第5回 食べることのありえなさ――食べることは受け入れること(1)

第5回 食べることのありえなさ――食べることは受け入れること(1)

2017.8.18 update.

頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)

文学紹介者。20歳のときに難病(潰瘍性大腸炎)になり、13年間の闘病生活を送る。

そのときにカフカの言葉が救いとなった経験から、『絶望名人カフカの人生論』(飛鳥新社⇒新潮文庫)を出版。その後、『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』(飛鳥新社)、『絶望読書――苦悩の時期、私を救った本』(飛鳥新社)を出版。最新作は、『カフカはなぜ自殺しなかったのか?』(春秋社)。

現在、月刊誌『望星』(東海大学出版部)で、「落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ」を連載中。
また、NHK「ラジオ深夜便」の「絶望名言」のコーナーに出演中(偶数月の第4日曜の深夜〔月曜午前〕4時台)。

 

息であれ、食べ物であれ、飲み物であれ、薬であれ、

口の中に入ってくるものはすべて、

彼にとっては毒であり、肉体への脅威だった。

栄養はとりたかったが、

それは彼が無害だと信じられるものでなければならなかった。

毒と危険を自分の身体から遠ざけようと、彼は懸命だった。

    エリアス・カネッティ

『もう一つの審判 カフカの「フェリーツェへの手紙」』(頭木訳)

 

 

|たき火のような病気|

 

 たき火というのは、すっかり火が消えたように見えても、じつはまだ火力が残っていて、また燃え上がることがある。山火事の原因などにもなる。

 潰瘍性大腸炎という病気にも、似たところがある。

 

 難病というのは、治らない病気なわけだが、この病気は、うまくいくと、いったんキレイに治る。大腸の炎症は消え、症状もなくなる。普通の人と変わらなくなる。寛解期(かんかいき)と呼ばれる。

 

 しかし、だからといって、以前のような普通の食事をとることは難しい。

 なぜなら、食事に気をつけないと、再燃してしまうからだ。

 再燃というのは、また炎症が起きてしまうこと(この病気では、再発とは呼ばずに再燃と呼ぶ。いったん治っている時期も、本当には治っているわけではないからだ)。

 消えたかに見えた、たき火が、また燃え上がるわけだ。

 

 以前にも書いたように、この寛解と再燃をくり返すのが、この病気の一般的なパターン。

 そして、寛解期をいかに長く維持するか(いかに再燃させないようにするか)、ということが患者にとっては目標となる。

 

 寛解期をどれくらい長く維持できるかは、まったく人による。食事に気をつけなくても、寛解期が10年も続いたなんて人もいる。一方で、どんなに食事に気をつけても、すぐに再燃してしまう人もいる。そういう個人差はどうしようもない。努力して変えられるものでもない。

 

 ただ、食事に気をつければ、それだけ再燃の可能性を低くできるのは間違いない──という言い方は正確ではないかもしれない。食事に気をつけないと、再燃の可能性を高めると言ったほうがいいだろう(いくら食事に気をつけても、再燃の可能性を完全になくすことはできない)。

 

 再燃すると、本当にガッカリする。また副作用の強い薬(プレドニン)をたくさん使わないといけない。なんとか再燃したくないというのが、患者の強い願いとなる。

 

 たき火がまた燃え上がって、山火事になってしまわないよう、なかなかたき火のそばを離れることができず、ずっと心配し続けているというのが、この病気になった人間の心境だ。

 

 

|食べられるものと食べられないものの新たな線引き|

 

 寛解期が近づくと、薬も減ってきて、もうじき退院ということになる。

 その前に、管理栄養士さんからの食事指導があった。

 

 最初の病院で受けた指導は、かなり厳格だった。

 まず、乳製品はいっさいダメと言われた。潰瘍性大腸炎にはよくないという研究があるとのことだった。絶食後に初めて食べて感動したのがヨーグルトだったのに、いったいどうなっているんだと思った。

 

 次に、脂肪はなるべくとらないほうがいいと言われた。霜降り肉などはとんでもないことで、脂肪の少ないササミや白身魚にするように言われた。

 牛肉、豚肉、ササミ以外の鶏肉、マグロやブリなどの脂の乗った魚は、すべて「避けたほうがいい食べ物」に分類されてしまった。

 

 繊維のきつい野菜もとらないほうがいいと言われた。ゴボウとかレンコンとかタケノコとか。食べていいのは、ほうれん草の葉先とか、やわらかいものだけ。

 イカやタコも、不消化だからよくないと言われた。

 

