第18回 手放せない手綱

第18回 手放せない手綱

2018.7.13 update.

樋口直美(ひぐち・なおみ) イメージ

樋口直美(ひぐち・なおみ)

1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断された。
2015年に上梓した『私の脳で起こったこと――レビー小体型認知症からの復活』が、日本医学ジャーナリスト協会賞を受賞。
思考力自体には問題はないが、空間認知などさまざまな脳機能障害のほか、幻視、自律神経障害などがある。
自分で手作りした下記サイトには講演動画や原稿や記事を集めてありますので、どうぞ。
https://peraichi.com/landing_pages/view/naomi

 

病気を公表しようと決めた2014年の秋を過ぎたころから、幻視は荷物をまとめて家を出て行ったかのように、1年余りのあいだ姿を見せることがありませんでした(第16回の話)。体調も改善していましたし、幻視と会わずにいれば、「レビー小体型認知症」という自分の診断名を強く意識させられる機会は減り、気持ちはずいぶん軽くなります。

 

将来を楽観視はしていませんでしたが、このまま調子の良い日々が続いてくれるような気さえしてきました。暴風雨の海をカヌーで渡った末に、やっと静かな入江にたどり着いたように、その平穏さは、かけがえのないものに感じられました。しかし良いことは続いたことがありません。

 

■体調と幻視が同期する体験

 

2016年に入ると、私をうつ病だという医師の文章が活字になったことを知りました。それ以前にも「こんな人が認知症であるはずがない」という批判は、ネット上で何度も見てきましたが、印刷された中傷は初めて読みました。

その影響は、直後から体調不良として現れ、同時に1年以上消えていた幻視が毎日のように現れるようになりました。治療前の状態に引きずり戻されたかのようでした。

 

体調の変動は常にありましたが、ここまで急激に病状が悪化したことはなく、思考も悲観側にスイッチが切り替わっていました。幸運な持ち時間はタイムオーバーで、あとは進行するだけなのか……。悲観型の脳が動きはじめると、自分の体が石に変わったように感じます。

しかしそのとき、何人もの方々が支援の手を差し伸べてくださり――問題は解決できなかったのですが――体調は間もなく回復していきました。

 

(ストレスが「毒」となって体調や脳の機能を瞬時に悪くすることは以前から体感していましたが、幻視が同期したのは初めてのことでした。ぐったりし、頭も朦朧としているときに幻視が現れることはなかったので、それまで幻視と体調は無関係だと思っていたのです。)

 

■「幻視の再来」をなぜ言えなかったのか

 

体調が戻った後も、幻視は完全には消えませんでした。しかしその「幻視の再来」を、人に話すことに抵抗を感じている自分がいました。「幻視は異常じゃない」と2015年1月から顔と実名を出して社会に向けて訴え続けてきたのに、「また見えるようになりました」と言おうと思うと、喉がぎゅっと詰まるのです。

 

親しい友人たちは、「見えなくなってよかったね」と心から喜んでくれていました。拙著を読んで、幻視に苦しんできたことが強く印象付けられていたからだと思います。同病の人やその家族からは「悪くなる一方ではないと希望が持てた」と講演の後に言われました。

 

そんなときに改善していた症状がまた悪化したと言ったら、友人たちは心を痛めないだろうか、同じ病気の人たちは失望しないだろうか……。深く長く悩み抜いた末に、希望を伝えるために病気を公表したのに、その逆のことをするのは裏切りのようで、ためらわれました。

 

また、私の話を広く聴いてもらえるのは、「現在、幻覚(幻視、幻聴)のない状態だからなのか」と感じたことがありました。取材を受けたとき「今は幻覚はないんですよね?」と確認されることがよくあったのです。その質問にもし「幻覚がある」と答えても、私への信用度や対応は、なにひとつ変わらないままだろうか、と。

 

■「えいやっ!」と跳んでみた

 

講演などで不特定多数の人に言ったら、私の言葉の信憑性を疑う人が出てくるのだろうか?

想像もしない誤解や中傷を受けることになるのだろうか?

