第6回 石橋を叩いて食べない――食べることは受け入れること(2)

第6回 石橋を叩いて食べない――食べることは受け入れること(2)

2017.8.25 update.

頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)

文学紹介者。20歳のときに難病(潰瘍性大腸炎)になり、13年間の闘病生活を送る。

そのときにカフカの言葉が救いとなった経験から、『絶望名人カフカの人生論』(飛鳥新社⇒新潮文庫)を出版。その後、『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』(飛鳥新社)、『絶望読書――苦悩の時期、私を救った本』(飛鳥新社)を出版。最新作は、『カフカはなぜ自殺しなかったのか?』(春秋社)。

現在、月刊誌『望星』(東海大学出版部)で、「落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ」を連載中。
また、NHK「ラジオ深夜便」の「絶望名言」のコーナーに出演中(偶数月の第4日曜の深夜〔月曜午前〕4時台)。

 

|既知の食べ物が、未知の食べ物に|

 

 さて、「高タンパク、高ミネラル、高ビタミン、高カロリー、低脂肪、低残渣(ざんさ)」という大方針のもと、「クオリティ・オブ・ライフ」と「再燃のリスク」とを天秤にかけて、自分で食生活を決めていかなければならなかった。

 どうやって決めていくかというと、これはもうひとつひとつ、食べて試すしかない。

 

 病院で指導は受けているし、代表的な食べ物についても「これはいい、これはよくない」と聞いている。しかし、すべての食品について、いちいち聞いているわけではない。

 どの食品にどれくらい、タンパク質やミネラル、ビタミン、カロリー、脂質、残渣があるのか、なかなかわからない。『食品成分表』という本を買ってみたりしたが、ちまちまとそれぞれちがうものを暗記するのも難しい。

 それに個人差もある。他の同病者に聞いて、大丈夫だったというものが、自分にはダメだったりする。

 

 つまりは、自分で食べて試してみるしかないのである。しかし食べてみて、よくなかった場合には再燃のリスクがあり、とても危険だ。

 お年寄りといっしょに野草や山菜などを取りにいくと、素人目には同じように見えるのに、ある野草は食べられて、ある野草は食べられなかったりする。あるキノコは栄養たっぷりでおいしく、あるキノコは毒があったりする。

 それがぜんぜんわからない若造が、山の中に放り出されて、これからはこれらの野草や山菜を食べて生きていけと言われたようなものだった。

 

 おそるおそる、ひとつひとつ試してみるしかない。

 見たとたんに毒キノコかどうか区別がつくお年寄りのようなベテランに、早くなりたかった。

 病気のベテランというのは、なりたいものではなかったが。

 

|豆腐と半熟卵とササミの日々|

 

 そういう中にあって、なんとも嬉しい食べ物が豆腐だった。

 タンパク質のかたまりであり、しかも、これほど理想的な低残渣食品はなかなかない。

 原材料の大豆には繊維がたっぷりあるが、そこから繊維を取り除いたものが豆腐だ。残った繊維のかたまりがオカラだ。豆腐の何倍も残る。

 健康な人は、食物繊維たっぷりのオカラを食べればいい。

 低残渣食が必要なこちらは、豆腐を食べればいい。

 ムダがなく、棲み分けができて、素晴らしいとしか言いようがない。

 

 明治維新で活躍した大村益次郎(医師で兵学者)に、こんなエピソードがあるそうだ。

 大村益次郎から兵学を教わった門人が、戦場で活躍して戻ってきて、どんなご馳走で祝ってくれるのかと思ったら、豆腐が二丁きり。

 さすがにむっとして箸をつけなかったら、大村益次郎は激怒し、

「豆腐を愚弄(ぐろう)する者は、ついに国家を滅ぼす」

 

 これは決して、質素な食生活が大切とか言っているのではなく、大村益次郎は豆腐が大好きで、日頃から豆腐ばかり食べていたというだけのこと。

 このエピソードで私は大村益次郎が大好きになってしまった。それほど、豆腐というのは、私にとってありがたい食品だった。

 

 半熟卵もよかった。生は消化が悪く、ゆで卵も消化がよくない。

 ゆで卵を消化するのに必要なカロリーは、ゆで卵で得られるカロリーより多いということで、ゆで卵ダイエットがあったほど。カロリー面でもよろしくない。

 半熟卵だけは、消化がよく、栄養豊富。タンパク質を中心に、ビタミンも豊富。嬉しい食品だ。

 

 肉の中では、なんといってもササミだった。タンパク質のかたまりで、脂肪がほとんどない。

 ただ、調理に気をつけないと、かたくなってしまう。かたいと消化によくない。

 

 けっきょく私が行き着いたのは、豆腐と半熟卵とササミだった。食事のメインはいつもこれらのうちのどれかで、この3つをぐるぐると回していた。

 

