第2回 匂い、このうっとりするもの

第2回 匂い、このうっとりするもの

2017.1.13 update.

樋口直美(ひぐち・なおみ) イメージ

樋口直美(ひぐち・なおみ)

1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断された。
2015年に上梓した『私の脳で起こったこと――レビー小体型認知症からの復活』が、日本医学ジャーナリスト協会賞を受賞。
思考力自体には問題はないが、空間認知などさまざまな脳機能障害のほか、幻視、自律神経障害などがある。
自分で手作りした下記サイトには講演動画や原稿や記事を集めてありますので、どうぞ。
https://peraichi.com/landing_pages/view/naomi

 

「匂いがわからない」と言うと、いつもひどくびっくりされます。そしてその一瞬見開いた目の後には、必ず哀れみが、少しだけ混じるのです。

 

嗅覚の障害をよくあらわす反応だなと、そのたびに思います。嗅覚についての困りごとは、見ただけでは絶対にわからない。でもその障害の哀しさは、想像しやすいのです。感情移入しやすい障害だと感じます。

 

匂いがしあわせという感情と深く結びついた感覚だということに、嗅覚が低下してから気がつきました。

挽きたての豆で淹れるコーヒーの香り、ティーポットで丁寧に入れた紅茶の香り、炊飯器を開けたときに広がる炊きたてのご飯の香り、台所から漂うお味噌汁の香り……。

 

日常生活のなかに当たり前のように存在する香りはみな、しあわせ、安らぎ、ぬくもりと深く結びついています。でも、いま私は、空気のなかから香りだけが消えた世界に暮らしています。

 

正方形;蜘蛛の糸写真.jpg好物の鰻の香りが……

 

自分の嗅覚障害に気づいたのは3年前、2013年の晩秋に、紅葉の名所として有名なお寺に家族で出掛けたときです。見事な紅葉に感動し、とても満たされた気持ちで賑やかな参道を歩いていたとき、夫が言いました。

 

「わぁ〜、堪らない匂いだなぁ!」

 

意味がわからず、あたりを見回すと、鰻屋の店先にはコンロが出ていて、そこで蒲焼を焼いているのが見えました。近づくと、炭火に焼かれた鰻はタレを滴らせ、私の目の前でジュージューと音を立てていました。

 

私は、自分の嗅覚が完全に失われていることに初めて気がつきました。それは、こんな感覚でしょうか。

 

《散歩の途中、線路にさしかかり、遮断機が下りたので立ち止まる。目の前には、警報機の二つの丸いランプがリズミカルに点滅している。そのとき突然、警告音がしないことに気づく! すべての音が消えたなか、ランプだけが、止まることなく交互に点滅している……》

 

その瞬間、世界は変わってしまったのです。今まであった世界は既になく、自分は違う世界に入ってしまったことを、突然、暴力的に自覚させられました。

 

アルツハイマー病の初期に嗅覚が低下することを私は知っていました。まず嗅覚が低下し、それに続いて記憶障害が始まるのだと読みました。嗅覚低下は、認知症が始まる合図なのだと。

(その後、レビー小体病に分類されるパーキンソン病、レビー小体型認知症でも早期に嗅覚障害が起こることを知りました)

 

そのころは、恐怖だった幻視も減り、深刻だった体調不良も改善していました。私は診断後、初めて希望をもちはじめていました。医学書には「若年性レビー小体型認知症は進行が早い。予後は悪く、余命は短い」と書いてあるけれど、私は例外になれるかもしれない……。そんなふうに思えるようになり、長く続いた絶望を抜けて、明るさを取り戻しはじめたころでした。

しかし、何の匂いもなく、ただ美味しそうな音と煙を上げている鰻は、その灯火を一瞬で吹き消してしまいました。

(よりによって、子どものころからいちばんの好物で、特別な思い出のたくさんある鰻が……)

 

正方形;蜘蛛の糸写真.jpg

「性格が変わる」の残酷さ

 

「問題ないと思っていた記憶力も、近い将来失うだろう。判断力も失う。次に何を失うのだろう……」

 

いま振り返ればその衝撃とストレスからか、しばらくのあいだ、味覚もほとんどわからなくなりました。何を食べても味がよくわからず、食感も変わり、どんなものもまずく感じました。

 

それでも私は主婦ですから、料理を毎日つくるという生活は変わりません。匂いがわからなくなったこと、味もよくわからないことは、夫にも子どもにも言いませんでした。それだけ私は、嗅覚と味覚を失ったことを深刻なことと受け止めていました。

 

理由はわかりませんが、いちばん困ったのは、味噌汁でした。

夫の好物で毎日必ずつくります。これまでのように勘でつくることはできるのですが、味見をしてみても味らしい味はしません。味噌が足りているのか足りないのか、だしが利いているのか利いてないのか、まったくわかりませんでした。

 

一度失われた嗅覚や味覚が回復するとは思えませんでした。どんな味がするのかもわからない料理を夫や子どもに毎日出しつづけることで、私は追いつめられていました。

 

