第3回 口の中の大爆発――食べないとどうなるか(2)

第3回 口の中の大爆発――食べないとどうなるか(2)

2017.7.18 update.

頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)

文学紹介者。20歳のときに難病(潰瘍性大腸炎)になり、13年間の闘病生活を送る。

そのときにカフカの言葉が救いとなった経験から、『絶望名人カフカの人生論』(飛鳥新社⇒新潮文庫)を出版。その後、『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』(飛鳥新社)、『絶望読書――苦悩の時期、私を救った本』(飛鳥新社)を出版。最新作は、『カフカはなぜ自殺しなかったのか?』(春秋社)。

現在、月刊誌『望星』(東海大学出版部)で、「落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ」を連載中。
また、NHK「ラジオ深夜便」の「絶望名言」のコーナーに出演中(偶数月の第4日曜の深夜〔月曜午前〕4時台)。

 

 

|食事なんて錠剤になればいいと思っていたが……|

 

 私はもともと、食に関心の薄いほうだった。

 食べることが面倒くさかった。そのぶんの時間、別のことをしているほうが有意義だと思っていた。日に3度も、食事に時間をとられ、汚れた歯を磨き、トイレに行き、なんて時間の無駄なんだと嘆いていた。

 食事なんて栄養補給なんだから、錠剤になればいいのにと思っていた。それなら、ゴクンで食事は終わり。どんなに労力と時間の節約になるか。

 食べること自体が楽しい、味わうことが快感だ、ということはほとんど思わなかった。

 

 中心静脈栄養によって、いわばその願いがかなったのだった。

 しかし、管が胸にささってしまっているわけで、こんな夢のかない方では、W・W・ジェイコブズの短編小説『猿の手』みたいで(猿の手が願いをかなえてくれるが、かなえ方が悲惨で受け入れがたいというお話)、もちろん嬉しくない。

 

 しかし、もし管が刺さっていなくて、本当に錠剤で食事がすむようになったとしても、それは耐えがたいものであることを、私は思い知らされることになった。

 それくらい、栄養不足以外の餓えも、なかなか耐えがたいものがあった。

 栄養不足の飢餓を「激痛」とすると、「かゆみ」くらいのものなのだが、かゆみというのも、なかなか耐えがたいように。

 

 

|コンニャクのおじいさん|

 

「何か噛みたい」という欲求で思い出すのは、コンニャクのおじいさんである。病院の6人部屋でしばらくいっしょだった。

 何の病気だったのかわからないが、食事制限がかなりあるようだった。

 いつも「コンニャクが食べたいねえ」と話しかけてきた。

 コンニャクというのは消化がよくなくて、栄養価が低い。病人の食べものとしては適していない(健康な人にとっては、腸の掃除になっていいようだ)。おじいさんも禁止されているようだった。

 

 絶食している私もきっとコンニャクが食べたいにちがいないと思って、おじいさんは話しかけてくるのだが、私はちっとも食べたくなかった。もともと好きでも嫌いでもないし、げっそり痩せて、栄養をとらないといけない私としては、まるで魅力を感じられなかった。まだ絶食の初期で、噛みたい欲求もなかった。

「コンニャクが食べたいねえ」とおじいさんに言われるたびに、「コンニャクは栄養がないから、もっと栄養のあるものを食べたほうがいいですよ」と答えていた。おじいさんも、げっそり痩せていた。コンニャクを食べている場合ではないと思った。酸っぱいブドウだと言ってあげることで、おじいさんをなぐさめているつもりでもあった。

 

 ところがある日、いつものようにそう答えると、「でも、コンニャクを食べたいよねえ」とまだ押してくるのだ。「いやいや、だから、栄養がないし……」とこっちも繰り返しかけると、突然、「おまえにわかるか! わしはコンニャクが食べたいんだ!」とおじいさんが激した。

 驚いた。声を荒げるような人ではないのだ。それはそれはやさしい、おだやかな人なのだ。親友の借金の保証人になったせいで、後半生はその返済に追われ、親戚や知人も遠ざかっていき、奥さん以外のお見舞客もなく、それでもニコニコとしているような人なのだ。

 その人が、たかがコンニャクで、仲良くしていた私に怒鳴りつけた。絶食している人間に対してまで、「おまえにわかるか!」と言った。

 そのことに私は胸を打たれた。「ああ、そんなにも食べたかったのか!」と思った。

 おじいさんはすぐに、「ごめんごめん。年をとると怒りっぽくなって」などと言って、怒りで赤くした顔を、無理に笑顔にした。

 私も「いえ」などと、そんな返事しかできなかったが、内心では深く反省していた。これは本当にいけなかったと。栄養価とか、オレは何を言ってるんだと。

 たかがコンニャクだ。でも、たかがコンニャクだからこそ、悲しみが深いのだ。

 

 その後、噛みたい欲求にさいなまれるようになって、よりコンニャクへの渇望を理解できるようになった。

 もう一度、おじいさんが「コンニャクが食べたいねえ」と話しかけてきてくれたら、「そうですね、食べたいですね!」と答えようと思っていた。

 しかし、その後もいろいろ話はしたが、二度と「コンニャクが食べたいねえ」と言ってくれることはなかった。

 

 今でもこのときのことは反省している。こんなに反省していることはないほどだ。

 

 

|バナナ味の歯磨き|

 

 当時、「何も食べないのなら、歯を磨く必要もないだろう」と間違ったことを思っていた。なので、ずっと歯を磨いていなかった。

 ベッドから起き上がると、トイレに行きたくなってしまうのだ。洗面所に立っていたりすると、なおさらだった。行けば、大腸にダメージになってしまう。身体全体としても、げっそりしてしまう。

