第13回 喜劇的な悲劇は、よけいに悲劇――出すこと(2)

第13回 喜劇的な悲劇は、よけいに悲劇――出すこと(2)

2018.5.24 update.

頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)

文学紹介者。20歳のときに難病(潰瘍性大腸炎)になり、13年間の闘病生活を送る。

そのときにカフカの言葉が救いとなった経験から、『絶望名人カフカの人生論』(飛鳥新社⇒新潮文庫)を出版。その後、『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』(飛鳥新社⇒草思社文庫)、『絶望読書――苦悩の時期、私を救った本』(飛鳥新社)、『カフカはなぜ自殺しなかったのか?』(春秋社)、最新刊は『絶望図書館』(ちくま文庫)。

NHK「ラジオ深夜便」の『絶望名言ミニ』(毎月第2水曜日午後11時半)と『絶望名言』(毎月第4月曜日午前4時台)のコーナーに出演中。

 

 

|病にも色気のあるなし|

 

 自分の体験について書く前に、排泄についてつらつら考えていたら、ずいぶん長くなってしまった。

 こんなにも排泄に興味を持つようになっていたのかと、自分で驚いた。

 もともとは胃腸が丈夫だったので、トイレなんて、生活の中でほとんど意識していなかった。時間をとられて面倒というくらいにしか。

 まさに「昔はものを思はざりけり」だ。何も考えずにいられるというのが健康ということで、病気になってしまうと、あれこれ考えざるをえない。考えるというのは、悲しいことだ。

 

 それはともかく、私の病気の基本的な症状は、下痢だ。

 桂米朝が『卯の日詣り』という落語の枕で、

 

 病(やまい)にも色気のあるなしがあるちゅうんですが

 

 と語っていたが、まったくだ。

 新撰組の沖田総司などは、咳だから色気があるわけで、あれがもし下痢で、斬り合いの最中に、咳き込んでいるのではなく、漏れそうになっていたとしたら、色気もなにもあったものではない。

 病気に色気があったってなくたって、それどころじゃないだろうと思うかもしれないが、悲劇なのに、喜劇っぽいというのは、当人にとっては、よけい悲劇なのだ。

 

 昔、たまたまテレビで見た映画で、タイトルも覚えていないのだが(たしかイギリス映画で、ルパート・エヴェレットが主演だったと思うのだが、調べてもわからないから、ちがうかもしれない)、主人公の青年は、少年の頃に父親を亡くしたことが、ずっと心の痛手となっている。

 通りに面したアパートのベランダで豚を飼っていた人がいて、ある日、大きく育った豚の重みで、ついにベランダが壊れ、豚が下に落下した。ちょうど下を歩いていた男がいて、豚につぶされて死んでしまった。

 それが主人公の青年の父親なのだ。父を亡くしただけでも悲しいのに、父の死は、空から降ってきた豚にあたって死んだというので、必ず笑いを誘う。自分は悲しいのに、人は笑う。そのせいで、彼はずっと父の死の悲しみを乗り越えられずにいるのだ。

 彼は、好きな女性ができるたびに、父の死の話をする。「少年の頃に父を亡くして……」と話し始めると、相手の女性は「まあ」と同情して、彼のやさしくふれ、なぐさめようとする。しかし、豚の話をすると、みんな笑い出してしまう。彼はガッカリして、もうその女性とはつきあう気がしなくなってしまうのだ。

 ある日、彼はある女性を本当に好きになっていく。だけど、そうなると今度は、父の死の話がなかなかできない。また笑われてしまったらどうしよう。でも、ついに意を決して、豚が上から落ちてきて死んだという話をする、彼女は笑わない。涙が頬をつたい、「なんて悲しい……」と彼を抱きしめる。彼は心から感動する。

 愛する女性が泣いてくれたことで、はじめて彼は父の死を乗り越えることができるというハッピーエンドだ。

 

「なんだ、その映画?」と思うかもしれない。私も不思議な映画だなあと思った。今回、ネットでいろいろ調べても、タイトルもわからなかった。きっとあまり評判にならなかったのだろう。

 しかし、自分自身が、難病という悲劇でありながら、下痢で漏らすという喜劇的な病気になったとき、この映画のことを思い出した。

 主人公の青年の気持ちがすごくよくわかった。泣いてくれる誰かがいたら、それは感動するだろうと思った。

 

 

|必死だから笑える|

 

 また脱線してしまったが、私は病気になったとき、最初はその深刻さに気づかず、ただのひどい下痢だと思っていたので、自分でも喜劇的に感じていた。

「また、ぴーぴーだ」と笑ったりしていた。

 それがだんだんひどくなり、血が混じるようになり、粘液と血の混じったものになり、さらに血だけになっていって、高熱と痛みでもがいて壁をかきむしるようになって、友達が病院にかつぎ込んでくれたのは、前にも書いた通りだ。