押さえても押さえても浮かび上がってくる疑問を「そんなことはない」と打ち消しながらも、呼吸が浅くなり、体が硬くなっていることを感じました。

 

社会に向けてものを言えば、それをよく思わない人たちは必ずいるとわかっていたのですが、そうした言葉にも疲れていました。病気を公表してから1年のあいだにも、幻視へのタブー視や拒否感を直接感じることが、何度かありました。

 

私はもうそこから自由になっていると思っていたのに、それは錯覚だったのです。やっぱり臆病者から抜け出すことはできないんだなと思いました。

 

そう、そんなときは、考えてはいけません。考えずに「えいやっ!」と跳ぶのです。

私は、壇上で「幻視が今もある」と言いました。舞台で役を演ずるように、あっけらかんと軽やかに。

 

他人を演ずれば、言葉は喉で詰まらずに無事に口から出てきます。一度言ってしまえば、喉に詰まっていた重いものは溶けるのです。恐れるようなことは起こりませんし、人は、そのままに受け止めてくれるとわかります。不安のほとんどに、実体はないのです。

 

■不意に入り込む異物

 

幻視自体には罪はなく、もうそれほど恐れてもいません。ただ、調子の良いときにはほとんど現れない幻視が毎日現れるときは、脳と体の不調も感じています。頭が思うように働かないときが増え、ミスが増え、体調は悪く、気分は優れず、外出のリスクは増します。参加したい会を欠席し、遊びにいくことも躊躇します。体が弱ると出てくる帯状疱疹のように、「進行」という言葉が勢力を増し、ピリピリと痛みを覚えます。それは避けたいのです。

 

さらに幻視は、制御不能、出没予測不能、判別不能という厄介な代物です。

 

以前、人の少ない有楽町駅の地下構内で、疾走する大きなネズミを見つけたことがあります。その瞬間「幻視?」と思いましたが、じっと見つめているうちに、角を曲がって姿を消しました。有楽町駅にネズミがいるだろうかと思ったのですが、走る幻視など見たことはないので、きっと本物だなと思い、自分では納得していました。

 

でもそれを知人に話すと、目を丸くして「え〜、幻視でしょ〜」と否定されてしまいました。有楽町にだってネズミの1匹や2匹いそうな気がしますが、本物だったと確認する方法も証明する方法もありません。なんだ、病人の証言は圧倒的に不利じゃないかと、そのとき思いました*1

 

この世界の中に「現実」としてふいに入り込む異物は、出ないでいてくれるのなら、出ないほうが楽なのです。なぜ脳がわざわざそんな余計な仕事をするのか、私にはわかりません。そんな異物とのつきあい方は、今もこれからも、定まりそうにありません。

 

■コントロールの内と外

 

同じ病気が進行した知人のように、いつか私もすべての幻視を現実と信じ切って、幻視に囲まれて生きていく日が来るのだろうかと考えることがあります。

 

「それはそれでいいじゃないか」とかっこよく開き直って見せる自分と「いや、自分の世界は自分できっちり把握して、常にその主でありたい」と鼻を膨らませる自分がいます。把握しようにも、幻視は最初からコントロールの外にあるというのに……。

 

50代半ばともなれば、健康な人でもさまざまな能力の衰えていく年齢です。自分も親も年をとり、老化もまた、コントロールの及ばないものだと知らされる機会が増えました。誰もが老い衰えると決まっているのに、老化も突然現れた異邦人のように感じられ、付き合い方がまるでわかりません。

 

脳や体が衰えても自分の世界の手綱を自分で握り続けていたいという私の執着は、いつ、どんなふうに片が付くのでしょうか。ちっぽけな手綱など手放し、人に身を委ねて生きている人を見ると「かなわないな」と思います。

 

■うーん、どっちだ?

 

「樋口さんはどんな介護を受けたいと思いますか?」

 

去年、壇上で質問されました。病気が進行した自分の姿を想像しようとした途端、私は凍りついてしまい、何も考えられなくなりました。不自然に長い沈黙の後、やっと出た言葉は、「考えたくありません」でした。質問者の困惑した顔が見えました。

 

ああ、こんな大勢の人の前で、こんなにも簡単に、私の地はあらわになってしまうんだなと思いました。普段の自分とは違う人間になるために身につけている帽子もオレンジ色(認知症の啓蒙カラー)のストールも、私を覆い隠すことはできないのだと知りました。

 

私はいつも、何かと何かの真ん中に引っかかって、何者にもなれずにいると感じます。そんな定まらない私を試すように、今日も虫が目の前を飛んで行きます。私はその一匹の虫を、「う〜ん。どっちだ」と、日々新たに見つめているのです。

 

*1 幻視か本物かは、写真を撮れば自分で確認できるのではないかと友人から言われたことがありますが、交通事故と同じで突然起こるので、ドライブレコーダー式でないと難しいかもしれません。

 

(樋口直美「誤作動する脳――レビー小体病の当事者研究」第18回終了)

 

 

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