第20回 記憶という名のブラックボックス

第20回 記憶という名のブラックボックス

2018.8.30 update.

樋口直美(ひぐち・なおみ) イメージ

樋口直美(ひぐち・なおみ)

1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断された。
2015年に上梓した『私の脳で起こったこと――レビー小体型認知症からの復活』が、日本医学ジャーナリスト協会賞を受賞。
思考力自体には問題はないが、空間認知などさまざまな脳機能障害のほか、幻視、自律神経障害などがある。
自分で手作りした下記サイトには講演動画や原稿や記事を集めてありますので、どうぞ。
https://peraichi.com/landing_pages/view/naomi
また本連載の目次サイトはこちら⇒https://peraichi.com/landing_pages/view/gosadou

 

「どうして樋口さんは原稿を見ずに講演ができるんですか? 認知症当事者の方はみなさん、原稿を読みますよね」

 

今年の1月、認知症番組を企画中というディレクターの方からこう質問されました。私は「認知症といっても、病気(原因)によって症状が違います。私にはアルツハイマー病の記憶障害はありません」と答えたのですが、それも説明不足だったと気づくことが最近ありました。

 

冷蔵庫のドアは3つまで!

 

延々と続く猛暑にぐったりしていたある夜、長年使った冷蔵庫が力尽きるという事件がありました。翌朝、開店と同時に電気店に駆け込み、冷蔵庫売り場に着いてびっくりしました。立ち並ぶ最新の冷蔵庫には、洋服ダンスのように引き出しがたくさんついています。「これじゃ、どこに何があるか、わかるわけがないじゃないか」と思い、ドアが3つの冷蔵庫を探しました。

 

この冷蔵庫事件をSNSに投稿すると、アルツハイマー病の夫を持つ友人がコメントをくれました。「我が家では、夫のことを考えて、機能よりも引き出しの数の少なさを優先しました」。そのとき気づきました。私は私の記憶障害を自覚していなかったのです。

 

薬を飲んだかどうかを忘れる、歯を磨いたかどうかを忘れるくらいは日常的にありますが、食事をしたとか、どこかに行ったという出来事の記憶が丸ごと消えたことはありません。私はそれが記憶障害だと考え、私には記憶障害はないと思い込んできました。でも、私にもどうしても覚えられないことがいくつかあります。スケジュールなど時間に関係することは常にダメです(第5回参照)。今年は7月から真夏の暑さだったので、何度も8月と間違えて一人で慌てていました。そして、場所や物に関することが苦手です。

 

扉を閉めると頭から消える

 

メモなしに食品の買い物ができなくなったのがいつからなのか、今となってはわかりません。台所には常にメモ用紙があり、足りないものに気づくと即座に書きます。たまにそのメモを置き忘れて買い物に行くと、困ったことになります。冷蔵庫の中にあったものを思い出そうと意識を集中すると、頭に不快な違和感や疲労感を覚えて、すぐ嫌になります。「うう、わからない。牛乳はなかったような気がする……」と、いつの記憶かわからない記憶を頼りに買い物をして帰ると、ないはずのものがなぜかいつもあり、何パックも並んだ牛乳を見てぞっとするのです。

 

メモを見ながらの買い物は習慣化しているので、それが当たり前になっていたのですが、80半ばの義母が、メモなど持たずに買い物に行くのを見て衝撃を受けました。その後、スーパーで観察してみると、確かにメモを片手に持って買い物をしている50代は、私くらいなものでした。

 

冷蔵庫でも戸棚でもタンスでも鍋の蓋でも、一度閉じるとその中にある物の存在が、私の頭の中からすーっと消えてしまうのです。

扉を閉めるだけで、なぜ手品のように頭から消えるのか……。自分でもタネがわかりませんが、「記憶が消える」のではなく「意識から消える」と自分では感じます。なぜなら扉を開いて中を見ると、買った記憶やしまった記憶が蘇るからです。ただそれが、いつのことかという時間の記憶はありません。

 

扉を閉じて視界から消えると同時に、脳がプイとそっぽを向いて、「もう自分とは関係ないし、そこに何があるかなんて知ったこっちゃないよ」と監督責任を勝手に放棄しているような気がします。記憶はどこかにちゃんと保管されているのですが、その保管場所まで行って、その記憶を選んで運び出してくるという作業を脳がしないと感じます。自分の意志で保管場所まで行きたいと思っても、脳は私の気持ちや考えを無視して協力しようとしません。言うことをきかない脳と闘いつつ無理に思い出そうとすると、脳に不快感を覚えて、すぐ疲れてしまうのです。

 

結果としては忘れてしまうのですから、「認知症の記憶障害ですね」と言われれば、たしかにそうなるのでしょう。ただ、この記憶障害は、注意の対象を適切に選べない注意障害に関わる問題であるように感じます。また、時間感覚の障害も私の記憶に強く影響していると思います。出来事を起こった順に並べて記憶を整理したり、時間というタグから記憶を取り出すことができないからです。

 

記憶障害は、「ある」と「ない」の2つに分けられるものではないと感じます。バサッとひとくくりにしないで、脳の中で起こっている個別な仕組みをひとつひとつじっくり見ていけば、きっと面白いだろうと思います。

