなふうに思い出してもらうことはないんだなと。

 

「できないことはできないのだから、しょうがないだろ」とは思うのです。ただ、このことだけは、抜けない棘のように何年もチクチクと私を苛(さいな)みつづけています。肩書きを失った多くの男性が意気消沈するように、料理が下手になった主婦の喪失感もなかなかに深く重いのです。

 

■濃くてもおいしい。薄くてもおいしい

 

日本には、世界でも稀な手の込んだお弁当文化があったり、かつては「母の手料理」に重きを置く考え方があったと思います。私も長年手づくりにこだわり、家族のためにも自分のためにも健康的な料理をつくろうと努力してきました。でも健康的な料理は元気な人にしかつくれません。何ごとも理想どおりにはいきません。

 

とはいえ今はどこにもお惣菜売り場があり、宅配弁当でも美味しいレトルト食品でもなんでもあります。平成の30年間に食産業は激変しました。私も外出して疲れた日の夕食は、お弁当を買って帰るようになりました。

 

調理に対して頑なな抵抗感を示していた夫も、家にいるときは、一緒に台所に立ってくれるようになりました。どんなに不慣れな手であっても、ほんの少し手伝ってくれるだけで、私の脳と体はとても楽です。「野菜を切って」と頼むと夫は「どうやって切るの? 何センチに切るの?」と必ず聞きます。「適当でいいよ」と答えると、見たことのない形になるのですが、全然問題ありません。私自身、切り方もどんどんいい加減になっていますが、ちゃんと食べられるものが出来上がります。人参やじゃがいもの皮を剥かなくたって、スープのアク取りをしなくたって、お湯から根菜を煮たって、ちゃんと料理は出来上がるのだと私は近年学びました。

 

夫だけでなく私の周囲の多くの男性が「料理は無理」と断言します。「妻任せ」という方は、不老不死の奥様をお持ちなのでしょうか。「調理には自分の知らない無数のルールがあって、正確に従わないと必ず失敗して恥をかく」と思い込んでいらっしゃるのでしょうか。

 

先日、テレビから料理研究家・土井善晴さんの柔らかい関西弁が響いてきました。

「味噌汁は、濃くてもおいしい。薄くてもおいしい」

ああ、その瞬間、土井さんのおでこから放たれた世界を照らすビームに貫かれたと思いました。「正しさ」を求められる限り、私たちの苦手意識はどんどん強くなり、調理はどこまでも嫌いになり、台所はイバラの道場になります。

 

もっと自由に、もっといい加減に……。

それを家族も許せば、台所に笑顔が戻ると思うのです。

(樋口直美「誤作動する脳――レビー小体病の当事者研究」第26回終了)
 

【お知らせ】2019年3月6日(水)夜7時半からのNHK「ガッテン!」(旧名称「ためしてガッテン」)は、レビー小体型認知症を特集します。ぜひご覧くださいませ(私も出ています)。

 

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