第4回 お出掛けは、戦闘服で

第4回 お出掛けは、戦闘服で

2017.4.03 update.

樋口直美(ひぐち・なおみ) イメージ

樋口直美(ひぐち・なおみ)

1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断された。
2015年に上梓した『私の脳で起こったこと――レビー小体型認知症からの復活』が、日本医学ジャーナリスト協会賞を受賞。
思考力自体には問題はないが、空間認知などさまざまな脳機能障害のほか、幻視、自律神経障害などがある。
自分で手作りした下記サイトには講演動画や原稿や記事を集めてありますので、どうぞ。
https://peraichi.com/landing_pages/view/naomi

 

正方形;蜘蛛の糸写真.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像

天に昇る道?

 

前回、「地図を頭の中でクルリと回わすことによく失敗する」と書きました。このちょっとした脳のバグ(誤り)は、その後、思わぬ展開と発見につながっていきました。

 

あるとき、駅の構内で矢印を見たとき、なぜ天井を指しているのだろう? と思ったのです。
(誰が、なぜ、どうやって天井に行くのだろう)

 

不思議に思い、立ち止まって考えました。
(天井になど行けない。この矢印は、何を意味しているのだろう)

 

こんな矢印を以前、見たことがあるだろうかと考えました。
(あぁ、そうか。この矢印は90度傾けるんだ。真っ直ぐ進めという意味だ!)

 

脳が長年、黙って、瞬時にしつづけてきた作業に気づいた瞬間でした。
(脳って、そんなことをしていたのか!)

 

脳の仕事に感動し、自分の発見に興奮しました。

新しい症状の出現には、衝撃を受けることのほうが多いのですが、脳の知られざる働きに驚き、発見を喜ぶこともあります。脳の機能は、それが機能しなくなったときにしか気づけません。

 

その意味で、脳に機能障害のある人たちは、もっと脳の研究に役立てるだろうにと思っています。役立つことができれば、私ならしあわせです。

 

正方形;蜘蛛の糸写真.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像のサムネイル画像

矢印は天敵

 

今でも直進を示す矢印は、常に天井を指しているように見えます。でも「天井を指す矢印=直進」とわかっているので、困りません。右と左を指す矢印も問題なく理解できます。

 

困るのは、斜めを向く矢印や釣り針型の矢印です。これも90度傾ければいいのだろうとは思うのです。しかし複雑に入り組んだ駅の構内では、たくさんの通路と矢印が、どうしてもつながりません。人も溢れ、店もぎっしり並んでいるような所ではなおさら。人も店も消え、通路だけになれば、わかるような気もします。でも一人で考えて、疲れて具合が悪くなる前に、さっさと人に尋ねます。

 

3次元を無理に2次元で描くのなら、床に矢印を描くとか、通路の真ん中に立てた柱から全方向に矢印を突き出せばいいのになと思います。視覚障害のある方にもそのほうがわかりやすくはないでしょうか?

 

いま、矢印は天敵です。矢印を見るだけで、威圧感を感じます。慣れない大きな駅の構内など、矢印だらけの場所は不快です。情報が多すぎることも原因でしょう。不協和音を聞かされているようで、体調が悪くなるときがあります。行きはまだよいのですが、用事を済ませて帰るときは、脳が疲れているので気をつけます。
(私は、体や脳が疲れたり、ストレスを受けると、「意識障害」と感じるものを起こします。脱水や高熱のときのようにもうろうとし、全身が苦しくなります。脳の血流が急に低下するのだろうと考えています)

 

正方形;蜘蛛の糸写真.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像のサムネイル画像

永田町で矢印に飲み込まれ

 

矢印だけでなく、すべての案内表示の見え方が、突然変わったこともあります。

 

私は地下鉄永田町駅で、有楽町線から半蔵門線に乗り換えようとしていました。この駅には、3種類の地下鉄が乗り入れ、他駅への連絡通路もあります。それでもこの駅には慣れていて、ふだんなら難なく乗り換え可能です。その永田町駅をさまようことになりました。

 

ふだんどおり電車から降り、いつものようにホーム端からエスカレーターに乗り、コンコースに出ました。

 

ふと表示を見上げた瞬間、矢印、文字、色付きの丸いマークなど、すべての案内表示が、数え切れない矢のように私の目に突き刺さってきたと感じました。あらゆる表示が、まったく等しい重みと勢いを持って、脈絡なく目になだれ込んでくるのです。

 

それが表示だということはわかっていました。ただ、迫りくる勢いと量に圧倒され、それぞれが何を意味しているのか、どこに案内しているのかはわかりませんでした。表示の洪水に飲み込まれ、頭がクラクラし、体はなぎ倒されそうです。

 

永田町○.jpeg

 

