第11回 同じものを食べないところから始めたい──共食圧力(3)

第11回 同じものを食べないところから始めたい──共食圧力(3)

2017.11.17 update.

頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)

文学紹介者。20歳のときに難病(潰瘍性大腸炎)になり、13年間の闘病生活を送る。

そのときにカフカの言葉が救いとなった経験から、『絶望名人カフカの人生論』(飛鳥新社⇒新潮文庫)を出版。その後、『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』(飛鳥新社)、『絶望読書――苦悩の時期、私を救った本』(飛鳥新社)を出版。最新作は、『カフカはなぜ自殺しなかったのか?』(春秋社)。

現在、月刊誌『望星』(東海大学出版部)で、「落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ」を連載中。
NHK「ラジオ深夜便」の「絶望名言」のコーナーに出演中(偶数月の第4日曜の深夜〔月曜午前〕4時台)。
新刊『絶望図書館』(ちくま文庫)が11月8日に発売に。

 

|同じものを食べるところから、本当の関係が始まる?|

 

 ドキュメンタリー番組を撮っているテレビのディレクターから、こんな話を聞いたことがある。

 彼は、コミュニケーションをとるのが難しい相手と仲良くなることがうまいので有名だった。だから、深く入り込んだドキュメンタリー番組を撮ることができると。

 彼はその秘訣をこう語っていた。

「同じものを食べればいいんですよ。たとえばホームレスの人たちが相手だったら、その人たちが使っている汚い茶碗とかで、同じものを食べて、同じものを飲めば、すぐに打ち解けられます」

 なるほどと思いながらも、複雑な気持ちになったものだ。

 

「同じものを食べるところから、本当の関係が始まる」というようなことは、じつはとてもうさんくさいことなのではないだろうか。

 同じものは食べないというところから始まるほうが、少なくとも私は、よほど信頼できる。

 

 私は旅行記というものがなぜか嫌いなのだが、田中真知という作家の書いた『たまたまザイール、またコンゴ』(偕成社)だけは、なぜかとても好きで、旅行記とはこんなに面白いものかと初めて思った。

 病気のせいで、いろいろなところを旅行するのは難しいので、本来、旅行記にはひかれるはずで、よくお見舞でももらった。

 それなのになぜ、たいてい嫌いなのか? なぜ田中真知の本だけは好きなのか? 自分でも不思議に思って考えてみたとき、思い当たったのが、田中真知が現地のものをなかなか食べないということだ。

 

 コンゴ河を手こぎの丸木舟で下るというような危険きわまりないことをするにもかかわらず、彼は現地の食べ物をけっこう食べない。

 イモムシやサルの料理をけっこう拒否する。なかなか食べない。

 同行の日本人から、「マチさん、ここまで来て食べないんですか?」などと言われたりする。

 当然、共食にならないし、食コミュニケーションがとれない。

 では、その旅行記が、浅くてつまらないかというと、むしろ逆なのだ。通常の、現地の人たちとたちまちなごやかになれる旅行者では、決して書けないことが書いてある。

 そこに私は共感と信頼を感じたのだと思う。

 

|食べないことを許す人|

 

 食べないことを許す人は、本当に少ない。

 その中で強く印象に残っているのは、宮古島の知人と初めて一緒に食事をしたときのことだ。

 私が宮古島に行ったときに、その人がたくさんのご馳走を目の前に並べてくれた。そして、「さあ、どんどん食べてくださいね」と。

 これはもう、食べないと大変なことになるシーンである。外から来た人間が、地元の食事に手をつけないというのは、かなり問題がある。

 しかし、まだ宮古島の食材についての知識がない私には、どれが食べられるかものか、どれが危険なものか、区別がつかず、なかなか手が出ない。島の病院のこともまだよくわからないから、なおさら慎重になってしまう。

 

