第19回 乗っ取られる耳

第19回 乗っ取られる耳

2018.8.08 update.

樋口直美(ひぐち・なおみ) イメージ

樋口直美(ひぐち・なおみ)

1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断された。
2015年に上梓した『私の脳で起こったこと――レビー小体型認知症からの復活』が、日本医学ジャーナリスト協会賞を受賞。
思考力自体には問題はないが、空間認知などさまざまな脳機能障害のほか、幻視、自律神経障害などがある。
自分で手作りした下記サイトには講演動画や原稿や記事を集めてありますので、どうぞ。
https://peraichi.com/landing_pages/view/naomi

 

前回まで幻視について7回にわたって書いてきました。そこで気づいたのは、視覚の問題と比べると、聴覚の問題で悩んだことは少ないということです。街でふいに音が襲いかかってくるときはつらいです。それは突然殴られる体の痛みに似ています。しかし幻視のように、消えた後もずっと心に重くのしかかったことはありません。「ガツン。ギャ〜」で終わります。

 

音楽の幻聴(第8回参照)は今もありますが、幻視と同様のリアルさがあったとしても脅威にはなりません。音のする不思議な石を見つけたら、宝物を見つけたと小躍りしそうですが、もしその石から人の声がしたり、人の顔が浮かんだら、血の気が引くと思います。人は、他のどんなものよりも、「人ならざる人」を本能的に怖がるのだなと思います。


■老人性難聴?

 

幻視が30代終わりから始まっていたように、聴覚の異変も40代初めには感じていました。レビー小体型認知症と診断される10年ほど前です。忘年会などの賑やかな飲み会で、目の前の人が私に話しかける声がまったく聞き取れないということが何度かありました。自分でもびっくりしましたが、相手はさらに困惑し、気まずい雰囲気になりました。

 

家でも皿洗いの最中など音のあるなかでは聞き返すことが多く、家族から「おかしい」と言われ、受診しようと決めました。老人性難聴が早くから始まった親戚のことが頭をよぎりました。

聴覚検査の結果は、「若干の左右差があるが、生活に影響が出るほどではない」でした。聴覚検査室のように静まりかえった環境であれば、生活のなかでも問題はないのです。

 

じゃあ、どうしたらこの問題が解決できるんだろうかと途方にくれたことを覚えています。人間関係の要であるコミュニケーションにつまずくと、それがどんなに些細なものであってもストレスとなり、孤独を感じやすいとそのとき思いました。

 

■廃品回収車に乗っ取られる

 

治療前には、こんなこともありました。

 

実家で父と話していたときです。音楽を流しながらゆっくり走る廃品回収車が通りました。うるさい音だなと思った瞬間、脳がその音楽に乗っ取られてしまったのです。飢えた犬の前にポンと骨を放ったらどんな命令も忘れて骨に突進するように、私の脳は私の意志を無視して、その呑気な音楽に食らいついたのです。やめたいと思ってもやめられず、自分の思考はシャットダウンされ、会話不能状態に陥りました。

 

きょとんとする父に何か言いたいと思ったのですが、頭がクラクラして言葉が出ませんでした。自分でも何が起きたのか理解できなかったのですが、車が遠ざかると何事もなかったかのように元に戻りました。

 

■失敗を認めない訳

 

情報の選択に失敗する「注意障害」という言葉を当時の私は知りませんでした。たくさんの音のなかから自分に必要なものだけを正しく拾うという作業に脳が失敗していたのだと気づいたのは、自分の病気を知ってからでした。

 

医学書には「レビー小体型認知症では記憶障害よりも注意障害が目立つ」とありますが、それが生活のなかでどんなヘンな現象を引き起こすかは書いてありません。体験している本人ですら具体像がつかめず、「この失敗の原因は注意障害だ」とは気づけせん。自分自身のことでありながら、「なんだかおかしいな」「不思議なことが続くな」と他人事のようにやり過ごしていた時期が、私にも10年近くありました。

 