 

 そういう病人は、トイレの近くの病室に入れてほしかったが、突然の入院だったから、そうもいかなかったのだろう。

 私の病室は、トレイからかなり離れていた。

 そして、24時間ずっと点滴をしていた。

 つまり、点滴台(点滴をつり下げる棒の下にキャスターがついているもの)を転がして、トイレまで行かなければならないのだ。

 ひとりで行くのでも間に合いそうにないのに、そんなやっかいな連れができてしまったのだ。

 

 しかも、この点滴台が古かったのか、キャスターがキュルキュルとせつなそうな音を立てて、うまく回ってくれない。早い速度で転がそうとすると、つっかかって、倒れそうになる。

 点滴台というのは、上に点滴が吊してあるから、倒れやすいのだ。私の場合、いつも2つか3つ、ぶら下がっていた。1つは瓶のこともあった。しかも、手に刺してある点滴ではなく、胸の中に先が入り込んでいる中心静脈栄養だ。倒してしまうと、かなりまずいのではないと思った。

 倒さないよう、ぐっと手に力を入れる。しかし、下痢して、必死で我慢しながら急いでいるときに、途中でつっかかったりすると、それだけで漏れそうになる。さらに点滴台が倒れそうになって、あっと力を入れたりすると、もう本当に危険。

 

 仕方ないから、点滴台を少し持ち上げて、ヤリでも持っているようにして、トイレに走っていくのだ。

 廊下ですれちがうお年寄りたちが驚いて、「若い人は元気でいいねえ」などと、うらやましそうに言う。

 冗談じゃない。元気だからやっているんじゃない。そもそも、歳をとってから初めて入院するあんたたちのほうが、ずっと元気なんだよ!

 そんなことを思いながらも、もちろん言い返している余裕はないから、ただもうトイレだけを目指す。

 このときほど、チャップリンの言葉、

 

 人生はクローズアップで見れば悲劇 ロングショットで見れば喜劇。

 

 を実感したことはない。

 血液検査のために採血しただけで気を失うほど貧血で、26キロくらい体重が減って、受話器を持っても手が震えるほど、やせ衰えた人間が、点滴台を掲げて、トイレに走っていくのである。はためにはずいぶん笑える姿だっただろうし、当人にはよけいに悲劇だった。

 

 

|お見舞いは、持ってくる人のもの|

 

 お見舞いに花を持ってきてくれる人たちに、「花とかはいらないから、クレ556(浸透潤滑剤)を買ってきて」と頼むのだが、たいてい笑って、なかなか相手にしてくれない。

 こっちは必死で求めているのに、理不尽にも買ってきてくれないのだ。

 お見舞いに来る人というのは、お見舞いらしいものを持ってきたいらしく、こちらの要望は聞いてくれない。

 私はもともと切り花は嫌いで、「病気のときに、枯れるところを見たくないし、捨てるのも嫌だから」と理由つきで断っても、また切り花を持ってくる。

 こっちが根負けして、「じゃあ、せめて鉢植えにして。それならすぐには枯れないから」と言っても、「鉢植えは『根付く』って言って、縁起がよくないらしいよ」と、一般的なマナーを優先して、こっちの希望を無視する。

 たいていの人がそんなふうなので驚いた。

 お見舞いというのは、こんなにままならないものなのかと思った。

 お見舞いというのは、こっちのために持って来てくれるのだから、こっちのものだと思っていたのが、そうではなく、あくまで持ってくる人のものであるようだ。

 

 余談になるが、後に、病気とはぜんぜん関係なく、恋愛話で、「こっちが欲しがっているものではなく、自分がプレゼントしたいものを贈ってくる男が多くて困る」という話を女性がしていたとき、大いに賛同してしまった。

 入院中のお見舞いの経験から、自分が贈りたいものではなく、こっちが求めているものをちゃんとくれという思いが、すごくあったからだ。

 だから私は、好きな女性から、「シャワーのノズルがほしい」と言われたとき、ちゃんとシャワーのノズルをプレゼントした。友達からあきれられ、「おまえ、それは確実にふられるよ」と言われたが、そんなことはなかった。

 

 それはともかく、ちゃんとクレ556を買ってきてくれた人がいて、この人はほんと素晴らしいなと思った。そういう人はなかなかいないから貴重だ。

 そのクレ556を点滴台のキャスターにスプレーし、ちゃんと動くようになったときには、とても感動した。人間、追い詰められると、点滴台がスムーズに転がるだけでも、ずいぶん幸せを感じられる。