 ほとんど食べずにいたので、これはそろそろ圧力がかかり始めるだろうと思ったら、いつまでもかからない。

「さあ、遠慮しないで食べてくださいね」とさえ言われない。相手は普通に食べて、普通に話を続ける。険悪な雰囲気になることはまったくなく、楽しく会話が続いていく。

 ついに最後までそのままだった。

 こちらが食べないことを変に思っただろうし、食べ物も残ってしまった。

 でも、そのことにはまったくふれず、「またいっしょに食事しましょうね」と言って、実際、その後も何度も誘われていっしょに食事をし、今も親しい。

 これは本当に希有な例である。

 

 後で知ったことだが、この人も難病だった。といっても、私の病気とは違って、食べることには何の支障もない病気。だから、どんどんお酒も飲むし、なんでも食べる。食べられない苦しみについては、知らないだろう。

 しかし、別の苦しみを知っている。そのせいで、何かの輪に入っていけないことがあったのかもしれない。どこかで排除される経験があったのかもしれない。

 そういう経験をした人は、他人にもやさしくなる場合がある。相手の行動を不愉快に思ったときにも、「この人には何か、理由があるかもしれない」ということを考える。そして、朱に交わらないからといって排除しない。

 

 そういうことは、私にも経験がある。たとえば、映画館で前の席に座った女性が、帽子をかぶっている上に、その帽子からは大きな花が上に飛び出していて、非常に邪魔になったことがある。

 一瞬、「さすがにこの帽子は脱ぐべきでは」とあきれたが、すぐに「いやいや、脱げない理由があるのかもしれない」と思い直した。もしかしたら、頭髪や頭皮に何か問題があるのかもしれない。だからこそ、補いたい気持ちが強くなって、花が飛び出しているような派手なデザインの帽子にひかれてしまうのかもしれない。

 もしそうだったら、「脱ぐのがマナーだ」と注意してしまうのは、映画館に行きたいという気持ちを失わせるほどひどいことかもしれない。

 そう思ったら、何も言えなくなるし、不思議なことに、だんだん慣れてきて、それほど邪魔に感じなくなった。邪魔なのはきっと、帽子以上に、それに腹を立てる自分の気持ちのほうなのだろう。

 

|宗教はなぜ「食べられないもの」を設定するのか?|

 

 話がずれてしまったので、本題に戻そう。

 これまで書いてきたのは主に、初対面の相手や、それほどまだ親しくない相手が食べ物を取り出してきた場合だ。

 これが、すでにすごく親しい間柄だと、どうなのだろうか?

 もう食に頼らなくても、コミュニケーションはすでに十分にとれている。だったら、食べられないことは問題にならないのだろうか? 食コミュニケーションや共食の圧力はないのだろうか?

 

 これも、頭で考えると、なさそうなのだが、実際はある。

 このことは宗教を例に考えると、わかりやすいのではないかと思う。

 たいていの宗教には、「これは食べてはいけない」という戒律がある。食べ物の制限は宗教にはつきものだ。

 新興宗教でもそうだ。

 

 私の知っている人で、新興宗教に入った人が、2人いた。

 1人は、パーティーが開けるほど、人脈が豊かだった。

 もう1人は、そこまでではないが、心を通わせている友人がたくさんいる、人柄が愛されている人だった。

 どちらも、新興宗教に入ったことで、ほとんどの友人を失った。

 新興宗教に入ったということ自体でも失ったが、じつはそれはそれほどでもなかった。しつこく勧誘したりしない限り、宗教だけの理由で関係を断ったりはしないものだ。

 しかし、けっきょく、だんだん友達が減っていったのは、食事が大変に大きな決め手となっていた。

 

 たとえば、友人のところに遊びに行ったときに、そうめんが出たのだそうだ。

 ところが、そうめんのツユには、戒律上、食べてはいけないものが入っている。だから、手をつけなかった。

 たった、それだけのささいなことで、新興宗教に入ったことを知っても続いていた友人関係が、なんとなく終わってしまったのだ。

 ささいなこと、くだらないことだけど、でも強いのだ。同じものを食べられないということは。出したものを食べないということは。

 