その間、なぜそうなったのか自分にもわからないことが、聴覚に限らずよく起こりました。そんなときは「狐にだまされている」という昔話の言葉がいちばんしっくりきます。私の考えや気持ちを無視して、私の体が、勝手にヘマをやらかすのです。

 

認知症のある方が、失敗を頑として認めないという話を聞くことがあります。自分に問題や責任があると思えない気持ちは、よくわかります。自分の意志でしたことではないのですから。

 

■音源をたどっていくと……

 

疲れたときや脳の調子が悪いときに出やすい音への過敏性は、その後、徐々に起こってきました。

 

今も用事で出かけるとき、最寄り駅のホームでアナウンスが耳に刺さると感じて初めて脳の不調を自覚することがあります(耳鳴りは毎日あるので、不調にカウントされません)。そんな日は、用事は最小限にして、一目散に帰宅します。脳の不調に疲れが重なれば、困ったことになるからです(第4回参照)。

 

出かけるときは元気でも、疲れは脳の不調を引き起こすので過信はできません。長いシンポジウムも友人たちとの集まりも、たいてい途中で抜けて帰ります。残念だな、最後までいられたらなと毎回思いますが、自力で自宅に帰り着くには余力を残しておかないといけません。

 

ただ、注意障害の一種なのか、脳の不調や疲労を自覚していないときでも、音が大きく聞こえるときがあります。

 

自宅に一人でいて、ふいに聞き慣れない音がするので、いったい何だろうと思って音源をたどっていくと、壁掛け時計の下に来ました。まさかと思って壁から時計を外して耳に当ててみると、たしかにこの音。ふだんは存在に気づくことすらない秒針の音です。

 

そんな聴力があれば、隣の家の話し声から何から、この世のすべての音が聞こえそうですが、なぜか一つの音だけが唐突に大きく聞こえ始めます。音源がわかれば気にならなくなり、延々と煩わされることもありません。

 

外出先では、店の空調の音がふいに轟音に聞こえるときがあります。壊れて異常な音がしているのかと思うのですが、周囲の人は何も反応していないので、自分の聞こえ方がおかしいのだと気づきます。

 

■「脳の症状」は疾患を超える

 

知覚の過敏性については、最近はNHKのキャンペーンやネット上でも「発達障害のある人が体験している世界」として目にすることが増えました。体験の再現映像などを観ると、脳が不調で過敏になっているときの自分と似ているなと思います。これが常に起こったら外出が怖くなると思います。

 

自分では数あるヘンな出来事の一つとして受け流していたことが、一般的には深刻な症状だったと最近知ったことがあります。音源の方向や時間がずれる現象です。

 

目の前のスマホの着信音が背中のほうから聞こえてくる。観ているテレビの音が右隣の台所から聞こえてくる。テレビでしゃべっている人の口の動きと声がズレている……ということが以前からありました。しかし「不思議なこと」にはもう慣れっこです。脳が音の情報処理を誤るとこんなことも起こるのか〜と思っただけでした。

 

小田嶋隆著『上を向いてアルコール』(ミシマ社)のなかで、病気を初めて自覚して病院に急行したきっかけが「テレビの人の声が時間差で後ろから再び聞こえる」という症状だったと書かれていました。私の症状はアルコール依存症とも似ているのかと、ちょっとびっくりしました。しかし考えてみれば、原因がなんであれ、脳が傷ついた結果として出た症状なのですから、似ていないほうが不自然です。

 

私のさまざまな症状は、認知症の本を読んでも理解できません。しかし高次脳機能障害や発達障害などの当事者が自分の症状を書いた本(「当事者研究」と呼ばれます)を読むと、共通点が次々と現れ、一つひとつ腑に落ちていくのです。

 

自分の病いに気づき、理解すれば、症状を体験していくなかで、対応策も見えてきます。初めて一輪車に挑戦するときのように、以前とは違う自分の体を観察し、いろいろ試していけば、失敗を繰り返しながらも扱いはうまくなっていきます。ヨロヨロしていても大丈夫、ちゃんと進んでいけるのです。

 

(樋口直美「誤作動する脳――レビー小体病の当事者研究」第19回終了)

 

←第18回はこちら 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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