第13回 幻視は幻視と気づけない

第13回 幻視は幻視と気づけない

2018.1.24 update.

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樋口直美(ひぐち・なおみ)

1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断された。
2015年に上梓した『私の脳で起こったこと――レビー小体型認知症からの復活』が、日本医学ジャーナリスト協会賞を受賞。
思考力自体には問題はないが、空間認知などさまざまな脳機能障害のほか、幻視、自律神経障害などがある。
自分で手作りした下記サイトには講演動画や原稿や記事を集めてありますので、どうぞ。
https://peraichi.com/landing_pages/view/naomi

 

「幻覚(幻視や幻聴)があるということは、精神医学からいえば、深刻な状態ですよ」

 

そう医師から言われたことがあります。私も以前は、そんなイメージを持っていました。それは現在でも、ほぼ“常識”として、多くの人に共有されていると感じます。たまに行う講演で「今でも幻視は現れます」と何気なく言ったとき、会場全体に広がる反応に、今は、私がびっくりしています。「幻覚は異常」という意識が、今の私にはないからです。

 

過去の“常識”に反して、ほかに症状のない時期から幻視が現れる人たちが、レビー小体病では存在します。私もその一人でした。健康な状態で現れたとき、それを病気の症状だと気づくのは、思いのほか難しいことです。

 

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車の中に女の人が!

 

私が、最初に“人”を見たのは、元気で活動的だった30代の終わりでした(うつ病と誤診されたのは41歳、「レビー小体型認知症」と診断されたのは50歳です)。

 

私はそのころ毎週2日、趣味の運動をするために、夜、車で出かけていました。たっぷり汗をかいて気分よく戻り、車を集合住宅の定位置にバックで駐車します。ピタッと停めた瞬間、飛び上がりました。右隣の車の助手席に中年の女性が前を見据えて座っているのです。驚いて、思わず声を上げそうになった瞬間、女性はパッと消えました。

 

「えっ!  今のは何?」

 

いくら見てもその女性が消えた助手席は空っぽで、人間と見間違えそうな荷物もありません。ヘッドレストも、カバーなしのシンプルなものです。でも、さっきは確かに女性が座っていて、その女性は、透けてもぼやけてもいませんでしたし、顔もくっきりと見えました。中肉中背で、髪は肩までの長さでした。

 

とはいえ、本当の“人”とも少し違っていたのです。本当の“人”であれば、そこに座っている目的が自然に伝わるはずです。家族を待っているとか、車に落とした物を探しに来たとか……。その女性は、無表情に、ただじっと正面を見据えていました。その佇まいは、夜の駐車場の車の中では不自然でした。

 

何だったのだろうと考えましたが、見えていた時間はとても短く、消え方は目の錯覚と同じです。「こんな気持ちの悪い目の錯覚もあるんだな……」と、そのときは思いました。

 

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目の錯覚か、幽霊か……

 

ところが、その目の錯覚は、短期間のあいだに繰り返されました。同じ時間、同じ場所、同じ人、同じ消え方です。そんな目の錯覚があるだろうかと、さすがに考えました。当時は見え方の異常はほかにはなく、違う場面で“人”を見ることもなかったので、目の病気はまったく疑いませんでした。

 

幽霊の可能性も頭をよぎりましたが、亡くなった人が、自ら生前の形をそのまま再現するとはあまり思えません。目に見えないものはこの世に多々あると私は思いますが、人の見るものは、その人の脳が見ているものだろうと、なんとなく思ってきました。

 

何度も現れるその女性が何なのかはわかりませんでしたが、とにかく驚かされるし、気味が悪いことに変わりはありません。そこで、夜、車を停めるときは、右の車のほうを見ないことにしました。寝違えた人のように左だけを見て駐車し、左を見ながら車から降り、右の車に背を向けて前を通り過ぎるのです。

 

この単純な作戦は成功し、その後、二度とその場所でその女性と会うことはありませんでした。万一彼女が幽霊で、私に何か用事があるなら、左に回って私の前に現れたでしょう。「ほらね、やっぱり目の錯覚だったんだ」と安心し、そのまま、そんなことがあったことすら忘れていました。