 当人たちも、一般の人たちとでは、そうやっていろいろ問題が起きるが、同じ宗教の人たちと会っているときには、そういう問題が起きない。何の問題もなく、同じものを食べて、同じものを避けることができる。すごく楽だし、共食が盛り上がる。

 だからけっきょく、他の友達と会うより、同じ宗教の仲間と会っているほうが楽しくなる。

 

 なるほど、宗教が食べ物を制限するのは、こういう理由かと、私は思った。

 他の人たちと食べるものが不一致になることで、他の人たちと疎遠になり、同じものを食べる宗教の仲間との関係がより緊密になるのだ。

 

 もちろん、宗教で食べ物を制限するのは、それだけの理由ではないだろう。「もっと大切な理由がある」と怒られてしまうだろう。

 でも、こういう作用の仕方をするのは確かだし、新興宗教の中には、それをねらって食の戒律をつくっているところも確実にあると思う。

 

 食コミュニケーション、共食というのは、親しくない人と人をつなぐ力も強いし、すでに親しい人と人の関係を断つ力も強いのである。

 

|「経験しないとわからない」という壁|

 

 というわけで、初対面の相手であっても、すでに親しい関係の相手であっても、こちらが健康であっても、病気であっても、いずれにしても、食コミュニケーション、共食圧力というのは、つねに存在して、強烈に作用する。

 だから、うまく食べられない人間は、人間関係もうまくいかなくなる。

 これが、食べることに問題が生じてみて、はじめて気づいた、私がとても衝撃を受けたことだ。

 そして、病気になった後の生きづらさの大きな部分を占めていたことだ。

 

 ──と、ここまで書いてみて、読み返してみると、どうもいけない。

 これでは、いかにも自分は人に圧力をかけない人間で、共食圧力をかける人を一方的に責めているようだ。

 でも、書きたかったのは、決してそういうことではない。

 書き直そうともしてみたが、うまくいかないので、最後に補足させていただきたい。

 

 

 共食圧力をかなり意識的にかけている人もいるが、ほとんどの人はそういうわけではない。食を通じて、楽しくつながろうとしているだけだ。

 たとえば、同じ山田太一の『高原へいらっしゃい』というドラマで、こんなシーンがある。

 

 あるお婆さんが、みんなに腹を立てて、食事をとらない。自分の皿にのせられたパンも、もとのパン駕籠に戻してしまう。

 それに対して、ある登場人物が、自分の本当の気持ちを吐露する。真情をしみじみと語る。

 それに感動して、和解する気持ちの芽生えたお婆さんは、パンをとって、自分の皿にのせる。

 ただそれだけの動作で、みんなにもお婆さんの気持ちがわかって、誰もがほっとして笑顔になる。

 

 食べることを勧める人が求めているのは、こういうふうなことだ。決して、責められることではない。

 

 また、私だって、人に何らかの圧力をかけてしまっていることはあると思う。ただ、そういうのは無自覚な場合が多いので、ここに例をあげることができないだけだ。その無自覚さこそ、本当は問題なのだが。

 

 ちょっと思い出すのは、食とは関係のないことだが、私は学生時代、自転車通学していた。自転車でお年寄りの近くを通りすぎるとき、決してぶつからないようにちゃんと距離をとっているのに、それでもお年寄りがびくりとしたり、顔をしかめたりする。そのことを少し不快に思っていた。「なんでだよ」と。

 

 ところが、自分がお腹の手術をして、ようやくその理由がわかった。開腹手術後はよく歩いたほうがいいので(そのほうが腸閉塞を起こしにくいと言われた)、積極的に散歩に出ていた。だが、なにしろお腹の傷がまだ完全には癒えていないので、素早く動けないし、自転車にぶつかられたりしたら大変なことになる。

 そういうときには、自転車でそばを通りすぎられると、とても怖い。こちらはまだ若いし、服を着ていれば、手術したてのほやほやなんてわからないから、相手の側も何の配慮もしてくれない。

 