いま考えれば、家族に説明し、宅配食事サービスを利用するなど対策を考えればいいだけのことと思います。でもそのときは「もう私はダメかもしれない。どうすればいいのかわからない」と思っていましたから、正常な精神状態とは言えません。

 

ある日夫が、味噌汁を一口飲んで「美味しくない」と言った途端に、「じゃあ自分でつくってよ!」と怒鳴っていました。

夫に対して突然怒鳴ったのは、初めてかもしれません。夫も、見たことのない私の反応に戸惑っていました。

 

しかしそれは、怒りではまったくありません。ただ、悲しみでした。歯を食いしばって持ち堪えてきたものが、支えきれずに崩れてしまったのです。

 

その少しあとで、まったく同じ場面を、ネット上の若年性認知症の説明のなかに見つけました。そこにはこう書かれていました。

 

「若年性認知症になると性格まで変わり、短気になる。突然、意味もなく怒り出すこともある」

 

そして家族の証言として、わが家と同じ状況が記され、私が発したのと同じセリフが書かれていました。「認知症」というラベルが付くと、何を言っても何をしても、すべて「認知症」の症状だと人からは見られるのだと知りました。

 

正方形;蜘蛛の糸写真.jpgのサムネール画像

言われたくない言葉

 

嗅覚が突然低下したのか、徐々に低下したことに気づかなかっただけなのか、私にはよくわかりません。ただ、振り返ってみると、よく使っていたアロマオイルの匂いが、ある日突然わからなくなったことがありました。

 

私は昔から眠れなくなることがよくあるのですが、数年前に急に睡眠導入剤が効かなくなりました。飲んでも眠れず、ただ長時間頭に違和感が残るだけなのでやめました。眠るためのあらゆる努力はしていたのですが、なかでもアロマオイルは、効果を感じてよく使っていました。

それがある日、匂いを感じなかったのです。でも自分に異常があるとは思わず、アロマオイルが何かの理由で変質し、芳香を失ったのだと思いました。ちょうど睡眠障害もあまり気にならなくなっていたので、そのまま忘れていました。

 

匂いがよくわからないと言っても、鼻をくっつけて嗅げば、それが何であるかはわかります。これは醤油、これは酢と。ただ少し離すと、わかりません。

友人と食事をしていたとき、「あぁ、この柚子の香りがいいね〜」と言われて、自分が食べている料理のなかに柚子が入っていることを知りました。

 

「匂いがわからないと、味もわからないでしょう?」といろいろな方から言われます。

 

これは、あまり言われたくない言葉です。「私だって、美味しいものはちゃんと美味しいとわかるぞ!」と思っているからです。ただ、その味覚の鋭さがどのくらいかと考え、以前の自分と比べると……。やはりうつむいてしまいそうになります。

 

正方形;蜘蛛の糸写真.jpg

料理は鼻でつくる
 

私は以前、かなり敏感な舌をもっていたと思います。料理も好きで、レストランで美味しいものを食べると、それを自分で再現しようとしたりしました。調味料は何だろう、隠し味は何だろうと、味からレシピを想像しました。

 

それは不可能になりました。二度とできないと諦めています。料理自体、好きではなくなりました。つくっていて、何の楽しさも喜びもありません。料理は鼻でつくるのだと、嗅覚が低下してからわかりました。

 

フライパンに胡麻油をひき、刻んだネギとニンニクを入れたときの香り。そこに肉を入れて、刻々と変わっていく香り。調味料を入れ、どんどんよい香りになり、ある瞬間「あぁ、できた。完璧だ!」と思う達成感、満足感、幸福感……。味見をしなくても、それが美味しい料理だということは、匂いでわかるのです。

 

今、料理をしていて、香りがすることはありません。肉や魚が焼けたかどうかは、半分に切って色で判断しています。煮物も色で判断します。好きだったスープは、つくらなくなりました。さまざまなハーブの葉やスパイスを以前は使いましたが、今は胡椒くらいしか使いません。

 

匂いがしないことは、もう当たり前になっています。人間は、なんでも慣れるのです。でもあるとき、ふとフライパンのなかの料理を見ながら、「以前は、ここに匂いというものがあったんだ」と思ったら、激しい喪失感を感じました。

 

正方形;蜘蛛の糸写真.jpg

ワインの香り、花の香り……、そしてりんごの香り!

 

でも、そんなことは考えないほうがいいのです。考えなければ、ないものを意識することは滅多にないからです。

 

私は嗅覚低下を、ひとりでいるときに意識することはほとんどありません。香りの存在は、「わ〜、いい匂い!」という人の言葉で、いつも気がつきます。友人から贈られた紅茶を淹れた部屋に入ってきた夫が、そう言ったとき初めて、私の世界には存在しない芳香の存在に気づくのです。

 

そんなときは、いつも驚き、そして少し寂しいと感じます。しあわせな感情を共有することができないからです。

 

あるとき、家族にとてもおめでたいことがあり、ふだんは行かないレストランに全員で行き、ふだんは注文しないワインも奮発しました。

 

料理が運ばれてきたとき、家族は「わ〜、いい匂いだ!」と声を上げ、ワインがグラスに注がれたときは「やっぱり、いいワインは香りが違うね」と言いました。私は黙って笑っていました。他にできることはありませんでした。ただひとり匂いがわからないことが、これほど孤独なことかと、そのとき思いました。

