第15回   呪いが解かれ、怪物が消えた!

第15回 呪いが解かれ、怪物が消えた!

2018.3.16 update.

樋口直美(ひぐち・なおみ) イメージ

樋口直美(ひぐち・なおみ)

1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断された。
2015年に上梓した『私の脳で起こったこと――レビー小体型認知症からの復活』が、日本医学ジャーナリスト協会賞を受賞。
思考力自体には問題はないが、空間認知などさまざまな脳機能障害のほか、幻視、自律神経障害などがある。
自分で手作りした下記サイトには講演動画や原稿や記事を集めてありますので、どうぞ。
https://peraichi.com/landing_pages/view/naomi

 

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人気番組の取材

 

前回綴った「無人車前進事件」の6日後、私の意識を大きく変える出来事がありました。幻視を初めて人に詳細に話したのです。相手は、NHK「ためしてガッテン」(2013年当時。現在の番組名は「ガッテン」)のディレクター、Kさんでした。

 

番組でレビー小体型認知症を初めて特集するにあたり、当事者を取材したいという話が、この病気の家族会の方から来たのです(家族会の集まりには、体調不良もあり参加していませんでしたが、連絡はとってつながっていました)。

 

ただその夏は自律神経症状で汗が出ず、連日熱中症のような状態だったため、取材を受けられる自信はあまりありませんでした。それでも協力したいという思いだけは強固で、覚悟を決めて待ち合わせ場所に向かいました。人気番組が正しい情報を伝えれば、この病気を知らずに苦しんでいる人を劇的に減らすことができると考えたからです。

 

ディレクターという縁のない肩書きから、映画監督のような人を勝手にイメージしていたのですが、現れたのはカジュアルな服装の若い男性でした。

 

すでに取材は終盤。Kさんは文献も数多く読み、病気を深く理解していました。そして、誤診や薬の副作用で苦しむ人が多い現状にも高い問題意識を持っていました。当時は、患者の苦しみどころか、病名すら知らない医療者も珍しくはなかったのです。私は、Kさんの取材力に驚きました。1つの番組を作るのに3か月もかけていると知り、さらに驚きました。このディレクターであれば、患者や家族を救う、画期的な番組ができると信じました。

 

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「貴重な情報提供者」として

 

私は幻視やこの病気について、全力で話し続けました。自分の感情は脇に置いて、経験した事実をリポーターのように伝えたつもりです。気がついたときには数時間が経っていました。Kさんは、深い敬意を示しながら、強い知的好奇心を持って私の話を聴き続けてくれました。そんなに長時間、自分のことを一方的に話したのは、生まれて初めてでした。

 

私は、驚いていました。自分が「異常者」でも「哀れな患者」でもなく、貴重な「情報提供者」という立場にあるということに。そして私の体験が、肯定的な態度で、目を輝かせて聴いてもらえるものだったという思いがけない事実に。それは私にとって衝撃的な発見であり、なによりも嬉しかったのです。


その少し前に、夫には、幻視のことを打ち明けていました。「何も言わずに、ずっと一人で思いつめているが、何があったのか」と、夫が不安そうに尋ねてきたのです。私は、「虫が見える」とだけ言って泣きました。

 

夫は深刻さを感じ取り、動揺しながらも「それは目の病気で、治療すれば治るはずだ」と懸命に言ってくれました。私を思いやる言葉だということは、十分にわかっていました。でも、病魔に取り憑かれた自分と、健康な人間との間にできた谷はあまりにも深く、そこに理解の橋など掛かりようがない。そんな諦めと孤独だけが、成長の早い毛根のように体の奥深くまで伸びていくのを感じていました。

 

同じ症状を、私は饒舌に語っていたのです。真摯に、知的好奇心いっぱいに聴いてくれる目の前の「他人」に。いえ、初対面の他人ではありましたが、この病気を多くの人に伝えたいという強い思いを共有する同志に。

 

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怪物は姿を消した……

 

私は興奮していました。私のこのおぞましい症状は、私が語ることによって、有益なものになるのです。苦痛でしかなかった私の負の体験は、私以外の人にとっては、高い価値のあるものになり得るのだと初めて知りました。

 

「理解などしてもらえない。理解などできない」という考えは、誤った思い込みでした。理解したいという気持ちのある人には、なんの壁もなくきちんと伝わるのです。幻視という不思議な現象を、「おもしろい」と感じる気持ちさえ共有することができたのです。

 

きのうまで熱や頭痛に苦しめられ、追いつめられ、鬱っぽく淀んでいた自分が嘘のようでした。驚くほど元気になっている自分がそこにいました。もうろうとすることが多く、もう使い物にはならないと思っていた頭も、正常な速度で、問題なくフル回転していました。病気をする前の自分のようだと感じました。そんなふうに再び戻れることがあるだなんて、想像もしていませんでした。

 

病気は私に棲みつき、私をどす黒い怪物に変えたのだと思っていました。呪われた姿を見られるのが嫌で、誰にも会いたくないとずっと思っていました。幻視のことを人に知られたら、私の人生は終りだと固く思い込んでいたのです。でもこのとき、呪いは解かれ、怪物は突然、姿を消しました。

 

(数年後にKさんと再会したとき、「別人のように元気そうに見える」と言われました。自覚も記憶もないのですが、この日も客観的には病人っぽく見えたようです。この頃会った人たちは、皆、同じことを言います。)

 

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「支援する人」より「教えを請う人」

 

何の利害関係もない(取材に謝礼はありません)赤の他人に話すことは、とても楽だということもわかりました。家族には、言えないことのほうが多いのです。他人であれば何を話そうと、私を心配したり、私を思って心を痛めたりすることはありません。だから内容をふるいにかけないまま自由に話せます。それが驚くほど楽だったのです。心理的な理由だけではないでしょう。気を遣う(同時に複数のことに配慮をする)という高度な作業が、機能の落ちた脳には、負担だったのかもしれません。

 

何時間も全身全霊で話しをした後はぐったり疲れましたが、ゴジラの着ぐるみをごそっと脱ぎ捨てたように、心は軽くなっていました。それならもっと早く相談機関に行って、悩みを話すなり、カウンセリングを受けるなりすればよかったのでしょうか? しかし当時は、そんなものがどこにあるのかも知りませんでしたし、探そうという気持ちにもなれませんでした。もし人から情報を与えられたとしても、たぶん行かなかったと思います。

 

想像してみてください。私は、怪物の姿をしていたのです。怪物がそこに行くには、勇気を振り絞り、それでもオドオドと、消え入りたいような気持ちで、出掛けていかなければいけません。きっと建物に入るだけで緊張し、受付で要件を言うときには、喉が詰まるでしょう。そのすべてのハードルを乗り越えて、やっとの思いで相談室にたどり着きます。でも、そこで私の前に座る人は立派な人間で、私と同じ怪物の姿などしていません。最初から圧倒的な上下関係があるのです。

 

しかしディレクターのKさんは、私の話から学ぼうと、会いに来てくれた人でした。「教えを請う人」だったのです。私の体験は、敬意と知的好奇心を持って聴かれ、語るという行動は、深く感謝されました。そのとき、呪いは解かれ、私は怪物から人間に戻ることができました。さらに、必死で隠し続けてきた幻視は、人のために役立てることのできる私の最大の利点に変わったのです。もちろん、これで一気に問題が解決したわけではなく、病状の変化とともに、この後も気持ちは揺れ続けるのですが、この日、私は確実に変化への第一歩を踏み出したのでした。

 

(樋口直美「誤作動する脳――レビー小体病の当事者研究」第15回終了)

 

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