 そのときに感じたのは、ぶつからないように避けてくれる程度では、ぜんぜん足りないということだ。もしその自転車が突然倒れたとしても大丈夫なくらい、距離をとってほしいのだ。もし自転車が倒れたとき、自分はさっと避けられないし、ぶつかると、痛いくらいではすまないからだ。それはかなりの距離である。

 お年寄りもきっと同じなのだと思う。素早くは動けなくなっているし、ぶつかられて転けると骨折しかねない。骨折すれば、それをきっかけに寝たきりになりかねない。だから、元気な人間が「ちゃんと避けた」と思うくらいのレベルでは、怖くてびくりとしたり、顔をしかめてしまうのだろう。

 そうわかってからは、お年寄りのそばを自転車で通りすぎるときは、自分が求めていたくらいの距離をとるようになった。そうすると、嫌な顔をするお年寄りはやはりひとりもいない。

 

 つまり、こういうことは経験しないとわからないのである。

 いくら想像力を働かせてみても、「きっとこうだろう」と思いが至るのは、ごくわずかな部分だけで、必ず大きな見逃しがある。近いことを体験してみて、はじめてそれがよくわかる。

 これは致し方のないことだ。

 お年寄りにしろ、病人にしろ、「なってみないとわからない」とたいていの人が言う。

 これは本当に絶対的な壁だと思う。

 

 しかし、こうして書いたものを読めば、「ああ、そうなのか」と、それからは想像力も働くようになるのではないだろうか。

 詳しい説明をする機会がなく、それを聞く機会もないということが、「経験しないとわからない」にしてしまっているところもある。

 

 幼くして視力を失ったエッセイストの三宮麻由子の講演会を聞いた人から、「経験の先覚者」という言葉を教えてもらった。三宮麻由子が講演会でよくそういう言い方をしているのだそうだ。もともとは永六輔の言葉で、「先覚者」でなく「先輩」という言葉を使っていたらしい。 

 経験しなければわからないことを、経験した人がいる。単純に、聞いてみたくないだろうか?

 病人や障害者の苦労話とか恨み言とか感動話とか、そういうことではなく、「経験の先覚者」として、その経験を話し、それに耳を傾けてみる。

 そうすると、そこにはさまざまな発見があり、病気や障害に何の興味も関心もない人でも、何かしら「面白さ」を感じるのではないだろうか。

 たとえば、高い山に登ったり、深い海に潜ったり、未開の地に行ったりした人の話が、自分自身が今後そういうことをする可能性はまったくないとしても、いろいろ興味深く、自分の人生に影響を与えることがあるように。

 

「食べること」が困難になった後の経験について、私が長々と書いてきたのも、何か文句や主張があるからではなく、「経験しなければわからないこと」について、書けることだけでも書くことで、そのほんの一部だけにしろ、経験していない人にも伝わったとしたら、それは面白いことではないかと思うからだ。

 ほんの少しでも「面白い」と思ってもらえたら幸いだ。

 

|懐かしい共食、せつない共食|

 

 蛇足だが、もうひと言だけ。

 

 共食の楽しさを、私も知らないわけではない。

 家族と、友達と、いっしょに飲んだり食べたりして楽しかった思い出はいくつもある。

 幼い頃、夏休みに田舎の家の縁側で、兄弟で並んでスイカを食べて、ぷっぷっぷっと、庭にタネの飛ばしっこをしたりしたのを思い出すと、懐かしくてあたたかい気持ちになる。

 

 しかし、一方で、こんなことも思い出す。

 病気になった後、家族でスイカを食べることになって、私は無理だと言ったら(タネを飲み込む可能性のある果物は禁止されていた)、冷たいのがいけないのかと勘違いして、「温めて食べればいいじゃない」と誰かが言って、「それはおいしくないでしょ」とみんなが笑った。

 私は笑えなかった。

 輪から外れたということを感じた、最初の出来事だったのかもしれない。

 くだらないことなのに、いまだによく覚えている。

 

 食は、思い出と結びつきやすい。

 だからこそ、懐かしいし、せつない……。

 

(頭木弘樹『食べることと出すこと』第11回了)

 

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