何が何だかわからないままに「あぁ、この矢印かも……」とすがるように進んだ通路は、まったく違う方向でした。なぜそんなほうに行ったのか、後で考えると不思議です。でも溺れながらつかんだ藁は、そちらを指し示していると、そのときには思ったのです。

 

この後しばらくは、電車に乗ることを怖いと感じました。滅多にないことで、永田町駅で起こったのもこの1回だけです。後日、現場の写真を撮ったとき、表示の小ささに驚きました。なぜ私の脳は、これを洪水と認識したのか……。脳が誤作動を起こすと、見え方や聞こえ方は、まるで違うものになってしまうのです。

 

正方形;蜘蛛の糸写真.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像のサムネイル画像

渋谷では光と音に襲われて

 

似たことは、夜の渋谷でも起きました。

 

NHKの「認知症キャンペーン」の打ち上げ会に声を掛けていただいて、夜、渋谷駅のすぐ近くの中華料理屋に向かっていたときです。迷路のような渋谷駅の構内を、迷いに迷った末にやっとのことで外に出られました。外気を吸って、ほっと一息つくはずでした。

 

しかし、頭上には巨大スクリーンがいくつも迫り、それぞれが違う映像を映し、違う音声、音楽を放(はな)っていました。その全部が、私の目と耳にいっせいに飛び込み、殴られたような苦痛を感じました。

 

全方向から迫ってくる騒音、音楽、声、眩しいスクリーン、ネオン、チカチカ点滅する電光掲示板、車のライト、信号機の光、店の照明……。何もかもが、破壊的です。音は大きすぎ、光はまぶしすぎ、すべてが痛みに変わります。

(だめだ! やっぱり夜の外出なんて、私には無理なんだ。無理して来るんじゃなかった。戻ろう)

 

でも自宅は遠く、こんな状態では、無事に帰り着けるとも思えません。私は覚悟して歩き出し、何度も人に道を聞きながら、店にたどり着きました。店に入ってすぐへたり込み、息を切らしていました。心配する周囲に「大丈夫です」と言って、落ち着くまで一人でじっと耐えていました。

 

しばらくすると落ち着き、懐かしい方々と楽しく話していると、どんどん元気になっていきます。あまり遅くなると具合が悪くなるので中座し、帰り道は、若い男性が駅まで送ってくれました。いろいろ話しながら帰るそのときは、街は普通の街でした。かなり賑やかでまぶしくはあっても、苦痛ではないことを不思議に思いました。心配して送ってくれた男性も「なんだ。全然問題ないじゃないか」と思ったでしょう。

 

正方形;蜘蛛の糸写真.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像のサムネイル画像

精神は脳の主?

 

疲れやストレスが引き金になったと思われる渋谷での出来事は、気をつけてさえいれば、滅多に起こりません。でもいつ、どこで、どんな異変が起こるかわからないことが厄介です。血圧の急降下など、レビー小体病特有の自律神経障害もあります。

 

冷房や寒さに弱い。気圧の低下や寒暖の落差でぐったりする。疲れやすく、疲れると「意識障害」を起こしやすい。頭痛や耳鳴りは頻繁。夜は光がまぶしい。騒音がつらい。帰宅時間が遅いと寝付けなくなる。ホテルでは眠れない。食後は急激な血圧低下を起こしやすい。午後は横になって30分くらい休みたい……。

 

まぁ、赤ちゃんが外出するようなものです。ほかにも理由は多々ありますが、遠い所に行くときは、「無事に帰って来られるのか」と、いつも思います。冷房に備えて真夏でもハイソックスをはき、大きなバッグには、防寒用の衣類やら飲み水やら詰め込み、戦闘モードで出立(しゅったつ)です。遊びに行くときですら、道中は、スリルで溢れています。

 

こんな事情を一言で説明することもできず、かといって話さなければ想像もしてもらえず、以前はよくドタキャンをしたり、困ったことになっていました。
今はそんな軟弱な脳との付き合い方にも熟達し、かなりのところ、うまくやっています。この春は電車の優先席に行き、「席を譲ってください」と言えるまでになりました。予想もしなかった進化です。病気とつきあい始めてから、私の精神は丈夫になっただけでなく、より健康に、自由になったと自覚しています。

 

精神は、脳の主かもしれません。実際、体調が万全でなくても、人前ではシャキッとしていられます。親しい人と楽しく過ごしているときは、症状も出にくくなります。四六時中、楽しく大笑いしていれば、症状など出る間もなく、治ったような状態が続くのではないかと真面目に夢想しています。

(樋口直美「誤作動する脳――レビー小体病の当事者研究」第4回終了)

 

東急ハンズ.jpg

 

 

 

 

 

 

私はこれで迷いました(編集部

 

←第3回はこちら 第5回はこちら

 

 

トラックバック

http://igs-kankan.com/mt/mt-tb.cgi/1032

コメント

このページのトップへ