 ビタミンやミネラルを補給するために、果物や野菜もとったほうがいいのだが、果物がなかなか難しく、野菜は裏ごしをして繊維を取り除いたほうがよかった。

 この野菜の裏ごしというのが、なかなかの重労働。想像以上に大変で、汗をかく仕事だ。あきらかに、摂取するカロリーより、多くのカロリーを失う。裏ごしダイエットというのがあってもいいかもしれない。

 しかも、裏ごしをすると、びっくりするほど少ししか残らない。あれだけ頑張ってこれかと、低賃金の労働で愕然とする人のような気持ちになる。

 

 こういう食生活では、不足する栄養分も出てくるので、補助として、経口栄養剤「エレンタール」というものも飲んだ。

 エレンタールというのは、袋に入った粉で、これをお湯で溶いて飲む。

 バランスのいい栄養を簡単にとることができて、とてもありがたいのだが、そうおいしいというわけにはいかない。そんなにまずいわけでもないが、吐きそうになって無理という人もいた。やはり薬くさい感じがあるからだろう。

 ただ、甘いので、スイーツ類をいっさい食べられない身としては、その甘さが嬉しくもあった。

 

|苦しくなってくるのは噛み心地|

 

 私は13年間、ずっと「豆腐と半熟卵とササミの日々」だった。

 同じものばかりを13年間も食べ続けると、どうなるか?

 

 予想されるのは、味に嫌気がさすということだろう。

 戦時中の食糧難で、イモばかり食べた人や、カボチャばかり食べた人の中には、イモやカボチャが大嫌いになった人が少なくない。

 飢えていてさえ、同じものばかり食べていると、嫌気がさすのだ。同じものばかり食べて栄養が偏らないように、身体がそういう仕組みになっているのだろう。

 

 私の場合も、味に嫌気がさすということは、もちろんあった。

 しかし、それは戦時中のイモやカボチャについて聞く話ほど、激しいものではなかった。栄養のバランスは、エレンタールなどで、ある程度とれていたからかもしれない。

 それよりも、つらかったのは「噛み心地に飽きる」ということだった。

 

 それは、やわらかい豆腐や半熟卵ではほとんど起きず、ある程度は噛みごたえのあるササミにおいて最も激しかった。

 ササミだって、料理法によって、噛み心地はちがってくる。ふんわりしたり、かちかちになったりする。しかし、いずれにしてもササミの噛み心地である。たとえば、皮がパリと焼けた鶏のもも肉なんかとはちがう。

 ササミというものの噛み心地に、ほとほと飽きてしまった。

 

 飽きたなんて言うと、贅沢な感じがするが、こういう噛み心地とわかっていて、やっぱりその噛み心地だったときの、なんとも言えない気持ちは、ああっと嘆息が出るほどだった。

 ちがう噛み心地のものが食べたいと、心底思った。

 これはアゴや歯の欲求たったのだろうが、気持ちも一致していた。

 

 私はじつは今でもササミが苦手だ。いろいろ食べられるようになってからは、一度も口にしていない。もし食べると、今でもきっと、あのつらい感覚がよみがえってくるのではないかと、こわいからだ。

 

|刑務所を出所した人のビールと焼き鳥|

 

 飽食の時代だった。

 戦時中のように、どこを見まわしても食べ物がなくて、痩せ細った人たちばかりというほうが、きっともっと怖ろしいことなのだろう。

 しかし、食べ物が世の中にあふれていて、テレビではいろんなタレントが食べ歩きをしたり、食べ物で遊んだり、CMになってもおいしそうなものが次々と湯気をあげていたりする。太っている人たちがたくさんいて、いかにして痩せるかということが時代の悩みになっていたりする。

 そういう最中に、がりがりに痩せて、限られたものだけを少量食べて、いつも少し飢えているというのは、これもまた不思議な感じだった。ひとりで別の時空間に閉じ込められているようだった。

 

 さんざん飲み食いしている人たらがうらやましかったかというと、たしかにうらやましかったが、それはもう手が届かないことなので、仕方ないと思っていた。

 それよりも、自分に近い人が、そこから解放された瞬間を味わっているほうが、心底うらやましさを感じた。

 

 たとえば、刑務所を出所した人を、うらやましいと思ったことがある。といっても、映画でそういうシーンを見ただけだ(何の映画かは忘れでしまったが、そのシーンだけはよく覚えている)。

 刑務所を出所した人が、焼き鳥屋に入って、「ビール」と注文する。もうそう頼んだだけで、目は見開かれ、全身がわなわなとしている。

 あれほど恋い焦がれていたものが、あっさりと目の前に出てくる。すぐには飲まない。じっと見つめる。泡がはじけている。グラスを握る。冷たい。さらにぐっとグラスを握る。ゆっくりと口元まで持ってくる。においがする。思わずまた、口元から離して、顔の前に持ち上げて、じっくり見つめる。

