第14回 便の海に立つ――出すこと(3)

第14回 便の海に立つ――出すこと(3)

2018.5.31 update.

頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)

文学紹介者。20歳のときに難病(潰瘍性大腸炎)になり、13年間の闘病生活を送る。

そのときにカフカの言葉が救いとなった経験から、『絶望名人カフカの人生論』(飛鳥新社⇒新潮文庫)を出版。その後、『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』(飛鳥新社⇒草思社文庫)、『絶望読書――苦悩の時期、私を救った本』(飛鳥新社)、『カフカはなぜ自殺しなかったのか?』(春秋社)、最新刊は『絶望図書館』(ちくま文庫)。

NHK「ラジオ深夜便」の『絶望名言ミニ』(毎月第2水曜日午後11時半)と『絶望名言』(毎月第4月曜日午前4時台)のコーナーに出演中。

 

 

|人に怒るためには、いくらかの余裕が必要|

 

 前回書いた、病院のトイレで漏らして、看護師さんにトイレのバケツと雑巾で自分の身体も拭かされた経験は、『絶望読書』(飛鳥新社)という本でも少し書いたことがある。

 そのとき、「ひどい看護師さんですね!」という反響をいくつももらって、ちょっと戸惑った。

 私は看護師さんにはとても感謝しているのである。素晴らしい人がたくさんいた。どれほど助けてもらったかしれない。その感謝の気持ちをいつかちゃんと書きたいと思っていたのに、こんなエピソードだけ紹介したのでは、看護師さんを非難しているかのようだ。それはまったく本意ではなかったので、あわてたのだ。

 

 戸惑った理由はもうひとつあって、私はその看護師さんのことを、ひどいとはまったく思っていなかったのだ

「ひどいとは思っていませんし、恨んでもいませんよ」と、感想をくださった方に返事をしていて、ふと、自分で不思議になった。

 なんで、恨んでないんだろう?

 どう考えても、この看護師さんの対応は問題があると思う。漏らした男の始末なんてしたくないのは当然として、せめてお湯くらいは用意してくれてもいいと思うし、少なくとも、トイレのバケツと雑巾はないのではないだろうか?

 でも、まったく恨む気持ちがないのだ。いい人ぶっているとかではなく、まるっきりそういう気持ちが湧いてこない。

 なぜか?

 おそらく、そのときの私には、相手を恨む余裕がなかったのだと思う。自分のことでせいいっぱいで、人のことを恨む余裕がなかったのだと思う。

 人に怒ったり恨んだりするためには、いくらかの精神的な余裕が必要なようだ。

 

 また、そのときに怒れなかったことは、後になっても怒れないようだ。

 今、そのときのことを思い出してみて、理性ではひどいなあと思うけど、感情としては怒りがこみあげてこない。やっぱり今も、まったく怒っていないのである。不思議な感じだ。

 

 

|忘れられないはずのことを忘れる|

 

 その看護師さんを恨んでいないのには、もうひとつ理由があるかもしれない。

 ひどい目にあわされた看護師さんは、この人ひとりだけだと思っていたのだが、この原稿を書いていると、いろいろ当時のことを思い出してきて、そうすると、かなりひどい目にあわされた看護師さんが、あと2、3人はいる。

 なのに、すっかり忘れていた。でも、忘れられるようなことではない。

 とすると、どうやら記憶を封印していたらしいのだ。

 これは自分でも意外だった。他人に隠していることはあっても、自分にまで隠していることがあるとは思わなかった。

 

 これは、誘拐された人が、誘拐犯をいい人だと思ってしまうのに近いような心理が働いたのかもしれない。

 看護師さんは実際に医療処置をする人たちで、かなり命を握られている。そういう人たちによくない人がいるとは思いたくない。みんないい人であってほしい。ひどい人なんか、ひとりもいてほしくない。

 そういう気持ちが働いているのかもしれない。今現在も看護師さんをすごく頼りにしているから、よけいに。

 

 しかしまあ、それでも数人だ。私がこれまで会ってきた看護師さんの数は膨大である。その中で数人だけなのだから、きわめて少ない。どんな集団だって、ひどい人の数はもっと多いだろう。

 そして、本当に驚くほど素敵な看護師さんは、数人どころではなく、じつにたくさんいた。

 私の看護師さんへの感謝、「看護師」という言葉を口にするだけで、心あたたまる気持ちになるのは、素直な本当の気持ちなのだと思う。

 

 

|普通にあつかわれることの安堵感|

 

 漏らしたのは、そのトイレでの一回だけではない。

 ある朝、起きて、洗面所に歯を磨きに行こうとすると、その途中の廊下で、別の患者さんから、「お尻のところが汚れているよ」と言われた。何かがついてしまったのかと思ったが、その人はかなり言いにくそうな様子だった。なんだかまぶしいものでも見るように、目をそらし気味にしていた。