 だから、歯を磨くだけでもこわかった。

 しかし、「バナナ味とかの歯磨き粉を使ってみたら?」とアドバイスしてくれた人がいて、「なるほど!」と思った。それなら、何か味がしてほしいという舌の欲求にだけは応えることができる。

 

 ところが、トイレに行くリスクまでおかして挑戦したのに、これはまったくダメだった。

 不自然なバナナの味は、とても不快で、歯を磨く間、我慢することさえ無理だった。

「どんな味でも、味さえすればいい」という感じだったのに、こういう結果に終わって、自分でも不思議だった。

 しかし、後から考えてみると、これはきっと、すでに舌が敏感になっていたのだと思う。

 

 長く絶食して、何も味わわずにいると、舌は鈍感になるだろうと思っていた。

 使わないでいると、すぐに筋肉が衰えてしまうように。

 ところが、不思議なことに、舌は逆だった。

 味がしないとはいえ、口の中の、たとえば唾液などを味わっているせいかもしれない。ほとんどしない味を、なんとか感じようと、より鋭敏になるのか。

 ともかく、絶食すると、舌がものすごく過敏になるのだ。

 それを知ったのは、絶食が終わって、はじめて口に食べ物を入れたときだった。

 

 

|口の中で爆発が起きた!|

 

 正確には何日だったか、もう覚えていないが、1か月以上は確実につづいた絶食が、ついに終了ということになった。

 まだ病状が安定したわけではなかったが、大腸の絶対安静は解かれたわけだ。

 もちろん、いきなり普通の食事はできない。健康な人だって、絶食の後は、重湯とかからゆっくり始めないと、大変なことになる。先の秀吉の鳥取城の兵糧攻めのときも、落城後、ようやく食べ物を与えられて、勢いよく食べてしまったせいで、せっかく生き残った兵の半数が死亡したらしい。

 私の場合は、大腸に潰瘍があるわけで、なおさらだ。

 

 まず最初は、ヨーグルトを食べていいということになった。

 もちろん、ごく少量、ひとさじくらい。

 その頃はまだ生きていた父が、病院の売店にはいいヨーグルトがないからと、知らない土地でかなり歩き回って、質のいいヨーグルトを探してきてくれた。

 ふたを開けて、ひとさじすくった。

 口に食べ物を入れるのは久しぶりだ。緊張した。うまく食べられるだろうかというような、不思議な心配さえ少しした。おそるおそる口に入れた。

 

 すると、そのとたん、口の中で爆発が起きた!

 これは今でもよく覚えている。

 まさに爆発としか言いようがなかった。自分でも、一瞬、何が起きたのかわからなかった。

 味の爆発だ。おいしいとか、そういうなまやさしいものではなく、とんでもなく強烈に味がしたのだ。

 そばにいた両親が、思わず立ちあがっていたから、私は何か異変を起こした感じに見えたのだと思う。

 安心させるために、ようやく「おいしい」とだけ言うと、両親はほっとして笑い出した。泣き笑いだった。

 20歳の息子が、ようやくヨーグルトをひとさじ食べて、大感動しているのだから、なさけない限りだが、このときのことは、後でもよく両親が口にしていた。「あのときは、本当においしそうだったねえ」と。

 

 

|絶食後は何を食べても大喜びだと思ったら……|

 

 ところが、その後、おかゆが始まったときに、まずくて食べるのが苦痛だった。

 これにもまた驚いた。餓えていて、ようやく食べられるようになったのだから、うまいとかまずいとか、そんな贅沢を言うとは、夢にも思っていなかった。

 自分で自分に「食べられるだけでもありがたいと思え!」と心の中で説教したくらいだ。

 食べるのに合わせて、点滴の栄養の量も減ってきていた。なので、通常の餓えもあるはずで、そんなときに、おかゆがおいしくないはずがなかった。

 ところが、まずい。残したくて仕方なかったくらいだ。我慢して飲み込んだが、味わうことが、とにかく苦痛だった。

 おかゆは、米と水が大切だというが、これは本当にそうだ。それ次第で、おかゆというのは、最もおいしい食べ物にもなり、最もまずい食べ物にもなる。味をごまかしようもない、シンプルなものだから。

 

 ようするに、舌がとても敏感になっていたのだ。

 このとき以来、ものの味がとてもよくわかるようになった。

 以前は、野菜は好きではなかったのに、野菜のおいしさがわかるようになった。それも、ドレッシングなどをかけると、逆に食べられなくなる。そのままで食べるほうが、ずっと複雑な味がしておいしい。

 私にとっておいしいとは、味覚刺激が複雑であるということで、そこにさらに「驚き」があるということだ。

 驚きというのは、素材の品質のよさによってもたらされることが多い。

 そして、まずさに弱くなってしまった。濃くて単純な味付け、素材がよくない、そういうことを苦しみと感じるようになった。

 添加物がたくさん入っていたりすると、とても食べられない。身体のためを思ってということ以前に、舌が受け付けない。

 とにかく薄味で、新鮮で質のいい食べ物を好み、そうでないと苦痛を感じるというのは、今でもある程度、続いている。

 これは今の世の中では、そうとうに不便なことだ。食べられるものが、かなり限定される。

 

 だから、父が質のいいヨーグルトを探してきてくれたことは、とてもありがたいことだった。でなければ、いきなり「まずい!」という爆発だったかもしれない。

 このことは、いまでも感謝している。

 

(頭木弘樹『食べることと出すこと』第3回了)

 

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