第2回 飢えていないけれど飢えている――食べないとどうなるか(1)

第2回 飢えていないけれど飢えている――食べないとどうなるか(1)

2017.7.12 update.

頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)

文学紹介者。20歳のときに難病(潰瘍性大腸炎)になり、13年間の闘病生活を送る。

そのときにカフカの言葉が救いとなった経験から、『絶望名人カフカの人生論』(飛鳥新社⇒新潮文庫)を出版。その後、『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』(飛鳥新社)、『絶望読書――苦悩の時期、私を救った本』(飛鳥新社)を出版。最新作は、『カフカはなぜ自殺しなかったのか?』(春秋社)。

現在、月刊誌『望星』(東海大学出版部)で、「落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ」を連載中。
また、NHK「ラジオ深夜便」の「絶望名言」のコーナーに出演中(偶数月の第4日曜の深夜〔月曜午前〕4時台)。

 

ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、

しかし、それこそ最も強い痛苦

                  ――太宰治『人間失格』

 

 

 

|絶食の開始|

 

 入院して、まず最初に行われたのが「絶食」。

 文字通り、何も食べないようにするのだ。

 目的は、潰瘍のできている大腸を休めることにある。

 

 もちろん、治療はこれだけではなく、薬(プレドニン)を点滴で投与している。こちらのほうがメインの治療。

 ただ、カゼをひいたときにも、カゼ薬を飲むだけでなく、寝て安静にしていることが大切だ。

 お腹の場合は、寝て安静にしていても、何か食べれば、働いてしまうので、食べないようにしないと、安静を保てない。

 

 食べ物はもちろん、アメのような、大腸まで届かないものもダメだと、医師から言われた。

 水も飲まないほうがいいと言われた。

 というのも、胃に何か入ると、自動的に大腸も動いてしまうのだそうだ。そういう仕組みになっていると。なるべく大腸を動かしたくないということだった。

 これは自覚症状としても理解できた。とにかく、何か食べると、そのとたんにトイレに駆け込むようになっていた。もうじき、便器に座ったままでなければ、何も食べられなくなるのではないかと思っていた。

 

 

|点滴の親玉|

 

 何も食べず、水も飲まないのでは、もちろん、じきに死んでしまう。

 なので、点滴で栄養を補給するだが、普通の点滴ではとても無理ということだった。栄養の量が足りないと。

 そこで「中心静脈栄養」というのをすることになった。これも点滴なのだが、普通の点滴より、もっと濃い液を入れることができる、点滴の親玉のようなものだ。

 見た目は普通の点滴と変わらない。ただ、腕の静脈に針を刺すのではない。そこがちがう。

 中心静脈というのは、心臓の近くの太い血管のことで、そこまで点滴の管の先を到達させるのだ。

 といっても、心臓のあたりに点滴の針を差し込むわけでなく、針は使わない。鎖骨の上あたりの血管をメスで切って、そこから管を入れていく。

 

 この中心静脈栄養を、その後、入院の度に、何度もやったが、鎖骨あたりの血管を見つけるのはけっこう難しいらしく、医師によってずいぶんちがいがあった。腕のいい医師の場合はたちまち終わるが、そうでないと、さんざんこねくりまわしたあげく、「血管がぐちゃぐちゃになって、もうわからなくなった」と言われたこともある。これを言われるのは、嫌なものである。

 

 また、管を入れるときには、気をつけないと、肺を傷つけてしまうことがある。そうすると、患者の容体によっては、死につながることもある。実際、そういう例を知っている。

 だから、管を入れた後には、レントゲンで確認することになっているのだが、これを省略する医師も多い。腕に自信がある場合には、それでいいのだが、自信ではなく過信だったり、ルーズなだけだった場合、恐ろしい。危険はいろんなところに潜んでいる。治療の中にも。

 

 何度も長期にわたって、中心静脈栄養をやったので、私の鎖骨の上のところにはずっと痕(あと)が残っていた。

 痕は気にならなかった。むしろ、今現在、そこに管が入っていないことに喜びを感じていた。

 一生、消えないだろうと言われていたが、そうでもなく、もうわからなくなっている。

 

 

|痛みに強くなったという錯覚|

 

 最初のときは、なぜか鎖骨の上あたりではなく、肘の内側(よく採血の注射をするところ)をメスで切って管を入れた。

 麻酔はなしで、「痛いけど我慢して」と医師から言われ、血もかなり流れて、床にもしたたって小さくたまるほどだった。

 

 私は、自慢ではないけれど、注射で泣く子どもだった。学年があがると、他の子どもはだんだん泣かなくなっていく。ついに、クラスで泣いたのは私ひとりになった。担任の先生が、怒った顔で私をじっとにらみながら、「今日、予防接種で泣いた子がいます」と、わざわざ匿名で言ったのを覚えている。みんな知っていることなのに。嫌味というものとの出会いだったかもしれない。