 しかし、ついに飲む。ひと口、ぐびりとやる。のど仏が上下する。きっと、まだ味なんかよくわからないだろう。久しぶりの刺激が、軽い苦痛でさえあるかもしれない。しかし、うまい。なんとも言えず、うまい。少し涙がにじむ。

 次に焼き鳥を注文する。場末の店である。安いだけで、うまいというような代物ではない。しかし、うまい。肉がかたければかたいでうまい。ぐにゃぐにゃならぐにゃぐにゃでうまい。噛むと肉汁が口の中にひろがる。焦げくさいにおいが鼻をつく。何度も何度も噛みしめる。自分が嬉しいんだか、あごが嬉しいんだかわからない。

 またビールをごくりとやる。口の中の焼き鳥の味と混じり、のどの奥に流れ込んでいく。

 

 まあ、ようするに、これがうらやましいわけだ。

 出所して、前科者として、社会の中に戻されるのは、大変につらいことだろう。

 治らない病気の場合も、退院しても、病人として社会でやっていかなければならない。これが前科者の苦労と、どちらが大変かはわからない。

 しかし、失っていた普通の食生活を取り戻すということは、病人にはできない。これが決定的にちがう。だから、うらやましい。

 

 場末の店でビールと焼き鳥なんて、何がうらやましいんだと思うだろうが、失ってみると、これがうらやましい。普通の人にとっては、たいして嬉しくもないことだろうから、なおさら輝いて見える。

 恥ずかしながら、人が噛み捨てたガムさえ、ついうっとりと見つめてしまったことがある。

 高級レストランでワインとフランス料理と聞くよりも、そういうくだらないことのほうが不思議とうらやましかった。

 

|噛み捨て作戦の失敗|

 

 大腸に食べ物のカスが行かなければいいわけで、だったら、口でもぐもぐして、その後、出してしまえばいいのではないかと思った。それだけでも、ぜんぜん食べないよりは、ずっと満足できるのではないかと。

 いったん飲み込んでから吐くという方法は、避けようと思った。それでは胃によくないはずで、連動して大腸にも影響がありそうだったからだ。

 

 ケーキとか和菓子とか、ごく少量ならうっかり飲み込んでも大丈夫なものをたくさん買ってきて、大きなボウルを小脇に置いて、思う存分、口で舌で歯でアゴで味わって、汚い話で恐縮だが、ボウルの中に吐き出した。

 これはいいと思った。久しぶりのスイーツは、本来食べられないものだけに、とても甘美だった。陶然とした。

 

 しかし、後がよくなかった。おかしな感じになってしまった。

 頭だけがなんだかカッカッする。身体はとても奇妙な感じがする。うまく言えないが、また身体から「?」が発信されている感じなのだ。

 口では味がしっかりしたのに、身体の中には何も入ってこないから、信号の不一致で脳や身体が混乱したのかもしれない。

 

 これはまずいことが起きそうだと感じ、数回でやめた。

 あとはもうただ摂生の日々だった。

 

|他に頑張れることがないとき、

人は頑張りすぎる|

 

 やせてキレイになるとかなら、まだプラスの目的があるが、再燃しないための摂生、つまりマイナスを避けるための摂生だから、喜びがない。しかも摂生していても再燃はするのだから、むなしさもある。

 それでも頑張った。

 

 なぜ頑張ったかというと、他に頑張れることがなかったからだ。

 病気になれば、治すために、自分でも何かしたいと思う。しかし、できることはわずかしかない。ほとんどは医師頼り、薬頼りだ。

 それで治ればそれでもいいが、治らないのだから、なおさら何かしたくなる。

 食事に気をつけることはできる。

 そうすると、そこで頑張りすぎてしまう。

 

 私はおそらく摂生しすぎだっただろう。

 もう少し普通の食事をしてもよかったかもしれない。

 しかし、少しでも再燃を先延ばしにしたかったし、そこそこの食べる喜びを味わっていて再燃の悲しみを味わうよりは、日頃からつらい摂生をしていて再燃のつらさに移行するほうが、落胆の度合が低くてすむという面もあったのだと思う。

 

 同じ病気の人の中には、再燃の頻度が高くても、私よりずっと普通の食事をしている人もいた。

 逆に、もっと厳格な人もいた。

 うどんしか食べないというような、あきらかにやりすぎの人もいた。

 しかし、「それはやりすぎでは」とは言えなかった。そんなことは当人もよくわかっているのだ。しかし、やりすぎてしまう。

 人は、自分の努力次第でいろんなことが変わるとなると、かえって面倒になって頑張らないものだが、自分の努力ではなんともならないことばかりで、努力で左右できるのはごくわずかしかないとなると、むしろ努力しすぎてしまうものだ。過剰に努力して、かえってマイナスさえ引き起こしてしまうものだ。

 

(頭木弘樹『食べることと出すこと』第6回了)

 

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