 

■忘れるからこその工夫

 

「認知症の人は、忘れたことも忘れるから」という言葉をよく聞きますが、私の知っているアルツハイマー病やレビー小体病の友人知人たちは、忘れることを自覚し、忘れて困った経験を覚えています。私も失敗するたびに二度と繰り返すまいと対策を考え、さまざまな工夫をします。

 

賞味期限切れのものがあちこちから大量に出てきて驚いたときは、食品のストックを減らし、全部一度に視野に入るように棚の手前にだけ並べ、決して奥には入れず、置き場所の定位置を決め、ラベルを貼りました。状況は、少し改善しました。しかし「いつごろ買った」という時間の記憶がないので、もう一工夫必要だと思っています。

 

一度しまうと存在が頭から消えるので、忘れてはいけない書類などは、目に見える場所に置いたり貼ったりするのですが、それも重なり広がると、なんだかわからない塊になっていきます。

物が多いと目の前にある物を脳が認識しないときもあります。探し疲れて心身ともにヘトヘトになったころになって、何度も探した机の上に魔法のように現れることがあるのです。

 

探し物は、最もしたくないことのひとつです。そのため定位置を決めて、必ずそこに戻すように努力しているので、頻度は減りました。ただ定位置になければ、もうどこを探せばいいのかわかりません。「太平洋に落とした指輪を拾ってこい」と命令されたように動揺し、不安になり、探す前から疲れてしまいます。

 

これは、病気になる前にはなかったことです。「深呼吸して、とにかく片っ端から扉も引き出しも開けてみればいいじゃないか」と自分でも思うのですが、ダメです。毎日失敗していたころのびくびくおどおどしていた自分が自動再生され、自分でも制御できません。

 

巨大駐車場は鬼門

 

抗認知症薬治療が始まり症状が改善するまでには、日常的に数多くの困難がありました。たとえば、車の駐車場所がまったくわからなくなったことが何度もあります。真夏に自分の車を探して広い駐車場を歩き回っても見つからず、店に戻って店員に頼んで探してもらいました。親切な若い人で、嫌な顔もせずに探してくれたことが救いでした。車は屋外駐車場で見つかりました。私は、屋外に停めたことを忘れ、屋内駐車場を倒れそうになりながら探し歩いていたのです。

 

今でも巨大駐車場は、不安を感じる場所です。駐車した夫に向かって「場所、覚えた?ちゃんと覚えてね!私は忘れるからね!」と念を押さずにはいられません。そう言いながらも忘れっぽい夫を信じ切れず、「2階A3エリア。入り口から見て左」と、車を振り返りながら、何度も復唱したり、語呂合わせで覚えようとします(空間的に位置を覚えられなくても、数字や言葉で覚えることはできます)。

 

我ながら嫌だなと思うのですが、場所を自然に覚えることはできませんし、一人ではたどり着けないと不安に思いながら、のほほんと買い物を楽しむこともできません。駐車場に限らず、一人で慣れない場所に出かけるときは、念入りに下調べをし、スマホを片手に行くのですが、不安と緊張感は常にあります。頭を目いっぱい使いながら歩いているのですぐ疲れます。

 

老化との違いは「笑えるかどうか」

 

もちろん老化の影響は大いにあると思います。「私もありますよ〜」とよく人から笑って言われます。私も老化との線引きはできないのですが、「またやっちゃった」と笑って言えるかどうかの違いは大きいと感じます。

 

夫もよく忘れ物をする人ですが、ケロリとしています。忘れないようにと対策を考えたり工夫をしようとはしません。何度でも繰り返して平気でいることが、私にはとても不思議でした。「みんな、そんなものだよ。認知症当事者たちは、病気だっていう自覚があるから真剣にならざるをえないんだろう。だから人一倍頑張るんだろうね」とある医師から言われました。

 

仕事の手順をびっしりとノートに書いて、それを見て細かくチェックしながら仕事を進める若年性アルツハイマー病の丹野智文さんは、他の健康な社員と比べても「ミスは少ない」と数年前にお話しされていました。

好きでする頑張りも不安を減らすためにする頑張りも、人から見れば同じでしょう。それで同じ成果をあげるなら、頑張る理由など、どちらでもいいのかもしれません。

 

車を見つけられずに歩き回ったときの悲しさ、情けなさ、恐ろしさ、それ以外にも日々繰り返したとんでもない失敗と職場での叱責、体調のどうしようもない悪さ、自分がいつ何をするかわからない不安……、そんな忘れたい記憶が、今でも私の中に棲みついています。あの頃の自分は、そのままの姿で私の中に生きていると感じます。

 

思い出したくはないのですが、それもできません。どんなに情けなくみじめでも、それも「私」ですから、この私が消えない限りはなくならないように思います。それに、何も根拠はないのですが、私が「私」を亡き者にしてはいけない気もするのです。いろいろな自分が、ごちゃごちゃ混ざったまま、なんとかかんとかやっていけたらと思っています。

 

(樋口直美「誤作動する脳――レビー小体病の当事者研究」第20回終了)

 

 

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