1-1 「病院から在宅へ」は本当に現実的か?

1-1 「病院から在宅へ」は本当に現実的か?

2013.2.26 update.

なんと! 雑誌での連載をウェブでも読める!

『訪問看護と介護』2013年2月号から、作家の田口ランディさんの連載「地域のなかの看取り図」が始まりました。父母・義父母の死に、それぞれ「病院」「ホスピス」「在宅」で立ち合い看取ってきた田口さんは今、「老い」について、「死」について、そして「看取り」について何を感じているのか? 本誌掲載に1か月遅れて、かんかん!にも特別分載します。毎月第1-3月曜日にUP予定。いちはやく全部読みたい方はゼヒに本誌で!

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 連載を始めるにあたって、なぜ小説家である私が、「看取り」について書くことになったかをお話したいと思います。
 私は現在53歳、夫と高校生の娘との3人家族です。
 私の母は、17年前に脳出血で倒れ、4か月のあいだ植物状態になり人工呼吸器をつけて延命していましたが、衰弱して病院で亡くなりました。
 父は、4年前に肺がんで、ホスピスで亡くなりました。
 2011年まで、およそ7年間、夫の両親と同居していました。義母は93歳、義父は92歳でした。
 義母は、その年の3月に脳梗塞で倒れ、入院中に肺炎で亡くなりました。
 義父は、義母の死後に気力を失い、ぼけが進行。大腿部骨折で4か月入院し、退院後に自宅で亡くなりました。老衰でした。
 また、私には8歳年上の兄がおりましたが、10年あまりのひきこもりの末に42歳で自死しました。
 そんなわけで、私は若いうちから親族の死を経験してきました。
 そのせいかどうか、妙な度胸がついてしまい、わりと冷静に死を迎える人のそばに寄り添っていられるものですから、友人たちの死にも立ち合ってきました。
 また、父親が酒乱でアルコール依存症でもあったため、精神科も含めて幅広い医療現場を見てきました。高齢の義父母と同居していたため、福祉の現場も見てきました。そして、「医療」と「福祉」の間に横たわる制度的な矛盾もたくさん経験してきました。
 一人の人間が、老いて、病んで、亡くなっていくまでの過程は、とても個別で複雑で、実にたくさんの人たちが関わってきます。病状の進行がはやいと、制度のほうが追いついていきません。がんばって準備したことが無駄になったことが、何度もありました。
 「介護」とひと言でくくれるほど、現実は簡単ではありません。ですが、だからと言って制度や環境に文句を言っていても、時間とともに人はどんどん老いて情況は変化し続けます。とにかく、目の前の問題に取り組み、知恵を出して乗り越えていくしかありませんでした。制度の壁、医療の壁の前で悔し泣きをしたこともたくさんありました。でも、もう打つ手がない……と絶望しかけたときに、助けてくれたのも医療・介護の関係者のみなさんでした。
 親族が病み老い亡くなるまでの時間、いつもとまどい、悩み、途方に暮れながら右往左往してきました。そんな私の経験が、いま現実に問題を抱えているみなさんの役に立つのであれば……。そんな思いから「地域のなかの看取り図」という連載をお引き受けいたしました。
 私は医療や福祉の専門家ではありません。あくまで経験をもとにした個人的なお話しかできません。でも、だからこそ、ご家族の気持ちに寄り添うことができるかもしれない、と考えています。

 

「老い」をあきらめきれるか?

 