 

そのころは今と違い、病気の進行に常に怯えてもいました。だから嗅覚障害を意識することは、進行を意識することでもありました。家族がいちばんしあわせな瞬間に、私は将来、そのしあわせを壊す存在になるであろう自分を、呪われた者として意識していたのです。

 

コーヒーの匂いがしないことにも、料理の匂いがしないことにもすっかり慣れた最近ですが、花の匂いがしないことにだけは、何年経っても慣れません。

 

ふと道端に沈丁花を見つけたとき、金木犀や蠟梅の花を見たとき、そこに香りがないことに常に軽いショックを受けます。一昨年、鼻を近づければわかった香りが、去年は鼻をいくらくっつけてもわからなかったときなどはなおさらでした。

 

SNSでは多くの人が、花の写真とともに、よい香りを嗅ぐしあわせを綴っていました。私はそのとき初めて、風景の美しさについて聞く視覚障害者、音楽の素晴らしさについて読む聴覚障害者の気持ちを想像しました。

 

だからといって、傷つくわけではなく、気分を害するわけでもないのです。ただ「あぁ、私の感じられないことを、みんなは感じ、そのよろこびを共有しているんだなぁ……」と思うだけです。正直にいえば、少し寂しい。でも寂しさは、付いて回るものです。

 

この嗅覚障害には、不規則な波があります。ふいに香りがするときがあるのです。

 

ある日、青森からりんごが一箱届きました。その箱を開けた瞬間、りんごのよい香りを感じました。

その驚きと感動。

「りんごの匂いだー!!!」と叫びたくなる興奮。

匂いがわかることそのものの喜び。

 

「そう! りんごって、こんな匂いだったんだ! こんなにもいい匂いなんだ! 匂いがわかるって、こんなにしあわせなことなんだ!」

 

一人で胸がいっぱいになっていました。

 

正方形;蜘蛛の糸写真.jpg

これは本物? 偽物? どちらでもいい!

 

私には、一時期頻繁に幻臭がありました。嗅覚障害に気づいた時期の前後です。腐った魚のにおいなど、ほとんどが強烈な悪臭でした。

 

電車に乗っているとき、隣に部活帰りと思われる男子中学生が座りました。その汗臭さは強烈で、「この子は、このジャージをいったい何日洗濯していないのか!?」と思いました。席を移りたくても満席で、私は気分が悪くなりそうななか、必死で堪えていました。

 

遠くの席が空いたとき、私は小走りになって、そこに移りました(自律神経障害のため、電車で長時間立っていることができないので、席取りは真剣です)。

「あぁ、やっと逃れられた」と思った瞬間に、あの男の子と同じ悪臭が、隣の背広の男性からしてきたのです。そこで初めて、幻臭だったと気がつきました。気づいても幻臭は消えませんでした。

 

その後、何度か同じことがありました。そんなときは、持ち歩いていたアロマオイルをハンカチに滴らして、鼻に当てて堪えました。すると私の鼻でもアロマオイルの香りを感じ、強烈な悪臭に堪えることができました。

 

香りを突然感じるのは、とても大きな驚きとよろこびがあります。でも同時に、「これは、幻臭? 本物?」と常に思います。

コーヒーショップに入ってコーヒーの香りがしたとき、目の前のワイングラスからワインの芳香がしたとき、これは何だろうかと真剣に考えるのです。

 

なぜ私の嗅覚に波があるのか知りません。何人もの医師に質問しましたが、「わからない」と言われました。

 

でも本物でも幻臭でも、どちらでもいいんです。

匂いの存在する世界は、私には、とても贅沢で、艶やかで、幸福感に満ちたものです。

本物だろうが、偽物だろうが、香りを感じられたとき、私は、恋人に抱きしめられた若い女性のようにうっとりとするのです。

(「誤作動する脳――レビー小体病の当事者研究」第2回了)

 

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コメント

初めて知る、嗅覚認知障害(これは嗅覚障害とは言い難い)の詳しい体験的描写です。おそらく世界で初めてではないですか。匂いという極めて主観的な感覚についても、私たちの感覚は同調性をもっているのでしょうが、その部分が壊れるという体験が見事に表現されていて、大変教えられます。
キンモクセイのそばを歩いても、女房に指摘されなければわからない自分のことを、じつはただの感覚の鈍さじゃないのかもしれんと錯覚させられ、楽しい思いもいただきました。

私は物心ついた頃から嗅覚が全くありません。
ワインもコーヒーも胡麻もニンニクもアロマも、もちろん匂いません。
後天性の嗅覚障碍の方は、やはり、失ってしまったことにショックを受けるんですね。私はよく「嗅覚障害」などのキーワードでネット検索するんですが、そういう体験談をよく見ます。
私の場合は、「若い頃は『嗅覚障碍は大したことじゃない』と思っていたけれど、年を取ってから『そうじゃない!人生勘違いしていた!嗅覚障碍はおおごとだ!』と気が付いて、そのことにショックを受けた。」というのが正直なところです。

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