 はっとして、もしかしてと思って、あわてて病室に戻り、パジャマを脱いで確認すると、漏らしていた……。

 下着とパジャマだけであることを願いながら、ベッドを確認すると、お尻のあたりにシミができていた。せめてシーツだけであることを願ったが、その願いもかなわず、その下のマットまで汚れていた。

 少量ではあるが、寝ている間に、漏らしてしまったのである。

 パジャマのお尻が汚れているところを人に見られたというのも恥ずかしかったし、寝ている間に漏らすようになったしまったということになると、もうこれは制御のしようがないと、暗い気持ちになった。

 

 そのままにもしておけないので、看護師さんに告げた。面倒くさがられて、定期的なシーツ交換のときまでそのままでいろと言われるかと思ったが、今度の看護師さんはそんなふうではなく、はいはいと、てきぱきとシーツを交換してくれた。マットはそのまま使えと言われることを覚悟していたが、そんなこともなく、マットも交換してくれた。

 しかも、とても事務的に、ごく普通のことのように、作業してくれた。仕方ないわねえと不快そうにすることもなく、逆に、恥ずかしがらなくてもいいのよなどと励ますこともなかった。ごく普通のこととして、なんでもなく作業してくれた。

 それがとても嬉しかった。普通のことのようにしてもらえると、普通のことのような気がしてきて(20歳の男が寝ている間に大を漏らして普通のはずがないが)、替えてもらったシーツの上に横になったときは、洗い立ての手ざわりが心地よかった。

 

 なお、他人がお尻のところを汚していて、当人は気づいてなさそうなとき、これはなかなか教えられないものだ。

 当人がショックを受けることだし、恥をかかせることにもなる。でも、そのままでは、よけいに恥をかくことになる。

 みんな、「ああ……」と、哀しい戸惑いの表情をしながら、なかなか教えることができない。誰か教えてくれる人が現れてくれるといいのにと思う。

 なので、私に教えてくれた人は、勇気のある、ありがたい人だ。漏らしたショックが大きくて、相手のことはまるで覚えていないのだが。

 

 

|おばあさんの恥じらい|

 

 さだまさしの「療養所(サナトリウム)」という曲は、若い青年が入院中に、雑居病棟でおばあさんと仲良くなり、先に退院していくときに、そのおばあさんのことを心配するという内容だ。

 私はこの曲を聴くと、どうしても泣けてくるが、それは私自身も、最初の入院のときに、おばあさんと仲良くなったからだ。

 

 男女の病室は別だけど、食事のときは食堂で男女関係なく自由に席に座って食べていた。私は長く絶食だったから、食堂に行くようになったのは、ずいぶん病状が回復してからだ。

 若い男は珍しいから、中年女性からはずいぶん注目されて、「横チンを出して見せて」とか、激しい下ネタ攻撃にあい、驚いたものだ。今ならセクハラということになるが、その当時は、中年女性から若い男性へのこうした性的からかいは、まったく誰からもとがめられることはなかった。

 病気のストレスもあるし、病気をすると上品ぶってもいられないし、普段以上にあけすけになってしまうのだろう。美容院にも行けず、化粧もしていない、そんな状態でいることも、逆に一種の仮面効果になっていたのかもしれない。

 

 そんな中、そのおばあさんは、とても上品だった。質素だったが、いつも身ぎれいにして、にこにこと微笑みをたたえ、物静かだった。きちんと丁寧に暮らしてきた人という感じがした。女優で言うと、八千草薫さんのような感じの人だった。

 そのおばあさんは、たしか肝臓の病気だったと思う。もう何カ月も入院していて、さらにまだ何カ月も退院できないということだった。

 そのとき私が読んでいた、『日本掌編小説秀作選』(大西巨人編 光文社文庫)の上巻をあげると、とても喜んでくれた。これはショートショート集のようなもので、ひとつの作品が短いので、具合が悪いときでも読みやすいのだ。なおかつ、それなりの重みのある短篇ばかりなので、病気のとき読むのにふさわしかった。

 

 そのおばあさんがあるとき、私にお願いがあるというのだ。

「何ですか?」と聞くと、恥ずかしそうにして、なかなか言い出さない。こういう年齢になっても、恥ずかしそうにして頬を赤らめることがあるんだなあと、はなはだ失礼だが、私はそのとき意外に思ってしまった。でも、そういう恥じらいの似合う人だった。

 ついに彼女が言ったのは、「おむつを買ってきてほしい」ということだった。

 私は不思議な気がした。「ご家族の方に頼めないんですか?」とつい聞いてしまった。

 すると、恥ずかしくて頼めないと言うのだ。

 他人の若い男に頼むほうがよほど恥ずかしいのではないかと思ったが、まあ、その当時、私は恥ずかしながら、おむつをしていたのである。

 