 もっとも自分でも、病気で入院しているのに、なんでクレ556をスプレーしているんだと、不思議な気がしたが。

 

 

|百里を行く者は九十を半ばとす|

 

 そんなトイレへの駆け込みを、1日に20回以上やるのだ。

 それだけでもへとへとになる。

 便意自体も、通常の下痢よりも、かなり激しい。そして、少しちがう感覚だ。

 元気だった頃に、一家全員で生牡蠣にあたり、何日も枕を並べて寝込んだことがある。それ以来、うちでは誰ひとり生牡蠣は食べない。それほどこりた下痢だった。その下痢と比べても、潰瘍性大腸炎で症状がひどいときの下痢は、すごい。

 通常の便意というのは、波が寄せてきて、また引いていて、またもう少し強い波が寄せてきて、引いていき、ということをくり返して、だんだん大きな波になっていく。つまり、少し猶予がある。

 潰瘍性大腸炎の下痢の場合、いきなり大波が押し寄せてくる。待ったなしだ。少しでいいから猶予がほしいと、よく思ったものだ。

 

 それでも、頑張って我慢する。

 とにかく、なるべくトイレに行かずに我慢するほうが、症状がましになる気がした。なので、横になって、ずっとある便意を、ずっと我慢している。

 もう無理、このままでは危険だと思うと、ゆっくり立ち上がる。これがまた難しい。スムーズに動かないと、決壊してしまいかねない。

 立ち上がると、急激に便意が増す。重力のせいなのだろうか。ここからはゆっくりはしていられない。今までとちがい、なるべく急がないといけない。

 しかし、もちろん、大胆に走ったりはできない。我慢しながらだから、動作に限界がある。

 

 そして、これが恐ろしいのだが、いちばん危険なのは、トイレに着いてからなのだ。

 私はこのときほど「百里を行く者は九十を半ばとす」という言葉が身にしみたことはない。

 ようやくトイレに着いた、さらに大のほうのドアの前まで着いたというときが、いちばん危ないのである。

 これは一般の方でも経験があるだろう。トイレまではなんとか我慢できたのに、トイレに着くと、漏れそうになったということが。

 もはや手は震え、うまくドアが開けられず、点滴台があるので、さらに中に入るのに手間取り、ガチャガチャと点滴台をあちこちにぶつけ、ズボンと下着を乱暴に素早く下ろす──それでなんとか間に合えば、まだいいわけで、普通なら、ほっとひと安心というところだ。

 

 だが、病気の下痢なので、そこからまたひと苦しみある。普通の下痢でも、しぶりっ腹で苦しむということがあるだろう。

 病気の下痢では、これがひどい。排泄後にすっきりどころか、その後が苦しみのピークとさえ言える。もう血しか出ていないのに、排便を終えることができない。なるべく血を流したくないのに無理。お腹が痛み、身をよじって苦しむ。うめき声が出る。脂汗が流れる。

 ようやくそこから脱しても、腸がダメージを受けた感じが長く残る。だから、なるべく排泄しないようにしようとする。

 

 

|ああああああ|

 

 健康な人の場合、かなり激しい下痢になっても、漏らすということはないのではないだろうか。漏らしそうになることはあっても、なんとかぎりぎり間に合うものだろう。私も健康なときには、漏らしたことはない。

 しかし、病気の下痢では、そうはいかなかった。

 入院して、トレイが遠くて、点滴につながれたときから、いつか間に合わずに漏らしてしまうのではという不安を抱いていたが、ついにそれが現実になるときが来てしまった。

 この漏らすときのせつなさというのは、想像以上だった。

 

 トイレの前まで行って、うまく大の中に入れなかった。点滴台と点滴の管が絡み合ってしまって、排便を我慢している状態ではそれをうまくほどけず、そのままでは便器にしゃがむことができない。といって、点滴の管を乱暴にむしったりしてしまうわけにもいかない。

 ああああと思っているうち、漏れてしまった。少しくらいなら、それでも耐えて、なんとかしようとしただろうが、かなり出てしまった。あっ、もうダメだと思った。そうすると、あきらめてしまうのだろうか、それともいったん勢いがつくと止められないのだろうか、あるいは、もうこうなったら堕ちるところまで堕ちてしまえという自虐的な気持ちになるのかもしれない。自分でもそこのところはよくわからないのだが、とにかく最後まですべて出し切ってしまうのだ。

 その後の気持ちは形容しがたい。現実の気がしない。しかし、まぎれもない現実だ。頬を叩くまでもなく、下半身が便にまみれているのだから、その感覚が現実だと思い知らせてくれる。なんて現実だと思う。

 