 

その古い記憶を引っ張り出し、あれは病気の症状だったのでは? と疑いはじめたのは、ふたたび“人”を繰り返し見るようになった約10年後です。

 

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お祓いに行った人も

 

2012年、レビー小体型認知症を疑って、専門医のいる大きな病院を初めて訪ねたとき、車の中に人が見えるのは「レビー小体型認知症の典型的な幻視のひとつです」と言われました。自分にとって「なんだかわからない未知のもの」が、すでに「典型」に分類されていたことに軽い衝撃を受けました。

 

なぜ「車の中」なのか、同病とはいえ、なぜ違う人に同じような幻視が現れるのか、そもそもどういう仕組みで幻視が起こるのか、とても不思議に思い、理由を知りたいと思いました。でもその答えは、2018年になった今も、どこにもないのです。

 

私の知る同病の方は“人”が見えはじめたとき、「霊が見えるようになったと思って、お祓(はら)いに行った」と言いました。お祓いの話は、その後も何人もの介護家族から聞きました。私と同じように面識のない他人の姿だけが見える方もいれば、亡くなった家族が見える方もいました。

 

「なぜおばあちゃんが、居間にいるんだろう。おばあちゃんは亡くなったのに……。本当に不思議だった」と語った方がいました。その不思議さが、私にはよくわかります。「百聞は一見にしかず」というように、私たちは自分が見ているものこそが、確かな現実だと受け止めます。それが実在しないと考えることは、とても難しいのです。

 

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複眼の目までくっきりと

 

2012年に初めて専門医を訪ねる直前、私は頻繁に“虫”を見ていました。ある日の午前10時ごろ、スーパーの屋外駐車場をゆるゆると徐行していたとき、バックミラーに垂れ下がる、とても大きなクモを突然見つけました。足の短いタランチュラのような、丸々した不恰好な黒いクモで、みかんほどの大きさがありました。

 

「何だ、これはっ?!」

 

糸は見えませんでしたが、空中に浮いているので、バックミラーから糸を垂らしているのだと思いました。

 

「一体いつの間に……。どこから入った? 何というクモ?!」

 

すぐに車を停め、顔を寄せてじっと見つめると、太く硬そうな毛の1本1本と、いくつも並ぶ複眼の目がくっきりと見えました。グロテスクな細部にぎょっとした途端、クモはストンと下に落ちました。

 

「ギャッ!」

 

あんな大きなクモが足を這い上ってきたら大変です。両足を持ち上げ、クモを探しました。あんなものが潜んでいたら、安心して運転などしていられません。……でもクモがいないのです。あんなに大きいのだから絶対に見つかるはずだと思い、シートの下を探していると、疑問が次々と浮かんできました。

 

――今まであんなクモを見たことがあるだろうか。

――あんなに大きなクモが日本にいるだろうか。

――あれだけ大きいのに、落ちたときに何も音がしなかったのはなぜだろう。そして、

――肉眼であそこまで詳細にくっきりと見えるだろうか?

 

そう思い至ったとき、初めて「あれは、幻視だったのか……」とわかりました。

 

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いないクモを探す理由

 

でも、あれだけはっきりと見えたものが実在しないとは、どうしても信じられません。私は、幻視ではなかったことを証明するために、躍起になってクモを探しつづけました。

 

「たしかにいた。きっといる!」

 

……本当はいなかったのだと自分を納得させる方法が、私には見つけられなかったのです。

いないクモを探しながら、シートに涙が落ちました。

私の頭は、どうなってしまったんだろう。

この脳は、この世界は、これからどうなってしまうんだろう。

 

それは幻視にいちばん怯えていた時期でした。幻視が怖かったのではありません。私は、私が怖ろしかったのです。

でもその恐怖こそは、新しい情報と知識を得ることで消える幻にすぎなかったのです。

(樋口直美「誤作動する脳――レビー小体病の当事者研究」第13回終了)

 

 

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