 当初は、おむつという発想がまったくなく、大人用があるという知識さえなかったのだが、売店に行けるようになったときに、大人用のおむつを見て、「おおっ!」と喜んでしまった。これさえあれば漏らさずにすむと。もちろん、その後で、20歳の男がおむつをするという姿を客観的に想像して、その情けなさに落ち込みもしたが。

 ともかく、私はそのときもう、おむつに詳しい人になっていたのだ。

 

 おむつをしていない家族に頼むより、おむつをしている病人仲間に頼むほうが、まだ恥ずかしくなかったのだろう。他人のほうが頼みやすいということもある。

 それにしても、高齢になって、しかも病人なんだから、おむつをするくらいは当然なのに、それでもこんなに恥ずかしがり、家族にも隠して、こっそり買ってきてもらおうとするんだなあと、私はなんだか感慨深かった。おばあさんがなおさらかわいく見えてきて、これはぜひ買ってきてあげようと思った。

 

 売店でおむつを買って、自分用のような顔をして病室に戻り、別の紙袋に入れ替えて、おばあさんを呼び出して、なるべく人目にふれないところまで行って、まるでラブレターでも渡すように、こっそりおむつを渡した。

 おばあさんは、また頬を赤らめながら、でもとっても嬉しそうに笑って、感謝してくれた。

 漏らすというのは、恥ずかしいことなのだ。病気なのだから、高齢なのだから、恥ずかしがることはないのかもしれないが、やっぱり恥ずかしいのだ。

 その恥ずかしさが病人をさらに苦しめるわけだけど、このときは恥ずかしさの共感が、私とおばあさんの気持ちをつないだ。ふたりはより親しくなった。

 

 さだまさしの「療養所(サナトリウム)」と同じく、私のほうが先に退院することになった。

 この先、今後は誰が彼女のおむつを買ってくるのかと、それが気がかりだった。家族に頼むから大丈夫よと彼女は言った。

『日本掌編小説秀作選』(大西巨人編、光文社文庫)の下巻をプレゼントすると、嬉しそうに両手で握って、大切にすると言った。

 

 漏らすということに関しては、嫌な思い出ばかりだが、このおばあさんとのことだけは、いつも懐かしく思い出される。

 

 

|こんなに入っているものなのか……|

 

 退院して、家で療養するようになってからも、まだ下痢は続いていた。

 出血は止まり、ある程度の食事もとれるようになっていたから、ずいぶんましだったが、便意にはあいかわらず悩まされていた。

 賃貸マンションの狭い部屋だったから、トイレまでは近いわけだが、それでも間に合わないことがあった。

 なるべくトイレの回数は少ないほうがいいから、横になって我慢している。どうしても無理となると、トイレに向かうのだが、前にも書いたように、立ち上がるとなおさら便意は強くなるし、近いはずのトイレでも、充分に遠いのだ。

 

 ちょっと漏らすくらいなら、自宅だし、なんとでもなるが、一度、ひどい漏らし方をしたことがある。

 トイレまでの途中、キッチンのところで、間に合わなくなり、盛大に漏らしてしまった。もう血は混じっていなかったが、粘液はかなり混じっていて、やはり普通の便とはちがう。

 そして、よくもまあ、こんなにたくさんというほど大量に出た。足元に水たまりどころか、床一面にひろがった。ありえない量だと思った。大腸は2メートルくらいある場合もあるというけど、それにしてもこんなに入っているものなのかと思った。

 自分の便の海の上に立っているようだった。病気の便のせいで、自分の便という感じもあまりしない。不潔感もあまりない代わりに、異様な感じが強い。

 とにかく茫然とした。しばらく立ち尽くしていた。こんなに大量なものをどうしたらいいのかと思った。

 どうしたらいいのかと言ったところで、自分で掃除するしかない。

 この掃除は大変だった。あらためて量の多さに驚いた。キッチンはビニール地なので痕跡が残らなかったが、隣りのリビングにも少しはみ出していて、そこは黒っぽいシミが残った。

 

 そのシミを見つけながら、考えた。

 もし外でこんなふうに漏らしてしまったら……。知り合いがいる場所なら、もうその人とはそれまでだし、知らない人ばかりだとしても、もうそこには行けなくなる。そこに行けないだけでなく、もう怖くなって、どこにも行けなくなるのでないか……。

 そんなことにならないようにするには、そもそも外に出かけないようにするしかない。

 自分は外出を怖がるになるのではないか。どこにも出かけなくなってしまうのではないか。そんな不安にとらわれた。

 実際、その通りになってしまった。

 そのことについては、また次回に書くことにしたいと思う。

 

(頭木弘樹『食べることと出すこと』第14回了)

 

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