 そうやって、バッサバッサと、大ナタがふるわれるのである。

 私のほうは当初、たんに「なるべくやわらかいものを」とか「よく噛んで」とか、そんなレベルだと思っていたので、こんなふうに「乳製品はダメ」とか、あるジャンルをまとめて否定されたりするとは思っていなかった。覚悟が足りなかった。

 たくさんある食べ物が、どんどん「食べないほうがいいもの」に分類されていく。あれもか、これもかと、これまで親しんできた家の中の家具に、どんどん差し押さえの紙が貼られていくのを、どうしようもなく見ているしかない人のようだった。

 

 刺激物もダメだと言われた。コショウやトウガラシというレベルはもちろん、コーヒーや紅茶もよくない。アルコールはもちろん厳禁。甘い物もやめておいたほうがいいと言われた。大好きなチェコレートも刺激物に入るとのことだった。

 お腹の中に傷があるわけで、そこにしみるものはダメということなのだろうか。たしかに、お腹の中で因幡の白ウサギのようなことが起きては困る。

 ともかく、嗜好品は全滅だ。

 

 果物も、イチゴのように種が取り除けないものはダメ(イチゴの表面に種がついていることを、不覚にもこのときまで意識したことがなかった)。

 種が取り除けるものも、刺激の強いものはダメ。酸味が強いとか、甘味が強いとか。

 バナナも、じつは繊維が豊富なのでよくないということだった。

 そうなると、残るフルーツがあるのかないのか、よくわからなかった。

 

 こうして、1時間くらいの食事指導の間に、私の食大陸はほとんどが他国の領土となってしまい、残された我が領土は、驚くほどわずかなものだった。

 たったこれだけで生きていけるのだろうか? 国王は、失ったものの大きさによろめいて、ベッドに倒れるのだった。

 

 

|「食べる喜び」と「再燃のつらさ」をはかりにかけると|

 

 次に再燃したときには、別の病院に入院することになったのだが、その病院での食事指導は、もう少しゆるかった。

 いちばん驚いたのは、乳製品を食べてもいいということだった。「乳製品はよくないというのは、もう古い研究で、今では関係ないと言われている」とのことだった。そんなにころころ変わるものなのかと、進歩に感心するというよりも、手のひらを返されたような気分だった。

 もちろん、乳製品を食べられるのは嬉しいことだったが、少しでも乳製品の入っているものは頑張って避けていたので(気をつけて成分のところを見てみると、じつにいろんなものに少しは乳製品が入っているのだ。カマボコやコンソメなど、かなり意外なものにまで)、今までの努力が簡単に無になってしまうことに、少し抵抗があった。

 

 その後も、いろんな病院で入退院をくり返すことになるのだが、そのつど、食事指導はゆるくなっていった。

 乳製品以外は、研究結果が変わったからということではなく、あんまり制限すると「クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)」が低下しすぎるからということだった。

 つまり、どんなに厳格に制限しても、再燃は起きる。だったら、ある程度、食べたいものを食べて、それで再燃しても仕方ないとするほうが、生活全体の質、人生の満足度は上がるのではないか、というわけだ。

 

「食べる喜び」と「再燃のつらさ」を天秤にかけて、バランスをとる。

 これは難しいことだった。人によって、どちらを重視するかもちがってくる。

 なので、食事指導は、いちおうどういうものがよくないかを教えて、あとは各自の判断にまかせるという方向になっていった。

 

 管理栄養士さんによっても、言うことがちがっていた。「ある程度、好きなものを食べないと、生きている意味がないでしょ」と言う人もいれば、「再燃はつらいから、それくらいなら食べるものに気をつけたほうがいいでしょ」と言う人もいた。

 お酒が好きな医師は、肝臓の数値に問題のある人にも「まあ、少しくらいは飲んでもいいでしょう」と言い、お酒を飲まない医師は「お酒は一滴もダメです」と言うようなものだ。

 

 

|カロリーのないものでカロリーをとらなければならない|

 

 ただ、基本方針は一定していた。

 それは「高タンパク、高ミネラル、高ビタミン、高カロリー、低脂肪、低残渣(ざんさ)」ということだった。

 

 潰瘍性大腸炎では、大腸からタンパク質が流れ出てしまうし、腸管の修復のためにもタンパク質が必要なので、高タンパクの食事が求められる。だから、メインはタンパク質。

 それだけに、乳製品を全面的に禁止されると、困難がより大きかった。

 