 痛みというのは、本当にみんな感じ方が同じなのか、疑っていた。自分は人よりも痛いほうなのではないかと思っていた。

 

 それくらいだから、メスで切られたりすれば、それはもう痛くて仕方ないはずだった。

 ところが、ぜんぜん大丈夫だった。医師も少し意外そうで、「よく我慢したね」と言った。一般の人以上に、痛がらなかったわけだ。

 自分でも不思議だったが、これはようするに、もっと痛いことを経験した後だったからだ。腹痛でずっと苦しんでいたので、腕を切るくらいは、ぜんぜん耐えられたのだ。

 痛みには、もちろん絶対的なところもあるが、相対的なところもある。大きな痛みを経験した後は、小さな痛みは平気になる。前の痛みと比較して、「なんだこれくらい」となるわけだ。

 腹痛で苦しんだのは嫌なことだったが、これで自分は痛みに強い人間になったのだと思った。実際、採血の注射などは、もうぜんぜん平気で、痛いとも思わなくなった。

 

 しかし、これはまったくの勘違いだった。

 これは「ある種の痛みに強くなった」にすぎず、痛みというものには、じつはたくさんの種類があるのだった。

 そのことを後に私は思い知らされることになるのだが、それについてはまたそのときに。

 

 

|何も食べずに栄養をとるというミラクル|

 

 何も食べない、何も飲まない日々が始まった。

 これは、私としては、むしろほっとして、嬉しかった。

 なにしろ、前にも書いたように、何か口に入れれば、すぐにトイレに駆け込んで、血便なので、食べることが怖くなっていた。

 といっても、食べなければ、栄養がとれなくて死んでしまう。

 でも、そのたびに血便を出していたのでは、とれる栄養と、出てしまう栄養のどちらが多いのか? 出てしまう栄養のほうが多そうだった。

 といっても、食べなければ、死んでしまう。堂々めぐりだ。

 

 食べなければ死ぬけど、食べるとよけいに死んでしまいそう。この難問にどう対処していいかわからなかった。

 通常の病気は、なるべく食べたほうが、回復が早い。しかし、胃腸の病気の場合は、栄養をとるところと、病気のところが、同じ場所だから、困ってしまう。自分を救うために栄養をとることが、自分への攻撃にもなってしまう。

 

 絶食と中心静脈栄養は、この矛盾から私を解放してくれた。

 何も飲み食いせずに大腸を休ませることができて、なおかつ栄養もとることができるのだ。

 こういうことが可能なのかと、驚いた。

 

 点滴の起源は17世紀までさかのぼるそうだが、「輸液療法の効果が印象づけられたのは1920年代で、小児科医のMarriottらが小児下痢症に輸液製剤を投与し、死亡率をそれまでの90%から10%にまで低下させたことにより、輸液療法が注目されるようになりました」とのこと(輸液製剤協議会「輸液の歴史」)。

 中心静脈栄養が開発されたのは、1966~1968年。ずいぶん最近のことだ。まだ50年くらいしか経っていない。

 

 

|「食べること」がピタッと止まった|

 

 何も食べていないのに、栄養補給ができている。

 本来なら、人間にはありえない状態だ。

 現生人類が誕生して20万年。その前の猿人のときから、さらにもっと前から、食べることで栄養補給をしている。食べられなくなったら、お終いだ。生きているからには、ずっと食べている。そんなにも長いこと食べてきたかと思うと、かえって不思議な気さえする。

 それが今、食べずに生きている。

 たった50年くらい前から可能になったことだ。

 過去には決してありえなかった状態を、今、自分は体験している。

 

 とまで、そのときに思ったわけではないが、不思議な気持ちになったのはたしかだ。

 自分の人生の中でも、ずっと食べ続けてきたのだ。食事を抜くことくらいはあったが、せいぜい1日だ。ほとんどの日は3回ずつ食事をとってきた。

 それがピタッと止まった。

 

 

|「出すこと」はつづいた|

 

 そうすると、出るほうも止まるかと思ったら、そうはならなかった。

 意外と出つづけるのだ。

 それは、潰瘍ができているせいも大きかっただろう。血液や粘液が出たりするわけで。

 しかし、それだけではなく、何も食べなくても、ある程度、便は出るものなのだそうだ。腸自体の細胞の入れ替わりなどによる老廃物や、腸内細菌の死体だけでもかなりの量あるとのこと。

 食べることはやめられても、出すことはやめられないのだと知った。

 

 これは余談だが、十分に食べることができなくて、栄養失調状態が続くと、下痢になると聞いた。戦後の食糧難のときには、そういう人がよくいたそうだ。

 入れられないのに、出る一方になるというのは、どれほどつらいかと、ぞっとした。

 

