第3回 異界に迷い込むとき

第3回 異界に迷い込むとき

2017.3.14 update.

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樋口直美(ひぐち・なおみ)

1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断された。
2015年に上梓した『私の脳で起こったこと――レビー小体型認知症からの復活』が、日本医学ジャーナリスト協会賞を受賞。
思考力自体には問題はないが、空間認知などさまざまな脳機能障害のほか、幻視、自律神経障害などがある。
自分で手作りした下記サイトには講演動画や原稿や記事を集めてありますので、どうぞ。
https://peraichi.com/landing_pages/view/naomi

それは、いつもふいに訪れます。

問題のない体調、悪くない気分。クリアーな意識。体と脳が低調になりやすい雨の日ですらありません。そんな何気ない日常のなかで、突然、頭上に落ちてくる宇宙人のように……。

 

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 ぼんやり歩けない理由

 

つい先日、私は2か月に一度づつ、もう3年以上通っている病院に向かっていました。「パン屋を越したら左折」。それが、毎回意識的に確認する目印です。

 

自分の方向や場所の感覚は信用ならないと思うようになった3年ほど前から、道を曲がるときは、目印を覚えるのが癖になりました。曲がるたびに、そこに何があったかを記憶します。「コンビニを右に見ながら右折」とか。

 

意識さえすれば、記憶することは難しくありません。その目印を思い出せば、帰路で困ったことはほとんどありません(私にはアルツハイマー型の記憶障害はありません。時間と結びついた特殊な記憶障害がありますが、それはまた後日、じっくりと……)。

 

ただ、意識しなければ記憶には残りません。だからここ数年、ぼんやり歩くということはなくなりました。慣れない場所を歩くときは、直進のときでも常にあちこち観察し、記憶しようとし続けています。人に連れられて歩くと、そういうことを一切しないので、「なんて楽なんだ!」と驚きます。

 

「認知症の人は疲れやすい」といいますが、私も極端に疲れやすくなりました。私の病気に特有の自律神経障害が、主な原因だと考えています。でも、落ちた能力を補おうと、脳がフル回転し続けていることも原因の一つかもしれないと、そんなとき気づきます。

 

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初めてのミステリーツアー

 

さて、病院に行くために、いつもように「パン屋を左折」したときです。細い道の入り口には、見慣れた赤い選挙ポスターが何枚も貼ってありました。でもその先に見える家は、見慣れないものでした。

(え? 2か月で新しい家が建った? 前回、建築中だったっけ?)

 

建築中の家を見た記憶を思い出せないまま進んでいくと、どうも風景が違うのです。

(どの家にも見覚えがない気がする……。このへんに米屋があったはずなのに……。なぜ?)

 

また何か、理由のわからないヘマをしたのだろうかという不安が頭をもたげます。

(でも、たしかにパン屋を左折したのだから、道を間違えるはずがない)

 

見た記憶のある家は現れず、進めば進むほど戸惑いは膨らみ、自信は薄れていきます。そして目の前に、見たこともない寂れた景色が現れました。曇ったのか、急に暗くなったようにも感じました。

(違う! こんな道、通ったことない!)

 

間違いに気づくと同時に、自分自身にぞっとしました。

(どこで間違ったんだろう。ほかに左折する道なんてあっただろうか? なぜ間違ったんだろう。確認したつもりでぼんやりしていた? いや、それはない。パン屋が移動した? 建物ごと? それもない)

 

あれこれ真剣に考えながら引き返し、三叉路まで戻ると、目の前にパン屋が現れ、その道が正しい道だったことを示していました。

(これは何? 症状? こんな症状がある?)

 

信じがたい思いのまま再び同じ道を引き返しました。その道は、通い慣れたいつもの道でした。ついさっき見た風景とはまったく違う見慣れた街並みが、病院まで続いていたのです。

これは、初めの体験でした。

 

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突然大地が揺れ、世界が変わる

 

「ただの勘違いでしょ?」と言われることがあります。「私も同じようなことがあるよ」も、友人たちからよく聞く言葉です。自分でもどこまでが50代相応の勘違いや物忘れで、どこからがレビー小体病特有の注意障害やその他の症状なのか、わからないことがあります。ただ、自分でも理解できないとんでもない勘違いやミスが、私の生活のなかには、ときおり前触れなく起こります。

 

同世代の友人たちは、かなりひどい物忘れをします。でも友人たちはそれを笑い、私は笑えません。私はどんなミスをしても血の気が引きます。「これは症状? 病気の進行?」と考えないときはありません。

 

そんな失敗を身近な人から怒られたり、責められたりすると必要以上のダメージを心身に受けます。私には認知機能の障害がないと周囲から思われているので、余計に「ありえない」こととされてしまうのです。しかし本人は「ありえる」と自覚しているので、ミスが出ないようにあらゆる工夫も努力もし、常時神経を使っています。そうして人前でボロが出ることを最小限に抑え、一人になったとたん、疲れが一気に出てぐったりします。悪循環です。どうにかしたいと思っています。

 

自分の居る場所が、突然わからなくなるという経験は、これが初めてではありません。以前にも何度もしています。原因は一つではなく、「わからなくなり方」もさまざまです。

 

あるとき近所の図書館に行こうとして道を曲がった瞬間、風景は変わらないのに、自分がどこにいるのか、まったくわからなくなりました。

(図書館はどの方向にあるの!? この道はどこに続いているの!? そもそもこの街は、いったいどうなっているの!?)