 ビタミンやミネラルも不足するので、果物や野菜をとったほうがいいのだけれど、先に書いたように、果物がなかなか難しく、野菜も繊維がよくないので、食べられるものが限られた。

 

 カロリーは、なにしろ下痢して弱っているわけで、高カロリーなものを食べるほどよかった。病気でカロリー制限している人や、ダイエットをしている人などからすれば、うらやましい話だろう。カロリーはとり放題なのだ。

 しかし、これがじつはたいてい、次の「低脂肪」に抵触する。たとえば、バターは高カロリーだが、これは脂肪のかたまりで、食べることができない。カロリーの高いものというのは、多くの場合、脂質が多い。

 肉を切り取ってもいいが血を流してはならないという難題をふっかけられた、シェイクスピアの『ベニスの商人』を思い出したりした。

 

 脂肪をとらないほうがいいのは、脂というのは下痢を引き起こしやすいからだ。便秘のときには、ヒマシ油を飲んだほうがいいくらいで、かなり効き目がある。

 また、動物性の脂は、炎症を悪化させる作用があるらしい。

 ただ、魚の脂は逆に、炎症を抑える効果があるとのことで、これは食べたほうがいいのだが、お腹がゆるくなる効き目もあるので、これまた、よい効果とよくない効果がぶつかり合う。

 そのため、錠剤タイプのサプリメントで魚の脂の栄養素をとっていた時期もあるが、ある時期から、サプリはすべてやめてしまった。自然にはありえない、不自然な摂取の仕方は危険をともなうと気づいたからだ(このことについては、また別のときに)。

 

 

|健康にいい食物繊維が、健康に悪い|

 

「低残渣」というのは、聞いたことがない人も多いだろう。消化した後に残るカスが少ないということだ。

 大腸というのは、胃や小腸で食べ物を消化吸収した後の、カスをためておく場所だ(厳密にはそう単純ではないだろうけど、大ざっぱに言うと)。

 大腸に炎症が起きる病気なわけで、大腸になるべく刺激がないほうがいい。カスがないほどいいわけだ。

 

 カスの代表選手が、食物繊維だ。

 これが最もよくない。

「食物繊維は健康にいい」ということは、たいていの人の頭に入っているだろう。それは決して間違いではなく、健康な人にとっては、食物繊維をたくさんとって、大腸の掃除をするのはいいことだ。

 しかし、腸に炎症が起きやすい者にとっては、真逆になる。

 健康な人にとっては、乾布摩擦はとても健康にいいけれど、肌に炎症がある人にとっては、乾布摩擦なんかしたら大変なことになる。それと同じことだ。

 いつも健康にいいなんてことはなかなかなくて、同じことでも、健康によかったり、健康によくなかったりする。

 

 この「低残渣」というのが、かなり難しい。ゴミを出さない生活が難しいように、カスの残らない食べ物というのもなかなかない。

 ジュースのようなものでも、じつは水溶性の食物繊維がたっぷり入っていたりする。しかも今は「健康のために」と、いろんな食品にわざわざ食物繊維が足してあったりする。

 低残渣食をしなければならない人間にとっては、今はなかなか暮らしにくい世の中だ。

 

 入退院をくり返している頃は、外食することはめったになかったが、それでも寛解期が続いてかなり調子のいいときには、人と外で会うこともあった。

 そうすると、相手は気をつかってくれて、「健康食」のお店を選んでくれる。

 たしかに、私の過敏になった舌には、そういうお店が嬉しい。

 

 しかし、大問題がある。健康食のお店というのは、ご飯は玄米、パンは全粒粉、そして他は野菜が中心だ。しかも、野菜もなるべく生で、やわらかく煮すぎたりはしない。

 つまり、食物繊維だらけなのである。どっちを向いても敵ばかり。四面楚歌だ。

 しかし、「このお店ならいいでしょう」という顔をしている相手に、「このお店には食べられるものが何もない」とは言えない。

 これにはずいぶん困ったものだ。

 

 今は、手術をして、かなりなんでも食べられるようになっている。健康食のお店でも大丈夫だし、他の普通のお店でも大丈夫になった。

 だから人とも会いやすいが、当時は人と会うことが、「食べられない」ということによって、とても困難だった。「会う」と「食べる」は、ぜんぜん別のことで、頭で考えれば、食べずに会えばいいわけだが、これがそうはいかない(このことについては、先でまるまる一章を使って書きたいと思っている)。

 

(頭木弘樹『食べることと出すこと』第5回了)

 

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