 では、出すことが止まったら嬉しいかというと、当時の私はそれを願っていたが、実際には、これはまたとんでもないことになる。

 当時、看護師さんから、「あなたは下痢だから、まだいいのよ。出ない人は本当に大変なんだから」と言われ、私は便秘のことかと思い、内心、憤慨していたのだが、そうではなかった。

 後年、私は腸閉塞も経験することになる。そのとき、この看護師さんの言葉がよくわかったのだった。けれど、これもまた先の話だ。

 

 

|餓えから、栄養不足による餓えを引いたもの|

 

 絶食は、1か月以上、つづいた。

 最初のうちは、食べずにすむことが、ただありがたかった。

 中心静脈栄養だけで完全に栄養がまかなえるわけではないから、多少の飢餓感はつねにあったが、我慢できないほどではない。ダイエットをしている人程度だと思う。

 水分も点滴が24時間入ってきているので、それで十分のようで、渇きに苦しむということもなかった。

 

 しかし、1週間もすると、なんだかおかしな感じになってきた。

 何も口から入っていないのに、栄養は足りているということに、身体自体が戸惑っているような感じがあった。

 なにか不一致で、違和感があるのだ。身体のどこかが「?」を発信している。

 

 それから、飢餓感がやってきた。

 といっても、通常の飢餓感とは別のものだ。

 栄養が足りない飢餓は、生きるか死ぬかなので、とてつもなく強烈だ。秀吉に包囲されて兵糧攻めをされた鳥取城では、空腹に耐えかねて自分の指を食べた人もいたという。武田泰淳の小説『ひかりごけ』が実際の事件をモデルにしているように、餓えのあまり人間を食べてしまったという例は、世界中にたくさんある。

 

 

ひもじさと寒さと恋とくらぶれば 恥ずかしながらひもじさが先

                         (江戸時代の狂歌)

 

 

 そういう強烈な餓えではない。

 餓えから、栄養不足による餓えを引いたものだ。

 それを引いてしまったら、後に何も残りそうにない。ところが、残るものがあった。

 そのことを知ってしまった。

 

 このことを知り、実際に体感したこともあるのは、中心静脈栄養をしたことがある人だけだろう。でなければ、自然にはありえない状態なわけで。

 飢餓について調べる実験に参加したかのようだった。

 

 

|さまざまな部位からの、それぞれの訴えかけ|

 

 さて、飢餓から、栄養不足による飢餓を引くと、何が残るのか?

 それはひとつの感覚ではなく、さまざまな部位からの、それぞれの訴えかけだった。

 

 まず、胃。大腸だけの病気で、胃には問題がなかったので、胃は食べ物を欲しがった。栄養は足りていても、何か手持ちぶたさというように、胃は食べ物を求めていた。丈夫な人間が無理に安静にさせられて、力を持て余して、ベッドから起き上がらずにはいられないというような感じだった。

 なお、小腸も問題はなかったわけだが、小腸について何か感じることはなかった。やはり胃は感じやすい臓器であるようだ。

 

 そして、喉。何かを飲み込みたいという欲求があった。食べ物でも飲み物でもいい、何か飲み込みたかった。喉を通したかった。

「ああ、何か飲み込みたいなあ」なんて、普通はあまり思わないのではないだろうか。うわばみではあるまいし。でも、そういう欲求を強く感じた。

 唾を飲み込んでみても、それではダメだった。もっと、はっきりした手応え(喉応え?)が欲しかった。

 

 さらに、顎。何か噛みたかった。犬になったような気がした。実際、よく犬が噛んでいる骨のかたちをしたガムを思い出した。ああいうものを噛んでみたかった。犬がうらやましい気がした。

 獲物をおいかけて噛みついたりしない人間にも、こういう獣のような気持ちがあるのかと驚いた。

 

 なんといっても強烈だったのが、舌。

 何か味がしてほしいのだ。

 味がしないことが、絶食の期間が長くなるほど、どんどんこたえてくる。

 これは舌だけではなく、舌を中心として、頬の内側も上あごも舌の下も、ともかく口腔内全部が、何か味を求めている。

 おいしい味とか、そういうことではなく、なんでもいいから味がしてほしいのだ。味だけの餓え。

 

 これらは、総体としてひとつの餓えの感覚となるのではなく、個別に訴えかけてきた。だから、「おなか減ったなあ」というふうに思うのではなく、「胃が何か欲しがっている」「何か飲み込みたい」「何か噛みたい」「何か口の中で味がしてほしい」と、順繰りに、あるいは同時に思うのだ。

 それはなかなか混乱するもので、居酒屋で複数の客から同時にたくさんの注文をされた新米店員のような感じだった。

 

(頭木弘樹『食べることと出すこと』第2回了)

 

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