 

街の地図は、私の頭から完全に消え失せていました。慌ててあたりを見渡すと、街並みは、同じように見えてどこか違っています。見え方が、なにか変なのです。時空がひずんでいるような、異次元に入り込んだような……。めまいはしていないのに、頭がグラグラするように感じました。

 

さっきまで確かにあった世界は消えてしまった。いま自分がいる世界、空間がどこから来たものなのか、なぜここにあるのか、まったくわからない。私は足がすくみました。

 

自分がいる世界を現実のものとして感じられないとき、自分自身の存在も揺らぐ感覚に陥ります。いつも自分をしっかりと支えてくれているはずの大地がある日突然、怒り狂ったように揺れ、波打ち、裂けていくときに感じた感覚に少し似ています。

 

それは感覚的には長く感じましたが、分単位ではなく秒単位の出来事でした。異界はすっと元の街に戻り、何事もなかったかのように、そこに存在したのです。私はそのまま何の問題もなく図書館へ行き、自宅に戻りました。これは、2013年から2014年の間に5回くらい体験したできごとです。見え方が変わる体験は、その後もしています。

 

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地図が地図でなくなるとき

 

もっと頻度が高く、今でもよくあるのは、地図が突然わからなくなることです。

 

友人たちと会う約束をして銀座の裏通りを一人で歩いていました。初めて通る道でしたが、紙の地図を片手に、順調に店の近くまで来ました。「よし。ここで右折だ」と曲がった瞬間、自分がその地図のなかのどこにいるのか、どの道をどの方向に歩いてきたのかがわからなくなりました。

(そんなバカなことはない! 今までこの地図を見ながら歩いてきたじゃないか! 落ち着け!)

 

地図を凝視しました。初めて見た、知らない街の地図に見えます。地図と目の前の風景も合致しません。

(このなかのどこに私はいる!?)

 

初めての経験でした。「わからない。だめだ。もう辿り着けない……」。しゃがみこんで、泣きたくなりました。情けない。怖い。悲しい。病気の進行を意識して、絶望的な気持ちにも襲われます。

 

でも、うずくまって泣いたところで、何が改善するでしょう。気をとり直し、近くにいた人に地図を見せて尋ね、時間ギリギリに店にたどり着きました。私は時間感覚にも問題があるので、約束の時間よりかなり早く出るのが常です。

 

地図は、ふだんはわかります。わかっているつもりです。ただ、目の前の地図を180度回転させると、何が何だかわからなくなるということがしばしば起こります。私の脳は、頭のなかで画像をクルリと回わすという初級回転技に失敗するのです。そんなとき、焦って地図を読み解こうとすればするほど脳は混乱し、悲鳴を上げます。そうしていつもミゼラブルな気持ちになるのです。凍える雨のなかに捨てられた子犬のような。

 

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スマホ+人に頼る作戦

 

2016年にあったある会合では、会場までの単純な略図を主催者からメールで受け取っていました。地下鉄の駅を出ると、その略図が、自分から見て上下逆さまだとわかり、スマホを逆さに持ち変えました。ところが、画面は、起き上がりこぶしのようにクルンと回転して元に戻ってしまいます。

 

心臓がドキンとしました。「またわからなくなる!」と瞬間的に思うのです。「落ち着け。大丈夫だ」。でも上下が逆さまというだけで、やっぱり私の脳は、途方に暮れてしまいます。「大丈夫。難しくない。180度回転させるのだから、右折は左折になるはずだ。左折ならこの道のはずだ」と考えるのですが、すでに目の前の風景と略図は違うものに見えて、どうしても自分の判断に自信が持てず、結局、人に尋ねました。

 

街で頻繁に人に道を尋ねていると、世の中にはなんて親切な人が多いのだろうと驚きます。自分もわからないからと、即座にスマホで調べてくれる若いサラリーマンがいたり、途中まで一緒に歩いて案内してくれる女性がいたり。「わからなくなることも、悪いことばっかりじゃないんだなぁ」と思えます。

 

今は、どこに行くにも必ずスマホの地図機能を使って移動しています。その場でオタオタしないように、目的地の住所は自宅で調べ、入力しておきます。

 

スマホというのは、脳に機能障害がある人のためにあるような道具です。自分が地図上のどこにいるのか、丸印で示してくれるなんて、夢のようではありませんか?

 

スマホの地図も地図ですから、ときどきわからなくなりますが、問題ありません。10メートルくらい歩けばいいのです。すると自分のいる場所を示す青い丸がズズズっと移動するので、移動した方向と目的地の印を見比べて、「あ、逆だ」「もっと上だ」「下だ」と、進むべき方向がわかります。

 

スマホの地図機能は、パソコンの操作よりも複雑です。私は最低限の機能しか使えず、いまだに数多くの便利な機能が眠ったままです。それでも、青い丸が目的地の印に近付いていることだけを確認しながら進み、ときどき親切な通行人に話しかければ、一人でどんな場所にも行くことができます(駅の構内は別です)。途中でうずくまって泣くことは、今のところありません。

 

誰の何の助けもなくスタスタと歩き、最短時間で到着するのも、スマホや人に助けられながらたどり着くのも、「目的地に到達する」という意味では同じです。何の違いがあるでしょう。【この項つづく】

(樋口直美「誤作動する脳――レビー小体病の当事者研究」第3回終了)

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