 いま、国の政策は「病院から在宅へ」という方向に動いています。以前はよく「病院では死にたくない」との声を耳にしましたが、これからは“病院では死ねない時代”になるのではないでしょうか。
 病院から在宅へ……という転換は、つまり「家族でがんばってお年寄りの面倒をみなさい」ということなのですが、この政策は本当に現実的なんでしょうか?
 少子化とともに、核家族が増えています。私は比較的はやい50代の前半に、配偶者と自分の両親の両方を看取ってきました。ですから、老人介護に関してはすでにお役目を終了し、あとは自分たち夫婦のことをなんとかすればいいのです。しかし、まわりを見回すと、私たちのような夫婦は少なく、これから本格的な老人介護に入ります……という友人たちばかりです。
 介護の問題は、現実の問題が自分の身に降りかかってこないかぎり、誰も真剣に考えたりはしません。そういうものなのです。たとえ親が80歳になっても、まだ元気であれば、倒れたときにどうしよう……という漠然とした不安はあっても、具体的にああだこうだとは考えませんし、準備もしません。
 ある日、親が倒れる。その時からすべてが始まるのです。
 まず「病院」です。
 多くの人は、誰かが具合が悪くなったとき病院に入れると、とりあえずほっとします。私もそうでした。それは、長年の経験から、病院が「治療」してくれる場所だと信じているからです。そうです、若い人たちにとって病院とは病気を治し、元の状態に戻してくれる場所です。
 ですが、80代、90代の人たちが病院に入院するとなると、ちょっと意味合いが違ってきます。
 私は「老化」ということを本当には理解していなかったと思います。どうしても「いつか健康に戻る」と発想してしまうのです。
 しかし、そうではないのです。人はある年齢に来るとそう簡単に元に戻ることはできなくなります。そのことを受け入れないと、病院がとても理不尽で冷徹な場所に感じられてしまいます。
 私の義父母は90を過ぎても「要介護1」で、自分たちの身のまわりのことは自分たちでできていました。もちろん食事のしたくは私たちがやっていましたが、食器洗いや洗濯物を干すなどは、気丈であった義母がいつも手伝ってくれていました。義父母は人一倍自分たちの健康には自信があったので、逆に、ちょっと具合が悪くなると「おかしい……」と言って病院に行っては薬を処方してもらっていました。
 義父母との日常会話のほとんどが健康のことでした。つねに「目がしばしばする」「口が乾く」「湿疹ができてかゆい」などなど、体の異常を訴えていました。私は嫁として、その訴えを聞く役割でした。
 最初のうちは「本当に具合が悪いんだろう」と思っていました。だから一緒に原因を探したり、治療法を考えたりしていました。
 でも、同居して5年も経つようになると、だんだん「これは老化現象なんだ……」と思うようになってきました。口が乾いたり皮膚がかゆくなったりするのは、細胞の水分が少なくなっているのだから当たり前で、水を飲んで潤し、保湿クリームを塗って、あとはあきらめるしかないのです。
 でも、人はそう簡単に過去の健康をあきらめきれないのです。すると、乾きやかゆみにばかり気持ちがいってしまい、こんなはずじゃない……と、ますますイライラしてくるのです。
 あるとき、義父は布団にノミがいると言い出しました。一緒に寝起きしている義母がなんともないのですから、体の湿疹はノミではありません。でも、一度ノミだと思い込んでしまったために、義父は部屋にバルサンを炊きました。それで気が済んだようで、しばらくはかゆいと言わなくなりましたが、またしばらくすると「なんかかゆくて変だ」と訴えが再開しました。きっとかゆいんだろうなあ、と思います。しかたなく、市販の塗り薬を塗ってあげます。これもひとつのコミュニケーションのかたちなのでしょう。
 私に訴えても埒があかないと思うと、病院に行きます。そして、処方された薬を飲み、病院の薬を塗ると安心するのです。
 義父母は、私たちよりもずっと「薬」を信頼していて、出された薬は絶対に服用し尽くしました。いろんな科を受診して、たくさんの薬を飲んでいました。私は腎臓や肝臓に負担をかける薬物は毒でもあると思っていたのですが、義父母は薬は体によいものと確信していました。薬の飲みすぎもかゆみの原因になっていないか……と思ったこともあります。
 薬で治る……。つまり元の状態に戻ることができる、という確信は根強かったです。
 誰にとっても、今日という日が一番若い日です。
 明日は今日よりも年をとっています。人は日々、死に向って老いているのです。この当たり前のことを、私たちは忘れて生きています。義父母は、自分たちが老いていくことに気持ちが追いついていませんでした。誰しもそうでしょう。老いを受け入れるというのは本当に苦しいことなのです。
 たとえば、義母は「補聴器がダメだ、性能が悪い」と何度も補聴器を買い替えて、そのたびに補聴器に文句を言っていました。ですが、本当に補聴器の性能が悪いのでしょうか。かなり高額の補聴器を買っても気に入りませんでした。補聴器があっても、70代の頃のように音を聞くことは難しいのです。そのことを、受け入れられなかったのだと思います。
 人によって異なるとは思いますが、80代の1年というのは、加速して「老い」が進むように思います。とくに85歳を過ぎると、1日1日、少しずつなにかを身体から削ぎ落とされていくように見えました。

1−2へつづく)

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訪問看護と介護

いよいよ高まる在宅医療・地域ケアのニーズに応える、訪問看護・介護の質・量ともの向上を目指す月刊誌です。「特集」は現場のニーズが高いテーマを、日々の実践に役立つモノから経営的な視点まで。「巻頭インタビュー」「特別記事」では、広い視野・新たな視点を提供。「研究・調査/実践・事例報告」の他、現場発の声を多く掲載。職種の壁を越えた執筆陣で、“他職種連携”を育みます。楽しく役立つ「連載」も充実。

2月号の特集は「住まいで医療も最期まで――いろんなかたちの『24時間』」。在宅・地域ケアに求められる「24時間対応」へのさまざまな取り組み方と、定期巡回・随時対応型サービスやサ高住での試みも。

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