 夜中だった。他には誰もトイレにいなかった。トイレの外も薄暗く、わりとひっそりと静かだった。誰にもまだ見られていない。誰もまだ私が漏らしたことを知らない。

 しかし、こうなってしまっては、自分ひとりではどうしようもない。自分で、自分が漏らしたことを人に知らせるしかない。他の患者さんの誰かに見られて騒がれるより、先に看護師さんに知らせるほうがましだとも思った。

 

 そこにちょうど看護師さんがひとりやってきた。トイレの大のドアの前で、漏らして立ち尽くしている私を見て、向こうも「あっ」となった。

 若い女性の看護師さんだった。すごく迷惑そうな顔になった。「自分でなんとかできますか?」と言われた。私は急に、このまま見捨てられると困るとあせって、「拭きたいんで、お湯とタオルとかもらえませんか?」と頼んだ。よくそんな冷静な頼みができるなと、自分で驚いた。

 ところが、「こんな夜中にお湯は沸かせませんよ」と断られた。これは今考えても不思議だ。当時だって、どこかひねればお湯の出るところはあったと思うのだけど(古い病院で、トイレの蛇口は水しか出なかった)。

 私は「水でもいいんで」と譲歩した。たしか、寒いときで、水はきついと内心思ったのを覚えている。「じゃあ、これで」と看護師さんは、トイレ掃除用のバケツにその場で水を汲んで、そのバケツにかけてあった雑巾と一緒に私の足元に置いた。「これで自分で綺麗にしてくださいね」そう言って、看護師さんは去って行った。

 当時の私は潔癖症ではなかったが、トイレ掃除用のバケツと雑巾で自分の身体を拭くというのは、さすがにそれはないだろうと思った。でも、他にどうしようもない。トイレをこのままにしておいても、他の人に迷惑がかかる。仕方なしに、そのバケツと雑巾でなんとか始末した。身体が震えていた。水が冷たいせいなのか、漏らして動揺したせいなのか、よくわからなかった。

 汚い雑巾で自分の足についた便を拭きながら、私は自分が泣くんじゃないかと思った。でも、泣かなかった。泣かないんだなと、ちょっと不思議に思ったりした。

 

 

|「漏らすこと」と「尊厳」|

 

 この後、私は、失感情症状態になってしまった。

 といっても、そう診断されたわけでなく、後から調べて、そうだったのかなと自分で思っただけだ。

 とにかく、何の感情もなくなってしまった。病気で悲しんでいたのも、悲しくなくなった。では楽になったかというと、そういうわけではなく、笑うこともできないし、微笑むことさえできない。とにかく、感情というものがない。泣くも怒るも笑うもなんにもない。まったくの白紙なのだ。これは奇妙だし、おかしいと、自分でも思った。

 他の人から何を言われても、無表情でいることしかできなかった。周囲からも、何か少し様子がおかしいと不審がられていたと思う。

 平静なのとはぜんぜんちがう。平静というのは、海にたとえると、凪ぎのようなものだろう。それなら、じつにいい感じだ。

 そうではなく、まったくしんとして、海面にまったく波がなく、風もなく、音もない、そんな感じなのだ。そんな海を前にしたら、自分が死んでいるような気がするのではないだろうか。

 

 たかが漏らしたくらい、失感情症状態になるなんて、情けない、精神が弱すぎると思う人もいるかもしれない。私もそう思わないでもない。

 しかし、まだ20歳で、前途洋々だったのが、突然、難病になり、トイレで漏らして、トイレのバケツと雑巾でその始末をさせられると、これはやっぱり、こたえたのだと思う。

 漏らすということには、何か人の尊厳をいちじるしく損なうものがある。

 筒井康隆が『コレラ』という小説で、人前で下痢便を漏らす女性について、こう描写している。

 

「あ、あ、あああ、あ」

 人間が、この世で最も貴重だと思っているものを失う瞬間に思わず知らず口腔から洩らすあの悲痛な嘆声と吐息を、彼女もまた洩らした。

                                                 『如菩薩団 ピカレスク短篇集』(角川文庫)

 

 筒井康隆はもちろん、読者の爆笑を誘うためにこう書いているわけだが、ここには一抹の真理もとらえらている。

「この世で最も貴重だと思っているもの」とまではいかないかもしれないが、漏らすということは、何かを失うことだ。

 その何かにいちばん近いのは「尊厳」だと思う。

 漏らしたくらいで、人としての尊厳を失ったと騒ぐこと自体が、また喜劇的ではあるが、先にも書いたように、「恥」というのは、人に大きく作用するのだ。

 

 それにしても、まったく何を書いているんだろうと思う。

 漏らしたときに何かを失い、それを書いたことで、今また何かを失ってしまうのかもしれない。

 

(頭木弘樹『食べることと出すこと』第13回了)

 

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